>>140
うちのところと全く逆だな。小学校では運動できるやつが上で中学校になると勉強できるやつの地位向上だった。
田舎で中学受験なんてのは無縁だったからかな。
中学校では高校受験意識し始めるから勉強できるやつはヲタ系であっても地位はそれなりに高かった。
まあ彼女できるのは運動部キャプテンとかエース級の人が中心だったが。

自身は小学校のときは中間派閥に居たな。上位層からは全くにらまれることなく平和にすごした。
中学校では成績上位でヲタ系グループの代表という感じだった。
学園祭の合唱では1〜3年すべて伴奏だったがある意味なし崩しに決まった(ピアノ弾ける女子が次々に辞退した。)
うちの学校でも団合唱があり(1〜4組団、体育祭でも縦割りの組団が関係あり)それも伴奏となった。
3年次はクラス・団で2回あるのだからどっちか伴奏したい人がいれば喜んで譲る気だったが女子の最大派閥の長(2年次に伴奏経験あり、生徒会長)が両方指揮者やるからと指名。

中2のときに当時の担任とクラス中心数人、さらに中3で女子の大派閥の長になる人(このひとがそのとき会長に当選)の支援により
生徒会役員選挙(副会長)に出たが、後輩の票(特に女子)がかなり少なく落選。

中3のときは級長にされたがはっきり言うと村山富市政権みたい(直属のグループが少なくて大派閥に担がれる。そのときの女子の級長は大派閥の長)だった。
さらに中3のときは学園祭の合唱委員長にされた。(これもはっきり言えば村山政権状態。自身は2曲の伴奏担当なので名ばかり委員長というほどではなかったが)

高校時代は理数科に入った(1クラスのみなので3年間クラス替えなし)
そのときは男子は運動系1(野球・サッカー・バスケなど、最大派閥)、運動系2(柔道、相撲など、最小派閥)、その他(文化系や運動系でもヲタはここに分類、自分はここ)
高校でも自分は3年間合唱で伴奏した。そのおかげで女子とはそれなりに交流があった。
進学校のためか学年が進むたびに受験勉強に真剣になっていき高3の2学期以降は休み時間でも教室は静かだった。