貧乏暮らしは親父に時の運が無かったとあきらめていたが、中学卒業するまで
の15年間、母親に甘えた記憶が皆無だった。 勉強はそこそこ出来てたし、
家事の手伝いも四人兄弟の中では一番役に立ってたのに。 やっぱり、遅くま
で寝小便たれてたのがいけなかったのだろうか。小学校五年の遠足先の河原に
手拭一本忘れて帰った時、「落ちてるはずだから、取りに行って来い!」って
、家に入れてくれなかった。 往復三時間歩いて取って来たけど‥‥。 これ
って、「厳しい躾」って言うより、今風なら「親の子イジメ」だろうに。その
遠足で持たされたオヤツだって、「炒ったそら豆」一袋だけだった。昭和の二
十年代の頃の話さ。