世界のわし
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物まねしかできないおサルさんに、宇宙を創造した神に似せて造られた天才のわしが従えと。 思い上がるのもいい加減にせい! 沖縄問題に関してトイレ研究室で小林よしのり氏の漫画を読んでるが、始めは同じ意見だと思うて いたが違うね。最後まで読むと彼はブルジョワ民主主義とう保守の立場だ。まあ古代ギリシャの民主主義は 経済的には奴隷に支えられていた。ソクラテスなど自由民は生活のためには働く必要は無かったんだろう。 だから自由時間がたっぷりあって哲学など問答が出来た。では現在はどうかと言うとかつて奴隷がやっていた 嫌な仕事は機械や電子工学の電子機器などがやってくれて、大衆も昔の自由民並みの生活を享受できるのだ。 今はトイレ研究室では、Bushido: The Soul of Japan 新渡戸稲蔵著 を読んどる。 日本語訳もあるが、同じことを言ってるが、やはり英文のとは違う。お風呂研究室 では 槍ケ岳開山 を読んどる。誤って自分の妻を槍で突き殺してしまった。坊主に なってその霊を慰める為か出家しての苦行。一日一食。そして禁欲生活。山にの登っ ても一日一食だ。 一方わしは一日3食。でこうして毎晩一杯。ああ、酒はうめえ。やめられませんなあ。だから 在家僧侶なんです。僧は出家した者を言うのだが。だから非僧非俗の在家僧侶なのだ。 >>229 戦後育ちなんですか。 昔の理科の教科書とテストはどんな問題だったんですか??????? 酒というと、糖質カットの酒が今の流行りみたいですけど 糖質カットの日本酒はまずい。 発泡酒の淡麗グリーンラベルは好きなんですけど。 日本酒の糖質を減らしすぎると味が薄すぎ。 新渡戸稲造の著書は読んだことないです。 福沢諭吉の本もちょっとしか読んでないです。 勝海舟の本はしっかり読みましたよ。 今の理科の教科書は知らないし、特に勉強はしなかったからわしの時代昭和30年ぐら いかなの教科書など覚えていない。だが理科の実験は面白くその授業だけワクワクし て面白かったよ。テストは小学校5年、6年から俄然、論理的になり思考力が必要に なったと思うよ。知識はまだ要求されない。いまもそうじゃないかな。そうなると俄 然、わしのテストの成績は良くなったんだが。ただ生物があってこれは知識だ。で、 それがあると点は取れなかったが、他のものがあって、まあ70点は行っていたね。 算数の点はよくなかった。なんせ鶴亀算と言う公式を暗記していないと大学生だっ て解けない。まあ方程式を知っていれば訳ないが。また計算間違いはしょっちゅうで いまでも買い物でお釣りの計算はやらない。だがね、小学校で鶴亀算しか教えないの は間違ってるよ。5年6年ともなると方程式ぐらい理解できるようにはなってるよ。そ れをひたすら鶴亀算だ。 小学校高学年で簡単な方程式が使えると中学3年で簡単な微積分が分かるだろう。すると 力学の理解がグンと深まるよ。なんせニュートンは微積分を見出したからこそニュートン力学 と言われる今の力学を創れたんだよ。 だから微積分の知識なしで力学をやるというのは、カッパブックスの本で量子力学を知ったつもり になるのと同じだよ。 微積分は優しく教えれば教えられるよ。よく文科系で数学は嫌いだ。。。というのは先生がただ 入学試験合格勉強ばかりやってきたので数学の面白いところを知らないので教えられないんだよ。 わしは中学3年の時、曲線の面積を求める積分と言うのがあるのを知ってそれを知りたいと ワクワクしたもんだったよ。まあそれには級数の知識など必要だったが。,そして極限の考えだな。 でも中学生は分かるよ。本格的なのは高校でやるにしても。そうして全員が頭よくなれば本当の 現代民主政治が実現するのだ。 よく日本は防衛すべきだというが、じゃあ、科学技術の土台の学問の防衛はどうなってるんだね。 何時までも欧米のお尻舐め舐めかいな。わしは男のお尻なんか舐め舐めするの気色悪いわ。 でもわしは世界連邦主義者じゃ。軍需産業に奉仕する気はない。 防衛ということで武器を開発すればそれだけ開発費がかかる。世界のどこかで戦争が起こって 武器を消費してくれないと武器は売れず元が取れない。でどこかで戦争が起れば、そこの国の 被害にあったものが恨んでその国をテロで襲う。で結局防衛ということでこの国の国民の生活は かえって危険になる。医療も同じだ。薬や医療機器を開発すればやはり元を取らないと。それを 払うために、それは結局患者がかえって増えてしまうという矛盾と悪循環。科学技術は高度で一つ 間違えば人類全滅もあり得るという時代だ。もう昔とは違うのだ。ささ、世界連邦の時代ですぞ。 宇宙の発生と電磁波の発生とは相似的にも関係があると思うよ。 高校の時書いた物質電送機はそれが物語じゃ。大宇宙振子運動説は悪の世界であるマイナスと 善の世界であるプラスが電磁波のように交互に振動しこの宇宙に現れてるが、ある日悪の世界が 少しずつ小さくなり始めた。で、そこに住めなくなった悪党どもがこの善の世界に乗り込んできて 襲い始めるという物語だが、今がそうだな。 今、わしはアマ無線3級を目指してお勉強してるのだがこれを刺激的に電波の御勉強もしてるのじゃ。 無線工学は1・2陸技受験のをやってるのだ。これは電磁気学の復習にもなる。これで宇宙の発生の メカニズム解明は出来んだろうが。 ボケはお前じゃよ。わしは自分のために自分の興味でやってんじゃよ。 高校の時からそうじゃったんじゃ。何も「優れた能力が・・・・」という連中のためにやっていたんじゃない。 まあ可哀そうな癌患者を助けたいという清く美しい心ではあったが。 理研の時、研究所での雰囲気を刺激的に、家で自分の研究・お勉強をやろうと思ったんじゃ。 なにも会社で出世したいわけじゃない。 