南部先生がアメリカに行ったまま日本に戻らず国籍も移されてしまった理由には
ノーベル賞を受賞された湯川先生の意向がまるで神であるかの如き絶対的な権威となってしまった
当時の日本の素粒子論のコミュニティの息苦しさや権威主義もあったんじゃないかと個人的には想像してるんだが。

確か「坂田スクールが3基本粒子を提案しながらなぜクォークには辿り着けなかったんだろう?」という問いに対して
南部先生がかつて「湯川先生にとっては分数電荷など絶対に許せないものだった」という趣旨のことを語られていた。

理論物理学の魔術師とさえ呼ばれる南部先生には自由な発想が許される場こそが何にも替えがたい重要さがあったろうし
そういう自由な発想を許す場と特定の大ボスの個人的な哲学がその国のその学問分野全体を支配する権威主義とは180度正反対だしな。

湯川先生より遅れたとはいえど同じくノーベル物理学賞を受賞された朝永先生がノーベル賞受賞者であるにもかかわらず
最後まで東大や京大はおろか旧帝大の教授にすらなれずに終わったのを見ても当時の日本の物理学界は息苦しかったんだろうね。

結局、純粋に理論だけで勝負できるはずの物理学界も、白い巨塔で描かれた医学界や官僚制度の政治権力と癒着した法学界や
産業界の銭金を背景とした権力構造に支配された工学界・薬学界などと同じく、ボス猿を頂点とする猿山システムから逃げられないってことだな。