母親との思い出
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まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。
小学校1年生の頃、お母さんに向ヶ丘遊園地に連れて行ってもらった。
その日は小学校の創立記念日で私は休みだった。
お父さんが会社に行くのを見送った後にお母さんが
「ユウちゃん(私)向ヶ丘遊園地にいこっか」って言ってドタで行く事になった。
花の時計を見たり、水が吹き出る射的みたいなもんとかやって一緒に遊んだ。
ジェットコースターもあって私はお母さんにしきりに「乗ろう乗ろう」って
ダダこねたんだけどお母さんは体が弱かったから困った顔をしてた。結局乗れずしまいで、
家に帰ってきてからも私は半ベソをかきつつ「お母さんのせいで乗れなかったんだよっ」
とか言っちゃって、今思うとひどいことを言ってしまったと後悔してる。
それが一番の母との記憶。
640 名前:本当にあった怖い名無し :2005/10/10(月) 03:38:06 ID:Z64lAnyi0
姉のパンツでオナニーしてたら妹に見つかって口止め料に3000円払わされた挙句「今度から変態って呼ぶから」とか言われ
逆上して妹の胸触ろうとしたら「お母さーん!!!!」って死ぬほど叫ばれて何故か親父が現れて妹が事情話して
親父に頭死ぬほど殴られてパニクった俺は持ってた姉のパンツを口に含んだら妹に死ぬほど蔑まれて親父にまた死ぬほど殴られて
「うわああああああああ」と叫んで姉の部屋を飛び出したらそこには姉貴が立ってて泣いてんの姉貴。その時気付いたら俺もめっちゃ泣いてた。
最近、病気が辛くて仕方なかったけど
このスレに書いた自分のレス読んだら
もう一度頑張ってみようと思えた。
このスレがまだ落ちてなくて、ありがとう。
それから昨日叩いちゃったお母さん、ごめんなさい。
本当に辛かったんだ・・・。 みんな創作にしては中々頑張ってるな。
>>346見てるこっちが辛いぞ(笑) 俺んちも母子家庭&貧乏っていうパターンだったけど
似た境遇の香具師多いんだな。
小さい頃、周りの友達がみんな自転車買ってもらっててすごく羨ましかった。
でも子供のくせに空気読んで「買って」って言えなかったな・・・
友達と遊ぶ時も俺だけ走ってたな(笑
そしたらある日、家に突然黒い自転車が登場。「あんたの自転車だよ」だって。
よく見ると、古い、しかも女の子っぽい自転車をペンキで塗ったようだった。
たぶん新品は買えなくて、どこかで貰ってきたやつを母さんが塗ったんだろう・・・
仕事と家事で忙しいのに、俺のために慣れないペンキ塗り一生懸命やってくれたんだな。
このスレの病気とか別れとかの話と比べると全然つまんない事だけど
俺はこれ思い出すと泣いちゃうな 大したこと無いなんてそんなことないっしょ
それぞれってやつじゃん >>348
俺はわかるぞ。泣けるよ。
がんがろうな。 幼稚園の時弁当の時間に仲良かったTちゃんがとなりに座ってて、
「おかずとっかえっこしよ」といってきた。 「うん、いいよ」と私。
そしたらTちゃんの反対側に座ってたAってコが聞こえよがしに耳打ちしたんだわ。
「Nちゃんのお弁当、ごはんばっかだから損だよ。 やめなよ」
たしかに私の弁当箱はご飯を入れるスペースが広かったんだけどね。
母の実家は米どころ宮城でさ。 いつもササニシキのとれたてを送ってもらってて。
しかも釜炊きだったから、私にとってはうちの白飯はご馳走だったわけ。
おむすび弁当だって大好きだった。
別にTちゃんには普通にその日のおかずのコロッケとかそういうのあげるつもり
だったんだけど、Aのこの一言でカーっと頭に血が上ってね。
次の瞬間号泣しながらAに掴みかかってった。 楽しいはずの弁当タイムに
突然女の子同士のつかみ合い勃発に大慌てで引き剥がす担任。
押さえつけられながら
「おかあちゃんのおべんとう美味しいもん!Aちゃんなんか大嫌いだ!」
とか延々さけんでた。 …弁当ひっくりかえしちゃったんだけどさ…
その後私とAは別々に呼ばれて事の発端を説明させられた。
その日のお迎えのときに担任が母と少しの間話してた。
(Aの親も同様になんかいわれてた)
帰り道、いつ怒られるのかとびくびくしてる私に母はなにも言わなかったよ。
いつもと全く変わらんの。 ただ、その日の晩御飯はいつもより時間が早く、
メニューは私の大好きなハンバーグだった。もちろん炊きたてご飯たっぷり。 続き
