母親との思い出
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まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。
>>123はちょっとズレてるような。
トラウマとしてまだ苦しんでるならどっかでそんなようなスレ見たよ。 小さい頃から喘息持ちだった
何時も寝ずに看病してくれた
でも苦しくて苦しくてついつい口にしてしまった
「死にたい、もう嫌だこんなに苦しいなら生きていたくない」
親は泣きながら怒った
「そんな言葉二度と口にしないで」
俺はそれからどんなに苦しくても二度と言わなかった
それから20年、俺も今や一児の父
「死にたい、もう嫌だこんなに苦しいなら生きていたくない」
でももう怒ってくれる人は居ない
息子の為にもう少しだけ頑張って生きてみよう ∧_,,,,
( ´゚;;ω。) みなさん、食後のお茶でつよ。
(つ旦と) ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫
と_;;;;)ω_;;) 旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦
漏れは特に親を大切にしてきたわけでもなく、
親に大学まで行かせてもらってる。
両親共働き苦労してるよ。まぁ兄弟3人だしな。
毎年、漏れの誕生日には
2000円くらいのものではあるけどカーチャンがプレゼントくれるんだよな。
20歳の誕生日って、なんとなく区切りの歳だろ。
漏れ、逆に何かプレゼントしてやろうと思って一日かけて探した。
カーチャン、コーヒー飲むのが好きだから、
結局買ったのがコーヒーミル(コーヒー豆挽くやつ)とコーヒー豆。
まぁ、それでも二つあわせて4000円くらいだ。
我ながら良い物買ったなとか思ったよ。
いつもよりちょっと豪勢な晩御飯の時に例年通りプレゼントもらった。
漏れも照れくさかったけど、
「まぁとりあえず20年ありがとうということで・・・これ」
ってプレゼント渡したんだ。
そしたら不思議そうな顔して大粒の涙をこぼした・・・
今まで、馬鹿なことして泣かしたことは何度かあったけど、
喜んで泣いてもらったのは初めてだったな。
さすがに驚いた。こんなことでも泣いてくれるのかって。
逆に自分はこんなこともしてこなかったってことだよな。
今漏れは22歳、無事就職も決まって卒業を待つばかり。
これからはもう少しカーチャンを大切にしようと思う。
無償でこんなに大切にしてくれる親って、やっぱりすごいよな。
俺は19の頃、親の支配下におかれてるのがイヤなんだ!誰にもたよらず生きてみせる、
と両親に宣言して生まれた街を遠く離れた。
快適な一人暮らしのはずが、1年もしないうちに金に困り、実家に電話をして、
「悪いけど少し金が欲しい」と言ったら、しょうがないという感じで金を送ってくれた。
俺はなんて事をしてしまったんだと思った。散々反抗して家を出たのにこのザマかと。
その夜くやしくて泣いた。
その後、なんとか生活できるようになり、車を買う事にした。
しかし、ローン組むのに保証人がいるという事になり、母親に相談したら、
「ローンはだめだ。お金貸すから一括で払ってしまいなさい。
その代わり毎月2万円お前の口座から差し引く事にする。通帳は預かっておくから」
俺はとりあえず納得して通帳を母親に預け、振り込まれる給料からカードだけで
お金おろしたりして生活してた。
それから1年ほど経って実家に遊びに行った時、自分の通帳を見つけたので
なにげに見てみると、月々2万円引かれているはずが、引かれている形跡がまったくなかった。
6年たった今もその車を乗り回しているがそれは母が(父かもしれない)買ってくれた
事になる。
