帰ってきたウルトラマン 39話目(IP表示あり)
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ここは1971年にTBS系で製作・放映された特撮怪獣番組
「帰ってきたウルトラマン」について語るスレです
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ウルトラマンの呼称については各個の判断にお任せしますが
異なる見解に対する罵倒雑言は作品に対する侮辱になるので配慮をお願いいたします
様々な世代に様々な考え方が存在します
貴方自身が作品の品位を決めると思って下さい
前スレ
帰ってきたウルトラマン38話目
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/rsfx/1572943916
関連スレ
帰ってきたウルトラマン36話目(IP表示なし)
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/rsfx/1559829975
ウルトラマンジャックを語るスレ
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/rsfx/1174172192
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >あのエピって、別に怪獣がグドンとツインテールでなくても成り立つよね?
それってウルトラマンでもセブンでなんでも言えるんじゃ・・ マンやセブンと違い帰りマンは「怪獣のいる日常を描いた世界」で、
この回はその厄災が降りかかった人間のドラマと強大な二大怪獣と防衛チームの死闘が観どころ。
いつものような特殊な能力とシチュエーションを持った怪獣との攻略や攻防を観せるのがメインじゃないから、
「他の怪獣でも成り立ちますやん」と言われればまあその通りだが、工事現場の卵から返ったツインテール、
その捕食者として現れたグドンのドラマ性やキャラクター性は決して無個性じゃないんだけどね。 「ウルトラマン」はまず脚本があって、そこから
「こういう怪獣をデザインしてください」と成田氏に依頼する形
なんだかんだでデザインが変わったら今度はそれを脚本にフィードバックする
だから脚本と怪獣が強くリンクする
(怪獣ありきの脚本、と言い換えてもいい)
どっちがいい悪いという話でなく、方法論の違いというだけ >>510
Q〜帰マンまで全話採点するサイトがあって、たしか51話の中で一番平均点が低かった記憶
サイト探したけど見つからず
>>514
ゴルバゴス〜シュガロン辺りね
個人的には嫌いじゃないし、少なくとも(意外に視聴率が一番高かった)第4クールよりはよほど出来がいいと思うけど
子供には理解し難いシリアスな展開に異常なまでの地味さが祟ってか視聴率は駄々下がりに…
まあしょうがない んなこと言い出したら
ピット星人が連れてきた怪獣はビリビリ技のエレキングである必要ないし、牛のモチーフでなくても物語は成り立つ。
最終回もパンドンの代わりにエレキングを出しても物語は成り立つし、
なんなら宇宙人が操る怪獣をみんなエレキングにしても物語は成り立ちますやん? >>525
ウルトラマンでもグビラとかは代替が効きそうだけどな
あとはザンボラーなんかも物語への絡みが希薄 >>525
おっしゃる意味は分かるんだけどね。
ただ、本来は「じゃないといけない怪獣」であるゴルバゴスやモグネズンに比べ、
「じゃなくていい怪獣」であるはずのグドン・ツインテール・ムルチなんかが逆に印象強かったりする場合もあったりする。
キングマイマイだってあんな虫の怪獣である必要がないし、やっぱ本編の出来や演出って大事だなあ。 視聴率に関しては難しいところがある
有名どころでは「夏枯れ」という言葉があって
夏休み期間中は外出する家庭が多く、子供向け番組は視聴率を取れない、というもの
それ以外にも、5〜8月は日が長く、子供が遅くまで遊んでいるので
夜7時からの子供番組は視聴率的には苦戦する、