で、次の日持たされた弁当がいつもと様子が違うわけ。
なんか包みがごつい。
「お弁当の時間まであけちゃだめだからね」と念を押された。
午前のお時間がすぎて弁当タイム。
中から子供の自分の顔なんぞすっぽり隠すくらいでっかいおむすびが1個出てきた。
おかずは卵焼き、唐揚げ、いぶりがっこ…だったかな。
もう周り中から羨ましがられたよ。
「いいなあー!さるかに合戦みたい!」
「僕もママに同じのつくってもらう!!」
照れ笑いしながら一生懸命食った。 たらこだの梅だのねりおかかだの
色々入っててさながらビックリ箱おむすび。
途中で腹くちくなったけど最後まで休み休み平らげた。
帰宅してからっぽになった包み手渡したら、顔中くしゃくしゃにして喜んでくれましたね。
おかあさん有難う。改めてうちのご飯は世界一だと思ったよ。
ガキのクセに生意気な感想だけど。
家を出た今も、米は釜で炊いてるよ。
でーっかい具たくさんおむすびは私が落ち込んだときに作る
必殺入魂メニューです。
=長文にお付き合い頂いて有難うです= 先週、母ちゃんが死んだ。立派な最後だった。
…………なんて言いたかった。
御飯を炊いてくれたり、色々な物を買ってくれた母ちゃん。
本当に優しかった。
でも、バカな俺は、大学生になっても、親孝行一つもしてあげられなかった。
社会人になって、お金もたまって、やっと親孝行できる!!なんて思ってた所。
すると、明後日になって。突然電話がかかって来た。
姉からだった。「お母さんが倒れたの!!早く××病院に来て!!」
と、早口で、大声で言われた。その後、自転車で、病院に急いだ。
病室には家族が回りに立って泣いていた。………………遅かった。
母ちゃん……こんなバカな俺に色々構ってくれてありがとう。
そして…………何も出来なくてごめん。
こんなバカな俺のために………本当にありがとう。
長文失礼いたしました。 >>352 今「3丁目の夕日」観てきたからか。
涙腺緩みまくりで、
泣いてしまった。
お母さん何も言わないとこがもう。(T_T) 俺、いま東京で浪人生してるけど、当たり前だと思ってた。
けど、このスレみておれ一人の受験じゃないんだなって思った
。親はあんたが受かるのが一番の親孝行なんだからねって言ってたの思い出した。
もう一週間授業出てなかったりタバコ吸ったり
友達と遊びほうけてる自分がなんてバカなんだと思った。
お母さん、お父さん、いまさらだけど僕は頑張ります。
スレ違いスマソ。 消防の頃、何か悪い事すると「あんたは荒川で拾って来たんだからまた捨てるよ」って脅されてたっけ。
でもな、そんなの絶対嘘だ。中学に入るまですげぇ太ってた俺を、水曜の夜のママさんバドミントンに連れて行って一緒にやってた時、他の人からいつも
「○○君はお母さんそっくりだねぇ。打ち方なんてそのまんま(笑)」って言われた。
アナタは間違いなく世界でただ一人の俺の母さんだ。
母さんがこの世を去るときに言ってくれた言葉「絶対に幸せになるんだよ」
もうこんな時に何言ってんだよと。幸せとは何かって教えてくれたのは母さんじゃねーのかよ。
こんなにもたくさんの涙が出るのは、母さんががいてくれて幸せだったからじゃねーのかよ。
自分の体を犠牲にしてまでここまで育ててくれた俺が幸せじゃないとでも思ってるのかよ。
もし戻れるのなら、あの瞬間に戻ってそう伝えたい。 友達の結婚式で泣いたことがある。
お約束の「花嫁の両親への手紙」。
花嫁になった友が、「あなたたちの子どもに産まれてよかった、
いままで本当にありがとう」と用意した手紙を涙ながらに読み上げ、
披露宴会場はもらい涙のすすり泣きの音が聞こえた。
俺も涙がでた。
それはもらい涙じゃなかった。
「あなたたちの子どもに産まれてよかった」
そういう台詞を言ってみたかった。
酒乱の父と男遊びの激しい母。
小さいころからいつも家の中は怒号で鳴り響いていた。
自分が結婚したときは花束贈呈のみ。
「できることならあなたたちの子どもに産まれたくなかった。
自分の子どもには自分のような思いはさせない。」
そんな積年の想いをぶつけたかった花束贈呈だった。
今両親は未だに離婚していない。
自分は可愛い子ども三人に恵まれ、家族に囲まれた
今までの人生の中で一番幸せな時間を過ごしている。
両親はどうして幸せになれないのだろう?
どうして離婚して次のステップに進まないのだろう? タケシ、スレ上げよっか?
J( 'ー`)し ウン!!
( )\(∀` ).
