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母親との思い出

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0001大人になった名無しさん
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NGNG
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。

0022大人になった名無しさん
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NGNG
いつもありがとう。
0023大人になった名無しさん
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NGNG
母親にかぎらず、両親にはいつまでも元気でいて欲しいです。
いつも元気な母親が入院した時、マジで泣いてしまいました。
0024大人になった名無しさん
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NGNG
age
0025大人になった名無しさん
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NGNG
死んだ母が入院する前の日の夕食、何を作ってくれたっけ・・・
もう忘れちゃったよ・・・
なんでだろう・・・
これが最後の夕食だって思いながら食べたのに・・・
あの日、末期がんだって知ったんだよな・・・
0026大人になった名無しさん
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NGNG
突然弁当作って近所の公園に連れて行ってくれた。
いつも来ていた所だから何で弁当持って来たんだろうな、って思ったけど。
「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて
連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか
できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。

何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。
俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。
0028大人になった名無しさん
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NGNG
うちの母親はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。
反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、ママがいなければと思ってた。
お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。

去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。私が必死で働いて買ったプレゼントを
「安物でしょ」と言って笑ったから。
傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。
私が少し怒鳴ったらママもキレて部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。
私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。

2日して、メールがきた。
「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたはママたちの初めての子供だから、
ママは可愛くて仕方ありません。だから、少しくらいはママのことも認めてほしいな。」

今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。
ママごめんね。
0029大人になった名無しさん
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NGNG
生きていればこそ・・・だ。
みんな、おかあさんがご健在なら悔いを残さないように孝行しとけよ。

♪死んでしまったら けして 代わりは 無いのだから(ゲルニカ
0030大人になった名無しさん
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NGNG
今から家出汁
もう耐えられん
0032大人になった名無しさん
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NGNG
オレの父親はグータラでロクな稼ぎがなかった。
そんな訳で、家は貧乏だった。
弁当にもっていったおにぎりの具も魚の骨だけ。なんて時もあった。

三人兄弟で年の離れた末っ子だったオレは兄と姉のお古ばかり着ていて、兄貴が使い古したラジカセを貰い、
何一つ欲しい物なんて買ってもらえなかった。
兄貴達も、よくオヤジに殴られたり正座させられてたりしていた。
そんなオヤジに母親はなんの文句も言う事もなく、寿司屋とかでせっせとバイトしてた。
オレはそんな家庭環境に生まれてきた事を小さい頃からホントに憎んでた。
なんでこんな父親なんだろう
母親はなんで働くんだろう
なんでうちは貧乏なんだろうと。

そして去年、27才になったオレは家を出て婿になって結婚した。
相手は3コ下の裕福な家庭で育った女性。
妻を親に紹介する時、婿に行くと言っても
「あんたの自由だよ」
と母に言われた。
その時は「当然だ」と思い何も考えもしてなかった。

そして結婚式前日、親から「最後くらいはみんなで食事しよう」と言われた。
それもそうかな?と思ったオレはアパートから実家に向かって出ようとした時、郵便受に手紙が入ってたのに気付いた。
それは母親からの手紙だった。
小さい頃のたわいもない出来事とか病弱だったオレを看病した思いなんてのを汚い字で書いてあった。
そして最後に、
「あなたのこれからの人生の幸せを願っております。27年間ありがとう。」

今までこんな事を書いたり口にしたりする人じゃなかった。
一生懸命働いて育ててくれた事を考えたらものすごく涙が出て来た。

いろんな思い出と共に、27年間お世話になりました。
0034大人になった名無しさん
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NGNG
うちの母親は、ちょっとずつ進行する脳の病気と、
もう15年近くも付き合っている。

最初に症状が出たのは俺が中学生の頃で、
手足の震え、めまい、不安感、なんかで病院に行った。
俺が「学校行かない」やら「高校行かない」やらと、
勝手放題にほざいていた時期だったから、
家族の誰もが「疲れ」やら「精神的なもの」とか、
そんな風にしか思っていなかった。

診断は「パーキンソン病」なる治らない脳の病気だった。

それ以来、母親は毎月2度病院に通っては、
病気の進行を遅らす薬をもらってきて、
毎日必ず飲み続ける生活をしている。

俺は俺で、別に心を入れ替える訳でも無く、
何となく高校へ行き、
「やっぱりミュージシャンになる!」とほざいて実家を出て、
今だにフリーター生活が続いている。

この前の年末、実家に帰った時、
夜中2時頃、寝ている俺の部屋に来て、
「動悸がするから、起きて。」
と言って俺を起こして、床に座り込んでいた。
俺の手を握りしめて。

お母さん、
あんまり、実家に帰らなくて、
ごめんなさい。

心配ばかりかけて、
ごめんなさい。

ずっとそばにいてあげられなくて、
ごめんなさい。

こんなになるまで、
気付いてあげられなくて、
ごめんなさい。

0036大人になった名無しさん
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NGNG
数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、
その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。
その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、
もっぱら喧嘩の最中だったりして、「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。
それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった日記のようなものだった。
私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても詳しく書かれてて・・・
いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。また、私はイジメられっ子だったので、
そういった事についても書かれてた。私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、
思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。

ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしいな。
0037大人になった名無しさん
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NGNG
生まれた時から心臓に欠陥があった私。
色々苦労させましたね、お母さん。
6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は
お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。
今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。
どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか?
もうあれから30年以上経ったんですね。
今は年に数回しか会えないお母さん。
いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。
会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、
未だにワガママな私は一人住まいをしていて、
こんな年になってもまだ心配させてごめんな。
本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。
朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。
近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど
その時には一緒に暮らそうな。
そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。
それまではお父さんと元気に暮らしててな。
私が帰るまで待ってて下さい。
0039大人になった名無しさん
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NGNG
痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。
幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。
そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。
よくあんな小さな洋服を・・・。
そして古ぼけた大学ノートが数冊。
若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。
母は若い頃に子宮の病気をしていたのだった。