ということもあったのではないかと思っている
「ウルトラマン」は7月に放送が始まり3月に終了しているので、
序盤にやや苦戦するもその後は視聴率が枯れずに完走できた
「セブン」は10月開始、ドラマ志向が強くなった後半は
視聴率が苦戦する時期(5〜8月)にぶつかったこともあって
視聴率が落ち込んだ可能性がある
「帰ってきた」以降は開始早々苦戦時期とぶつかるので
前半は力を入れた割には視聴率が苦戦、みたいな展開があったのではないかと
後半に回復するのはテコ入れ効果なのか、時期的に回復する時期だったからなのか、
切り分けが難しいと思う >>530
ていうか、セブンの後半って子供心にもつまらんかったよねw >>527
「セブン」の宇宙怪獣はそうだねえ
ぜんぶエレキングでよかったじゃん、と言われると
返す言葉がないw
ただ方式としては「セブン」も「ウルトラマン」と同じであったはずなので、
脚本家側に何らかの意図はあったのではないかと思う >>528
グビラは一応、物語の中心だからね
深海を住処にして、外部に武器を備えているという
(武器がドリルである必然性はなかったかもw)
ザンボラーは、・・・そうね、火を使った特撮をやりたかったのかな 傑作「怪獣使いと少年」も「何で魚の怪獣にする必要があったの?」と言われると何も返せないのが弱点w ムルチもザザーンとかと同じく「工場排水によって怪獣化した」という設定があるらしいが
劇中ではそんな描写ないしね
メイツ星人も工場から排出された煙によって身体を蝕まれたので
ある意味同類、ということらしい >>530
スレ違いなんでスルーしても構わんが質問
「夏枯れ」ってのは夏場の夕暮れが遅く、それに伴って子供の外出時間も長くなり
18〜19時台の視聴率が落ちがちになるからって認識で良いんだよな?
この10年ばかり、ニチアサ(ライダーとか戦隊とかやってる日曜朝の8〜9時台枠)で
数字が低いのは夏枯れっていうのをよく聞くんだが、
その時間で夏枯れっていう理屈がよくわからんのだ
該当スレで何度か聞いたがスルーで、
ともすれば19時台が主だった時代なんぞ持ち出すと老害の一言で一蹴
よくわからんので御存知なら教えていただきたい
>>531
怪獣ブームの落ち着きで円谷・TBS双方で怪獣からの脱却に積極的だったらしい
東映やピープロなど、番組を競合した会社も舞台から降り
孤軍奮闘状況だった円谷としては時代遅れになりがちの怪獣をなんとか払拭したく、
それで主要視聴者を小学校高学年から中学生に絞るって資料もある 俺ははっきりって、『帰マン』『タロウ』『レオ』の主人公のホームドラマは要らなかったと思う
2〜6話のようないい話も作れるが、坂田家の誰かが怪獣にしょっちゅう遭遇するというムリな展開になり、途中から持て余していたと思う >>536
>>530でも書いたのだけど、夏休み期間中は帰省や家族旅行で家族ごと家を空ける家庭が多く、
テレビの視聴自体が低調になる時期であると言える
子供向けファミリー向け番組はかなり苦戦する時期と言っていいのでは
それに加えておっしゃる通り
「子供が遅くまで外で遊ぶのでテレビの前にいない」が重なると >>537
メビウスやタイガは第一期のセンスオブワンダーと第二期の人間的ドラマを
バランスよく兼ねていると思う >>537
この番組の基本コンセプトが、郷秀樹の成長物語だからな
迷いや葛藤を通して成長していく
そういった意味では坂田兄弟の存在は大きいと思う おまいら北米版ブルーレイは予約した?発売後しばらく待ったほうが安くなるかな。 >>540
成長させてくれた坂田兄妹を忘れ去り、次郎君を見捨ててしまうがな。
路線変更と言うよりは、ウルトラマンジャックの残虐性を如実に表している >>541
登場ウルトラマンは、何という名前かね?
NEWMANか、ReUltramanか? >>537
>俺ははっきりって、『帰マン』『タロウ』『レオ』の主人公のホームドラマは要らなかったと思う
それでは帰ってきたウルトラマンの作品としての個性が無くなってしまう。
―それでは、上原さんのウルトラマンは?