│| (_ _)ヾ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
受験生のくせして読破してしまいました。涙が止まらない…。
うちも母子家庭。特別貧乏ではなく、小さい頃から年に一度は旅行に連れて行って
もらってたし、海外にも何度も行かせてもらった。小学生の時には学校内に母子
家庭の子が何人かいたからあまり気にならなかったけど、中学受験して私立の学校
に通うようになると、母子家庭の子はほぼ皆無。その頃から両親が離婚していると
いう事がコンプレックスになり、周りの子達が羨ましくて仕方がなかった。
その事で何度も母を責めてしまった。その度に母は私に「ごめんね」と謝るばかりだった。
でも母は、出来る限りのことを私にしてくれていた。両親が揃っていない事で私が惨めな
思いをする事がないようにと、小さな頃から私の洋服や持ち物にも気を使ってくれたし、
習い事もたくさんさせてくれた。仕事で忙しいのに6年毎日お弁当も作ってくれた。
こうして書いていると、私って幸せだなって改めて思う。そして、なんて親不孝なんだろう。
ほんっと最低な娘。もう二度と母を責めたりしません。今まで本当にごめんなさい。
一人っ子で面倒を見てくれる兄弟のいなかった私は、休みの日はよく母の職場の病院
に連れていかれ、そこでも周りの人に温かくしてもらったのにも関わらず、
「私は将来は病院でだけは働きたくない!」などと言っていた。でもね、今の私の夢は、
病院で働く人になること。その話をした時、母はとても喜んでくれた。
なのに、思う様に勉強が進まないと、また我侭で天の邪鬼な私が顔を出し、
「どうせ無理だからもういい!」と八つ当たり…。本当酷過ぎる…。
センターまで残り少しだけど、最後まで諦めないで頑張るからね!
もう絶対に意地悪なこと言わないし、受験も一生懸命頑張るからずっと
仲良くしてね!!お母さんの子で本当に幸せ。だから、これからはお母さんに
「この子が娘で良かった」って思ってもらえるようになるから!!
ずっとずっと長生きして、また一緒に色んなとこ行こうね!
長文&駄文ごめんなさい。そして目を覚まさせてくれ皆さん、ありがとうございました。
今日から一生かけて親孝行します。
364
ガンガレ!ガンガレ!モニターのこっち側から応援してるから!
その気持ちは絶対お母さんに伝わるからさ! 俺の受験を思い出した。数年前の受験時、センター会場までタクシーで行く事になっていた。タクシーに乗り込みドアが閉まると、見送りにきた母が何か言いたそうだった。そこで運ちゃんに俺はこう言った
「早く車を出して下さい」 まあまあ。ママンとの素敵な思い出がなくてさみしーのかもよ このスレの人には、リリー・フランキーの「東京タワー」って本がおすすめ。 小学卒業と同時に父親の仕事の都合で家族全員でニューヨークに引っ越すことになった。
大好きな友達と同じ中学に通い、部活動に精を出し、その中で起こりうるだろうほのかな恋愛体験、そして
受験戦争で現実の酸いも甘いを味わいながらも、学生生活を堪能するだろうと信じて疑わなかった自分にとって、
海外移住など苦痛以外の何物でもなかった。
親父は学生時代は英文科卒で仕事も海外との商売を専門としていた。学生当時からアメリカに憧れをもっていた親父が社会人になってからも
一年の1/4を海外出張で留守にしてて、当時の子供心としては当たり前だと思っていた。だが仕事の拠点をNYに移す判断を
下した親父に自分は反発した。最後の最後まで反発した。結局自分は転勤当日の成田空港まで納得できないままNYと飛び立った。
現地についてからも親父に反発した、何故アメリカに住む必要があるのか、何故英語を覚えないといけないのか、何故
日本に帰れないのか、、、とにかく楽しい中学生活を過ごすはずだった自分のプランをぶち壊した親父を相当恨んだ。
「いつか家出してでも帰国してやる」そんな考えだ常に脳裏にあった。オヤジの夢の実現の為に、オヤジの仕事の為に、
子供の夢や希望を犠牲にした最低なオヤジだと罵ったこともある。それでも自分は帰国を許されなかった。
そんなある日オヤジが倒れた。脳内出血だった。家族の為に体にムチ打って働いた親父にも
ついにガタが来た。高度成長期出身のオヤジにとって労働スタイルは”会社の為に尽くす”考えだったのだろう。
結局倒れた一ヵ月後にニューヨークの病院で息を引き取った。
オヤジが逝ってから当時の仕事仲間が俺たち遺族に当時のオヤジの仕事ぶりについて話してくれる機会があった。
たがその中で沢山の人から「君のお父さんは○○(俺のこと)がアメリカに馴染めず苦労していていることを心配していた」と
言ってくれた。普段は優しく、家族の前で文句や愚痴を言わなかった親父も外では家庭内の事情を相談していた
ことを初めて知った。子供の前では弱音を見せなかった親父も、本人が死んだ後にオヤジの”人間らしさ”を
知った自分が恥ずかしかった。
だが、それでもオヤジの都合で俺を海外生活に巻き込んで人生をぶち壊されたオヤジを許すことはできなかった。