「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。
わたしは子どもを産んでみたいのです。自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。
だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」

そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。

亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち
母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。
こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。

古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。
「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。
もう一度会いたい。
0040大人になった名無しさん
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NGNG
幼稚園に入る時、ミッフィーのハンカチを買ってくれた。
ショルダー鞄(?!)のストラップ部分に結びつけてくれていた。
漏れは♂だが、他の♂はウルトラマンとか仮面ライダーのハンカチなのに、
何故か漏れだけミッフィーのハンカチだった。当時は♀っぽくて馬鹿にされてイヤだった。


先日久しぶりに上京したおふくろにその話をしたら、覚えていなかった。
それどころか「あ、あれ、『ミッフィー』っていうの?ただの女の子のうさちゃん」だと思ってた」だって。

でも、何故かよくわからないが何となく母親の愛情を感じて、小学校3〜4年まで使ってた覚えがある。

そんなこんなでミッフィーを見ると、何となくおふくろを思いだしてしまう。
そんなおふくろも今年還暦を迎えたが、かといってミッフィーグッズはプレゼント出来ね〜な(w
004237=38
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NGNG
連投ゴメン。
>>39さん
漏れの母親も痴呆になった祖母の介護でヒステリーになったりしてたけど、
ばぁちゃんが亡くなってから、遺品を整理する時に似たような手記を発見して
また涙したそうだが、ばぁちゃんはとても優しい女性だったので、
「もっと優しくしてあげれば良かった」と後悔する母親や伯父や叔母たちに
>>39さんと同じように慰めた。
うちのばぁちゃんもそうだが、大丈夫だよ。>>39さんのお母様も許して(?)下さるよ。
つか、「子育ては苦労が付き物」だって思っていらっしゃると思うよ。
と言う漏れは今、病気で会社も辞めて無職状態が続き、両親には苦労かけてる。

早く復活してボーナスが出たら、親父とおふくろに旅行でもプレゼントしたいです。
004339=40=41だった
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NGNG
あかん、間違えた。
>>37さんすみません
もう気分台無し…LANケーブルで首吊っ(ry
0044大人になった名無しさん
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NGNG
昔からよく私を叱った母だ。打たれたことも何度あったか。
でも、今だからあの時母が何故怒ったか、わかる気がする。
今は叱ってくれた事に感謝すらしてる。痛みを知らない大人になるのは怖い。
そして大きくなって自分が他人を打ったとき、打った手が凄い痛くて驚いた。
胸も痛かった。あー、痛かったんだね、お母さん。クソババアなんてほざいてゴメン。

「あなたの娘で良かったよ」と言ったとき「なーに言ってんだか」と言って
頭を撫でてくれた母の笑顔、忘れたことはない。
母の目元に涙が滲んでるの見るの、昔も今も、変わらず苦手。
母の声を聞くと何故か安心してしまうのも、多分一生変わらない。

女手一つで育ててくれて、大学まできっちり行かせてくれて有難う。
あなたの身体が段々弱っていってることが今一番怖いけど、
あなたが打ってくれた分、あなたが頭を撫でてくれた分、これから孝行するから
だからまだ、私の前を堂々と歩くあなたの姿を見せてください。
もしも歩けなくなったら、昔あなたがしてくれたように私が背負って歩くから。
0045大人になった名無しさん
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NGNG
>>44
きっといい娘さんに違いない
0046大人になった名無しさん
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NGNG
昔の写真みるとなけてくるよ・・・。
いつまでも元気でいてね。
0047大人になった名無しさん
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NGNG
ひとり暮らしのやつら、2ヶ月以内に実家に帰って
母ちゃんの手料理食ってこい。これは命令でつ。
0048大人になった名無しさん
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NGNG
>>47
2週間前に上京してきて、喰いましたがダメでつか?
0049大人になった名無しさん
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NGNG
まもなくクソでんしゃ(田舎)が入ります
ご注意ください
0051うーたん
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NGNG
>>48
帰郷すると、親は一段と嬉しいものなんですよ。
たまには帰っておあげ。
0052大人になった名無しさん
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NGNG
>>51
あい(^_^)。来月中旬にでも帰ろうかな。
0053大人になった名無しさん
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NGNG
自分が田舎から母をひきとって、東京で隣の部屋を借りてやって
暮らしていたが、どうも水が合わなかったり、バイト先でトラブルを
起こしてしまうため、母を田舎にかえすことに。そのとき、母が
諸事項に対してあまりにもいいかげんだったために殴ってしまった。
今思えば、自分はそのとき鬼だったのかもしれない。
ただ、田舎に帰った母は、鬼になって尻をたたく人がいなくなった
せいか、放置され、引きこもり、そのままボケてしまい、おととし
逝ってしまった。今でも、あの時殴られて歯が折れながらも笑顔で
俺を見ていた母を思い出す。
0054大人になった名無しさん
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NGNG
>>53
。・゚・(ノД`)・゚・。
今度帰った時には、思い切りおふくろに優しくしよ(今も−自分で言うのも何だが−スゴく仲がいいが…)

>笑顔で俺を見ていた母を思い出す。
泣けて仕方ない。・゚・(ノД`)・゚・。
005553
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NGNG
>54 サンクスコ。煽られると思ったら逆の言葉がもらえてうれしいです。
手ぶらでもいいし、(あんまり)やさしくなくてもいいから、とにかく
何回も帰ってあげてください。不謹慎ですが「親が死ぬまで何回会える?」
とか考えると、ぞっとすると思います。親御さんが、多少変なことを
言っても、きつくおこったり、ケンカなんかしないで聞き流してあげて
くださいな。