「金城のウルトラマンは一つの完成形。そのコピーでは、やる意味がない。
仰ぎ見る主人公ではなく、町工場で働く兄ちゃんが困難にぶつかりながら成長していく物語にした。
近未来ではなく、公害が深刻だった70年代の東京を舞台に、リアリティーの追求に腐心した。
例えば怪獣がビルを壊すと、僕は人々ががれきの下敷きになる場面を作る。これは金城にはない発想。でも僕はやる」
「初代ウルトラマンと変身するハヤタは一心同体だけど、意思はどちらにあるのかはぼんやりした設定になっている。
それで僕のウルトラマンは、変身する郷秀樹の意思を持つ設定にした。
また、初代は仰ぎ見るイメージだけど、僕のウルトラマンは子どもの目線に下げようとした」
「だから『帰ってきたウルトラマン』は僕をはじめ、いろいろなライターがやりたい放題にやっているよね。
初代『ウルトラマン』のような透明感はなく、斜(はす)に見た感じの物語が主流になっていった」 >>540
>この番組の基本コンセプトが、郷秀樹の成長物語だからな
上原さんもインタビューでもそう語ってるね。
私達は『柔道一直線』の要素を取り入れることにした。
主人公の郷秀樹の人間的な成長ドラマをタテ軸にすることになった。
郷を坂田自動車で働く若者という設定にし、
工場を経営する坂田兄妹とのふれあいを大事にした。
主人公をエリートではなく、隣のお兄ちゃんにすることで
視聴者の目線にヒーローを引き寄せることが出来るのではないかと考えたのである。 子供心に感じたのは
ウルトラマン=明るく夢が溢れる近未来の世界
セブン=クールでダークな未来の世界
帰マン=今自分がいる世界での出来事
これがリアルな感想。故に幼児期に夢中になれたのはウルトラマンの世界。
帰りマンのリアルな世界には初代のワクワク感は感じられなかった。
出だしの視聴率が悪かったのはリアリティで幼児のハートをつかむのが困難だったせいだと思う。 ウルトラマン=仄々としたロマン 人類が強い
セブン=シリアスなセンスオブワンダー
帰マン=悩むウルトラマンの人間態 人類が弱い
こんなとこが俺の感想 >>546
そう、新マンの世界観は等身大なんだよね
それまでの架空や未来の世界の話ではなく、現実の中に怪獣が現れる印象
主人公も悩み苦しみながら少しずつ成長していく
次郎くんのような子どもの絡み方も、初代のホシノくんまでの違和感が無く、世界に溶け込んでいると思う ニイマン(ジャック)はドラマに逃げ込んだとも言える。
また、ナックル戦以降をドラマだとかは、到底表現はできない。ナックル戦にもドラマはない。 あれはカット割りが悪かった
微笑む次郎→微笑み返す郷、だったら何の問題もなかった
脚本はそういう意図だったと思うのだが 別れたのなら復縁の可能性も考えられるが、死んだならさっさと頭切り替えて新しい彼女探さなきゃ >>552
その発想が日本人っぽくない。
異星人であるウルトラマンジャックの発想だ。
そう言えば、北斗もゾフイーをないがしろにしていた。
ウルトラは、情に薄いのかも。 >>548
等身大でリアルだからマットのギスギス感が幼児には辛かった。
科特隊には親近感、ウルトラ警備隊には憧れと格好良さを感じたのにマットにはメカを含めてワンダーを感じなかった。
視聴率苦戦したのは隊員同士のギスギス感が幼児にはストレスだったのが一番の理由かもね。 >>551
普通に「良かったな次郎くん」っていう安堵の微笑みにしか見えないんだが?