親父の死と俺の将来は別物だった。
それから5年後、俺も日本へ帰国したある日に近所のスーパーに買い物に行った時に、棚の隅に
見覚えのある品物がヒッソリと置かれているのを目に入った。手にとって見ると、それはオヤジが死ぬ直前まで
取り引きで海外から仕入れた品物だった。パッケージ記載の会社名は変わっているものの、会社の住所は
間違いなくオヤジの勤務していた会社の住所だった。
オヤジはもうこの世にはいない。だが、目の前には明かにオヤジが遺した功績があった。それを知った瞬間、今まで
胸の奥にあったオヤジへの憤りが少し軽くなった気がした。
今でもオヤジは完璧に許してはいない。だがオヤジが生存しているなら言ってやりたい言葉がある。
「オヤジ、俺はどんなに許せなくてもオヤジは偉大な人だ」と。 >374
感傷に浸っている所を悪いが、
ここは母親との思い出を語るスレなんでね。
いつ母親が出るのかイライラしちまったw 母親の思い出は・・・・・叱られたこと、にらまれたこと、世間体が悪いとなじられて・・
攻撃されたこと、顔が不細工すぎて・・・怖かったこと・・・料理が下手なこと・・
ま、いやなことばかり〜。いい思い出は何もない。 俺の母親との想い出は、5年生までしてた寝小便にまつわる苦難の思い出し
か無い。 5歳の頃は、シ−ツのまま吊り下げられて浴室に運ばれて放置さ
れて、「オネショする子は、サーカスに売ってしまう!」と脅された。
6歳になって妹が生まれると、これ幸いと夜におしめを一緒に当てられてた。
妹がおしめを卒業すると寝小便布団に戻されて、「オネショ直るまで布団は
替えない!」と言われて、まっ茶色に世界地図が重なった布団を、毎朝干し
出されていた。寝しょんべんパンツだと言って、分厚い雑巾のような専用バ
ンツを与えられて寝ていた。 3年生になると「オネショする子はオシメし
かない!」と言われて、妹と使っていたオシメを10枚縫い付けた分厚なオ
シメを拵えて、「今晩から、これを当てて寝ろ! 濡らす濡らさないはお前
の勝手だけど、洗濯は自分でやれ!」と宣告されてしまった。 毎朝、風呂
場でグチュグチュと揉み洗いして、絞り上げるのがたいへんだった。洗濯が
終わらないと朝飯は食べられなかった。 いい思い出なんか何も無い。 母親なんていらない。
母親との思いでは・・・・・・嫌なことばかり。
思いでのなかから削除。 あたしは、おかぁさんがとても嫌いだった。
どうしても「愛」という感情がうまく出せなかった。。。
うちは、おとぉさんが家にいないからおかぁさんが一人であたしたち兄弟を
育ててくれた。
でも、、、その当時引っ越したばかりでおかぁさんは近所に友達もいなくて
なんか、色々なやんでてストレスがたまっていたのかな?
毎日泣いてたんだよね。。。あたしは気づかなかったけどお兄ちゃんは
あの人はちゃんと気づいていたんじゃないかな?
おとぉさんは家にいなかったから、電話がかかってくればいつも喧嘩っぽくな
ってた。あのとき、、、正直心の中でこの2人は終わるんだろうなぁ〜とか
思っていたことを今思い出した。。。すごく嫌な思い出だったからあたしは
記憶から消してたんだけど…
おかぁさんは、やたらあたし達に八つ当たり(?)をしてきた。。。
だから、お兄ちゃんはいつもおかぁさんの顔色を窺ってていつも家にいるのに
気を使ってた。今ならおかぁさんに「八つ当たりはやめてよ」って言えるけど
あの時は無理だった。すごく怖かった。
あたしも、そのくらいのときからすごく精神的に狂ってきてた。
「愛」を探して人を傷つけていた。自分の居場所がよくわからなくて大暴れしてしまったことを
いまでもよく憶えてる。
それから、もう10年は経ってるけどなんかトラウマ
おかぁさん今は好きだけど、、、、本当にあの人に「愛」を捧げるのはちょっと
抵抗がある。怖くてしょうがない。
母親との思い出は何故かこれしか思い出せない。
あたしは母親にきっと愛されてる。でもその愛を受け入れられない。
子供なんだあたし。
八つ当たりで、叩かれたこともあったと思う、、、、
なんか、今思い出したくなかったこと思い出したけどすごく心ん中では喜び
にちかい感情がある。。。。
まぁ、生んでくれた人だしねこれから思いで作ればいいと思ってしまった。 誰かあのキャンディーのCMのやつ作って。
このスレバージョンで。
あれ好きなんだ。「特別なのです。」ってやつ。 ー母へ。
私もようやく二十歳になれた。もう2年も経つんだよ。
『いきなりどうした』って?なんか急にお母さんと話したくなってさ。
実はずっと前から二十歳になったら、
お母さんに手紙を書こうと思ってたんだ。
まさか死ぬなんて思わないさ。
早すぎますよ、42歳なんてw冗談にもならない。そのせいで私が今どんなに苦しんでいるか見せてあげたいよ…。
私を愛してくれてましたか?
今でも私を心配してくれていますか?
お母さんの愛情は兄貴に傾き過ぎてましたよ。私に対して愛情があったのか、わからなかった。
次に会うときは、もっとわかりやすく!!