過去の人類のお世話になっていながら、それを受け継ぎ未来の人類により発展させて受け渡していく と言うのが理化学研究所の使命だと思いきや、それをさぼってる。 さて寝よう。明日はアキバに行って太陽光パネルを見て来よう。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。 それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。 という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。 そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。 あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。 もったいないよなあ。 アキバ(秋葉原電気街)には太陽光パネルはあまりパッとしない。やはりネットで調 べて購入した方が良いね。アキバはバラの電子部品が直接見れて購入できるというこ とだ。直接見ながら選べるのが通の醍醐味ってとこだね。 そういえば、ラーメン屋の店員さんにアキバって名の可愛い店員さんがいる。あ、アキバさんだ。 と言ったらプイと知らんぷり。残念。 今日、100円ショップのデパートに行って100円の時計を買った。と言うのは9千円はするセイコー社の 自動巻き時計が壊れ、代わりに付けていたオリエントの自動巻き時計約9千円が壊れた。これは もう宇宙の悪魔の仕業と思っていくら時計を買っても壊されると100円の腕時計を買ったんだ。 自動巻き時計は時計の省エネの最終的な時計だと思い使ってるんだ。腕を動かすことで 自動的に巻く。やはりこれはわしのポリシーの時計だ。 宇宙の悪魔とわしのポリシーが違うのはまさに能力の違いを反映してる。わしはなんせ天才なんだ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。 まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 アキバ屋という葬式屋があってわしの父がお世話になった。それで、おやっと思った んだ。偶然かな。百円ショップで100円の時計のお買い物をしたとき、そこのレジ係 の女の子がものすごく可愛いんでうっかり、中学生ですか?って聞いたら違うとい う。そうか高校生か。と言ったらなんと大学生。同じことがわしの親戚の女の子がい て、中学生だと聞いたらなんともう大学生でもいい歳。看護短大に進学したとか。 でそこを出て時計を見たらそれまできちんと動いていた買ったばかりの時計が12時を示してるではないか。 今は3時20分ぐらいなのに。で立ち止まって時刻合わせだ。どうもおかしい。これも宇宙の悪魔の仕業か。 いまはまあ正確に動いてるが。通行人がわざわざわしによってきて、時刻を合わせられるとは大したものだ。 と言ったよ。 100円のデジタル時計は信用できん。100円ならこれからはアナログ時計を買おう。 ここで、わが●●論教の教えを説こう。 われわれは宇宙の法則の歯車の一つなのだ。それは決められたとおりに動くと幸福感が得られ そうでないと不幸や苦痛になる。だから正しく宇宙の法則を認識し正しくそれに従えば誰にでも 幸福な人生が得られるのだ。そうでないのは誤って宇宙の法則を見てるからなのだよ。だが 正しく認識してそれに従っていても地震や疫病になどに苦しみ不幸にもなる。がこれは大自然は 何も人間だけを相手にしていないからだ。それより大きな歯車が回転してるからだ。だが人間の いや人類の歯車も慣性の法則(表現の保存)によってそれまでどうりであろうとする。その営みが 技術や学問を生み出しそれが文明文化という人類の財産なのだ。われわれはこの財産によって ヒトと言う動物から人間になるのだ。この財産をヒトは学校で学び人間に成長していくのだ。だから 学校は本来無料なのだよ。大学や学問の研究所はこの財産を受け継ぎさらに発展して次の 人類に受け渡していくところなのだ。過去の人類のおかげで昔より快適な生活が出来ることの感謝して。 おはよ。寝たのが2時ごろだというのにおしっこしたくて目が覚めた。もう面倒なの でお母ちゃんのしていたオムツして寝ようかのう。でもやめた。 ああ、文化には言語も含まれる。文化文明に興味あるわしは文明としての科学と共に 文化としての言語学にも興味あり、自分でも●●論の言語学を建設したいと思って る。それで特に古代のギリシャ語、ラテン語、古代中国語としての漢文と中国語、 近代語としての英語とドイツ語だな。そして世界連邦の共通語の現代語のエスペラン ト語をやってるのだ。この頃は特にエスペラント会話に力を注ぎエスペラント会で 大きな顔をしたいと思うちょる。がなかなかバイトなどで時間が思うように取れんの はまことに遺憾に存じます。 繰り返し繰り返し わが心に浮かぶ二つの満足な思いがある。 この●●論の研究で人類に貢献してるんだという自負心と永遠に通じる満足感。 ぼくはあなたを思うたびに永遠を感じる。 わが人類は永遠です。 『繰り返し、じっと反省すればするほど常に新たにそして高まりくる感嘆と崇敬の念をもって 心を満たすものが二つある。わが上なる星の輝く空とわが内なる●●論である。』 天文と物理は相性が悪くないね。視野が広がっていいかもしれない。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。 すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。 気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。 