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昔見たり聞いたりした泣ける話を思い出し語ろう
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0069大人になった名無しさん
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2005/10/17(月) 00:55:59
アッツ島守備隊が全滅した事を知った天皇陛下は、「山崎部隊は最後までよくやった。自分は嬉しく思うと打電せよ」 と仰った。
「無線機は破壊しているので受信されません」と答えても、「それでも電波をだすように・・・」と仰るのであった。

大本営はアッツ島に向けて打電したが、アッツ島から返信が来る事はなかった。
0070大人になった名無しさん
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2005/10/18(火) 08:41:05
>>69
 。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン 
0071大人になった名無しさん
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2005/10/24(月) 07:34:31
>>68
幸せになれよ!
00721
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2005/10/27(木) 00:49:28
 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 

 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
00732
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2005/10/27(木) 00:50:00
 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。

 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
00743
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2005/10/27(木) 00:51:22
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
人々を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。

そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に
避難させたのである。

そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。

日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という
歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を
出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。

最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。

その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。

戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の
亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミと
ショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して
作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。
0075大人になった名無しさん
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2005/11/25(金) 18:56:03
 小さいころ新聞に折り込まれた広告を見ると近所に出来た電気屋さんの開店セールの
 チラシが入っていた。
 そのチラシには「開店記念、ホットプレートで作った焼きそばを無料配布」の文字が!
 焼きそばが大好きだった俺は、タダで焼きそばか食べられるのかとワクワクしながら弟を
 一緒に電気屋の前まで行ったが電気屋の近くまで来た時に目にした光景は閑散とした客  誰一人としていない店頭で一生懸命呼び込みをしながら焼きそばを小さなホットプレートで  焼きつづける電気店主夫婦・・・
 子供の目にもあまりにも寂しい雰囲気だったので「焼きそば下さい」と店の前まで行く勇気  が湧かず弟と一緒に遠巻きに電気屋を見て、そのままそそくさと帰宅した。
 それから月日は経ち電気屋は無くなった。
0077大人になった名無しさん
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2005/12/28(水) 23:43:11
彼と半年前別れました。
思い切り憎まれて別れました。

・・・・余命宣告を今日受けました。
間に合ってよかった。
たとえ憎まれても、彼の記憶の中では元気なままの私で残れる。
辛さや苦しさをぶつけるよりも、この道を選んだことを
悔いていません。

こうちゃん、大好きだよ。ずっと好きだよ。
ひどいことたくさん言ってごめんね。
あなたを傷つけてごめんね。
結婚しようって言ってくれてたのに、こんな形で裏切ってごめん。

誰よりも、あなたの幸せだけを願っています。
0078大人になった名無しさん
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2006/01/23(月) 03:54:42
>>77
がんがれ
0079大人になった名無しさん
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2006/02/02(木) 07:44:13
私が小学生の時、野良猫が家になついて子猫を生んだ。メス一匹とオス三匹。
内、オス二匹は病気やら事故やらで死んだ。
生き残ったメスとオスはアンとトラって名前を付けた。
私たちはメチャクチャ可愛がった。
アンは女のくせにおてんばでった。いつも一緒の布団で寝ていた。
ある日、親父がアンを勝手に避妊手術に出した。
帰ってきたアンは・・・、手術の失敗で障害猫になっていた。
歩くこともできず、食べることもできずにそれでも一生懸命生きようとしていた。

私はアンに生きていて欲しかったから、一生懸命世話した。
えさを細かく切って食べさせたり、親にはダメって言われてたけど、
家の中に入れて温めた。
その甲斐あってか、アンは次の春には歩けるようになり、えさも自分で
食べられるようになった。
それに安心しちゃって、私はアンの世話をあんまりしなくなっていた。

月日は流れて、また冬がやって来た。アンは、弱っていった。
そして・・・アンは死んだ。最後の日は不思議と元気があり、自分で
えさをがつがつ食べたのだそうだ。
死因は、えさがのどに詰まったことによる窒息死。
私がアンの世話をサボらなかったら・・・。
ごめんアン、とても苦しかったでしょ??ごめんね。
あなたが苦しみから解放されたことだけが、唯一の私の救いです。」
0080大人になった名無しさん
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2006/02/18(土) 18:01:22
いつも自分はお母さんと喧嘩ばっかしてた。
いつもお母さんに頼って生きていた自分は、
目覚まし時計でおきれず、起こしてもらってるのだが、
時々、起こすのが遅い。
そういうときも全部「早くおこさねえのがわりいんだろ!!!」とか言ってた。
お母さんも反抗して「だったら自分でおきなさい!!」とか言って喧嘩。
一回警察に呼ばれたときもお母さんにすげえ怒られたし、
家に帰るのが遅いとわざわざ探して友ダチがいるのに帰らせれるし、
ぶっちゃけ自分はそんな母親が大きらいだった。

ある日、ちょっと大きい喧嘩をした。
母「何であんたはおにいちゃんと違って何も出来ないの!!!もうちょっと子供らしくしなさい!!」
自「あんたのせいなんだよ!!!
  兄ちゃんには、私立行かせるのにウチにはいかせてくれない、
  いつも仕事でろくに授業参観にもこない!
  いつも、ウチを保育園でヒトりぼっちにさせて、母親ずらしてんじゃねえよ!
  あたしはあんたの事母親だともう思ってねえよ!!!

「あんたの事、母親だと思ってねえよ!!」
この一言を聞いたとたん、いつもは口うるさいお母さんが黙った。
言い過ぎたかなとは思ったけど、それはそれでもういいと思った。
どうせ愛されてない子供に言われただけなんだから。
そう思った。
すごい勢いで自分の部屋にこもると、少しお母さんのことがきになった。
ちょっと様子をみてみよう・・・
母親が泣いていた。
あんなに強い母が泣いていた。

そして独り言でこんなことを言っていた。
「私のせいだ」
目頭が熱くなった。
こんな母親みたことない。みたくない。
すぐに、部屋にまた戻った。

気分転換にTVでもみようか・・・
おもしろくない、そういえばまだ見てないビデオ録画したのあったな。
そうやって探すと母親の字で自分の名前が書かれたビデオがあった。
なんだろうと思ってみてた。

そこには、
幼い頃の自分が、大事そうに微笑んでる母親の腕の中にいた。
ビデオの中のおかあさんはとてもやさしくて、
なんども自分をビデオに写して、自分の名前を呼んでくれていた。
そしてビデオでこんなことをいっていた。
「大すきよ。
 多分私の子だから何度も反抗するでしょう。
 だけど、あなたは私の大好きな子よ。ずっとずっと」

何年間も流してない涙が自然と出てきた。

その日自分はお母さんに「ありがとう」といえた。
0081大人になった名無しさん
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2006/02/18(土) 21:59:34
 昨年の夏休みの話

  会ったこともない遠い親戚の葬式。親父が出席するはずだったんだけど、
 どうしてもいけなかったので俺が代わりに出席することになった。
 新幹線乗って田舎町へ。

 周りも見たことない人しかいないので、重い空気に沈鬱していた。
 葬式が終わり退出しようとしたとき、出口で見知らぬ婆さんに突然腕をつかまれた。
 けれども、つかんだきり何も話さず目を丸くしているだけ。
 かなりの高齢だったのでぼけているのかと思い、何でしょうかと質問すると、
 ○○さん?○○さん?としかいわない。やはりぼけているのだろうかと思い、
 周りをみても誰も知り合いがいる様子にない。この人も俺と同じく遠縁のひとらしかった。

  婆さんは俺を見ながら「あんれえ帰ってきて下さったん、まっとっ…」と黙り込んでまたしばらく動かない。
 すると今度は婆さんに食事に連れて行かれた。お腹も空いていたので一緒に食事をすることに。
 食事中、婆さんは昔話ばかりしていた。食事の後も俺はあちこちに連れまわされた。
 この建物はいつ作られただとか、あの建物はなくなったのとかそういう話ばかり。
 俺は特に語らず、聞き手になっていた。

  帰りの新幹線の時間もあるので、婆さんにそのこといって別れようとすると引止めにかかられた。
 もういってしまうのか、今度は直ぐに帰ってくるのかと聞き取りにくい方言で何度も俺に聞いてくる。
 めんどくさかったので、また直ぐに会えますよと返事をしつつ別れることになった。
 婆さんは駅まで一緒に行くといい、途中何度も行かないでくれといわれ、引きとめられた。
 結局、新幹線には乗り遅れた。散々な目にあったと思い帰宅。