あ、文句言いに来たんじゃなかった。
ずっと言いたかった事があるんだ。
自分を産んでくれた事じゃないよw
可愛い妹を産んでくれた事。
本気でその日産まれた中で1番可愛い子連れてきたんだと思った。
妹の全てが愛しいよ。
自分を踏み台に使ってくれても構わない、誰よりも幸せになって欲しいって
心から思える。
9つも離れてるからかな、妹ってこんなに可愛いんだね。
私は幸せだよ。
お母さんの代わりに大事に大事に育てるよ。
だから一つお願いがあります。
お母さんが生まれ変わっても、
また私とあっちゃんを同じ姉妹で産んで下さい。 小さい頃わがまま行ったら車から降ろされて置いてかれた。でもすぐ戻ってきてくれた。 小学一年生の頃、六年生の修学旅行が広島で、原爆ドームに持っていく折り鶴をみんなで折ることになった。一人何個作るか決められていて帰宅した私は母にその事を話した。すると母は何かのラッピングだった(多分クリスマス)包装紙を持ってきて丁寧に切っていった。 可愛い包装紙だった。折り方がわからなかったけど母と作る折り鶴は楽しくてすぐにたくさんできて学校に持っていけば喜ばれるだろうと話した。嬉しかった。翌日、六年生の人にドキドキしながら渡すと「これは折り紙じゃないし模様があるからダメ」と言われた。 ショックだった。せっかく母が頑張って手伝ってくれたものなのに…と。泣きそうだった。母に何て言おう、がっかりするんじゃなかろうかと。帰宅して事情を説明すると笑顔で「仕方ないね」と言った母に小さいながら申し訳ない思いでいっぱいだった。今でも少し悔しくなります…
長々すみません。 Thank you, dear mother...(´ー) ___
/;;;γ'⌒゙ヽ、
ウギャァァーー!! / ヽ
ウギャァァーー!! ◎ l ))
。;:∵ ;:・:ヽ。、 /,.;
・゚J(; 'Д`;)し・゚・。, /彡・,
⊂;:;⊂・/;;':"γ'⌒;ヽ、`ミ゚;`'.
;:∵;:・:/,;;;;;;;'/ ヽ;'∵;‘ ( ´Д` )
(( i;;;;;;;;;;i ◎ ゙i ;;;' ( )
ヾ;;;;;;;,ヽ、 ノ ;; | | |
`ー--=ニ-ー' (_(__)
ぎゃはははははwwwwwwwカーチャンがなんかはさまれてっぞwwwwwww
マジカワイソスwwwwwwwwwつーかゴミを処理してるだけなんだけどねプゲラwww
___
/;;;γ'⌒゙ヽ、
ウギャーーッ!!! / ヽ ;::・;:
ウッ…ギッ…! ◎ l ))*;:∵;::
;:・;::*:ヾ、 /;:%;:∵;::;
;:∵;:・:: ゙ヾ、__, /彡・;:*;::;:
゚・/,;;;'γ'⌒;ヽ∞;::;:・;::;;;::'.
/,;;;;;;;'/ ブチャブチャッ!!;;'∵;;‘ ( ´Д` )
(( i;;;;;;;;;;i ◎ ゙i;8:・o;:∵;:;;;' ( )
ヾ;;;;;;;,ヽ、 ノ | | |
`ー--=ニ-ー' (_(__)
げらげらげらげらwwwwwwww完全にぶっ潰れちまったwwwwオエッキモッwwwww あなたにとってどんなに大切なカーチャンでも
嫁にとってはただの鬼ババー
早く死んでくれと陰で罵られる邪魔な存在
そんな嫁達の集う殺人予告&示唆&教唆スレッド
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1128371391/
小学校1年の時、おはじきを使った計算がどうしてもできなかった。
教科書に載ってる、上の段に犬の絵が書いてあって、下に犬小屋が書いてあって、
ひとつずつおはじきを乗せて、「どちらが多いでしょう?」
とか、そこらへんで躓いてた。
私の頭の中では、犬と犬小屋は違う物なのに、比べることなど出来るわけがない
というような謎の理論がまかり通っていて、そのせいで理解できなかったんだよね。
犬小屋と犬の数を比べるってことが。今思えば本当にあほな子だ。
さすがの母も焦ったらしく、毎晩特訓してくれた。
おはじきを持ち帰り、根気強く こうやって、こうやって、と手順を教えてくれる。
でも手順はわかるんだけど、理解ができない。
母はキレてしまい「どうしてあんたはわからないの!」と怒鳴るから
「だって、犬と犬小屋は違う物だし…」とかごもごも言ってみた。
すると母は
「犬が犬小屋に入りました。1匹しか入れません。犬があまるでしょうか?犬小屋が余るでしょうか?」
と言った。問題の意味がようやくわかったあほな私。 >>380その厳しさの裏に愛を感じるよなぁw
379だけど…。どこに「愛」なんて感じられるのだろうか? 確かに、寝小便
してたコッチも悪いけど、したくてしてた訳でもないのに。10枚も縫い付け
た分厚いオシメの洗濯なんか、させられた身でないと悔しさは分からないだろ
う。 朝っぱらから庭で竿に干したり、学校から帰って取り込んだりの毎日だ
ったんだぜ。 涙が出て全部読めねーじゃねーかヴォケ!だから書く。
うちの母親の作る弁当は、必ず「おにぎり」でした。幼稚園の時も。小学校の遠足の時も。