俺は今、歳老いた両親になにも恩返し出来ないでいる自分が情けなく思う。
そして俺は生涯母親の偉大さを乗り越える事は出来ないんだろうなとも思う。
どこにでもある様な話かもしれん。親ならそのぐらいの事して当たり前と言う人も
たぶんいるだろう。しかし、そのぐらいの事してくれるの親しかいないんだよな。
たまに電話とか会うといまだに母は説教ばっかりしてきやがる。
冗談じゃねぇ、あんたにぁ負けねぇからな! 134 .135 良い話しだな。涙流しながら読んだよ。これからもガンガレ。 かあちゃん棍棒でしつこいくらい殴り続けたりしてごめん かあちゃん怒ってないよ
バカな子程かわいいんだよ本当は 親父が借金作ったと同時に女も作って行方知らず。
私と弟はまだ小さい。借金取りの取立てにも耐えながら、朝は新聞配達、昼は事務員
夜は内職と、休む暇がなかった。私はそんな母親を見ながら育った。甘えられなかった。
親父と正式離婚したとき、それまで気丈だった母が私の前で泣いた。私が母と同じ
立場だったら、こんなに気丈にできるだろうか。がんばれるだろうか。
多分無理だろう・・・・・。
本当に貧乏だったよね。お母さん。5千円札しかなくって、どうしようもなかったよね。
1個のラーメン3人で食べたり(1杯の掛けそばのパクリじゃないですよ)
隣のおばちゃんがおかず持ってきてくれたりね・・・・。
内職していた、ひな人形の扇の色塗り手伝いしたり、
家賃半年滞納したよね。電話は切られたよね。なんでこんなに貧乏なんだろうって思った。
でもお母さんが親権とってくれてよかったよ。
でもさ〜末期がんにはなるわ。再婚相手の親父には先立たれるわ。そしてガン再発するわ・・・。
私が脳梗塞になるわ。でも、お母さんとはこれからも、まだまだ思い出ができそうですね!
良い話も稀にあるけど、殆どが虐待親の話じゃないか… 感動してる奴もいるけど、
私には理解できない。
「こんな酷い親だったけど、許すよ」みたいな話ばっかり。 バカらしい。 146 それを言っちっあおしまいよ。 あんた人情てえもんが分かんねえのかよ。
, -――‐―‐ 、
/ ヽ
/ 、、、 ヽ
i i /"ヽ, 、 ゛゛゛ l
ノ 人( ヽ l从l i ) |
〈 | ̄`‐´ ̄| ̄レ' r 、 〈
.\i、__/~ゝ、_|__人i | / / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 〈-, |ノ「" 〈 < >>146 之が若さか・・・
λ ―- irー┴、 L_ \________
ヽ. ゛ ‖ ζ (
r--┴┬‐´|| 〔 ̄i ゛Y
ヾ 「'-―'》  ̄-=┴i
》 |ノ 〃 〃´ `ー- ̄゛` 小学校高学年の夏だったかな?
親の部屋へ何かの理由で行ったとき、ベットで寝ている母が、
暑かったのか足を立てていたんだよね。
そのときにタオル地?みたいな青いパンツでさ、薄暗い中で
それを見るのが妙にいやらしかった。
でも俺はまだ精通もしていない頃なので、オナニーもせず、
何だか知らないけどドキドキしていた。
次の日、頑張って起きてまた深夜に忍び込んだ。
すると今度は肌掛けを腹のところまでまくっていて、
ネグリジェ(懐かしい)みたいなのも上に来ていて下着が
丸見え。そのときはツルツルの白いパンティ。
うっすらと陰毛が透けているんだ。
何と言うか前日のモヤモヤもあってか、股間まで顔を
持っていって、そのまま唇をそっと当てた。
起きないかどうかビクビクしていたんだけど、熟睡していた
から、匂いをかいで見たりしてた。
そのときの俺の細いティンコはビンビンだった
今思えば何であんなことをしたんだろうと思うが、当時は
それがエロいというよりもいけないことみたいな印象があって、
しばらく罪悪感に苛まれ、普段、かなりいい子にしてたなw
>>146
( ゚Д゚)
⊃≡☆>> Д´)パァン!
