中一の時に学校で性教育の授業を受けたことがあった
その時より女性の性器に興味を覚え、女性器の実物を実際にどうしても見たくなっていた
身近な女性は貧乳ではあるが当時35歳でそこそこ美人の母しかいなかった
夏休みに入り、ある日母に学校で性教育の授業を受けたことと、その日から勉強のために女性の
性器の実物を実際に見たくなっていることを話した
すると母は「真面目に勉強のために見るのだったら、私のだったら見せてあげるけど」と嬉しそうな
感じでニコニコしながら言ってくれた
母は全く嫌がっている感じはなく、むしろ嬉しそうにしている様子が意外だった
母から「いつ見るの」と聞かれたので、僕は即座に「今日でも見たい」と答えると、母はシャワーを
浴びに行った
シャワーを浴びた母はブラとパンティだけを着けて、僕の部屋に戻ってきた
畳の上に敷布団を敷いて、その上に仰向けに寝てパンティを脱いでくれた
母は陰毛が薄くワレメの上の部分にしかなかったので、ワレメとワレメから少し覗いているビラビラ
(小陰唇)が丸見えだった
母は両脚を立てて左右に開いてくれた
母から「開いていいわよ」と言われ、僕は少し開きぎみになっている母のワレメから少し覗いている
母のビラビラ(小陰唇)を左右に大きく開かせてもらった
すると母のワレメは大きく開き淡いピンク色のワレメの内部と直径8ミリくらい開いた膣口が丸見えに
なっていた
尿道口は非常に小さくよく見ないと見えなかった
僕は直径8ミリくらい開いていた膣口に興味を覚え、膣口の左右に指を当てて膣口を左右に直径1.5
センチくらいまで開いて見た
しばらく(5分間くらい)母の膣口を開いて観賞をしていたが、母から「今日はもういんじゃない」と言われ
その日の母の性器の観賞は終了した
母はパンティを履きながら「見てどうだった」と僕に聞いた
僕は「お母さんのアソコは開くと無茶苦茶綺麗だった、また見せてほしい」と正直に言った
すると母は「脚とお尻のマッサージを30分間以上してくれたら、いつでも見せてあげるけど」と交換条件を
持ち出した
僕にとって母のワレメを開いて見せてもらえるなら、いとも簡単な交換条件だった
結局その日の夜から母の脚とお尻のマッサージをやり始め、その日の夜にも母のワレメを開かせてもらい
母のワレメの内部と膣口をたっぷりと観賞させてもらった
その夏休み中はほとんど毎日母の脚とお尻のマッサージを行い、毎日母のワレメを開き内部の膣口も
少し(1〜1.5センチくらい)開いてたっぷりと観賞させてもらった
夏休みが終わっても、毎週土曜日とか日曜日になるとお風呂上りの母が「マッサージをやって」と僕の部屋に
やってきた
僕は母がまるで「飛んで火にいる夏の虫」のように思われた
母に30分間マッサージをやると、いつも母のワレメを開き膣口までも少し開いて好きなだけ観賞させてもらった
母は自分の子供に自分のアソコをを見せることなど全然へっちゃらで、僕にアソコを見せるだけでマッサージを
してもらえるので、いつも喜んでマッサージををしてもらいに部屋にやってきた
この慣習は僕が大学を卒業するまで(母が35歳〜45歳)まで月に4〜8回くらい続いた
その間僕は母のワレメの内部と膣口(指で少し開いた状態の膣口)を見飽きるくらい見せてもらうことができ
大満足だった
母も自分のアソコを自分の息子に見せるだけで、好きなだけマッサージをしてもらうことができ満足していたようだった
親戚の叔母さんとかが家に遊びに来ると母はいつも「うちの息子は優しいのでいつもマッサージをやってくれる」と
嬉しそうに話していた
親戚の叔母さんたちはまさか母がマッサージをを受けるたびに僕にワレメを開かれ膣口まで開かれて見られているとは
想像もできなかったと思う
とにかく僕に好きなだけ自分のアソコを開いて膣口まで毎回開かれて見せてくれた母に感謝している