それを友達にからかわれて恥ずかしかったから、弁当は隠して食べる事が多かった。おいしかったのに。
普段は普段で「おいしい」って言うと同じメニューが2、3日続く事があった。子供だった自分はそれが嫌でたまに文句を言っていた。
その後父親が亡くなり、一人で働いて自分たち兄弟を育ててくれた。
そんな母親が、自分が社会人になってすぐに病気になってしまった。病気と向き合いながらも、強く生きている母親。
母さん、もう母さんの「おにぎり」は食べられないけど、そんな事はどうでもいいよ。とにかく長生きして下さい。 >>404
おまえのも 涙が出て全部読めねーじゃねーかヴォケ! 今回の帰省は自分なりに親孝行したつもりでいました。
父が大病を患い、母も心労で相当疲れきってました。
そんな両親を、行きたい所へ連れてって、食べたい物を食べさせて、
できるだけ傍についててやりました。
ところが私が帰る時、駅まで見送りに来てくれた母は
私が階段を上がっていく姿を痛めた膝や腰をかがめてまで、
私が見えなくなるまで手を振り続けてくれていた。
その姿を見た私は、電車の中で思わず涙した。
自分では十分親孝行したつもりでいたのに、
心の支えにはなってやれてなかったことに気づきました。
あんなに寂しそうな母を、私にはどうしてやることもできず、
病床の父を楽にしてやることもできず、
何の力にもなれない自分を責めました。
今まで苦労して私を育ててくれた両親に対して、
なぜ恩返しひとつできないのかと…。
病気の父と、心労で倒れそうな母を思うと、
あまりにも辛くて悲しくて、
何かをしてる最中でも涙が溢れて来ます。
私は今度生まれ変わる時はもう人間には生まれて来たくないです。
こんなに辛い思いをするなら、
一人ぼっちでも生きていける野性の動物に生まれたいです。
お父さん、お母さん、こんな無力な娘で本当にごめんなさい。
幸せにしてあげられなくて、苦労ばかりさせてしまった事を
許して下さい。
僕がハゲ始めたころ、ママに頭皮をマッサージしてもらった
気持ちよかった お母さん、俺は今もお母さんと自分の部屋に感謝しています 泣きすぎで目が腫れる・・・・
小さいころ、いつも母親と一緒に遊んでた。
幼稚園の先生してたから子供と遊ぶのが得意だった。
近所の子供も混じって色んな遊びを教えてもらった。
雨の日も室内で出来る遊びを教えてくれ、毎日が楽しかった。
夜寝る前は絵本も読んでくれた。兄弟三人で並んで聞いた。
皆母親が大好きで、帰ってくると「母さんは?」ってすぐ聞く。父親もwww
今は皆大きくなって母親を疎んじる事もあるが、大切な存在で、幸せに生きてほしいと思ってる。
就職も決まったし、いままで沢山漏れのために使ってくれたお金や愛情を返していきたい。
長生きしてくれよ。父ちゃんと母ちゃんの老後くらい面倒みてやるから
>>410=102
2年ぶりに
このスレのぞき込んだかワラ
母親は小学校の教頭。
母親が教師ということで今まで結構自信が持てた。
経済的にも余裕がありました。
教員の女性とも結婚できた。
謝謝濃。
母からきたメール
「42妻人妻です(^o^)旦那と子供には内緒で割り切ったお付き合いを希望してます。平日昼間ならいけますよ☆」
「今のはなんでもないからね。変なメール転送しちゃったみたいだから。今晩おいしいお肉焼くからね。」
「ゲーム買ってあげるからお父さんにいっちゃだめよ。おねがいだから。ほんとにおねがい。」
今日は俺の36歳の誕生日だった。
お袋が誕生日おめでとうと電話してきたのだが何やら
様子がおかしい。長年患ってた糖尿病の影響で眼が
見えにくくなってきており近日レーザーを眼にあてる
治療をするそうだ。だが最後にはいつものように早く定職に
就いて結婚しろと愚痴を言ってくる。情けない話だが
5年前に保険会社を辞めてからずっと気ままなフリーター
暮らしを続けてきた。金欠の時にはお袋から金を借りたり
もした。いつもの愚痴は鬱陶しいなと聞き流してたが
今日はなんだか身に染みた。糖尿病で失明するというのは
知識としてあったがまさかお袋がそうなりそうだとなると
俺は何やってんだという気持ちでいっぱいだ。がんばって
職探して早いとこ結婚して眼が見えるうちに孫を見せれる
ようにがんばるよ。お袋今までぐーたらでごめん。 スーツケースの後ろ姿を弟と見送りました
セピア色の想い出です
どうか生きていて下さい
中学生の頃 一部の男子と上手くいかない時期があって
これ見よがしに何か言われたり掲示物に悪戯されたり
強がってたけど本当は凄く悲しくてもう登校したくないって思った
いじめが原因で自ら命を絶ってしまった子のニュースをぼんやり見ながら
「もし私がこうなったらどうする?」ってなんとなく聞いてしまった。
お母さんは間髪いれずに
「相手の子を殺してしまう」
と言った。いつも優しくてお茶目でお笑い番組のどつきにすら
難色を示す人からそんな暴力的な言葉が出るとは思わなくてビックリして
なんだか解らないけど涙がジワジワ出てきて
「冗談だよ」って無理やり笑顔作ったけど自分の部屋で泣いた。
そんな事一瞬でも考えさせてごめんね。
お母さん大好き。またお母さんの娘に生まれたい。お母さんの娘じゃなかったら
生まれ変らなくていい。長生きしてね お母さん優しすぎるから心配だよ。 >>413
いや、なんかもう頑張ってよ。
少し小遣いアップしてもらうぐらいだな。あとは秘密にしとけ。 >420
なんかすごく涙が止まらないよー。あなた凄く綺麗な心持ってるんだね。これからもずっと、お母さんを大切にしようね。私も素直になれるよう頑張ろう。 風邪をひきかけたとき、お母ちゃんに「ちょっとしんどい」って言ったらいつも
「じゃあ今日はもう寝た方がいいね」って布団をひいてくれた
(いつもは自分でひかなきゃいけないけど風邪の時は特別)
敷布団とシーツ、枕を置いたら私が寝転がって
お母ちゃんが上から毛布と掛け布団をかけてくれる
そのあと「おやすみ〜」って言って電気を消してお母ちゃんが部屋を出ていった後
私は真っ暗すぎてなかなか寝つけないんだけど、毛布のニオイを
くんくんかいで、あーいいにおい!と思いながら幸せな気分になってたなあ 男から見た母親像と女から見る母親像って生理的に違うものがあるのかな
それとも育った環境の方が大きいのかな
今自分は30を過ぎたんだけど、近頃母親の母性の偉大さとか懐かしさに
ちょっと涙腺が緩んだりする。
で、父親の方は全くそんな感情がわかない。 俺の高校は結構ガラの悪い高校で偏差値も低いんだが
中学のときは悪かったであろう友達と飯食ってるんだよ。
そしたらそいつが親の作ったおにぎりをバッグから出して、「腹いっぱいで食えねーよー」
とか言ってるんだよ。普段は売店で買ったポテトとかあまったら捨ててるようなやつなのに
おにぎり食いだしたんだ。で、一言、「俺、親の作ったものは絶対捨てらんない
んだよねー」って。いいやつだなーと思ったよ 泣ける2ちゃんねるで母親の事を思い出したので書きます。
俺は3人兄弟の末っ子で、うちはとっても貧乏だった。
父親はアル中で職を転々とし、荒れると、母や兄に暴力をふるい、
母がパートで家計を支えるという典型的な貧しい家庭。
だから小学校低学年〜中学あたりまでは、ろくな思い出がない。
うちの家族が一番大変だった頃(確か小学校2,3年の頃だった気がする)
母が俺の誕生日にプレゼントを買ってきてくれた。
たしか300円くらいのガンダムのプラモデル。
その当時、すごく流行っていたけど、
もちろん、うちに、そんなものを買ってくれる余裕はなかった。
だからとてもうれしかった。
ガンダムのプラモだ!って。
喜んで、良く見ると、
ホワイトベースのプラモだった(笑)
正直がっかりしたけど、兄に作ってもらった。
友達は、ガンダムとか、ザクとか、人気のあるプラモを持ってたなぁ。
けど、あれ以来、あのホワイトベース以上のプレゼントをもらったことはないな。
たぶん、母親は覚えてないだろうけど、あの時は本当にうれしかったな。
いつかこのことを話したいけど、照れくさくてダメだ。 >>427
言えるうちに言っておいたほうがいいぞ。
後悔したくなかったらな。
俺がお袋のお腹にいる頃、兄が骨折して入院した為、母は暖房の効かない病室で看病したが無理が祟り妊娠中毒症を起こした。
何処の産婦人科でも「赤ちゃん諦めなさい」と言われたが、最後に立ち寄った病院の院長は「私の言う通りにしなさい」と言われ治療。数ヶ月後無事俺は誕生した。
命の恩人。お袋や院長に感謝。 みんな泣けるものばかりだな。
じゃ、俺もひとつだけ置いていこうか
俺が高校入試を控えていた中3の頃の話だ
裕福とはいえない家庭に生まれた俺はちょっと家庭に問題を投げかけていた
いつも親に迷惑かけて、高校はここじゃないと嫌だとか言ってたっけ
だけど夏休みを境に人間自体が変わって、家庭の事情も理解できるようになっていたんだ
それからは親の手伝いとか一杯して、少しでも楽をさせてあげようと思った
そんなこんなで高校入試は前日に控える
どうやら体調管理に一番気を遣っていてくれた母親が風邪を引いたらしい
風邪なんて1年中で引くか引かないかっていうぐらい丈夫な体だった
俺の為にって健康管理に気を遣ってくれたっけ
そしたら本人が体調崩してさ、もう何でもないよね
なのにも関わらず、昼間に買いだしに行って
滅多にでないトンカツとか刺身とかかなり豪勢な晩飯だった
その日のトンカツ・・・本当においしかった
おかげで高校も入学できたし、全部母親のおかげだった
合格発表の時は仕事で一緒に喜びを分かち合いたかったけどできなかった
でも真っ先に母親に電話したら電話越しから聞こえたかすかな母親の鳴き声
この家の長男だったし、きっと凄い嬉しかったんだろうな
そんな母親は50歳過ぎてもいつまでも俺の自慢の母親だ
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
ホラ。デジカメカッタノ
カタカタ__,
J( 'ー`)し ウルセーナ | |
( っ[l◎] ( `Д)_| |
|| ( つ | ̄ ̄ ̄|
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
ドウスレバイイノ・・・?
カタカタ__,
J( 'д`)し | |
( っ[l◎] ( `Д) _| |
|| ( つ | ̄ ̄ ̄|
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
・・・・。 忙しいから説明書読め!!!!
つまらないものばかり__,
J( 'д`)し 写してるからだろ!!! | |
( っ[l◎] (Д´#) _| |
|| ( つ | ̄ ̄ ̄|
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。 そしたら「・・・ごめんね」と一言。
… ゴメンネ。
カタカタ__,
J( '-`)し ケッ | |
( っ[l◎] (#`Д) _| |
|| ( つ | ̄ ̄ ̄|
そんな母が先日亡くなった。
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| [|J( '-`)し|] .| ('A`) カアチャン・・・
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ( )
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遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
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| ◎◎ || / \ || |
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|[] || ヽ、 ./ || |
|[] 俺の寝顔が写ってた・・・涙が止まらなかった。
(;';A`;),,__ カアチャン・・・・
( っ[l◎] ウッウッ・・・
|| カアチャン・・・・ ('A`) カーチャン、県立高校落ちた。
J( 'ー`)し カーチャン、お金がなくて私立は通わせられないよ。定時制でいい?
4年後
('A`) 採用試験、また落ちた。定時制じゃだめなのかな?
J( 'ー`)し タケシはイイ子だから、そのうちイイ仕事が見つかるよ。のんびり探してごらん。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
J( 'ー`)し 今の時代、パソコンぐらいできないとダメなのかも・・・
タケシ、パソコンを買おうか?
('A`) パソコンかー、欲しいいけど貧乏でお金ないからいいよ。
J( 'ー`)し カーチャン、パートの仕事増やすから大丈夫だよ。
<店員> インタネットセッティングサービスを含めまして25万円です。
J( 'ー`)し こんなに高い買い物をしたのはオトーチャンが死んでから始めてだよ。
タケシ、いい仕事が見つかるとイイネ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(`Д) インターネット、オモシレーなー。ネットゲーム最高だぜぃ。お!レア物ゲトだぁ!
J( 'ー`)し タケシ、パソコンのベンキョウ頑張ってるなー。いい仕事が見つかるといいねー。
カーチャンも頑張らなきゃ。
(`Д) ・・・・(パソコンの勉強か、そのうちやるよ。今、ギルドの幹部になっちまって忙しい)
J( 'ー`)し タケシ、カーチャン、ちょっと疲れた。肩を揉んでほしい
(`Д) 今、ベンキョウで忙しいんだよ
J( 'ー`)し タケシ、ガンバッテルナー。カーチャン、嬉しい。いい仕事が見つかって、優しい彼女も
できるよ。
カーチャンの入院
J( 'ー`)し 病院まで10kmもあるのに自転車で見舞いに来るなんて、タケシは親孝行だね。
パソコン頑張ってるから、自動車も買えるようになるよ。
('A`) ・・・・(カーチャン、俺ホントはゲームしかしてないんだよ。)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ <医師> おかーさんは、急性白血病で、緊急の事態を要します。
('A`)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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('A`) RMTの掲示板に書き込んだ
「リ○ージュのアカウント、レアアイテム、ギル売ります。格安です。」
('A`) 売ったお金でーチャンが好きなチーズケーキとヨーグルトを高いお店で買った。
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J( 'ー`)し タケシ、チーズケーキおいしいよ。でも高いんだろ?お金はどうしたの?
('A`) パソコンのバイトで稼いだんだよ
J( 'ー`)し パソコン買ってヨカッタね。もう、いい仕事が見つかったんだね。
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カーチャンが死んでガランとした病室
<看護婦> タケシ君、パソコン得意なんですってね。オカーサンが毎日自慢してたわ。
パソコンが得意だからいいお仕事がたくさんあるんですってね。
('A`) ウワァァァァーン お母さん大好き。
太陽のような人だ。
私が失敗したときやつまずいたときには、『くよくよするな!』『母さんが助けてやる!』と笑い飛ばし、
私が傷ついたときには一緒にわんわん泣いて、なぐさめてくれた。
母さんがいなければ私はダメになっていたかもしれない。
ありがと。ありがとう。
今は一人暮らしだけど、お母さんと一緒に暮らしたい衝動にかられます。
最近弱ってるからかな。
春になったら会いに行くね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています