母は後妻だった。先妻は4人の子どもを残して別の妻子ある男と駆け落ちしたらしい。
そんなところへ、母はお見合いでやってきた。昔の事、30歳を過ぎた母には後妻の口しかなかったらしい。
一応写真を見て2択のうちから選んだらしい。
母親に捨てられた4人の子ども達。当時、11歳、9歳、7歳、5歳。下の2人はそれなりに懐いたが、上の2人は反抗的で大変だった。
その後、兄と私が生まれ、6人の子どもを抱えて母親は苦労の連続だった。父は、真面目でよく働く人のがとりえだが怒りっぽく気難しい人だった。
別に道楽しないし暴力もふるわないが、いたわりの言葉をかけるわけでもない。貧乏に子だくさんだったのもあり、家は母に任せ、ひたすら働いていた。
成長につれ、兄や姉達は、ぐれかかったり、大病をしたり、散々母の手を煩わした。
自分の子ども達よりも常に先妻の子ども達を優先した。自分の子どもを決して甘やかすことがなかった。兄たちの母親が違う事を正式に知らされたのは小学校の高学年だったが、幼いときから、なんとなくそれを察していたので
私は自分なりに母に甘えたい欲求不満を抑えていた。それどころか、母親が何かしてくれようとするのに、遠慮してしまう変な子どもだった。
しかし、いかんせん子供の事、チック症状などが出ていたが。
まだ私が1年生くらいのあるとき、なぜか母と2人のとき、ポツリと母が、「どこか遠くに行きたい」と言った。「私も連れて行って」というと、「いや、ひとりで出て行く」と言った。
その言葉がショックだった。それから家から帰ると、母の所在を確認し、いないと不安で居たたまれなくなるようになった。
しかしながら、母は出ては行かず、苦労のかいがあって、上の兄や姉達にも「お母ちゃん」「お母ちゃん」と慕われ、孫たちも自分の本当のおばあちゃんだと思って懐いている。
父が元気で真面目に定年まで働けたこともあり、経済的にもだんだんと楽になっていった。
今では年金で悠悠自適。しかし、あるときポツリとつぶやいた。「もっと遠慮しないで自分の子ども可愛がったらよかった」
「なんで、叩かんでもいいのに、自分の子ども叩いたんやろう」
甘えられない私も寂しかったが、自分の子どもを可愛がるのを抑えた母は辛かったろう。
その反動もあるのか、今、自分の血を引く孫(自分の息子の娘)を猫かわいがりしている。
それはどうやら「孫を可愛がる」と言うよりも自分の子どもに対する代償らしい。
そんなこともあり、今、私は、母がしてくれることをありがたーく受け取ることにしている。しかし、サプリメントをやたらともってやってくるのは少し閉口しているが。