わしが大学で倫理学の講義で先生に**論を言ってそれに拠った
人生論なんかレポートに書いたりして提出したら、先生がその考え
物理学でやったらいいんじゃないのか。と言った。その先生は他大学から
来ていた先生で、授業中、「君達は中大の2部なら、ほかの昼間にいけた
だろう。大学の名前を選んだのか。」などと言った。そして社会に絶望して
死んではいけませんよ。生きていればきっといい事ありますから。」と言った。
わしの学友がそれを聞いて、死んではいけませんよ。だって。と言った。
 しかし今言ってる意味がわかる。当時は中大の2部なら偏差値で言えば
東海大学程度だった。もしそこに行っていれば、大学の卒業研究で才能が有れば
認められ素直に研究者の道に入れただろう。しかし2部は差別され何よりも昼間と
は努力と根性の不足を問題にされた。またそれは仕方ないことでもあるんだ。と言うのは
いわゆる底辺と言うのは、頭はいいが勉強嫌いで学力不足の者といくら勉強してもいかんせん
頭が悪い者が合流するところだ。だが外国では高校では勉強あまりしないで学力不足が普通で
大学に入ってから、飢えたように分厚い教科書で勉強を始めるそうだ。

その先生はカントの実践理性批判で眼をつぶりながら「繰り返し繰り返し
我が心に感嘆と畏敬の念を持って私の心を満たすものが二つある。私の上なる星をちりばめた空と
私の内なる道徳律である」と目をつぶりながら感激したように2回言った。
わしは、そんなにいいのか。と思った。

死んではいけませんよ。というのは多分わしに言ったんだ。この日本では君は苦労する。
と先生は判ったんだ。