座標変換は観測者の変換なのだから

物体に対する物体というのは意味不明。

当然物体ととも運動する観測者が存在することを「想像」することは可能だが

物体とともに運動する観測者が存在しないことを「想像」することも可能。

実際のほとんどの場合において物体とともに運動する観測者は存在しない。

その場合でも物体は観測できなければならない。