人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして 見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。 人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。 クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。 そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。 まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、 なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。 自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。 人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。 上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。 現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。 自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、 むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。 人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。 負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。 それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。 人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。 自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、 勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。 嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。 無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。 ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。 効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 われわれは世界の人とはお互いに面識はなく無関心でもお互いの「個人」と言うイデアで つながってるのだよ。まあイデア論のプラトン風に言えばすべての人の自己は「個人」という イデアの影なのだ。もとは一つだ。 これの分からぬアホは今すぐ退散せよ。おサル君。 サルよりもチンパンジーのほうが賢いです サルよりもゴリラのほうが家庭的で賢いです。 いくら時間内に多くの名画を書いたっていくらにもならん。わかるかね。 コピーの価値は紙いくらってとこだ。まあ多くを言うまい。 まあ一流は一流を知る。ってとこだな。知ってるからその才能に敬意を 払うのだ。そうでないのは自分がその域には達していないからだ。 https://www.youtube.com/watch?v=4Ntpu3VWnsc 食うためにお前のわがままなど問題じゃない。、というんならに日本から農業を つぶす政策はやめて徴農制をするべきだよな。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。 自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。 自然体で通すものは通すということ。 槍ケ岳開山:新田次郎著は最後は天保の大飢饉だが、民衆は米蔵を打ち破って、来年のためと 取って置いた種にする米まで取って食ってしまった。そのため次の年は天候は良くなったが 植えるコメがない。それでやはり飢饉は続いた。という。言ってる意味わかるかなあ。 >>297 受験競争に熱上げて有名な大学に合格さえすれば真の実力など無くてもイイ、上げ底でいい。 人間的にはますます貧弱になってもいい。それで大会社に入れば良いと。それで、 日本では優雅に生きられえると。でも今もう日本そのものがおかしくなってしまった。それで 世界には通用するのかな。。 >>世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。 自分の限界が分かれば・・・・。 そうじゃないよ。自分なりに準備していたつもりなのにわが人生に勝手に介入してきて お母ちゃんをおかしくして邪魔して、・・・・・。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。 自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。 自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 世界天才連合は地球にはもともと国境などなく人種の差別もなく貧富の差別なく 各人は個人としての権利人権を持ち他人の権利人権を侵すことが無ければ誰からも 干渉されることを拒否することを改めて宣言する。我ら天才は人類の良き次の世界を 創造する準備に忙しいのである。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。 それで駄目ならしゃーない。 だが世界連邦がありますぞ。日本の物理学者の湯川博士が学者生命と責任をかけて 提唱した世界連邦だ。 日本人が命を軽く考えるのは、武士道から来てるんだよ。武士は命を惜しむようでは いざという時には忠義を果たせない。また、刀はあくまで殺人の道具だ。これを いかに美化したところでその土台は殺人にあるのだ。また百姓から彼らの富を武力を 背景に巻き上げるという土台を無視していかに武士道を正当化してもどこかに無理が ある。砂上の楼閣なんだよ。それが先の太平洋戦争で露見したのだ。そして今もだ。 お風呂研究室では 新田次郎の 槍ケ岳開山 を読破した。で、次はいよいよ映画ではなく 八甲田山死の彷徨 新田次郎作 を読む。なんでもロシアといずれ開戦するからそのための 準備だという。ちょっとねえ。向こうは何十年だって闘い続けられる体力があるのに日本は たとえ局地戦で圧勝してもそれでもう全力を費やしてるはずだよ。まあ当時こういうこと言ったら お前は大和魂がなっとらん。と言ってビンタの山を喰らったな。あのイガラシがそうだったよ。 トイレ研究室では、新渡戸稲造の武士道を英語で読んでるがこれは原本の抄訳みたいなもので あらましを英文にしたようだ。完全本は日本語でブックオフで108円で売っていたのを別に読んでる。 やはり文科系の英語は難しい。でも全部読んだら慣れて楽に読めるようになるだろう。だが、もう一つの The Biography of Stephen Hawking はここ●●論研究室で読んでるが科学を扱ってるのでやさしい。 今いるここでみんなに大きな顔出来たら、すごいと感心させられたら満足。勇ましく 大和魂を忠君愛国をまくしたて根性さえあれば敵の機関銃の弾でもよけて行くから 竹槍でも勝てると息巻くと、周りから感嘆の声が。後のことは、それでどうなっても 知らんふりで無責任。でも周りもそれに一役駆ってるから何も言えない。これをイガ ラシ効果と言う。 八甲田山 を読むともう、新田次郎は批判してる。暖かい事務所で現場も分からず 計画を立てる参謀。一方現場は極寒の八甲田山だ。しかも何かあっても責任は取らな い巧妙な手口。ではわしも言わせてもらう。どういう参謀の選抜試験だったのか。 と。 わしも八甲田山を登ってわが●●論を築いたんだ。イガラシあべ君。これからまた邪魔するだろうが その頂上にわが●●論物理学研究所建てるのpじゃ。 今、わが自宅サーバーを復活の準備をしてるのだ。今度はCSSで結構見やすくして わが●●論研究所のホームページを公開できると思う。またわしが直々出演して●●論の 講義をする動画を流すからこうご期待。 多分今でもそうだろうが当時は士族華族などの身分の者が士官学校に入りその中から 陸軍大学などに進学したという。一般の平民は何かの奉仕団体から試験など受けて同じ階級に 上がったらしいが差別的だったらしい。まあ医者の野口英世だな。だから自分たちの階級を守ることが 主で能力が足りなくても根性努力で試験にさえ合格すればいいんだよ。おかげで下っ端の命はニワトリの毛より 軽いでお母ちゃんはその犠牲だ。 だがわが母は人類史上最大の天才の母であった。その罪は地球より重い。 https://www.youtube.com/watch?v=Ek7DsTWqm1w わしが自分を人類史上最大の天才だと主張するのは神と同じく無から一切を生み出す理論を 人類史上初めて構築しようと企てそれに成功したからじゃよ。いま物理学にて力が全てだという 愚か者にその圧倒的威力を示す時が来たのじゃ。だが、ああ、宇宙の悪魔が邪魔をするが王子ピロン のわしは 負けない。 力が正義だと主張する連中は、法を守るのは法の方が力があるからだ。自分が法より 力があれば法を踏み倒してもそれは正義なのだ。というのが彼らの理屈だ。それでは 大自然の方がはるかに力はあるからその理屈でも大自然の秩序に従うのが正義だ。 ところで人間は大自然の秩序に従って生まれその秩序に従うように出来てる。われわ れはそれを法の世界では自然法と呼んできた。従って何よりもこの自然法=人間なら 誰でも持っている権利と義務は誰でも守り従うのが正義と言うものだ。昔は大自然と の結びつきは少なかった。だから人間の世界だけなら勝手なことも出来た。いまはも うそうはいかない。自然科学技術抜きの我々の生活はもうあり得ないからだ。 欠点を隠そうとしないこと。 そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。 むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 申し訳ありませんでした。わしは自分が天才であることを隠していました。 そのため周りの多くの凡人たちとは桁外れに優秀であるわしの能力がかえって ご迷惑をおかけしたことを反省いたします。 中学の時国語の先生が藤村文学は文學じゃないと言っていたのを思い出す。 この中で誠太郎は、丑松が素性を打ち明ける際、教壇に跪いて生徒に詫びていることを批判的に捉えている。『橋のない川』も『破戒』同様、部落差別を扱った作品であるが、両者の差別に対する考え方あるいはスタンスはほぼ正反対に異なる。 素性も何も勝手に無礼にも被差別部落と決めつかる連中に何を跪いて詫びる必要があ ろうか。そういう光景を書いた島崎藤村文学は文學の名に値するのか疑問には思うの だ。だが藤村の詩はわしは大好きだよ。 これホントかよ。日本が一番悪いっていうじゃないか。日本が一番いいと言っていた 母ちゃんをこれほど裏切ってるのか。 わしはこれをタダ呆れるだけで聞いてるよ。 人権感覚の希薄な連中は今でもいるからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる