バブルのときの異常な日常風景 Part3
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スターウォーズのコレに2千万円かけて、
地元テレビに紹介されていたアホがいた。 その時、路面電車は銀行の立ち並ぶ通りに止まっていた。
銀行街が騒がしい。
パトカーまでやってくる・・・
電車内ですぐ近くにいたオバハン連中が、
「まぁ、何かしら?」
「銀行強盗?」
「怖いわねぇ」
「最近、不景気だから・・・」
バブルの絶頂期で「不景気」とは、どーゆー感覚してるんだ?
でも、これが愚民どもの感覚
この感覚がこの国を今のような惨状にしたのだろう・・・ 一兆円を投じて、大阪で花博が開催された光景
色んな企業が金出しまくり。 89年の一回目の幕張メッセでのモーターショーは凄かった。本当に何処のブースに
行っても身動き取れない位に混んでた。敢えて平日に行ったのに・・・。 1985年、円高が始った
ほとんどの経済評論家は「一ドル150円を切ったら日本経済は壊滅する」と言った
しかし結果はバブル景気
それ以来、私は経済評論家を信用しなくなった TOKYO ROOFも凄かったね?
スカイダイビングのやつは特に凄かった。 >>20
俺が高校卒業した年は、円高不況でやたら就職率が悪かったのに、翌年はバブル
で超売り手市場になった。 超売り手市場の時代は内定者をホテル等に招待したり遊びに連れてってくれ
たり逃げられないようにちやほやしてたのが今や早期退職のやり玉だからな。 >>20現在とバブル直前って酷似してるよな。ダメリカが仕掛けたバブル、今回も
またバブル起こしそうだな。 >>23
あの頃は、ちょっと不便なリゾートホテルに缶詰めにしたり、リクルーターと一緒に温泉に入って、
人事の人が脱衣所にある学生の服を隠して抜け出せないようにするとか、あの手この手だったな。
逆に複数内定をもらっていた学生は本命企業にSOSを出して、レスキュー隊を派遣してもらって、救出してもらっていたとか。
あと一番信じられないのが、某自動車メーカー。工場見学と称して工場見学の後、ソープへ連れて行き、温泉旅館へ缶詰め。ピンクコンパニオンつき。
全部、経費持ち。
当時聞いたのが総合職新入社員1人採用するのに2,000万円かかるという話。
道理であの頃入社はバカが多いし、未だに勘違いしている。
「入ってやった」気分が抜けていない。 >>23
あの頃は、ちょっと不便なリゾートホテルに缶詰めにしたり、リクルーターと一緒に温泉に入って、
人事の人が脱衣所にある学生の服を隠して抜け出せないようにするとか、あの手この手だったな。
逆に複数内定をもらっていた学生は本命企業にSOSを出して、レスキュー隊を派遣してもらって、救出してもらっていたとか。
あと一番信じられないのが、某自動車メーカー。工場見学と称して工場見学の後、ソープへ連れて行き、温泉旅館へ缶詰め。ピンクコンパニオンつき。
全部、経費持ち。
当時聞いたのが総合職新入社員1人採用するのに2,000万円かかるという話。
道理であの頃入社はバカが多いし、未だに勘違いしている。
「入ってやった」気分が抜けていない。 普通に大阪の花博だろ。
あれ知ってたら、他のバブリーなもの見ても
馬鹿みたいと思える。 花博の記念硬貨って5000円銀貨だった。
今思うと、バブルだったんだな・・・。
補足だけどそれまで記念硬貨は東京オリンピック記念で1000円のが出た以外は100円だった。
85年につくば万博記念で500円のが出てから翌年の昭和天皇御在位60年記念硬貨では10万円金貨、1万円銀貨、500円白銅貨と拍車がかかった。 マーク2シリーズやソアラに若葉マーク付けて乗ってる人結構いたな。 >>27
茶色くなったラフレシアを喜んで見に行ったあのむちゃくちゃ暑い夏の日・・・。
何気に噴水ショーが凄かったな、近年やった愛知万博より数倍楽しかった気がする。
考えてみたら愛知万博ってつくば万博より規模が劣るような・・・。 この前日産シーマの生産終了が発表されたけど発売当時はシーマ現象と
言うくらいむちゃくちゃ売れて街中に走る姿を今のミニバンみたいに
普通に見かけたのが懐かしいな。 >>37
ワロス
「投げる〜」はそれなりの功を成して社会的評価得て復権したけど、「歌う〜」は今だに悲惨らしいねw
たまあにお情けで犬HK出させて貰ってるらしいけどw 今、バブル期に流行った西麻布のホブソンズに来ている。
当時学研のウータンにこことハーゲンダッツの記事が出ていて、
食べてみたいと思ったもんだなぁ。
その頃私はまだ中学生か高校生で、
田舎在住の貧乏人だったから夢のまた夢だったよ。
そう考えると感慨深い。 ホンダNSXが発売されて価格が一千万超えてるにもかかわらず発注から納車
まで2年待ちだったことがあったな、バブル弾けて一挙にキャンセルになっ
たけど。 スキー場のリフト待ちの列(1時間待ちはざら)
今はリフトはほとんど待ちなしで閉鎖されたスキー場もあるからな。
世界的に有名な映画監督の指示で宮崎県知事が仕分けで名をあげた行政刷新相に日曜日のマッ昼間のナマ放送で
セクハラしてた・・・ 高卒で市営給食センターのおばちゃん(正しくはおねえちゃん?)になった。
中途採用もあり、40歳代でもバンバン公務員になれた。
それが普通だった。
今や給食センターの新規採用のおばちゃん(おねえちゃん)は大卒、
それもいい大学ばかりでびっくりする。
中途採用は、臨時のアルバイトばかり。
地元の斎場の通称「墓守り」も、私と同じ年くらいの職員はみんな高卒だけど、
今は大卒しか入ってこない。 汐留のディスコに本物のロケットがあった。
サイカ? だっけ? チン毛にリンスやコロン(特にムスク)使ってたヤツ挙手 http://www.nicovideo.jp/watch/sm6879398
12分あたりのフォーリンラブ〜って曲名誰か教えて下さい
マハラジャって凄いディスコだったんだねw
このギンギラ感は20代の自分には新鮮すぎる ニュースとかで、「いつまで続くこの景気?」
的な事を(もう終わっていいじゃないの的なニュアンスで)
言っていた。 そう言えば、バブルの末期に渋谷にHMVがオープンしたけど。
まさか、その20年後に潰れるとは思ってもみなかった・・・。 バブルの頃、六本木のあるディスコでデカイ照明が客の頭上に落ちて大騒ぎになった
事件があったけど。
結局、そのディスコは1〜2年後に潰れて。今は、別の飲食店がテナントに入ってます。 >>52
トゥーリアは事故後そのまま閉鎖だし
別の飲食店が入ったのはサントリー系列 バブルのころはみんな金持ちですごかったらしい。
買い物で小銭ができてもチャラチャラと財布に入れておくのが邪魔くさいので、道に捨ててたって。
もしくは「お釣りはいらない」ってスマートに断ってたらしい。
小銭なんてはなから相手にしていないって感覚だったらしい。 そのときの差額でアメリカ人は大もうけしたよ。
イギリス人もねw >>54
バブルの頃はあなたの言うとおりの世相でした。
私は当時中学生でしたが、確かに道に小銭がよく捨ててありましたよ。
兄の財布にはいつも1万円札しか入ってなかった。
小銭なくて不便じゃないのって聞いたら「全部札で会計済ますし、釣りは断るから小銭なんてなくていい」って。
ブランド財布は札入れのみって言いたいのか?
今さらだけど挟むハンガーだけとかな バブルのときは凄かったんだね
俺は小学生だったから実感なかったな
金持ちの友達がファミカセいっぱい持ってて羨ましかった
おれはドラクエ3、4とかやってたな 当時、地方で儲かってる何かの会社の社長が、都内に住む大学生の馬鹿息子に毎月300万円
を仕送りして、そいつがその金を惜しげもなく浪費する場面を放映すると言う、何とも悪趣味な
番組が流れてたことがあった 大学生でも外車乗ってた
携帯電話代が無いから単純比較は出来ないけど
羽振りはよかった
女には財布を出させる事は無かった 美容整形やプチ整形が大流行してたな。
テレビ番組で「仕事帰りにちょっと整形、こんなにキレイ」とかやってた。
30 :板東英三(元・大投手):2011/01/31(月) 05:28:25 ID:ohBRrG1LO
★バブルに浮かれせられたのは自民党のせい
私は以前からかなりの資産がありました。
それは私に才覚あること、ずば抜けた努力の成果であって、大金を稼げたのは当然の帰結であります。
そんなおり、あのバブル景気がやってきました。
自民党政府の煽る世間の投機ブームに毒された私は、かなりの投資を行い
結果億単位の損をしました。
これで、今からの老後は「極貧」であります。
いったい私の才能と努力の報酬はどこに消えたのでしょうか。
これも全て、あのバブルを生んだ政治が、ひいては自民党が悪いのです。
バブル景気なんてものがなければ、私は堅実な人生を歩み、
負債に苦しむ、ということも無かったのです。
31 :板東英三(元・大投手):2011/01/31(月) 05:38:02 ID:ohBRrG1LO
(続き)
こんなことを書いていると、
「大阪の資産家姉妹が餓死した――」
とのニュースを知りました。
私同様、相当な資産家だったのに、
この自民党政権が生んだ歴史上かつてない不景気により、
資産は差し押さえられ、飢え死にした
という悲惨極まりない事件でした。
このように、かつての大きな財産を失った元資産家というのは、
日本中に無数にいます。
その人たちに支援の手を差し延べるのが、政治のやることです。
(政治とは、国民の生命と財産を守ること)
バブルを生んだのは政治の責任であるのだから、
民主党政権はそのツケをしっかりと払うべきですし、
払ってくれるもの、と期待しているきょうこの頃であります。
当時の公務員試験は一部の上級を除き、高卒程度なら簡単だったらしい。
市役所の一般事務なら筆記試験は形だけで面接でほぼ合格したと聞く。(親族が議員だったりしてコネで合格できた人もいるらしい)
専門職なら一般教養ができなくても専門試験と面接がよければ合格できたらしい。
警察、消防などはある程度の体力があり、補導歴等がなければ合格だったという。(高校の柔道部、剣道部などが集団で受験したりしたらしい) 大気圏を突破か手前までエレベーターを造る計画ってなかったっけ? 当時中学生だったがやたらとマスクメロンを食べていた気がする。 大して美味くもない味噌汁のみで8000円もふんだくる店があった
詳細は渡辺満里奈表紙のORE1988年4月号に載っている相楽ハル子
によるリポート記事にあるけど H.R.ギーガーがプロデュースしたGiger Barってのも有ったなあ
ttp://www.geocities.jp/maharajastory/34gigerbar.html ディスコのトイレでセックルやってるボディコン姉ちゃん。
事が終われば腰に巻いたブランド物のスカーフで綺麗に後始末し、そのままトイレに捨てていく。
一年くらい掃除のバイトやってたオレはその間に三桁を越えるスカーフを回収したんだが、すべてクリーニングしてリサイクルショップに売って小遣いにしたり、他の女にプレゼントしてナンパ道具に使わせてもらった。
エルメスやシャネルなんかは一枚でオレの2日分のバイト代になった。
仕事帰りに道中のマンションのゴミあさりして、程度の良いブランド物の衣類なんかも同様にリサイクルした。
極めつけはコーヒーか何かの液体をかぶって汚れた、現金37万円入りの財布。
お札は汚れてベタベタだったのですべて銀行で新札に換えてもらった。
ゴミあさりして中古だけどベンツを買った19歳のオレ。 八王子にアミューズメントパークが有ったんだけど、映画バットマンの撮影に使われたバットマンCARが展示されていたなあ。 >>78
1990年当時=先進国
現在=発展途上国
という感じ。 >>81
点で切り取ればそうかもしれないけど
線で見ればそれは途上国に対して失礼 バブルディスコと言うとジュリアナじゃなくてマハラジャとか
キングアンドクイーンでは >>85
トゥーリア/パックシアター/MZA有明とじゃじゃね? 若者も言動に自信がみなぎっていたな。就活で黒のリクルートスーツとか
誰も着て行かなかった。
>>88
当時はリクルートスーツは
「紺色じゃなきゃダメ」
みたいなムードがあったな 「利益として計上すると課税されるから、それならボーナスとして社員に配っちまえ。」
って会社も多かったな
俺の会社も1990年の正月に「お年玉」として全従業員(パートやアルバイトも含む)に10万円支給されたわ
もちろん冬のボーナスや月給とは別支給
社員旅行は豪華客船借り切って船上パーティー
高級リゾートホテルに宿泊
社員旅行だけで5000万円ぐらい使ったとか言ってた
(従業員数150人ぐらいの中小企業) >>93
東京湾シンフォニー懐かしい
バブルは終わってたけど
俺は宝石を買い付けに行った先で
湾岸戦争始まって大変だった。
俺は戦場パーティーだったw
>>94
湾岸戦争の頃だと91年1〜2月でまだ景気が良くて地価が高かった頃じゃない?
株価はだいぶ下がり始めてたけど >>95
そうね
なんだかんだで、94.5年位までは浮かれてたね
94・5年頃まで浮かれてたってことはない。
せいぜい92年頃まで。 新島はバブル期じゃないよ
もうちょっと前の構造不況の時に流行った 会社は不況になるのを予想して、給料を上げないで、
旅行、宴会を多くした。
不況だから給料を下げるわかにはいかないから。 >>103
そうかその時は廃れていたのか
まあ僕が新島へ行ったのは昭和60年〜昭和62年にかけての夏限定でしたが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています