トップページ物理
106コメント37KB
一生ケンメ物理学を勉強して、お金持ちになれるのか? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2016/05/19(木) 05:06:03.51ID:cDLxi1T5
そもそも、食べていけるのか?
0014ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2016/05/19(木) 10:24:32.00ID:cDLxi1T5
>>13
なぜならば、「完全な無」とは、超越の因果だからである。力を普遍的に認識するとき、人は、己を超克し、純然たる生の傑出を発見するのである。
では、生とはなにか?たとえれば、魂より滲み出し血により書かれた文字のようなもので、換言すれば、固体と液体の両方の性質を持つ相である現象的現象である。ここに、対象存在、及び、論理の限界が確かに見出される。
0015ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2016/05/19(木) 10:25:59.08ID:cDLxi1T5
>>13
そこで、存在の破れをしかと把握し、現象的現象を對立と捉え直し、理性の相克に至ることで、論理は完成する。つまるところ、「全て」というのは、全悟性の獲得、並びに、その実践に伴う精神的對立存在であり、現象的世界観とは一線を画するものなのである。

さらに言えば、アインシュタインとライプニッツによる相対主義、科学的闘争の根據もまた、ここに見出されるだろう。
なぜならば、絶対的現象にたいする認識は、如何なる時も実践的世界に付随するものであり、しかし包含されるものではないからである。これもまた、超克による因果の存在の証明となる。
「完全な無」は、このようにして生まれ、また、存在してきたのである。
0016ご冗談でしょう?名無しさん
垢版 |
2016/05/19(木) 10:29:09.22ID:cDLxi1T5
>>13
周知の事実であるが、「全て」とは、「全」であるが、それ故に、上記のような論述が可能となっている。輪環及び多様体の一種と考えるとわかりやすい。勿論、その他にも弁証的応用が効き、その解釈もまたひどく有用であるのだが。
例えば、アーベル群を輪廻の主軸たる輪環的構造と認識することができる。また、素粒子論に於ける確率微分方程式は、四立構造とその積の輪弦と認識することが可能だ。これらを止揚し、全宇宙内在有利対存在とすれば、残る証明は上記と同じである。

これらを踏まえ、私は、「全て」より「完全な無」のほうが大きいと結論するのである。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況