ボケてしまったら、もう心が通じあうことができないんで、これじゃ
死んでしまったのとかわりないじゃないのと実感してしまったことが
ありました。厳しく接しながら、ほんの小さな親孝行も少しはできた
けど、弟夫婦と一緒に最期を看取れたというのが最後の思い出です。
1週間くらい交代で病院に詰めて、亡くなる前の日の夕方は、「暗く
落ち込んでちゃ母も心配になるはずだ」と病院のベッドの横で弟夫婦と
馬鹿話を続けて、ゲラゲラ笑ってました。他の病室の方には迷惑を
かけそうだったが、大目にみてもらうつもりで楽しく元気に騒いで
いました。
0056大人になった名無しさん
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NGNG
中学一年の時、美術の宿題がぜんぜん終わらなくて夜中までかかってしまった。
眠いし疲れたしイライラしていた私は、母の、「もう寝たら?」に
「寝れるわけないでしょ!!」とヒステリックに怒鳴ってしまった。
日頃から厳しい母に、私は絶対ぶたれると思って冷や汗をかいた。
でも母はぶたなかった。私が怒鳴った事を笑い飛ばし、
「じゃあがんばりなさい」って終わるまで一緒に起きててくれた。

お母さんありがとう。怒鳴ってごめんなさい。
005754
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NGNG
>>55
>何回も帰ってあげてください。不謹慎ですが「親が死ぬまで何回会える?」
とか考えると、ぞっとすると思います。
またまた泣けて仕方ない。・゚・(ノД`)・゚・。
体調崩して辞職しハロワ通いに加え、通院中の身故に、体調回復を優先せよとの
お達しもあるけど、マジで帰ろうか、それとも東京引き払って実家で暮らそうか
とも考えてしまいます。、
0058大人になった名無しさん
垢版 |
NGNG
>>57 息子が元気で幸せでいてくれるのが、一番の幸せですよ(´∀` )
0059大人になった名無しさん
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NGNG
>>57
実家帰れば?東京で何かやりたいことあるの?
0060大人になった名無しさん
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NGNG
母が無職の夫(私の父)のかわりに臨時で教師してたとき、
私は「あんたの脳で教えられるわけない」とか「あんたに教えられた生徒がかわいそう」とか
言っちゃった。臨時は3年くらいでやめたけど、教師になるのが夢だったらしいと後できいて泣きたかった
0061大人になった名無しさん
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NGNG
>>47
一週間ほど帰ってきたぜぃ!
006537です
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NGNG
今日、久々に両親が来てくれた、手作りのお弁当を持って。
いつも思うのは、世の中にこれほどのご馳走ってないだろうな、と。
もう高齢である両親は、歩くのもしんどそうで、
背中も丸くなり、顔には老人性のシミがたくさんできている。
お弁当に舌鼓を打つお父さんの目は、どこか寂しそうで、
お母さんは気丈に振舞ってはいるけど、それを見るのが私はとても辛い。
背中を丸めながらご飯を掻き込む姿を見ていると、
早くこの両親を安心させてあげたいと思う。
それなのに先日、お母さんが体調を崩した時、
私は傍にいてあげられなかった。
私が不調の時はあれほど心配させたのに、
私は両親に何一つしてあげた事がない。
ここのどなたかが仰ってたように、
あと何回会えるのかと考えただけで、沈みこんでしまう。

両親が帰った後、ガランとした部屋の中で何回も泣いた。
日々どんなに辛くとも、両親が元気でさえいてくれたら
それだけで今の私には十分幸せだと思える。

お父さん、お母さん、今日も気をつけて帰って下さい。
お盆には私の方からそちらへ行くからね。




0066大人になった名無しさん
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NGNG
はっきりいって嫌いだ。
巨大宗教組織の在家団体の熱心な信者である母を冷めた目で見てた。
一人暮らしが随分経って疎遠になった。電話がかかってくるのは選挙の前だけ。
私からはかけることもない。帰郷するのも年始だけ。

家事が好きじゃない人で家はいつも宗教関連のものでちらかっていた。
炊事もダメ。極端に味付けが薄い人で言っても直らない。味がしない料理はもちろん不味い。
それに慣れてたから外食しても味が濃すぎて気持ち悪くなる。
人に「美味い店がある」といわれて付いて行っても美味いと思ったためしは無いし
グルメ番組を見てもピンとこない。いつしか食事に対して興味が無くなった。

ただ、裁縫だけは上手かったな。
私の祖母が上手かったらしく、祖母に習ったのを誇りに思ってるみたいだ。
古いはんてんを繕ってキレイに直してた。私はそのはんてんが凄く好きで
前に帰郷した時、まだ使ってることを言ったら「いいかげん捨てたらいいのに」
と嬉しそうにニコニコしていた。
温かいんだもんなあ、はんてん。捨てれないよ。
0067大人になった名無しさん
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NGNG
お母さん、ありがとう。
小学生の遠足の日、共働きで忙しかったはずなのにお弁当に文句言ってごめんね。
中学生の試験のとき夜食作ってくれたのに、邪魔するなよとか言ってごめんね。
大学受験のとき、資金繰りで忙しいときなのに分かってあげられなくてごめんね。
大学受験に失敗したのに、優しくしてくれたのはお母さんだけでした。

ありがとう。本当にありがとう。
あなたには一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けました。
お母さん、ありがとう。
0068大人になった名無しさん
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NGNG
皆さんのおかげで視界がぼけ気味なので、上手く書けないかもしれないけど
私も一つ。

進学のために実家を離れて一人暮らしを始めた頃のこと。
新しい生活の何もかもが上手くいかなくて、少しまいってた時期があった。
頼れる人どころか友達すらまだほとんどいなくて、気晴らしといったら
実家に用もなく電話することくらい。
といっても、家族に向かって弱音吐くのは 恥ずかしいから当り障りのない
話ばっかりしてたんだけど。
でもある日、母親と電話で話してて、ついポロっとね、きてしまった。
あー、もう実家帰りたいなー、って感じで。
で、うわヤバい!とか思いつつ必死に平静を装ってたんだけど、微妙に
感づかれたらしくて「泣いてんの?」って言われた。
当然私は「泣いてないよ、やだなぁ」って笑って誤魔化して、その時は
それ以上つっこまれることもなく電話を切ったんだけど、その数日後に
母親から手紙が一通届いた。
「あなたがそちらで泣いていても母は行ってあげることができません。
だからあなたが泣いていると辛いです。あまり泣かないで」
文章がクサいよ、母!って思いながら思わず泣いてしまった。
ただ、この人の娘で良かった、って本当に思った。
私はまだまだ頼りなくて弱っちいけど、いつかちゃんと恩返ししたい。
だからお願いします。その日まで元気でいてください、お母さん。
0069大人になった名無しさん
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NGNG
>>68
>皆さんのおかげで視界がぼけ気味なので、上手く書けないかもしれないけど

充分泣けるぜ。
0070うーたん
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NGNG
先の連休に帰省してきた!
おかん、ありがとう!
親父もありがとう!
曾孫抱くまで死ぬな!
0072大人になった名無しさん
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NGNG
俺が小学校3年の時、母が狂った。

父は勤務が不規則で留守がちだったために最初に気がついたのは
俺だった。意味不明な発言… 突然深夜の徘徊… 小学生の俺はただ
「意味わかんねぇよ」「どこにいくんだよ!」と怒鳴り散らして
いたが、激務の父に母の日常の行動を告げるのはためらった。

だが、当然母の行動も段々エスカレートしていく。近所の人たち
が俺に向ける視線も冷たいものになっていく。回覧版も玄関前に
置かれることが多くなった。決定的だったのは父の勤め先にまで
出向き、意味不明な発言をするようになったことだ。
俺は父に何度も、「病院に行って先生に診てもらった方がいいよ」
言ったが「それはダメだ…」と拒否し続けた。

そして俺が中学生になった頃、とても通常の生活ができなくなって
いた。父が親戚を呼び最後の「了承」を得た。

その日はやってきた。

母を「ちょっと出かけようか」と父が誘い、山奥の鉄格子のあ
る建物に向かった。いままで見せたことのない抵抗を母は見せた。
俺と父は「悪魔」とののしられた。

あれから15年
入退院を繰り返すも父と母は離婚せず、俺は結婚した。

お母さん
今度行く時は孫連れてくよ


(乱文乞許)
0073大人になった名無しさん
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NGNG
さだまさし「案山子」
http://www.fk.urban.ne.jp/home/kazuaki3/utagoe44.htm

いけね、泣けてきた。

父ちゃん、母ちゃん。俺、東京で頑張ってるよ。
辛かったり苦しいときもあるけれど頑張ってるよ。
0074大人になった名無しさん
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NGNG
盆は、帰るか・・・('A`)
0075大人になった名無しさん
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NGNG
若いときは前しか見ていなくて、自分の足元など気にもとめていなかった。
家庭を持ち、子どもを育て、「子を持って知る親の恩」とは思ったが
やっぱり自分の家庭や子どもの事でいっぱいだった。

両親は両親で仲良くゆっくり老後を楽しんでいる様子に安心してた。

その父が病に倒れ逝き、残った母も休息に衰えて介護の末に亡くなった。
だいぶ落ち着いてから遺品の整理としてみると、父の残した日記には
「昨夜○○(私)に電話したら元気が無いようだが、大丈夫だろうか」
あるいは子どもが発熱、仕事休めずで両親に子どもを預けたりしていたが日記には
「△△(子供)発熱にて預かる。旅行は中止」
えっ?旅行を中止してまで預かってくれてたの?
そして母の遺品の中から出てくる、出てくる!
幼稚園の卒園証書から就職したときの辞令までちゃんとしまってある。
化粧ポーチの中にあったプラスチックの櫛は何ですか?
私が小学校のときに使ってて、いつのまにか飽きて捨てちゃった櫛じゃないですか!
赤ん坊のわたしを背負うのに使ったねんねこまでしまってあるですか?
そういえば若い頃、年がら年中午前様だったわたしがうちに帰ると
必ず食卓の上に私の食事が置いてあって、傍らには必ず手紙が添えてあったっけ。
「○○へ。おかえりなさい。お味噌汁は温めて食べてね。冷蔵庫に××もしまってあります。
よかったらどうぞ。早く寝なさいね。おやすみ」って。

そんなことね、もうあたりまえに思ってたわけよ。
手紙だって読んだらクシャクシャに捨ててたし。
今の自分はどうよ?疲れてるって夕食手抜きしたり、イライラして子供叱り飛ばしたり
母が大事に育ててくれたように子供育ててる?
暖かさ、優しさ、慈しみ、そんな気持ち母から教わったじゃん。
どこやったよ?
専業主婦だった母を世間知らずみたいに思ってたわたしこそ大馬鹿者。

今になって思います。
たくさんの愛情をそそいでくれて本当にありがとうございました。
もっともっと話をしたかったよ・・・。
今度は私が自分の子供たちに母から与えてもらったたくさんのことを受け渡していかなくては。
私は母の子供で本当に幸せだった。

親って毎日少しづつ、でも確実に老いている。そうは見えなくてもね。
生きてるうちに大事にしてあげてください。
>>74 顔見せてあげてね。
0076大人になった名無しさん
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NGNG
>>75
いいお母さんだったんだね。
あなたは幸せ者ですよ。
お子さん、旦那さんを大事にしてあげてください。

愛は惜しみなく与えてください。愛情は永遠に残る宝物だと思います。
0077大人になった名無しさん
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NGNG
>>76
最後の一文、格言だと思います。
一人娘なのに東京に出てきてごめんなさい。
いつもそっけなく電話を切ってごめんなさい。
>>75の言うとおり会うたびに少しずつ老いているのを感じます。
好きな人ができました。今度実家に帰ったらお料理教えてください。

直接言うのはまだためらいがあるので、ここでこっそり母への手紙です。
0078大人になった名無しさん
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NGNG
『お母さんに「ありがとう」って言いそびれてました』のフラッシュ
ttp://pukapuka.or.tp/cgi/img/puka3970.swf

泣けてしまう度☆☆☆☆
0079大人になった名無しさん
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NGNG
>>78
。。゚(゚´Д`゚)゚。ウァァァン
0080大人になった名無しさん
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NGNG
お盆に帰省して母ちゃんに甘えてきた香具師挙手汁!
0082大人になった名無しさん
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NGNG
俺が小学校低学年の頃、母が手袋を編んでくれた。
親指と、他の4本指が分かれるヤツ。
しかも手首にはフリフリみたいな飾りがあり、ボンボンもついていた。
俺は友達の大半がしている5本指でジャイアンツのロゴ入りとかの
普通のヤツが欲しくてたまらなかったが、母に悪いと思い何も言わず
毎日手袋を使っていた。

習字の帰り道に片方の手袋を落とした事に気がついた。
俺はろくに探す事もせず家に帰り手袋を落としたことを母に告げた。
母は怒らずに新しい5本指の手袋を買ってくれた。

翌週、習字の帰り、道端のごみ集積所に泥で汚れ、ガビガビになった
片方の手袋が捨てられていた。何度も行ったり来たりしながら迷ったが、
結局俺は手袋を拾わずに家に帰った。
次の日 思い返して学校の帰りに手袋を拾いに行ったが、もう無くなっていた。

あの時のズタボロに汚れた青い手袋の姿が今でも忘れられない。
お母さん ホントごめん。
手袋ありがとう。

長文スマソ


0083大人になった名無しさん
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NGNG
>>82
(;´Д⊂)
0084大人になった名無しさん
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NGNG
台風は大丈夫でせうか?
0085大人になった名無しさん
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NGNG
思えば、母のことを最後に「お母さん」と呼んだのは小学校低学年のときだったな。
うちの父は母のことをニックネーム?で呼んでたから、
当時父っ子だった私はそれを真似して母のことをニックネームで呼んでた。
でも母も怒らなかったし、私もずっとそう呼び続けた。
時々「お母さんって呼んでよ」と言われたが、
もうニックネームで呼ぶことに慣れすぎてしまったので呼んであげなかった。
「お母さん」ってそんなに難しい言葉じゃないよね。

うちの母はきっと母親としては未熟なんだと思う。
子供の躾も他の家よりはなってないと思う。
でも、私にとっては最高の母親だ。
ありがと、お母さん。
0086大人になった名無しさん
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NGNG
今18歳だが、俺も「お母さん」なんて小学校低学年以来言ってない。
0087大人になった名無しさん
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NGNG
やばい…泣きまくりました(´Д⊂ かーさん長生きしてくれよ
0088大人になった名無しさん
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NGNG
私が小学生の時、母が喘息になった。初めのうちは苦しそうで、とても可哀想だったが、
だんだん慣れてきてしまって、それどころか咳込んだりタンを出す姿がうっとおしく思えてきた
ある日また喘息の発作が起きた時、私は「またか・・・」とうんざりしてた
母は寝床から起き上がる事もできなかったらしく、一日中起きてこなかった。
夕方、寝床から母が私を呼ぶ声がして行ってみると,あきらかに今までの発作と違い、息をする事もままならない
母の姿があった。私が立ち尽くしていると,「あんたは今までお母さんの様子なんて気にならなかったの?
何度も呼んだのに・・・」と肩で息しながら泣き出した。
そして「もう死にたい・・・こんなに苦しいならもう死にたい」と泣き崩れた。
008988
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続きです
私は母が泣いたこと、死にたいと言った事、こんな酷い発作になるまでほおって置いてしまった事に
愕然としてしまったが、母の呼吸が尋常じゃなかったため、急いで救急車を呼んだ。
結果,大事には至らず入院となったが、医者に「あと15分救急車を呼ぶのがおそかったら危なかった」といわれ、ヒヤリとした。
病室に入ると母は酸素呼吸器と点滴を付けて眠っていた。看護婦さんに「あなた○○さん(母)の娘さん?
お母さん、きっと誰も自分の所に来ないって泣いてたよ。優しくしてあげてね」と言われた

私が病気の時は,眠らないで看病してくれた母だったのに,私は母になんて酷いこと思ってたんだろうと、この日を境に
母を大事にしようと決めた。入院中、動けない母の世話をできる限りした。そうしてる内に、母も以前の様に私と話してくれるようになった。
退院してからも何度も入退院を繰り返したけど、私の誕生日や参観日などには,外出許可をもらって来てくれた。

今私は結婚して親になった。母の優しさ、偉大さを改めて思い知る。
ただあの日母を泣かせてしまった事は一生涯の後悔になりそうだ・・・

0090大人になった名無しさん
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>>89
(;´Д⊂)
0091大人になった名無しさん
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なんか画面がぼやけて見えるよ…
0092大人になった名無しさん
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あげ
0093大人になった名無しさん
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地震だいじょうぶかな
0094大人になった名無しさん
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母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。
その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。
その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。
長文スマソ。
0095大人になった名無しさん
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>>94
(⊃д`)・。・。泣いたよ
おまいさんの優しさは母さんゆずりなんだろうな
お嫁さんの親御さんにも優しくしてあげてね
0096大人になった名無しさん
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マジ泣いた(⊃д`)…
>>94
おまいはいい奴に違いない。うっ(⊃д`)
0097大人になった名無しさん
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>>94
(⊃д`)
0098大人になった名無しさん
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>>94の見て号泣しちゃったよ。
うちの母親も私が小5の時病気で死んじゃったんだ。
入院生活も長かった。
遠足とか運動会のお弁当はいつも父が作ってくれてた。
ママは病気だから仕方ないって頭ではわかってたつもりなんだけど。
みんなはママの手のこんだ可愛いお弁当でさ、
それが凄く羨ましくて3年生の遠足の時、朝父が作ったお弁当見て
「可愛くない!みんなはママが可愛いの作ってくれるのに私恥ずかしいよ!」って父に言っちゃった。
父は、ごめんって会社に行った。
ふてくされてたら洗面所にいた兄貴が飛んできて私をひっぱたいたんだよね。
「んなら遠足なんか行くな!」って。
ワーワー泣いて結局その日休んじゃった。
いつもより早く父が帰ってきて、こっそり覗いたら台所のテーブルで何か本見てる。
「こどもの喜ぶお弁当」みたいな本だった。
それ見たら自分がした事の酷さに又泣いた。
それから父が朝作ってくれたお弁当一緒に食べた。
「ごめんなさい」って言ったらちょっと父が涙ぐんでた。
ママにはこの日の事言えなかった。
病院で「遠足楽しかった?」って聞かれて「うん」って嘘ついた。
ママ、あの日パパに酷い事言ってごめんね。
嘘もついてごめん。
0099大人になった名無しさん
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>>98
ひっぱたかれたのは仕方ないにしても
(⊃д`) いい父上と兄貴だ。
0100とらうま
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■実に妙な母子関係だった。小6まで寝小便してたことが関係しているのか
も知れないが、お袋は気分次第で厳しかったり無かったりだった。 優しく
してもらった事は一度もなかったな。 小4の時、遠足先に手拭一本忘れて
帰ったら猛烈に怒られて、歩いて片道2時間の遠足先へ取りに行かされた。
 幸い、残っていたから持って帰れたけれど、「二度と忘れるな」で済まさ
れてしまった。 中一の時、小6の卒業制作で焼いた湯飲み茶碗を、何かの
些細な説教のついでに「こんな汚いモノ捨てて来い!」と家の横にあった池
に捨てさせられた。 長かった寝小便の代償は、寝る時のオシメ当てだった
。友達が泊まりに来た夜だってお構い無しの催促をされて、翌朝はチェック
に来る人だった。

0101大人になった名無しさん
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01021
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なげぇっす。すいません。

 小3の頃、まだ母と一緒に風呂に入ってたときのこと。
 この時期僕は「ちんぽ」だの「肛門」だの下劣な言葉を非常に
好んでいたので、いつもの如く風呂の中でマリオの音程に合わせながら

「ちち、ちんぽぽっぽ。っぽ。ちんぽっぽ、ぽっぽっぽぽぽぽぽ」

 無邪気な笑顔で水鉄砲を打ちながら歌っていた。母はそれを聞いて、突然
「ねえ」とにんまりとした笑顔で「チンポマリオ」を歌ってる僕を呼びかけた。

「そんな汚い歌歌わないでさ、あのね…ひひひひひひひ」

 何か興味津々、みたいな非常ににやけた顔で僕の顔を見ながら言った。
いつもだったら軽く注意するのに…。かつてない笑顔と態度を現した母をかなり
不気味に思った僕は歌うことを止め、「な、何」と恐る恐る反応した。

「あのね、男の子のアソコって、ちんちんでしょう」
「う、うん」
「じゃあさ、女の子ね、あそこのことなんていうか知ってる?」
「え? ちんぽじゃないの?」
「違うよ。もう一つ呼び名があるのよ」

 なんと! もう一つ呼び名があるとな! 脳天に稲妻が落ちてきたかのような
強い衝撃を受け、その呼び名を早く知りたい一心で「えっ、な、なんなのそれそれそれ」
短時間でしつこく聞いた。

「えっとね、これ誰にも言ったらダメよ」
「うんうん!」
「女の子のちんちんは…」
「……」
「まんこって言うのよ」
0103大人になった名無しさん
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 まんこ……。なんだか光が世界に溢れ出したような、希望に満ちた素晴らしい言葉のように思えた。
東から太陽が昇る……日の出……そんな想像をした。

「まんこ!」 暗記するように呟いた。
「そう、まんこっていうんだけど、これ人に言っちゃだめよ。皆知らないからね」
「まんこ皆知らないの?!」
「うん」

 み、皆知らない。。。僕とお母さんだけが知ってる秘密の言葉ナノカア。
しかも女の子のちんちんの呼び方があっただなんて…。数分で数々の感動を与えて
くれた「まんこ。」 なんだか凄まじく嬉しくなり、風呂場で勢いよくこの喜びを抑えきれず体で表した。
つまり浴槽の中で暴れだしたのである。

「うひょーーーーーー! まんこー! まんこちんぽまんこちんぽまんこちんぽ!!」

 暴れながら大声で卑猥な言葉がこだまする。母は周囲が心配になったのか、「声が大きいよさっちゃん」
と注意した。だが狂気乱舞している僕の耳にはそんな蚊の鳴くような注意は全く入らず、ますます
叫びはヒートアップした。面白い! なんて面白い言葉なんだ、まんこって! もっと叫ぼう! まんこ!

「まんこおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「黙れええええええええええええええええええ!!!」

 母は昔からキレやすい。注意を聞かない僕にキレた母は僕を浴槽に頭から抑え付け、
お湯の中でガボガボ溺れそうになっている僕の頭を水中でゴツゴツと叩きまくり、「愛の躾」をした。
僕は小さい時から体が弱く、この時点までに20回ほど入院経験がある。このショックで翌日、39度の高熱が出てしまった。
 母はハアハアと意識朦朧としている僕の看病をしながら、泣いて謝った。「ごめんね。私親失格よね」
高熱が出た今はそんなことなんてどうでもよく、食欲がなくて何も食べれないから僕の大好きな
棒キャンディのアイスクリームが食べたい、と頼んだ。すると母は泣きながら急いで買いに行き、ほんの十数分で戻ってきた。
「わあ」と視界が定まらない状態で棒型のアイスクリームをゆっくりと齧った。だが大好きな棒キャンデーの
アイスクリームも食べれず、「べえ」と吐き出し、あまりに自分が悲惨な状態だったので「うえぇぇええ」と泣き出した。
何も食べれずこのままだと死んじゃうかと思ったからだ。
 それを見て母は良心が更に傷ついたのか、「おおおおおお」とゾンビみたいな怖い泣き声を僕の枕元であげた。

―――馬鹿親子の悲しいおもいで。
0104大人になった名無しさん
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>>100
>「こんな汚いモノ捨てて来い!」と家の横にあった池
>に捨てさせられた。

お前の母親は人間失格だな。 年取っても知らんフリしろよ。
0105104
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>>28
>2日して、メールがきた。
>「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたはママたちの初めての子供だから、
>ママは可愛くて仕方ありません。だから、少しくらいはママのことも認めてほしいな。」

馬鹿な親ほど、息子や娘が大人になると、尻尾振ってくるもんだな。 俺の親もそう
だ。 でも時々本性が出るもんだよ。 マジで軽蔑する。 早くクタバって欲しい。
殺したいくらい憎いが、殺せば犯罪なので、ほっておく。 寂しい思いしながら、一人
で死んで欲しい。 
0107大人になった名無しさん
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>>105
大変だったんだな… 色んな家庭環境があると思うんで、君を責める気には
なれない。
0108大人になった名無しさん
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尊敬しているけど大嫌いです。。。
母は女手一つで3人育ててくれた。学校に合わせて土日休みの仕事で。そのことは
すごく感謝してるし、尊敬もしてる。 でも人間として大嫌い。とても自己中で
自分の事しか見えてない。結婚して上の子ができたと言ったら「どうするの?」
離婚するかもと言ったら「遠くに行ってね」孫より犬が大事。物やお金を
頼んでもいないのに持ってきて、「私はこんなにしてあげてるのに」って
泣いて電話をがちゃ切り。もういいかげんにして欲しい。。。おかげで今は
安定剤を飲む生活です。それでも苦労して育ててくれた母親だから、絶縁は
できなくて(T_T) 今は「義父のことで頭がいっぱいであんたにかまってる余裕は
ないわ」だって。。。それでも大好きです。お母さん。
0110大人になった名無しさん
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私もブッチャケ母のことが嫌いです。 正直、私も母を殺したい位憎い。 私は
2人子どもがいるけど、自分が理不尽な事を言ったり又はしてないか、確認しながら
子育てをしてます。 自分の母のようになりたくないから。
0111大人になった名無しさん
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 家は共働きの弁当屋だった。 田舎から親爺と出てきて作った店だ。
高度成長期に乗り、巨大団地がひしめくなかに一軒だけあった弁当屋だ
近くに小学校が2つあり、もいらが通っていた頃は40人一クラスで6クラスあった。
運動会のときは、近所のお母さんたちが弁当に入れるための唐揚を
買いに来ていた。それはもう、半端じゃない量だった。

もいらは、小学生の運動会を両親が観に来てくれたことがない。
お昼のときだけ、疲れきった顔した母親が来て、一言もしゃべらず弁当を食べた。
食べ終わったら、帰ってしまう。

その後、アル中の親父のおかげで家庭崩壊し、母親は「お前たちさえいなければ
こんな家とっとと出て行ったのに」とか「この基地外、お前は父親そっくりだ」と
暴言を吐いて出て行った。

今なら、いろいろとわかるのだけれども・・・。
御免、どうしても好きとはいえないや。 
田舎で幸せに暮らしてください。
0112大人になった名無しさん
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おい‥なんだよこの良スレは(つД`)グスン
0113大人になった名無しさん
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NGNG
俺が幼稚園の時、軽い肺炎で3週間だけ入院したことがある。
その時母が退屈してる俺を見ておもちゃとかを買ってきてくれた。
でも俺はほとんどきに入らず、そのたびに「お母さんきらい!」とわめいた。
そしておもちゃにぼこぼこ当たり、しまいにはごみ箱にポイ。
俺が気に入らなかったおもちゃは母が持って帰ったがあとはどうしたかわからない
母はいつも「ごめんごめん、お母さんが悪かったね」と言っていた。
それでも母はほぼ毎日おもちゃを買ってきた。
3つだけ気に入ったおもちゃがあり、入院してた時は毎日それで遊んでいた。
でも小4になって部屋を整理してたら2つでてきて、捨てちゃった
最近、残りの1つのミニカーを見つけた。見た瞬間泣けた
そうしてここに書くにいたった。
今思えば自分はあんなに馬鹿だったんだと思う。母は優しかったな
0114大人になった名無しさん
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NGNG
馬鹿な息子でごめんよ。
やっと彼女ができたよ。
内弁慶で意地っ張り。
かわいくねーとこがあんたにそっくりだ。
不思議とあんたと比べてしまうよ。

苦労人だった母よ。
あっちでのんびりおしゃべりしててくれ。
0115大人になった名無しさん
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俺は早くに実母を亡くした。物心もつかないうちに。

義理の母とは小さいときからいがみあってた。
小学校のときも中学校のときも高校のときも。
いつも文句母親にばっか言ってた。だってあいつは頭が悪いんだ。

世間の理屈なんて通じない。それまでの人生を田舎で生きてきたから。
母親にとっては狭い田舎の理屈が全てだった。

そんな態度に、なんで俺はこんなにまで理不尽を味わうんだ、ってずっと思ってた。
大学に入ってからも。

そして、数年前に俺は家を出て就職した。

そこで苦しい仕事をしながら、横目でいろんなパートさんをみたよ。
みんな元気に健気に頑張ってるんだ。

ふと、自分の母親のことを考えてみた。母親は田舎の論理で生きてきた。

それでもパートして稼いでいたんだ。
俺が気付いたときには、働いていた。苦しい世間の中で。
相当苦しかったんだろうな、って今になって思う。母親は生き方が下手糞だから。
きっとパート先でも苦しかったんだろう。それでも頑張ってたんだ。
家に帰っても、俺は話を聞かずただ反発するばかりで。

そんなことをふと思ったのが数年前。
それ以来、遅くなっちまったけど、母親を大事にしてるよ。
思い出は決していいものじゃない。悪い言葉も吐きまくった。

でも、これからだ。家を出てしまったけど、これからは家族だ。
しっかりした家族だ。
母親が死んだら泣くだろうし、母親が怪我したって聞いたら辛い。

そんな母も最近は、俺の携帯に電話してくれる。
遠くはなれて家族愛が育ったのかな、なんて思う。

その電話を隣で聞いてた彼女が言った。
「妹と話してるのかと思ったよ」

一人っ子だった俺だから、もちろんすぐに否定した。
でも、それもいいと思った。優しく、してあげるんだ。

母親は、俺が家を出てからもまだパートをしている。
職場でもいじめられるそうだ。

「やめちまえば」
っていう俺の問いかけに、

「3ヶ月もハローワークに通ったんだから」
って必死だ。 必死だ。凄いよ。

頑張れ。俺もあんたの息子として頑張って生きるよ。
思い出は、そうだ、これからだ。後悔したくない。
十分、苦しい思いをし合ったから、これからはどうか幸せな思いを。
0116大人になった名無しさん
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NGNG
結婚に対する価値観は、育った家庭環境によって変わる、というのが良く解るスレ
だね。
>>110
殺したい位憎い、というは「不謹慎かな」、とも思ったけど、本当に殺すわけじゃない
だろうし、実際世の中には本当に残虐な親もいるみたい。 俺には責められない。

実際死んで欲しくなるかも。 ある外国人が虐待についての自叙伝を書いたみたい
で、チョット読んだけど、途中で止めた。 余りにも悲惨だから。 でも、そんな人に
限って親を許しちゃうんだよね。 そんな酷い人間を許す必要はないと思うけど。

俺の前の彼女が自分の親について色んな酷い話をしてた。 だから、俺は「お前の母ち
ゃん、頭おかしいんじゃねーのか?」と言った。 すると彼女逆切れ、「確かにおかしい
けど、私の親なの!」 今でも俺は彼女を気の毒に思うし、彼女の親も頭おかしい、と
思うけど、やっぱ他人には言われたくないんだろうなぁ、と思う。 今でも彼女は母親
と暮らしてるらしい。 俺にはチョット理解できない。 世話してやりたいのかなぁ。
0117大人になった名無し
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ここ暫く母親の調子が悪く、昨日も臥せっていた。
今日は親父が仕事を休んで病院に連れて行った。
そんな時にこのスレッドを見つけて、とろとろと読んでいた。

段々と不安になってきて、全てを読む頃には涙腺が駄目になっていた。
自分には関係ないって思っていた事が不吉な想像となって襲ってきた。
そんな時に親父から携帯に電話。
「今終わったから、昼飯買って帰るなぁ。」
「お母さんは?」
「帰るけど?」

電話が終わってから、どうしようもなく泣いた。
本当によかったって思った。昼飯なんかどうでもいいから早く帰ってきて欲しい。
乱文失礼。頼まれていた部屋の掃除をしてこよう。
0118大人になった名無しさん
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>>117
よかったな(;つД`) 帰ってきたら食器の洗い物してあげてね

うちのお母さんも最近調子が悪い。
今日病院に行ったら入院を勧められたけど帰ってきたって。
健康な時は気付かない想いって、本当になるんだね・・・。

良スレage
0119大人になった名無しさん
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(;つД`)感動age
良スレだ
0120大人になった名無しさん
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私の母はかなりの苦労人生だった・・父は母の友人と浮気し母を精神的に
追い込んだ上、離婚した・・
その後、周りの勧めで復縁したが父はすぐに酒のせいで肝硬変、そして死・・

その間、母は死に物狂いで父の病院代を稼ぎ出し(父は母に保険金を
遣りたくないとか入院前に解約・・)私たちを育ててくれた・・
私は普通高校を辞めて定時制に通いながら働いた・・母の助けが出来たのか?

ある日、夜中に母から起こされた・・『お金をくれないか?』
母はこんなに困っていたのか・・私はいつも渡す生活費に3万円上乗せして
渡した・・母は手を握り「ごめんね・・ごめんね」としか言わなかった・・

その年の五月のある日、母は自殺した・・死ぬ前に私に「いすが見つからない」
と私の部屋から借りたいすで首を吊った・・第一発見者は私・・

お葬式の日、花屋から母のために用意してあったカーネーションが届いた・・
母の後を追いたくなった・・でも、生きていて母の供養をしていきたい・・
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