無神経な事わざわざ言いにくるな! 酔って居間で寝ていた母のスカートをめくり、パンティを盗み見した中2の夏。 >>146
施設育ちで母親に接する機会がなかったんだねw 母子家庭で、母親とふたりで小さいアパートに住んでいた。同じ部屋に布団を並べて寝
ていた。真夜中、熱帯夜で寝苦しく目を覚ました俺は、なにげなく隣で寝ている母に眼を
向けた。タンクトップにホットパンツ。体をくの字に曲げ、大きなお尻をこちらに向けている。
なぜか、そのとき俺は母の体に眼を奪われてしまった。ゆっくりと顔を母の尻に近づける。
興奮と緊張。母は寝息をたて、気持ちと良さそうに眠っている。母の尻と俺の鼻先の距離は
わずか3センチ。息を吸いこむ。甘い体臭が漂う。俺はその場でしごきたっかたが、さすがに
バレると思い、トイレに向かった。その日から、深夜に眼が覚めると、母の尻や腋、股間に
顔を近づけ匂いを嗅ぐようになった。洗濯籠の中から母のパンティを持ち出し、匂いを嗅ぐ
ようになった。ベージュや白の地味なパンティがほとんどだった。自分の変態行動に
罪悪感もあり、何度もやめようと思ったが、その気持ちとは裏腹に行動はエスカレート
していった。母が眠っている横で、母の顔や体を見ながら、母のパンティの匂いを
嗅ぐようになった。もちろん、その状態でオナニーもした。スリル満点だった。
中3ぐらいにパンツに目覚めて、妹のでこいてたらそっこーで親バレ。
「よその家の盗んだりしてないよね!?」って散々といつめられ、
それはない!って断固抗議した(1回やってたけど)
結局妹のは自由にしていいから、よそのは盗むなってことにされた。
妹は泣きまくって渋々了解させられたようだ。
それからというもの、度々部屋を強制捜査されるは、妹には口きいてもらえなくなるわで肩身せまかった。
妹はフロあがると、おれの部屋の入り口から向こう側の壁に届くくらいの勢いでパンツぶんなげて
入り口をバーンって閉めていってた。
今思うと一番かわいそうなのは妹だったな。ごめんなこんな兄貴で。
でも、今当時をふりかえると天国だったんだけど、そのときはかなり情けなかったよ。
”お兄ちゃんに彼女ができるまでね”という契約?が母とかわされたようなので、
パンツ投げ込みながら「兄貴、いつ彼女できんだよ!」とか罵られたり・・・ これは結構効いたな。
「しかたねーだろ!(受験で)忙しいんだから!」とか虚しく答えながら、パンツを拾う俺w
いま、41歳の専業主婦とつきあってます。
普通のまじめなお母さんていう感じのひとなんだけど、
高校1年の息子がいるんで冗談めかして聞いたことがあるんだ
「息子にお母さんとしたいって言われたらどうする?」って。
そしたら、しばらく考えてから
「わたし多分断れないと思うな、あなたは考えたことある?」と切り替えされた。
それからしばらくこの話題で盛り上がって色々聞いたんで
興味があるひとがいるようなら、また書きます。
やばいっす!俺16なんですが、友達のお母さんの乳首見て
興奮してしまいました。そのお母さんは33才っす。
この間朝に友達迎えに行ったらそのお母さんがドアを開けて
パジャマの中からモロ、大きな乳首が覗けました・・・。
以来毎朝迎えに行っては2回に1回は見れるんです・・・。
この時期だけかもしれないけど、とうとうその乳首想像して
オナニーしちゃいました。友達に申し訳ないっすね・・・。
狙っていた母親とエッチできた時の気持ちはたまらないだろうなぁ…そんな幸福感を味わったひと体験談を教えてください。
母親のパンティいい匂い。やめられない。
43歳なのにTバックなんか穿いてる。 そんなんでエッチしてもし子供なんかできちゃったらペタジーニみたいになっちゃうよ。
せっかくの良スレがこうばしくなってきたな('A`)
そんな喪前らに
ttp://idol.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1098616137/ >>162
「すいませ〜ん、JR東口ってどう行くんですかあ?」←ドラマはココから始まった。 ↑間違えた。>>162じゃなくて、
>>160
「すいませ〜ん、JR東口ってどう行くんですかあ?」←ドラマはココから始まった。 厨壱の冬休みに母(当時34歳)が風邪で寝込んでしまったときに
座薬を入れてほしいって頼まれたんだ。
当時まだ母と一緒に風呂入っていたので裸は見慣れていたけど
母が四つんばいになってお尻を突き出してきた時
丸見えのアナル、茶褐色のビラビラマンコが目に入ってきて
今までにない萌えを感じた。座薬を入れ終わると
マンコをマジマジ見つめてしまい母から『いやーねもう』
結局触ることもなく終わった青春の1ページだった。 これってある意味「やりたい」っていう意思表示だよな。 そ〜ゆ〜事が彼らの思い出なんだよ。
このスレは↓
母親との思い出
1 :大人になった名無しさん :03/11/30 20:01
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。
その中のママンとの思い出が丁度噴出したんだろ。
今はその項目を語ってんだからいいんじゃないの。
俺は人それぞれ、色々な人生や環境が有って
思い出も型にはまった物じゃないと思うから面白いと思ってる。
これだけカキコを呼んだのは多分高度成長期以来、生活も
豊かになって色々なライフスタイルの家庭が出て来た
その産物だと思うんだが。
今まで表には決して出て来なかったタブーな思い出を持つ人だって
当然いるだろ。色んな親子関係が有るんだよ。 漏れは今埼玉に住んでいる
今年63になるお袋は北海道だ
今のところ年に二回くらいの割合でこっちが行ったり向こうから来たり
日本人の平均寿命が約85歳だから・・・と考えるとお袋の残りの人生は22年
そう考えると、あと40回くらいしか顔見れないんだなぁ
気持ちいいけど罪悪感が沸いてくる
でもひょんな時にムラムラが現れると
してしまう そして後悔 これの繰り返し
一度やると獣のようにやりまくると
思ってたけどそうでもなかった
正直 止めたいと思う でも・・・。
>>173さん
きっと30〜40代の方だと思われます。
これからももお母様を大切にしてあげて下さい。亀レス 、 スマソ 母には、精神的に酷く虐待された。
テストは100点とって当たり前。99点以下だと怒られた。
クラスで一番いい点をとっても、100点以外は無意味だと言われた。
私と仲の良かった友達や好きだった先生のことも、必ず欠点を
探しては批判した。
私が誰かに惹かれたり好きになったりするのが許せなかったようで、
心から信頼する恋人が出来て、目の前で親しげに会話していたら、
あてつけに自殺未遂された。
極めつけは、子宮ガンになった時。
ちょうど子ども時代の怒りが募っていた時期で、「20歳の頃、本気で
子宮摘出手術を考えていた。あなたに愛されなかった私には、子どもの
愛し方が分からない。子どもを生んでしまったら虐待しそうな気がして、
そうならないように子宮を取ろうと考えていた」と言ってやったら、
「サッサととれば、子宮ガンにならなかったのに」と冷笑された。
お陰さまで、子宮はとらずにすみましたが、子どもは持たない人生を
選びました。虐待の連鎖はもう沢山。
少女時代に実兄に犯され、苦しみ抜いたあなたを気の毒には思うけど、
だからといって、娘を虐待し追い詰めたことが許される訳ではない。 >>176
すごく考えさせられました。いや、今も考えてます。
人それぞれの人生があるんだよと簡単にかたずけられるものでは
ないですよね。 >>176ほかの馬鹿
漏れはそんな話読みにこのスレに来てるんじゃねーよ!
母親に虐待スレでもたててそっちでやれ。 このスレは↓
母親との思い出
1 :大人になった名無しさん :03/11/30 20:01
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。 >>178
その手のヤシは、母との楽しい思い出や優しい思い出を語る人間が許せないんだよ。
自分が不幸だったからって、無関係の人間の心まで凍らせることないのにな。
今後ともイヤガラセのように書き込むこと間違いなし。やだやだ。 まああれも、思い出っちゃ思い出なんじゃ?
つか、2chで言論統制できるものでもあるまい。 >>178
あなたは良い親もって幸せなんだろうな。 良い家庭で育って、優しい心
も育んだだろう。だったらそうでない人達(虐待を受けた人達など)の事も
理解するように勤めるべきではないだろうか。
そうでなければ、優しく接してきたあなたの親御さんの努力も報われな
いだろう。 考え方の違う人達や悲惨な生活をしてきた人達を罵倒してい
ては、あなたの親御さんは悲しむよ。
このスレは↓
母親との思い出
1 :大人になった名無しさん :03/11/30 20:01
まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。
そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。 >>184
あなたは良い親もって幸せなんだろうな。 良い家庭で育って、優しい心
も育んだだろう。だったらそうでない人達(虐待を受けた人達など)の事も
理解するように勤めるべきではないだろうか。
そうでなければ、優しく接してきたあなたの親御さんの努力も報われな
いだろう。 考え方の違う人達や悲惨な生活をしてきた人達を罵倒してい
ては、あなたの親御さんは悲しむよ。 >>184
「反省」を語る、というなら「親に反省してもらう」、とも取れるな。 突然糞スレ化してきたな。
ネガティブ話ってやっぱスレを腐らせるね。 >>187
お前が黙ってれば、何も問題ないわけですがw >>185
それはそういうスレ「母親への憎しみ、罵倒(仮)」
みたいなところで言うべき。
このスレはマタ〜リ系なんだよ。批判は他スレでしてくれ。
どっちにしろ君のカキコはこのスレの主旨とは違う。
スレ違いだよ。
>>189
あなたは良い親もって幸せなんだろうな。 良い家庭で育って、優しい心
も育んだだろう。だったらそうでない人達(虐待を受けた人達など)の事も
理解するように勤めるべきではないだろうか。
そうでなければ、優しく接してきたあなたの親御さんの努力も報われな
いだろう。 考え方の違う人達や悲惨な生活をしてきた人達を罵倒してい
ては、あなたの親御さんは悲しむよ。 単なるキモい「マザコン」スレから、まともなスレになりつつありますね。
>>185>>189
親には、感謝できる面と、感謝できない面があるね。 でも、ここの書き
込みを見ると私はまだ恵まれた方かもしれない。 虐待された覚えはない
し…
私は「虐待の話」をここで聞くことは大事だと思うよ。 すれ違いでもない
と思うし。 もう、このキモい「マザコン」スレ。 そろそろ終わりにしない? >>194
母親が蒸発して片親だからって、そう僻むな。 >>195
母無し子はマザコンになりやすいみたいだね。 マザコンのあなたは
いかがかしら?
ていうか、母無しだったらマザコンになりようがないのでは?
母への憧れもマザコンというのか? >>176、>>177、>>183、>>185、>>190
↑こういうお呼びでない連中(一部同一人物)が来ると板が荒れる。
出て行ってくれ。スレ違いだ。 もう、このキモい「マザコン」スレ。 そろそろ終わりにしない? >>202
お前が勝手にこのスレに来ただけじゃんか。
自分のスレみたいな生意気な口聞くな。
さっさと消えろ。
ホントに招かれざる香具師だ。 もう、このキモい「マザコン」スレ。 そろそろ終わりにしない?
>>205
お前が勝手にこのスレに来ただけじゃんか。
自分のスレみたいな生意気な口聞くな。
さっさと消えろ。
ホントに招かれざる香具師だ。 小学生4年生の時。学校で禁止されていたゲームセンターにすごい興味を持ち。友達と行った。
そこで初めてプレイしたパックランドってゲームがすごい面白く自分は一発でハマった。
しかし、当時の小遣いは週200円で、お菓子を買ったらゲームに使うお金は無い。。。
そこで悪知恵を絞り、何度かカーチャンの財布から1000円を抜き取り(ウチの地域で言う所の”ばばせん”)、その度に友だちとゲーセンに通っていた。
しばしばお金が減っている筈のにカーチャンの反応がなかったので、バカな自分は次第にエスカレートして、一度だけ10000円を盗んだ。
そのお金を持って1人でゲーセンに向かいパックランドを熱心にプレイしていると突然背後から「上手いわね…。」と聞き覚えのある声がして背中が凍りついた。振り向かなくてもカーチャンだとわかった。。。もうゲームどころではなく、ただただ逃げたかった。泣きたかった。
当然地獄が待っていた。
全て見透かされていた事に気付き、ばばせんとゲーセン通いを止めた。
いまでもパックマンを見るとドキッとする。
こんな思い出しかなくてスマソ。。。
余談ですが幸いカーチャンは現在も生きておりまつ。 >>208
( ´゚д゚`)えーーー
と思いググって見たら「婆専」と「馬場先生」ばかり・・・。
○| ̄|_
僕は、8歳の時母を亡くしました。
とても優しい母でした。
大阪来て、初めて田舎帰って、墓参り行った次の朝
朝方、夢に出てきてくれて
元気でなって言ってくれました。 俺、お袋がタンスにバイブ入れてた時はお袋も女なんだと思った。
ニンジンの形してて、一見するとそれとはわからないんだけど、
多分一種の保険みたいなものだな。その事件をきっかけに女性の性欲
に対してすごくオープンな見解が出来る様になった気がするね。
あまり嫌悪感とかは無くて、あ、そういうもんなんだなと。みなさんも
もっとは図化しがらズにいえばいいと思う。悪い事なんかじゃないんだからさ
■2年前に脳梗塞で倒れて2カ月後に逝ってしまったが、正直言って涙が出なかった。
■褒めることよりも叱ることが多かったし、不幸にして寝小便癖があったばっかりに
ほかの兄妹たちと差別されていた母子関係は、最後まで変わらなかった。
■「お前は、橋の下で拾ってきた子だ」とまで言われたのが、死ぬまで忘れられない
トラウマになっている。
恨みとか憎しみみたいな楽しく無い事は書くナヨ。
ここはそんな陰質なスレじゃなかろうに・・・
親から虐待とか差別されたとか嫌な思いしたのなら
そういうスレで書き込んでほしい。
何ていうか急に暗い気持ちになって、悲しくなったよ。 まだ母親と一緒に入浴していた小学生の時、風呂場で母の尻を思いきり左右に
開いたりして遊んでた。
「なにするのよ、もう」と恥ずかしそうに言う母。俺は母のでかい尻が好きで、
顔面を尻の割れ目に埋めたりしてた。
あのころに戻りたい。
小学3年くらいのとき、
母が歯の治療のため歯医者に行くのを一緒についていった。
治療がけっこう長い時間になるというので
母と一緒に俺も治療室の中に入れてもらえたんだが、
口を大きく開かされた状態のまま何かの器具で固定され、
歯の治療を受けている母が時折あげる
「んがっ・・・」「あががっ・・・」「むがっ」って感じの呻き声に
理由はよく分からないがたまらなく興奮してしまい
まだ幼かったチンポが勃起してしまったのを覚えている。
そして、治療中に何か刺激が加わったっぽいときに
幾度となく母の足の指が動いたり反り返ったりするのを見て
これまた理由はよく分からないが興奮度がさらに上昇。
パンストに包まれたその時の母の足のつま先が
妙に艶めかしく感じられたことも今でもハッキリ覚えている。 父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。
その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。
一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心をなぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいたわたし。
あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。
あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?
もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?もう一度会いたい。 >>221
久々にいい話をありがとう。
貴方の母上はきっと許してくれていると思います。 いつもありがとうって言いたいけど、なんか恥ずかしくて言えない。
でも、いつもありがとうって思ってます。 >>224
僕も普段は口に出して言えないので、
年に一回誕生日に、すごく照れくさいけれど、手紙を書いています。 >>221
ウイルス性胃腸炎でゲロ吐くわ、眠った途端に水下痢漏らすわで大変だけど
あんたの話で泣きそうになったやんか!
おいらも胃腸が弱くて、ガキの頃からしょっちゅうお腹壊してたけど
「あんたはいつも食べ過ぎや!」と怒りながらも汚物まみれの下着や
衣服を汚そうにもせずに、洗ってくれてありがとう。 私が子供の頃の母は躾の厳しい人だった。
いたずらすると、箒で叩かれたりした。逃げると箒を振りながら家の外まで追いかけてきた。
そんな母も歳老いて、父に先立たれ、近所に一人暮らし。
足腰が弱り一人で買い物に行けないので、休日に半日かけて買い物につき合う。
買い物の車の中での会話は、母の若い頃の話。
戦中、戦後の厳しい時代の話。
母の自慢は、五人の子供を産んで、皆、所帯を持つまで育てた事。
そんな母に感謝しながら少しでも長生きしてほしいと思う気持ちで一杯です。
私も高校生の息子がいて子育て奮闘中です。
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