  数日後、また親戚の葬式の連絡。今度は親父がこの間よりも近い親戚なので俺にも来いという。
 バイト仲間にまた葬式かと冷やかされて葬式にいった。

  そうしたらなくなった人はあの御婆さんだった。
 驚きつつも、そうか、亡くなったのかぐらいにか思っていなかった。
 葬式の喪主は婆さんの弟がおこなっていて、どうやら婆さんはずっと独身らしかった。

   
 
 
  
 

 

0082大人になった名無しさん
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2006/02/18(土) 22:02:03
式後改めて喪主の人に会いにいくと、婆さんの弟は俺をみて驚愕し、
 また○○さんと間違えられた。

  亡くなった婆さんにもそういわれたことを教えると、いつ会ったのだときかれ、
 まえの葬式で会い、食事やら散歩したことを話した。そうしたら弟の爺さんが泣き出して、
 少し待っていろという。しばらくして爺さんが写真を持ってきた。
 
 その写真には俺が写っていた。
 
 写真は白黒でかなりぼろぼろであったが、ゲートルをまいて国民服を着た俺がたっていた。
 そして隣には十代後半に見える女性がいた。良家のお嬢さんに見える。
 爺さんは話してくれた。その女性はあのお婆さんで隣の俺そっくりな人は○○ということ、
 戦争が終わったら結婚するはずだったこと。終戦後その人は帰ってこなかったが婆さんは帰ってくるといい続けたこと。
 婆さんは戦後の農地改革で家が没落し、結婚を薦められても頑なに拒否したらしかった。

 お婆さんが死ぬ直前弟であるその人に、やっとあの人が帰ってきてくれた、今度は直ぐ戻って来るんだと嬉しそうに語っていたらしい。

 弟のお爺さんは死の直前に幻覚をみているのだとしか思っていなかったが、そうじゃなかった、
 あの人の生まれ変わりが最後に会いに来てくれたんだと号泣しながら語り、
 俺に何度もありがとう、ありがとうと言っていた。
 俺も涙が止まらなかった。

 お婆さん、今頃おれのそくっりさんと天国で寄り添っているのだろうか。
 またいつか、お墓に花を添えに会いに行くよ。
0083大人になった名無しさん
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2006/04/09(日) 16:39:29
>>81-82
んっ? なんか画面が曇ってる・・・



・゜・(ノД`)・゜・
0084大人になった名無しさん
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2006/04/10(月) 02:08:30
>>75
なんかグッとくるもんがある…
0089大人になった名無しさん
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2006/04/17(月) 10:19:14
近所の人の話。

そこのお子さんがまだ小さくてやっと喋りだした頃の事。
奥さんもまだ若くて小さい事でその子を殴ってしまっておでこの所に傷が出来ちゃったの。
このままじゃ旦那に怒られると思って、すぐに友達を呼んで相談したんだ。

まだうまく喋れないし転んだ事にしようって話になって友達は帰った。

夜、旦那は帰るなりその子に『どうしたの?この傷』って聞いた。
奥さんは急いで『転んだ』って言おうとしたんだ。

なのにその子が『ころんだ』って言った。
意味が分かってるのか。
たまたま言ったのかも分からないけど確かに『ころんだ』って言ったんだ。

奥さんは泣きながら本当のことを旦那さんに言ったらしいよ。
0090そういう感じじゃない;
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2006/09/26(火) 00:18:41
僕の家は昔から貧乏だった・・・。
それは家族での外食が3ヶ月に1回あれば良いほど。

ある日母がパート先の知り合いから動物園の招待券をもらってきた。
僕と妹はそれはもう飛び上がるほど喜んだ!

次の休みの日に母が奮発してお弁当を作ってくれた。
動物園に行って待ちきれず俺が招待券を出すと、
それは優待券だった・・・。

その時僕らは合わせて780円しか持っていなかった。
帰りの電車賃ギリギリだった・・。

近くの公園で弁当を食べることにして動物園には行けなかった。






母さん?あの時の玉子焼きすごく美味しかったよ。
0092大人になった名無しさん
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2006/09/28(木) 23:58:46
今日正社員の面接行ったのね。もうこれで11社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、母さんごめんなさい。
0093大人になった名無しさん
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2006/10/02(月) 10:15:15
ttp://www.asahi-net.or.jp/~tc2t-ymd/mazuzi/mazushienikki.html
まずしちゃんカワイソス。・゚・(ノД`)・゚・。
0094名無し
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2007/01/07(日) 05:04:11

0095大人になった名無しさん
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2007/05/11(金) 16:30:17
すてきなお袋もったお前は幸せ者だ
0096大人になった名無しさん
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2007/05/11(金) 18:25:30
>>92
がんばれ!。応援しています。俺も学生期間が長くて仕事に就いたのが20代後半でした。
ずぅっと親のすねかじりでした。母と父に感謝です。
0097大人になった名無しさん
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2007/05/24(木) 17:27:37
0098大人になった名無しさん
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2007/06/05(火) 02:11:20
ゴジラVSモスラなんだが
最初は悪い奴みたいだったバトラ。けどゴジラに真っ向勝負挑んでモスラに助けられる。そんで更正(?)
で、モスラと一緒にゴジラを弱らせて封印しに行く訳だが…
泣いた。
安っぽいかもしんないけどこーいう話に弱いです
0099大人になった名無しさん
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2007/06/06(水) 11:47:47
アゲ
0100大人になった名無しさん
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2007/06/06(水) 14:33:14
前さ、研修医やってたときの話なんだけど
主治医のサブみたいな形で、ある入院患者さんにつかせてもらってたんだ。
患者さんは気さくなおじさんで、検診のたびに話し込んでた。

お見舞いに来るのは大抵奥さん。
毎日夕方に仕事終えて来てさ、洗濯物持って帰ったり、世間話とかしてた。
奥さんもすごい良い人で、おじさんと同じくらい明るかった。

そして、たまに息子もお見舞いに来てた。
若くて今時のストリート系の感じの格好しててさ、ムスッとしてて結構怖かった。
俺とは一切目を合わせてくれなくてさ、なんだかめんどくさそうだった。
どっちかというと、母親から言われて、嫌々お見舞いに来てる感じだったかな。

ある日の夜中さ、おじさんの容態が急変しちゃったんだ。
元から病状は思わしくはなかったんだけど、おじさん、気力でカバーしてた。
俺も初めての経験でさ、すごいあわてたけど、
ナースと力合わせて、主治医が来るまでなんとか頑張った。
主治医はすぐに家族を呼ぶようにって、指示を出して処置を始めた。
それくらい、おじさんの容態は急を要してた。

奥さん飛んできたよ。髪なんかもクチャクチャでさ、もう目が真っ赤だった。

おじさん、だめだった。心停止から帰ってこれなかった。
あんなに元気だったおじさんが、こんなに急に死んじゃうなんて、
医者の卵として恥ずかしいけど、なんだか信じられなかった。

奥さんにご臨終を告げると、奥さんおじさんにしがみついて泣き叫んでた。
つらかった。

そのとき息子が病室に飛び込んできた。
驚いたことに、彼は警察の制服を着てた。汗だくだった。
「とーちゃん!」って叫んだけど、奥さんの様子を見て悟ったと思う。
がっくりうなだれて、黙ってしまった。
彼の肩口の無線から、少しノイズみたいな音が漏れてた。

しばらくして、かれは崩れ落ちてた奥さんを抱き起こした。
椅子に座らせて、俺たちを向き直り、
「いままで親父をありがとうございました!」と大きな声で叫んで、深々と頭を下げたんだ。
顔を見せたときには、歯を食いしばって必死で涙をこらえてた。
顔が真っ赤だった。

たぶん警察官ってこういう人たちなんだと思った。
制服を着ている以上、彼らは職務を全うしなければならないんだと。
だけど、隠せない親子の感情とせめぎ合わされるんだろうって。

ふてぶてしいと思ってたけど、彼はあのお見舞いのとき、警察官らしかったのかもしれない。

なんか思い出してので…。長文ごめんなさい!
0101大人になった名無しさん
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2007/06/06(水) 18:20:16
…あれは俺が22歳の入院中の出来事。生まれて初めて女性(看護婦さん)に上半身を拭いてもらいました。今ではあれが人生で1番良い思ひでです。
0102大人になった名無しさん
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2007/06/07(木) 23:50:15
6〜7才の時、大好きだったおじが結婚するのが嫌で嫌で。





