いささか哲学的になるが、
経験は主観的であり、知るとは、確定しえたという観念だろう。
絶対的な現在・過去はが何であるかを知りえないし、知る必要もない。
進行中・継続している事柄から、現在の範疇を知るのみであり、
それが「現に」「在る」ということにほかならない。

済んだこと、終わったことは「現に在る以前」であり、過去のことである。
時計時間のズレは、世界における物理的現象のひとつにすぎないのであって、
「ああ、やっぱズレましたね。標準時に戻しましょう」で落着するのだ。