今度おばになるおじの結婚相手の女の人にやきもちを焼きまくっていました。私の両親が結婚式にどうしても行けず、嫌々ながら親戚に引きずられるように結婚式に行った。
私は親がいない事をいい事に、披露宴で困らせてやろうと、真面目なシーーンとした結婚式の誓いの言葉では、隠し持っていたクラッカーをパンパンならしたり、「あきる〜。うざーい!早く終わらせろー!」とグチった。
披露宴では、「この料理まっずい!このジュースまっずい!」と食べては吐き出すの繰り返し。
大きい声で「○○ちゃん(おじ)のお嫁さん、綺麗だね!当たり前だよね!普段超ぶっさいくなのに、あんな厚化粧に綺麗なドレスじゃ綺麗になって当たり前だよね!メイクした人の技術すごいね!あんなぶっさいくな女がここまでなるとは!」と、言ったり、
小さいながらエロティックな事はすべて知り尽してた私は、大きな声で「静かなコハンの森の影から〜♪○○ちゃん(おじ)とお嫁さんの声がする〜♪いやーん!ばかーん♪そこはだめよ〜♪」と定番の替歌を歌ったり、
お嫁さんの両親の前で「結婚式終わったら、二人は新婚旅行待てずに、すぐにお○んちん、お○んこに入れちゃったりー!きゃー!初夜じゃなく、初夕〜!」とか叫んだり、
料理の太いウインナーを手にし、「○○ちゃん(おじの嫁)は多分こういう太いウインナー大好きだよね!下の口からこっそり食べてるもんね!」と叫んだり、
ばたばた走り回っては、ここではもう言えないようなエロネタを叫んでた。
お嫁さんのドレスの中に入り込み「脚太ーい!しかもドレスの中めちゃ臭いー!おえー!」とか言って出てきたり。
誰だったか、あまりに怒った大人が、私の胸をかかえてお尻をたたいた時、「警察呼ぶぞー!お尻触られたー!きゃー!痴漢だ痴漢!ロリコンがいるよ!お尻触られた!胸触ってる!」と叫んだ。
途中で私は会場を追い出され、会場の人に預けられた。そのあと、すきを見て、外に一人で四時間くらいも出歩き、さらに迷惑かけました。
現在私は25歳になりました。あれ以来、親戚とは会ってません。というか、縁を切られました。6〜7才だったのに縁を切られた。
おじさんともおばさんとも会ってません。いくらおじが好きだったとはいえ、我ながらすごい事をしてしまったなぁ。今じゃとてもできない。
0103 救えば 自分が救われる
垢版 |
2007/06/15(金) 14:14:51
神の贈り物『奇跡の母子犬』 を見て広めよう
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1181875518/

保健所の絶望的な檻の中 わが子を守る親犬
 
係員をにらみ 
助かり 係員に寄り添う

悲劇を 悲劇をなくせ クソバカ 

泣けるから コピレ

スレ立て希望ス
0104大人になった名無しさん
垢版 |
2007/06/16(土) 08:06:50
高校の頃、英語の授業に20代前半の結構イケメンなアメリカ人教師が来た。
授業は一人一人アメリカ人先生に名前を呼ばれ、前に出てマンツーマンで話をするっていう形式。
先生には授業前に生徒の名前をローマ字に直したプリントを渡してた。

授業が始まると片言の日本語で挨拶をする先生に女子連中はキャーキャー言っていたけど
それを結構厳しい口調で注意するような真面目な先生だったので、みんな真剣に授業に臨んでた。
授業は順調に進み、結構人気のあった女子の「新保(しんぽ)さん」の番になった。
先生はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。

「ジャアツギノヒトネ。ンーーアーー・・・ちんぽ!ちんぽサン!」
生徒は一瞬凍りついた。教室にいた全員が瞬時に「笑ってはいけない!」と思った。
でも、たぶん「シンポ」と言っているんだろうけど、どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって「ちんぽ」の発音だけがこんなにもネイティブなのか」とか
「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか考えだすとみんな耐えられなくなった。
結局新保さん以外の全員が爆笑。新保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。

その様子を見ていたアメリカ人先生は状況が飲み込ていないようなのだが、
生徒の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう
突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。
その表情とテンションの凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。
しかし先生の怒りのボルテージは上がったまま。

新保さんの肩に手を置くと「ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?ちんぽガナニカシタ?」
全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのをやめてください」と思っていたと思う。
その後、慰めようとしたのだろう、先生はやさしい口調でうつむいて座っている彼女に語りかけた。

「ちんぽゲンキダシテ。マエニキテクダサイ。ちんぽスタンドアップ!」

新保さんも笑った。
0105大人になった名無しさん
垢版 |
2007/06/16(土) 08:41:26
>>104
新保さんって絶対そう言われるよね。w

ちんぽスタンドアップにワロタ。
0106大人になった名無しさん
垢版 |
2007/07/06(金) 14:25:34
馬鹿なりに入れた大学。だけど3回生になっても友達はいないに等しい。
 中学・高校時代の親友たちは、新しい環境や職場で
  新しい友人や恋人が出来たらしい。以前のようにはしょっちゅう遊べなくなった。
ある日の朝、母が俺に千円を渡してきた。「大学の食堂はどう?美味しい?」
 俺は「うん」とだけ答えて、その日は昼飯を食わなかった。食堂には一度も行ったことがない。
  きっと母は今頃、俺が友達と仲良く昼飯を食ってるものだと思ってるんだろうな・・・
   そう思うと、少しだけ、胸が痛くなった。
ある金曜日の夜。高校時代の親友に電話をかけて遊びに誘ったが、
 土日は友達と約束があるから行けないという。俺は「いいよいいよ」と笑って答え、
  いつものように週末はひとりで過ごした。

     _____________
   /|:: ┌──────┐ ::|
  /.  |:: |          | ::|           きっと今頃 あいつらは
  |.... |:: |         | ::|
  |.... |:: |         | ::|
  |.... |:: └──────┘ ::|            新しい友人や恋人と
  \_|    ┌────┐   .|     ∧∧
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     (  _)
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_,   )    楽しい休日を満喫してるんだろうな
            /             \  `
           | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
             ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄


     |           .( ( | |\
     | )           ) ) | | .|
     |________(__| .\|      でも、もう、俺はいい大人だから
    /―   ∧ ∧  ――-\≒
  /      (    )       \
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
  |______________|      泣かないで済む術を、

   ∧∧
  (  ・ω・)
  _| ⊃/(___       いじけずに済む方法を、もう
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  <⌒/ヽ-、___  
/<_/____/      身につけてしまったんだ。
0108大人になった名無しさん
垢版 |
2007/11/27(火) 23:00:42
今から20年前、俺が中学生のときの話です
昼休みにいつも一人で弁当を食べているT君がいました。
T君はストレスで脱毛して、休み時間も一人だったので気の毒に思いました。
それで一緒に食べないかと声をかけたけど、T君は一人がいいと答えました。
中学校でのT君の弁当はおにぎりだけ。
おかずは全くなしで、いつもおにぎり2個でした。
T君はいつも隠すようにおにぎりを食べて、食べ終わると教室を出て行きました。

後になって友達が教えてくれたのは・・・
小学生のころ友達がT君の家で遊んでいると、T君の家に集金の人が来たらしいです。
集金の人は何度もドアをたたいて、「Tさん!Tさん!中にいるんでしょ!今月は払ってください!」って周りに聞こえるように
大きな声を出したらしいです。
すると、T君のお母さんがT君に「今出て行って、留守番ですって言ってきて」
とT君を言いに行かせました。
T君はお母さんに言われるまま、「留守番です」っていうと、
集金の人は「お母さん中にいるんじゃない」とか言ったそうです。
やっと集金の人が帰ったのでT君も戻ってきたけど、その場にいるのが悪い気がして、友達はT君の家から自分の家に帰ったそうです。
そんなことが何回かあって、T君の家には行かなくなったと、友達は話していました。
0109大人になった名無しさん
垢版 |
2007/11/27(火) 23:01:14
そんなT君は修学旅行が近づくと学校を休みがちになりました。
T君は修学旅行に行かないということでした。
うわさでは修学旅行の積み立てが滞っていて、お金がないから参加できないということでした。
T君と仲が良いというわけではない俺もさすがにそれは気の毒に思って、みんなでカンパしようと提案した。
糞担任に相談すると1秒で却下。
お金の問題はややこしくなるからだめだそうだ。

俺と友達は修学旅行の前日にT君の家に行ってT君に会った。
俺の親父はそのころからバブリーだったので、修学旅行の代金はどうにでもなると行ってたから、
T君にお金のことは心配しないで、明日から修学旅行へ行かないかを聞きました。
T君は「俺友達がいないから、修学旅行でも一人になっちゃうよ・・・せっかくきてくれたけど明日から楽しんできてね」
というようなことを言った。
俺はガキだったから修学旅行へ行かないT君に腹を立てて、勝手にしろ!って感じなことを言った。

修学旅行から帰ってくるとT君はもう学校へは来なかった。
俺ももうT君の家に会いに行く気はしなかったのでそのままにしていた。
数ヵ月後、T君の一家が夜逃げをしたといううわさが広まった。
俺は放課後走ってT君の家まで行くとドアが外されていて、中はもぬけの殻だった。
あれ以来、T君には会っていない。

T君が俺に言った最後の言葉「楽しんできてね」
俺がT訓に行った最後の言葉「勝手にしろ」
0110大人になった名無しさん
垢版 |
2008/02/13(水) 07:46:23
たまたま見つけたこのスレに書いてみる

まだ俺が20代のころ、友人(以下A)と旅行に行った。
そいつとは学生時代からの友達で、今も結構遊んでる友達。頭もよく回るし、自分の意見をハッキリ言える、
なかなか頼もしい存在でもある。
お互い、卒業して就職してからもちょくちょく旅行に行ったり、家でゲームをしたり、よく遊んでた。

で、今回はAの車で2泊くらいの旅行に行こうってことになった。
「旅行」っていっても基本的に貧乏旅行で、野宿したり、車の中で寝たり、海でキャッチボールしたり・・
そんな事がおもしろかった。

1泊目は車の中で寝たのだけど、2泊目はどうしようかってなって
2人でラブホでもさがして泊まろうかってなった。普通のホテルに比べて安いし、AVもみれるからね。

ホモねたじゃあありません
0111大人になった名無しさん
垢版 |
2008/02/13(水) 08:09:41
続き

で、ようやく見つけたラブホ、男2人でも特に問題もなく泊まれた。
そんで「明日はどこ行こうか?どうしようか?俺とりあえずAV見るわw」
なんて話しながらその日は寝た。

翌朝、ここからハッキリ覚えている。
朝早くにAの携帯が鳴った。俺は寝ぼけながら、洗面台で顔あらってる。

A「もしもし、おう・・・うん・・」Aは寝ぼけながら電話に出てる。
俺「Aおはよー どうしたん?」
Aは妹さんから電話があって「オヤジが死んだ」と言った。

俺はびっくりして
「え 嘘やろ?ほんまか?何で?事故か?」とか尋ねた。
A「いや、事故とか病気とかじゃない・・・自殺した」
A「今から帰らなあかんわ、ごめんな」
俺「も もちろんそうやな、かえらんとな・・」
その時のAの顔を見てたら、泣けてきた。Aより先に俺が泣いた・・。

俺はその後、言葉が見つからなくなった。とりあえず予約してた朝食キャンセルして
ホテルを出た。
高速に乗った、俺らの地元までは高速でとばせば半日もあれば戻れる。
俺「俺が運転してくわ、お前は横のれよ」と俺がハンドルにぎった。正直まだ声かけれないけど、
少しでも力になりたかし、運転は危険な精神状態なんじゃないかと思ったから。





0112大人になった名無しさん
垢版 |
2008/02/13(水) 08:30:19
続き

運転中、Aが言った
「最近オヤジとあんま話してなかったし、ちょっと避けてた所もあった。ホントは俺と話したかったん
とちゃうか。もっと話しとれば、俺が止めれたかも・・」
Aは泣いてた、俺もつられてまた泣けてきた。

その日の午後すぎには、Aの家に戻れた。親戚の人とかもきてた。
俺はそのままAの家に止めてあった自分の車に乗って、自分の家に帰った。
帰り道もどうにも涙がとまらない。
Aと別れるとき、Aは
「俺は大丈夫やから」って言ってた 俺は「そうか」としかいえなかったが。

Aには言えなかった事が
旅行出発の前日はAの家に泊めてもらってた。で、Aとゲームして遊んでたんだけど、
その時Aの親父さんが部屋に入っててた。
いたって普通に「おーいAいるんかぁ?」って
その時Aは俺と遊んでいたからかして、適当な返事をして、すぐに親父さんは「ハハッ」って
ちょっと笑った感じで、部屋を出てった。俺も「あ、こんちはー」ってちょっと挨拶しただけで・・。

あの時がAと親父さんが話した最後だったんだと思うと、俺がいたせいで、
Aと親父さんの会話邪魔しちゃったな、ごめんなAって思う。

今でも結構会うのだが、その事は言えない。
Aは今は結婚して子供もいて、家族が増えた。俺にも家族ができたら今度は家族連れて
旅行に行きたいなと。そん時ちょっとその事言ってみようと思う。
0113大人になった名無しさん
垢版 |
2008/03/16(日) 03:16:27
さよなら、青い鳥

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Jupiter/1889/jinseinomokuteki.html
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Jupiter/1889/aoitori.html
改訂版
http://www.vector.co.jp/download/file/win95/game/ff275550.html

86 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/02(水) 22:04

人生において、内容の選択の余地などというものは始めからない。

たとえどれほど惨めな人生であっても、それがたまたま自分の生であり、

それが何故か存在したということ、 その事に外部からの評価をくわえることはできない。

自分の人生が存在したこと、それがそのまま価値なのだ
0115カメ
垢版 |
2008/08/24(日) 01:05:05
昔の話です

おれが6歳のころ両親離婚しました

親父のサラ金が理由だったみたいです

おれが小学生の時に蒸発し、ずっと会えなかった

高校三年の時に、はがき貰って会いに行った

俺より背が低くなってて、歯が全然なくて、会話も全然なくて

でも、よく来たなって笑ってた 嬉しそうだったな

帰り際「元気な時に会いたかったな」って言ってた

その後直ぐ逝っちゃたな

葬式もなんもなくて・・・・・・・・・・

おれ、親父のこと大好きだったよ!


0116大人になった名無しさん
垢版 |
2008/09/06(土) 15:10:42
コレはココで良いのかなぁ?
もしガイシュツでしたら、すみません。
泣きたくなった時に、よくコレ見ます。

http://jp.youtube.com/watch?v=3-ZlfzxI6ZA
0117大人になった名無しさん
垢版 |
2008/09/11(木) 22:07:36
順番のお話

マーカスはとても悲しそう。
昨日マーカスは、大事な大事な人を亡くしてしまった。
この世で一番大事な人を亡くしたマーカス。
ひとりぼっちになってしまったマーカス。

皆かわいそうだと言っている。
かわいそうだけど、どうしていいかわからない。

泣かないで、マーカス。
それでもマーカスは泣き続ける。

どうしてもくじけてしまう。
胸がはりさけそう。
マーカスの涙はとまらない。

でもじきによくなるよマーカス。
順番がくるから。

マーカスがとても、とても大事に思っていた人のように。
今度は、同じくらいマーカスをとてもとても大事に
思ってくれる人が現れるから。

それはただの順番のお話。

マーカスがいつか泣きやんで元気になったとき、
辛かった分だけマーカスはやさしくなれる。

マーカスを大事に思ってくれる人のために。
マーカスと一緒に笑ってくれる人のために。
マーカスを必要としてくれる人のために。
マーカスの為に泣いてくれる人のために。

だからマーカス、大丈夫だよ。

マーカスがこの世を去る時も、
もしかしたらその人はとても悲しむかもしれない。

でもちゃんとその人にも順番はくるから。

その次も、その次も。

それはただの順番のお話。
ずっと続く順番のお話。

by KK
0118大人になった名無しさん
垢版 |
2008/09/12(金) 02:21:33
意味わかんね>>117
やはり実話には遠く及ばないな
0119大人になった名無しさん
垢版 |
2008/09/24(水) 19:42:44
ぼくのいえは、ぼしかていです。
ままは、まいにちゆうがたからあさまでちかくのこうじょうで
ぼくたちをそだてるためにはたらいています。
ままがかえるといつもせっけんのいいにおいがします。
ままはわかくてきれいです。
ぴーてーえーのときはじまんです。
たまにしらないおじさんとゆうえんちにつれていってくれます。
ぼくはままがだいすきです。
まいにちこわいおじさんたちがくるようになってどなってままをいじめます。
ぼくはおおきくなったらつよくなってあいつらをやっつけたいです。



ままがかえってきません。
あいすくりいむをかいにいったまま。
ままぼくはいつまでまってればいいの?
0120大人になった名無しさん
垢版 |
2008/10/15(水) 01:45:17
>>100 息子さんは、辛かったと思うよ・・・辛いから一寸でも気が弛むと感情を押さえきれなくなるから、ムスッとした態度取ってたんだろうね。
0121大人になった名無しさん
垢版 |
2008/12/26(金) 15:33:06
693 :名無しの心子知らず:2008/12/26(金) 13:36:27 ID:ZLuBX3wZ
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

    「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
0122大人になった名無しさん
垢版 |
2008/12/26(金) 21:38:11
すいません。男です。
小学1〜2年生の頃、とても貧乏な家の女の子のまんまんを見ました。

その娘は体も小さく、いつも煤けた顔にぼろぼろの服で毎日登校してきました。
3年生になるとクラス替えで特殊学級に入ったらしく、顔を見かけなくなりました。
家庭でもまともな教育を受けていなかったんだと思います。
ある日、授業と授業の合間の休み時間だったと思いますが、
当たり前のようにスカートめくり(当時はやってました)が始まり、ターゲットが
その女の子に・・・。
その娘は、パンツを履いていませんでした。
(貧乏で買えなかったか洗濯中だったか。それくらい貧乏そう)
3〜4人の男子が笑いながらその子のスカートをめくっていました。
その女の子はめちゃめちゃ泣いていましたが、
当時、小学低学年の自分はその行為を見て「醜いことするなー」とは思いつつ
止める勇気もなく野次馬の1人になりました。
栄養の行き届いてない小さいガリガリの薄汚れた肌にタテスジをはっきり見た
思い出があります。
この歳になって今も悔やまれます。かわいそうだったなー。
どんな思いだったんかなー。悔しかっただろうなー。
3年生になり、特殊学級(知恵遅れのクラス)に入ってから全く見なくなり(まとも
な教育を親から受けていないと思われ)
その後は気にもしなかったのだが、同じ年頃の子供をもった今頃、やけに
思い出す。
元気で素敵なおかあさんになっていたらいいなー。
あの時の俺、止める勇気無くてごめんなさい。
0123大人になった名無しさん
垢版 |
2008/12/26(金) 22:40:38
三年前じいちゃんが死んだ。認知症+なんかの病気。病名はおとんが教えてくれなかったし、聞くのが怖かった。

じいちゃんの認知症は突然始まった。行動言動がおかしくなった。
そこからは早かった。認知症は日に日にひどくなった。一人で何もできなくなっていた。
夜の徘徊だってあった。赤ん坊みたいに世話されてた。そこには全く知らないじいちゃんがいた。
そんなじいちゃんが怖かった。
その日からじいちゃんを避けるようになった。
結局、施設に行くことになった。うちだけじゃ手に負えなくなったんだ。
でも施設生活は長くは続かなかった。別の病気があったから。今度は病院に入院した。
他の家族はお見舞いに行っていた。でも自分は受験だから、と行かなかった。そんなの言い訳だった。
ガリガリに痩せて、家族のことも覚えていないかもしれないじいちゃんに会うのが怖かったから。
今思うと後悔してる。お見舞いに行ってあげれば良かったんだ。

それから一年ぐらいたった。その間、じいちゃんは別の病院に移った。
どうやら前の病院に遠まわしに「出ていけ」と言われたらしい。
理由は知らない。でもじいちゃんはやっかいな患者だったのかもしれない。俺んち金持ちじゃないし、認知症に病気まであったんだから。


自分がお見舞いに行ったのは年明けの寒い冬の日だった。
母親に年明けのあいさつをしに行こう、と言われた。その時の母親の目が状況の深刻さを訴えていた。
俺は察した。じいちゃんの状態が悪かったんだ。

一年ぶりに会うじいちゃん。病室に行くと、じいちゃんは寝ていた。起きる気配はなかった。
その姿を見てびっくりした。喉に管が通ってて、顔がガリガリに痩せていて、涙が出そうだった。
それから花を花瓶に入れたり、簡単な掃除をして帰ろうとしたときだった。
じいちゃんが目を覚ました。目を細めて俺を見ていた。もしかして、視力も落ちてほとんど見えなかったかもしれない。
俺はじいちゃんのすぐ近くに行って顔を近づけた。
そしたら、じいちゃんが笑った。満面の笑みだった。俺のことを覚えていてくれた。
一年以上会いに来なかったのに、じいちゃんは笑ってくれた。すごくうれしかった。
「また来るね」そういって俺は病室を出た。笑顔のじいちゃんを見たから少し元気がでた。

それから数日後だった。早朝、病院から呼び出された。
病院に着いた時には、じいちゃんはもう死んでいた。静かに目を閉じていた。
悲しすぎる時って涙が出ないんだ、と初めてわかった。

今でもじいちゃんの笑顔が忘れられない。



0124大人になった名無しさん
垢版 |
2009/05/27(水) 03:50:44
ファルコン
0125大人になった名無しさん
垢版 |
2009/06/13(土) 02:23:37
当時私が小学生だったころ。
本が大好きで、家にある、自分が読めそうな本を読み漁っていた。
ある日、何気なく母の本棚を漁っていたら、かわいい表紙の日記を見つけた。
どうやら私が小さかったころの成長記録らしい。
母はこういう細かいことが好きで、よく日記とかつけていた。
私は面白半分で日記を開いてみた。


◎年☆月◇日
今日、○○(私の名前)ちゃんが初めて寝返りをうった。
うつぶせになっていたから、一瞬ヒヤっとしたよ。
でも、寝返りがうてるようになったね!

●年△月□日
今日、○○ちゃんが“あいうえお”を読めた。
すごいすごい!偉いネ!
次は“かきくけこ”に挑戦だ!







日記には、私が赤ちゃんのころからの成長記録が丁寧につけられていた。
内容はほとんど覚えていないけど、
一言一言がすごく愛おしかった。

いつの間にか私の視界は涙でぼやけていた。
私は誰にも気づかれずに、静かに泣いた。
その時は、なんでこんな日記を読んで泣いているのかとか、
母親の愛情とかがよくわからなかったけど、
なんだか胸が熱くなった。


お母さん、私を産んでくれてありがとう。
苦労ばっかりかけてゴメンね。
0126大人になった名無し
垢版 |
2009/09/15(火) 22:32:46
なんでもいいんだよな?
中学の時かな・・・
俺は病気で野球部を退部、期待されていたのに・・
それで先輩のいじめが勃発、俺の同級生も俺をいじめてきやがった。
先輩の命令で。
正直胸糞悪くなる話。
俺が不登校になり1年学校へ行かなかった。
先生の努力もあり夜中誰もいない時少しずつ学校に通った。
そして3年生の春。
無事登校。
本当にいい先生だった。
ちなみに9年間同じメンバー23人。
話しはこれからだが。
学校の登校した。
正直野球部の連中とは会話しづらい。
別にいじめられているわけでなないが・・・
自分はもうあいつらは俺の事嫌いになっただろう・・・
と思っていた。
学園祭が近づきずつあった。
今思うと最後の中学校生活。
それに23人で勉強や学園祭が出来るのも最後だ。
なんだかせつなくなる。
ものすごく仲がいいクラスで不良先輩のせいで悪くなった。
だけど今年は変わった。
学園祭当日。
感動したのは最後だった。
雨の中必死の叫ぶ俺達。
学校の名前を叫びそのあとこのクラスサイコと叫ぶ。
そのあとに花火が打ち上がる。
その花火は確かに有名な観光スポットの花火よりかは小さいけど俺達にとっては
もっとも大きな花火だった。
一斉に・・・
1年の時先輩に粉々にされた絆が元に戻ったと思った。
そのあとの記念写真最初は全員で撮りそのあと部活ごとにとった。
野球部が体育館の真ん中に集まる。
俺はもう引退したし・・・呼ばれないだろうと思った。
だけど・・・
あいつら俺を呼んだ。
また野球部の仲間と言ってくれた。
それが嬉しかった。

そのあとの2次会。
3年みんなで集まり話をした。
全員で一言言う事になった。
中には途中泣き崩れる奴までいた。
その時思う・・・9年間小学校からずっと23人変わらない・・だけど・・
もう離れ離れになる。
あっという間だなとその時思った。
その時俺は確かこう言った。
「みんなの励ましで俺は学校に来れた、みんなが居場所を用意してくれたから
俺はこれたんだ。みんなありがとう。もう半年もないけど・・・これからもがんばろう」
そう言った。
いろいろあったけどみんないい奴だった。
中学1年の時は学校は評判の悪い先輩しかいなくて・・・
逆らうといじめを受ける。
俺もそのいじめを受けた一人だった。
もう1度いう。
みんなあの時はありがとう。みんなのあの手紙と登校した時のサプライズがどれだけ思い出になったか・・・

悪い長くなった・・・・
0127大人になった名無しさん
垢版 |
2009/09/16(水) 00:04:14
金がない(涙)
0128大人になった名無しさん
垢版 |
2009/12/09(水) 21:54:25
なける
0129大人になった名無しさん
垢版 |
2009/12/09(水) 22:01:43
たんぱんいらん
0130大人になった名無しさん
垢版 |
2009/12/09(水) 22:30:47
たんいらん
0131大人になった名無しさん
垢版 |
2009/12/10(木) 00:38:52
赤星の引退
0132大人になった名無しさん
垢版 |
2009/12/10(木) 19:32:23
少し昔話をしようか・・・

俺が中2の時だったかな?
当時はすごく荒れてた。厨二病ってこともあったとは思うんだが。
窃盗、暴力… いろんなことをやってきた。

部活は野球部。荒れていたけれど部活だけは一生懸命だった。
でも顧問の先生はすごく怖かった。何度もやめそうになったよ。
それでも俺は続けた。なにより野球が好きだったから。

そんなある日、事件が起きた。

俺は万引きで警察に捕まったんだよ。

署で指紋をとったり、事情聴取などをした。
無論、警察から親に連絡をして、母が迎えに来ることになった。

母が来て、母は必死に警察の人に頭を下げていた。

そのあと親にはこっぴどく怒られた。母は口をきいてくれない。親父には殴られる…
そのあと警察から学校に連絡され、俺は一週間の部活停止…

顧問の先生にはもちろん怒られた。めちゃくちゃに言われた。

もう終わりだと思ったよ。
このまま部活を退部して、ぐれて、ろくでもない人生を送るんだと思った。

それでも顧問の先生は俺を見捨てなかった。
部活停止の一週間はすべてトイレ掃除だった。全学年のトイレを掃除した。

顧問先生は部活には顔をださず、その一週間、ずっと俺のトイレ掃除を手伝ってくれた。
一生懸命、便器をこすってる先生を見て、俺は思ったよ。

『変わろう』って。

それから俺はぐれることなく、中学、高校を卒業した。
今は普通に働いて、家族もいる。

今の俺があるのは、あの先生のおかげなんだよ。
ありがとうございました。先生
0133大人になった名無しさん
垢版 |
2010/01/27(水) 03:43:04
昨日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。

ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。

しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
0135大人になった名無しさん
垢版 |
2010/01/30(土) 23:12:20
あげ
0136大人になった名無しさん
垢版 |
2010/02/04(木) 05:13:24
いい話がいろいろあるな。
人それぞれにドラマがあり、クライマックスもある。
大人の童話かな。
0137大人になった名無しさん
垢版 |
2010/02/07(日) 23:09:28
ぱぱのBIG BOYを見たとき感動したお
0138大人になった名無しさん
垢版 |
2010/02/18(木) 01:02:26
あんまりいい話じゃないけど・・・。
 昔、小学校の頃、よく遊んでいた友人がいた。(Aとします)
 中学、高校も同じ学校で、少しずつ疎遠になっていった。
Aは何かと俺をバカにするようになっていった。
 大学は私は理系、Aは文系の大学へ行った。理系で男ばっかりで、彼女も
出来ない俺に対し、文系で周りは女、彼女をつくってウハウハなA。
 よく俺はバカにされた。「なんだおまえ、彼女もできんのか?もしかして童貞?」
 大学卒業時、時は超就職氷河期(今ほどではないが)企業の選り好みをしていた俺には
就職は無く、無職となった。
 Aは一般企業に正社員として就職し、よくバカにされた。
事ある毎に、「おまえはそんなんだから無職なんだ」と言われた。
 俺は、俺なりに必死だった。なんたって無職。
 企業を受けまくったが、ほとんど最終面接で落ちた。くやしかった。
 くやしくてくやしくて、無茶苦茶勉強した。就職するために。
で、ようやく爪が引っかかり、就職。俺のレベルでは奇跡的な場所への就職だった
ため、周りは全て俺より上のレベルの奴らばかり。
 苦しかったが、なんとかなんとかがんばり、ようやく安定してきた。
 就職してから3年経っていた。
 俺が就職してからは、疎遠だったA、いきなり電話がかかってきた。
 どうやら、ギャンブルで借金をしたようだった。
 で、金を貸して欲しいと・・・。「おまえ儲けてるんだろ?少し分けてくれ」
 奴の親は金持ち。でも親には言えないとのこと。
 貸さなかったら、破産しちゃいました。
 ちょっと悲しい?お話でした。
0140大人になった名無しさん
垢版 |
2010/03/03(水) 22:46:10
あげ
0141大人になった名無しさん
垢版 |
2010/03/05(金) 21:19:27
たいした話じゃないんだが。
自分の地元は田舎で、高校も少ない。私立高校は共学、女子校が一校ずつしかない。
だから男子生徒は公立に落ちたら、その共学私立に行かなきゃならない。
10年程前、その私立校の部室が火事になった。一人の男子生徒が燃え盛る部室に飛び込もうとしたらしい。
なぜ飛び込もうとしたかというと、部活中着替えて置いていた制服を取りにいこうとしたからだそうだ。
詳しくは知らないが、彼は片親だかなんかで家はあまり裕福でなかったそうだ。
私立は皆そうなのかもしれないが、その高校の制服は値段が高い(15万円くらいだった気がする)。
ただでさえ高くつく私立校に通わせてもらっているうえ、また負担をかけると思って制服を取りに行こうとしたらしい。
自分も当時高校生だったが、教育とは何か、何の為にあるのか考えさせられた出来事だった。
0142大人になった名無しさん
垢版 |
2010/03/05(金) 21:47:43
あげ
0143大人になった名無しさん
垢版 |
2010/10/13(水) 23:07:05

私の泣いた話を1つ。

金銭的にあんまり余裕がない家に生まれた私。
母は内職系の仕事しか出来ず、
父は力仕事しか出来ない人でした。
とくに父は無口で、幼いころも遊んだ記憶もありませんでした。

高校進学も家から一番近い、自転車で行けるところしか無理でした。
携帯電話やこづかいはバイトで賄い、
大学も、自分で学費を払えるなら国公立なら行けそうだったから、
高校1年からコツコツ貯金していました。

父は先天性の病気があったので、
家のお金は入院代や手術費用に消えていました。
中学生のころ、大手術で、輸血の管がつながれた父を見たから、
お金は私がなんとかしてやろうと決意。

だから何の疑問も感じず学校に隠れ、バイトばかりしていました。

その後。
入学金免除をなんとか獲得し無事希望の大学へ。

そしたら意外と裕福な子が多いうえに、
バイトばかりで友人にはかわいそうと言われる日々。
生まれて初めて、
生まれる環境ってこうも違うかと落ち込んだりもしました。

就職活動時には、ちょっぴりひねくれていた私は、

『稼げる仕事をして、自分の子供には苦労させまい。
 お金のことは自分でなんとか乗り越えてやる』
なんて考えていました。

無事大げさな額では無いけど、そこそこ稼げる仕事に就職。


最短で出世できるよう努力し、
結果を出そうと躍起になっていました。昼も夜も働きました。
接待、成績。そんな世界に身を浸していました。

結果は徐々に出始め、
どこかで稼げない人を馬鹿にし始めているところがありました。

内職と力仕事の親を、どこかで馬鹿にしました。
そんなある日。


0144143
垢版 |
2010/10/13(水) 23:09:44
143の続きです。

父が交通事故に合いました。
病院から連絡があり、あわてて駆けつけると、
意識不明の重体。
何が起きたのかわけがわからず、
ただしーんと病院の待合室で何時間も座っていました。
ふと見ると母はガタガタ震え、
事の重大さに気付き始めた矢先。

医者に呼ばれた母と私。
『○○さんは、脳を若干損傷しています。
 左足を車に巻き込まれており、たいへん複雑な骨折をしています。
 脊椎は激しく損傷しています。
 現在意識はなく、予断を許さない状況です』

ようやく父がどういう状況にいるのかわかった私は、
ただただ泣きました。
どうしていいのか、わけがわからず。


しかし母がパニックだったこともあり、
父の仕事先に連絡をしたり、
親戚に連絡をしたり、
自分の仕事に都合をつけたりをあわてて一人でこなしました。

父が仕事中の出来事だったため、
涙をこらえながら翌日父の仕事場に、
業務中の荷物を返しに行きました。

そんなことしてる場合じゃないと思いつつ、
そんなことしていないと気が気じゃなかったのです。

0147大人になった名無しさん
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2011/07/13(水) 11:05:17.40
人からじゃないけど俺の嫁の実話
俺今年で25になるんだけど高校生の頃の話しちょっと長くなる

小さい頃から幼なじみの女がいるんだがそいつとは本当に仲がよかった
小学生の頃、親父の左手の薬指につけてた指輪が気になって、
親父に「なんでずっとつけてるの?」って聞いたんだ
そしたら「これはな、母ちゃんとの約束の指輪だよ」
「これをつけてれば離れてても一緒なんだよ」
って笑顔で言ったんだよ。

それで俺はその幼なじみと結婚したかったから
ずっと豚の貯金箱に貯めてた小遣いを(1000¥くらい)もって商店街の
アクセサリーショップみたいなところに行って
「一番いい指輪ください!」って店員に言ったのよ
そしたら店員のお姉さんが「お母さんにあげるの?」って聞かれたから
「お嫁さんの!」って言ったらお姉さんが「じゃあちょっと待っててね」
って指輪探し始めた。
0148大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/13(水) 11:36:07.98
で、お姉さんが綺麗にラッピングしてくれた指輪持ってきて
俺はありったけの小銭をお姉さんに渡した。
お姉さんは笑って「頑張って」って俺を見送ってくれた。
俺はその幼なじみに親父から聞いたことをそのまま言いながら
幼なじみに指輪を渡した。

幼なじみはびっくりしたような顔しながら頬にチューしてくれたんだよ。

それから時がたって幼なじみは小学校卒業と同時に親の都合で転校。
俺は地元の中学に行ったんだが
別れが寂しくてさよならって言えなかったのがずっと引っ掛かってた。

それから更に時が進んで、高校に入学。
高校には可愛い子がいっぱいいて
好きな子もできた。もう高校が楽しくて幼なじみのことはわすれてた。

でも高校2年の春休みに幼なじみの母ちゃんから電話が来て、
今幼なじみが入院してるって言うのよ。俺はなんか今更ながら心配で見舞いに行った。

見舞いに行くと、個室のベットで幼なじみが寝てる。
病院の配慮で窓から桜が見える部屋だった。
ベットで寝てる幼なじみはものすごく綺麗でなんかドキドキした。

で、なんの病気かわからなかったけど左手を握った。
そしたら薬指に違和感感じて
見たら俺があげた指輪がついてた。
なんでかわからないけど涙が止まらなかった。
幼なじみは起きて、俺の泣き顔を笑顔で見てた。
極めつけは笑顔で
「指輪つけてたからずっと一緒だったよ?」って言うのよ

もう涙が止まらなくて、ずっと病室で頭撫でてもらいながら泣いた。

幼なじみの母ちゃんが言うにはずっと指輪はずさずにつけてたらしい。
バカだよなぁ、血止まっちゃうよ


だから今度新しい婚約指輪買いに行ってくるノシ
0149大人になった名無しさん
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2011/07/16(土) 12:12:20.70
泣けた
0150大人になった名無しさん
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2011/07/20(水) 16:44:29.38
俺が小学3、4年で夏休みの話。
今の今までマジで忘れてた。

小学校の夏休みとか、遊びまくった覚えしかない。
俺は近所の男子と、夏休み中開放されていた学校の校庭で
午後1時から体力づくりの名のもと遊んでい
※午前中は勉強しろ、と先生が言って、午前中は開放されてなかった。

んで、
大体、午後5時くらいになって解散して、
帰りの50円のアイスを商店街の、とある店で買っていた。

それを食べるとこは、
あまり使われていない駐車場だった。
5時を過ぎると、アイスを食べて雑談している汗だらけの小学生でいっぱいだった。


駐車場のすぐ隣にはバス停と、バス停の後ろには公衆電話があった。
0151大人になった名無しさん
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2011/07/20(水) 16:49:28.10

駐車場のすぐ隣にはバス停と、バス停の後ろには公衆電話があった。

夏休みが始まってちょっと経ってからだったと思う。
いつも通り、駐車場でみんなでアイスを食べていて、バス停に目をやると、
中学生ぐらいの女の子がいた。

目は大きい二重で、髪は肩ぐらいの黒髪で、背は150cmあるかないかだったと思う。
背は小さかったけど、大人な感じがした。


その女の子は、商店街にある時計台とバス停に書いてある時刻表をせわしく見ていた。
「誰かを待っちょるんかなぁ」と、その時は思っただけだった。
0152大人になった名無しさん
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2011/07/20(水) 16:55:33.40
次の日、例の如くアイスを買いに行ったら、またあの女の子がいた。
相変わらず、時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。

「恋人でも待っちょるんかなぁ」

と他人事のように思って、その恋人とやらが気になった。
しかし、家の門限が6時半までなので、そう長くは駐車場におれず、
いつも6時ぐらいには駐車場でみんなは解散していた。

その女の子は、6時になっても、時計台とバス停をせわしく見ていた。
0153大人になった名無しさん
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2011/07/20(水) 16:59:48.14
その次の日。
特別暑かった日だった。
友達が2人ぐらい倒れたと思う。

学校にいた事務の先生が
「今日は暑いけん、さっさと帰りんさい」
と言って、3時ぐらいに早くも家に帰されることになった。

友達数名と、アイスを買いに行ったら、
また、バス停にあの女の子がいた。
時計台とバス停の時刻表をせわしく見ながら。


さすがに友達も女の子が気にかかり、
「昨日もおらんやったっけ?(いなかったっけ?)」
と口にした。

「ああ、いたね」
と、適当に返事をしたと思うが、
この女の子は3時から待っていて、俺らが家に帰る6時以降もここにいるのか、
と気付いて、すごく衝撃的だった。

この暑い中、
誰を待ってるんだろう。

ガキながら、めちゃくちゃ気になっていた。
0154大人になった名無しさん
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2011/07/20(水) 17:03:52.38

そして、いつも通りの日が続いて、
日曜日になった。

日曜日は、学校が開放されていないので、みんなは家で遊ぶか暇を弄ぶぐらいだった。
俺はあの女の子が、何時からバス停にいるのだろう、と
好奇心で、11時ぐらいにバス停へ向かった。

さすがにこの時間にはあの女の子はいなかった。

しばらく待っていよう、と持ってきたお金でアイスは何個か買って、
駐車場に座って待っていた。
0155大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:08:17.47
1時になるかならないかぐらいだった思う。
あの女の子がやって来た。
その足どりはとても不安定で、今にも転びそうなほど弱弱しかった。

また、この暑い中、誰かを待つのか―…

とりあえず、こんな暑い中、外にいると気が狂いそうになるから
すぐに家に帰った。


そして4時ぐらいに、夕立が来た。
結構激しい雨だった。

あの女の子は、傘をもっていなかったことを思い出し、
傘を持って行くことにした。


その女の子は濡れながら、バス停にたっていた。
0156大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:15:24.79
傘を渡すと、
「あれ、さっきいた子?」
と聞いてきた。
とても高い声で、そして弱弱しかった。

「さっきもいたけど、いつもおるんで」
「あぁ…5時10分らへんになると、たくさん小学生が来るわね」
「学校の校庭で、遊んでるんだ」
「そう。楽しそうね」
「楽しいよ」

しばらく、沈黙が続いた。
雨が叩きつける音が、響いていた。

「なぁ。ここにいっつもおるけど、何しちょんの?(何をしているの?)」

しまった、首を突っ込みすぎたか、と
ガキながら、冷や汗をかいた。

「ははは。お姉ちゃんはね、ある人を待ってるの」
「ある人って恋人とか?」
「秘密」

その女の子は、大きな目を細くして微笑んだ。
ガキの俺は、少しドキッとした。
0157大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:19:30.68
胸のドキドキがヤバくなってきたので、
さっさと家に帰ろうとしたら、女の子が傘を返そうとした。
明日、返してくれればいい、と返事をして、急いで帰った。

次の日、やはりその女の子はいた。
俺を見つけると、大きな目を細くして、微笑みながら手を小さく振ってくれた。
周りの友達はザワザワとなっていたので、とても恥ずかしかった。

傘を受け取り、アイスを食べながら、友達からすごい質問攻めにあったが無視をした。

チラッとその女の子を見ると、やはり時計台とバス停の時刻表をせわしく見ていた。
0158大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:28:54.28
そしていつも通りの日がまた何日か経った。
女の子は俺ら小学生に混じって、じゃんけん遊びやしりとりとか、いろんな遊びを一緒にした。

女の子の名前は千穂。
見たことも聞いたこともなかったから、最近よくある「カタカナ名前」か何かだろう、と思っていた。


ある日、家に帰って夕食を食べていると、
母さんがこんな愚痴をこぼした。

「うちの病院に困った人がいるのよー。病室を抜け出しては遅くに帰ってきてなぁ。
どこで何しちょる(している)か知らんばってんが(けど)、
こげん暑い中、外に出ちょったら、責任とれんわぁ」

父さんは、
「ボケてるのか?大変だな」
「違うわよ、中学生の女の子でねぇ…。ガン(小児がんらしい)なんよ」
「へぇ。そりゃ困るなぁ」
「まぁ、先生(医者)もこりゃ治らんっち言いよるけん、
御両親も先生も、好きにさせりゃいい、とか言っちょるんよ」

母さんは病院の看護婦だった。
すぐ近くにある大きな病院だ。

千穂のことかな、と胸にグサッときた。
0159大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:35:28.49
次の日。
いつも通り、チホ姉ちゃんはいた。

病院から抜け出す―…

母の愚痴が思い浮かんだ。
チホ姉ちゃんに、間違いない。
細い腕、細い脚、弱そうな感じは、いかにも病人らしかった。

その日、母さんにチホ姉ちゃんのことを言ってみた。
チホ姉ちゃんに間違いなかった。


俺は、チホ姉ちゃんが治らない病気になってることがショックだった。
その日はずいぶん泣いたと思う。

「死ぬ」っていうのはガキながらよく分かっていた。
じいちゃんが交通事故で即死したからだ。


あの悲しみが、じわじわと、胸に湧いていた。
0160大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:39:00.25
次の日、
チホ姉ちゃんの姿はなかった。

「俺が母さんにチクったから…?」

と、心配になって、アイスも買わず、さっさと家に帰った。
当然、母さんは帰ってきてないので、病院に電話をかけてみた。

「今日、チホ姉ちゃん、おらんかったけど、どしたん?」
「んー、今日ねぇ、ちょっとお姉ちゃんは体を悪くしちょるんよ」
「大丈夫なん?」
「大丈夫よ。でも、お姉ちゃんと遊ぶのは、もうやめたらどうなの?」
「なして」
「なしてって、、、」

この日から、チホ姉ちゃんが外に出てくることはなかった。
0161大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:44:30.69
夏休みが終わるぐらいに、
俺はチホ姉ちゃんのお見舞いに行くことにした。

母に連れられ、病室にいくと、とても痩せたチホ姉ちゃんがいた。
綺麗な黒髪も、今は何となくつややかさが消えていた。


チホ姉ちゃんは俺を見るなり、
大きい目を細くして、微笑んでくれた。

「珍しいお客さんね」
「体大丈夫?」
「大丈夫よ」

チホ姉ちゃんは、ベッドの机で何か手紙を書いていたのを、
俺から隠すように、裏にした。

「友達もみんな、チホ姉ちゃんが来なくなって寂しくなってさ」

ホントは俺が一番寂しかった。

「そっか。ごめんね。お姉ちゃん、体弱くて…」
「早く元気にならんといけんよ。待っちょる人がおるんやろ」
「そうね。元気にならんとね」

俺とチホ姉ちゃんは一日中、折り紙遊びやTVを見ながら過ごした。
次の日も、その次の日も、友達と遊ばずに、チホ姉ちゃんと過ごした。
0162大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:47:29.27
夏休みが終わると、
平日の夕方か、日曜日しか、チホ姉ちゃんに会えなくなった。

チホ姉ちゃんの親にも会った。
弟ができたみたいね、と俺を可愛がってくれた。
母さんも、「お姉ちゃんができて良かったわねぇ」と言ってくれていた。

そんな日が、ずっと続くと思ってはいなかった。
0163大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/20(水) 17:51:47.06
冬か、秋の終わりごろの土曜日だった思う。
俺は学校が終わるなり、すぐにチホ姉ちゃんに会いに行くのが日課だった。

いつも通り、いろんな話をしていると、
チホ姉ちゃんが口を押さえて、白いベッドを真っ赤にした。
吐血した。

チホ姉ちゃんは真っ赤に染まった手でナースコールを押し、
ベッドから転げ落ちた。


俺はどうすればいいのか分からなかった。
チホ姉ちゃん、チホ姉ちゃん、と泣き叫んでいたと思う。

すぐに看護婦がやってきて、色々と手当てをした。
俺は病室を追い出された。

廊下から、チホ姉ちゃんの血を吐く音、
うなる音、咳き込む音が聞こえて怖くなった俺は、泣きながら家に走って帰った。
0166大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/31(日) 13:54:11.39
家に帰るなり、部屋にとじこもって泣きまくった。
夕飯も食べず、泣いて泣いて泣きまくった。
泣き疲れて、いつの間にか寝ていた。

起きたのは4時20分(時計を見たのをめちゃくちゃ覚えている)。
まだ暗かったが、玄関から物音が聞こえて起きた。
どうやら母さんらしく、俺の部屋に向かってくる足音が聞こえる。

母さんが俺の部屋のドアを開けた。
俺が起きているのに気づいて、目をカッと開いた。

「千穂ちゃん、死んじゃったわ…」

予期していた言葉だった。
とはいえ、全身をつらぬく言葉であった。

俺は返す言葉もなく、ただ押黙っていた。
母さんは静かにドアを閉めた。


チホ姉ちゃんは、もういないんだ―…
0167大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/31(日) 13:54:56.63
次の日、チホ姉ちゃんの通夜があった。
俺は親戚でもなんでもないので、行くことはできなかった。
葬式は、母が俺が風邪をひいた、と嘘をついて、葬式に行かせてくれた。

棺桶からチホ姉ちゃんの顔を見た。
ホント、今にも起きそうな顔だった。
体を触ると、現実を思い知らされることを知っていたので、触ることはできなかった。

チホ姉ちゃんの前では泣かない。
決めていた。


チホ姉ちゃんを焼き、骨壷にいれる時が来た。
お腹の部分の骨は全くなかった。
俺は震える手でチホ姉ちゃんをいれた。
変わり果てたチホ姉ちゃんを正視することすらできなかった。
0168大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/31(日) 13:55:15.98
葬式が終わって数日後、
チホ姉ちゃんの母親から封筒がきた。
なんでも、チホ姉ちゃんが俺に手紙を封筒の中に残してくれていたという。


ユウトくんへ。
これをよんでいるということは、私はついに死んじゃったのね。
私が死んでどれくらいたったかな?

"死ぬ"って言っても、消えるわけじゃないんだよ。
ユウトくんから見えないだけで、
お姉ちゃんはずっと、ユウトくんを見てるよ。

ほら、今、となりにいるでしょう。
いつもびょうしつに入ってくるときに言うように「千穂姉ちゃん」ってよんでください。
私はあれを聞くのを、毎日楽しみにしていたよ。
今だって聞きたい。ユウトくん。

泣いてないよね?
元気あふれるユウトくんを見ていたいから。

おせわになりました。
楽しかった。
ありがとう。

10月12日
 千穂姉ちゃんより。
0169大人になった名無しさん
垢版 |
2011/07/31(日) 13:55:50.55
それと、
封筒の中に小さい封筒が一つあった。
手触りだがその封筒の仲には手紙が何枚かあった。
封筒には「私のたいせつなひとに書いたお手紙です。見つけたらわたしてください」と裏にあった。


チホ姉ちゃんからは、その「たいせつなひと」の話を全く聞いていなかった。
当然、俺に預けたって無駄って分かっていただろう。
じゃぁ何で俺に頼んだんだろ、と思った。

いつかは、「たいせつなひと」について話すつもりだったのだろう。
それを話す前に、あっけなくチホ姉ちゃんは死んでしまったが。
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