あれを「おっ!ええ女やんけw」と解釈してる奴がいるとは・・ >>557
郷秀樹だけでなく、MATのメンバーも科特隊やウルトラ警備隊のような「スーパーエリート」から引きずり下ろし、一人の人間として描こうとしていたのかもしれないね
それは冬木先生の音楽にも現れているように思う
MATのテーマとして録音されているM-1、M-2自体が勇壮なものでなく、「試練」「苦悩」を現しているように聞こえるし
M-3は勇壮ではあるが、勝利に向けての戦いでは無く、決死の戦いに臨むように聞こえる >>561
マットのテーマは哀愁や悲壮感が漂うんだよね
聴いててグッとくるんだよ。 >>562
同じ冬木先生のウルトラセブンではヒーロー登場曲などセブンテーマモチーフからレコーディングされている
それが新マンではMATからで、ウルトラマンのテーマは12曲目
オケの編成などの理由もあるだろうけど、それだけ人間ドラマに重きをおいていたのかもしれない
ちなみにウルトラマンAもM-2のTAC関連からで、ウルトラマンは6曲目
これはその時のM-2TACのテーマのオケにボーカルを加えたものがシングル盤のカップリングになっていたことから、優先されていたのでは…
レオはM-1レオのテーマから、MACは11曲目から
もちろん個人的な推察に過ぎないけどね >>558
愛がないんだよ
だから悪い方に解釈する。>>542とかな。
またそういう言い方すれば俺みたいなのが触れてくれるしな。
いいね欲しさにバカな事するバカッターと同じ。 郷にとって一番大事なものは光の国だったんでしょ
人間・郷秀樹は死んだのだから地球での使命を終えたら
ウルトラマンジャックとして光の国に永住するしかない
だからルミ子さんとの結婚も諦めて次郎にも別れを告げなければならなかった ダンは「僕はね、人間じゃないんだよ」と言ったけど
郷は「僕はね、人間じゃなくなったんだよ」という心境だったろうな >>564
いつも荒してる>>542の人は相手してほしいだけだから。
でも本気だとしても読解力も知識も少し足りない。
それは上原さんの言ってることで証明できる↓
>「『帰ってきたウルトラマン』でひとつ言えるのは、子供たちに
『自分で考えて行動しなくちゃいけないんだ』ということを伝えたかったんですね」
>「親に言われたことを、先生に言われたことをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、
自分の価値観で反芻して、自分の足で立って、自分の目で見ることができるような
子供になって欲しいという思いがありました」
実際に当時子供だった庵野はこの最終回を見て
「大人はいつかいなくなるんだ、子供もいつかは自分でやらなきゃいけないんだ」
と子供ごころに感じたそうだ。
ファンをおちょくろうとして書き込んだ>>542は作家の意向を理解できなかった人。
庵野の様にその想いをちゃんと受け止めれない感性の鈍さを自らを晒してしまった。
でも責めてはいけない彼の言葉を借りるなら「間違いは誰にでもある」 どうしてそんな変な解釈するかねえ。
忖度して理念なんか読みとる必要はない。
ウルトラマンジャックが次郎君を見捨てたのは事実。
坂田兄妹惨殺の後に何事もなかったかのように、女子大生へ行ってしまうのも事実。
・・さんはそうかんがえていない、・・さんの演出がおかしい
そういう問題ではない。
現実に同じような展開のウルトラマンレオは、ちゃんと死を悼んでいるぞ。
ドラマ内の常識を無視しているからおかしいと言われている。 路線変更しても、いくらでも坂田兄妹への演出はできたはず。
それを行わないで、大したピンチでもないくせに、いきなりどこかへ行ってしまう、ウルトラマンジャック。
レオやエースのように、正体が知られると去らなければならない(謎理屈ではあるが)ルールに則り、去る。ウルトラマンを返却して去るタロウ。
では、ジャックはどうして地球を去ったのか?
ちゃんと考える問題だよ。 郷秀樹は第1話で死んだ
だから郷を生き返らせてくれたウルトラマンジャックに恩返しするために
光の国に永住しなければならなかったからルミ子さんと次郎に別れを告げたんじゃないかな?
ジャックと郷を分離させてゾフィーが命を二つ持ってくれば、
郷は人間としてルミ子さんと次郎のそばにいてあげることもできたんだろうが
バット星人のウルトラ抹殺計画でゾフィーはそれどころではなかった >>568
>542は間違いではなく悪意だよ
みんなと同様分かってるよw
最終回における上原さんの思いをここで語るついでに触れただけだから。
会話が成り立たない人間だから基本はずっとスルーしてる。 >>571
魂もそうなんだけど、郷とウルトラマンジャックの意識自体も一体化していると思う。
最終回の郷にとって、地球人は守るべき対象ではない。現地妻(いやな言葉)を捨て去るように、置き去りにしてしまう。ウルトラマンジャックとの意識が一体化してしまっていたんだろうと思う。
ただ、次郎君に対する態度は許せなかったなあ。 しかし最終回は何度見ても胸にこみあげてくるものがあるね。
まあ光の国へ去るのは唐突感があるのは否めないけど。
ただ郷の優しさ=上原さんの子供に対する優しい目線はひしひしと感じる。
大人は子供に対して何か残してやる責任がある。
この場合は次郎君の自立なんだけど「ウルトラ5つの誓い」の内容は上原さんの
「みんな元気に健やかに育ってくれ」という子供達への慈愛に満ちた言葉に思えて泣ける。
上原さんありがとうございます。
あらためて合掌。 ウルトラマン、ウルトラマンセブンに比べて感動する要素がどこにあるのか?
ウルトラマン最終回の伝説、日本中の子供たちが窓を開けて、ウルトラマンを見送った・・・
まさに伝説だろう。
ウルトラマンジャックが及ばないのは当然だとしても、バッジを返し市井に生きていく決意を示したタロウ、決着をつけて(ブラック指令を倒しのは杉田かおるだが)ヨットで去るレオに負けるのはどういう事か。
ジャックの最終回にカタルシスがあるか?
自分に嘘をつくのはやめたまえ。 大人になって分かることってある。
子供に対する優しい目線。
「ウルトラ5つの誓い」
「オール怪獣大進撃」
「大魔神逆襲」
「昭和ガメラ」
これらはかつて第一期のマニアには「幼児向け」と卑下されていた。
だが今になりそれは卑下されるものではなく
感謝と敬意を持つべきものとして評価している。
だがそういう作品に込められた想いを感じ、偉大な先人たちに感謝できない人間は
いつまでたっても成長の止まった子供のままなのだろう。
子供たちのために何かを伝え残していかねばならない立場の大人が、
その責任を放棄して悪意をもって作品を語ることは、
先人たちの想いも子供の未来も踏みにじる下賤なことと認識すべき。
まあ今は大人じゃないから理解できないのは仕方がないがまだ間に合う。
人生をすでに半分浪費していようとも。 当時の子供からも「えっ?」となったものが今の大人からも、え?となるのが道理だろう。
大人になってわかるのは、セブン最終回の意味ぐらいだろう。
ウルトラマン最終回は、今の大人が見てもふつうに感動するぞ。
人間の独り立ちの物語、自分たちの足でたっていこうという決意だからなあ。
子供向けと子供だましを混同するな。
昭和ガメラは空中戦までだ。それ以降は、子供だましだ。
ウルトラマンジャックは、ナックル戦で事実上の最終回だ。
これは否定しがたいのではないのかね?
自分に正直になりなさい。
自分に嘘をつくのはやめよう。 >>576
つるっと書き込んだだけ。間違いだ。すまんね。
だいたい、ウルトラマンジャック最終回以降の、地球防衛はどうなるのかね?なにも示さずに無責任に終了している。
MAT基地は壊滅、かっこわるい侵略者とブヨブヨゼットンは倒せても、そのほかの怪獣は野放しだ。キングボックルの地表侵略はどうしたんだ?野放しか。
科学特捜隊はダメージは受けたが、村松キャップの言葉通り、これからは地球人の手で平和を守っていく。イデも最終回前にそうなっていたろう。
MATは壊滅かよ。 バッジを返し市井に生きていく決意をしたのは人間・東光太郎
タロウは光の国に帰り教官となる
そしてあの優れた弟子を育て見事に怪獣使いの決着をつけたのだ >>577
ウルトラ5つの誓いはタロウの弟子が人間から聞いて知り、その魂が受け継がれていた
また郷秀樹の偉大なる感動的な名言は
「人間の強さと弱さ、美しさと醜さ、両方を知らなければならない」 思えば子供の時帰ってきたウルトラマンを観たのは幸せな時間だった。
最終回は子供なりにこれから次郎くんが強く生きていくことを感じました。
いまは郷さんのように大人として子供に何を残してやれるのかを考えています。
上原さん素晴らしい作品をありがとうございました。
この作品に係わるすべての偉人達にあらためて合掌。
あなた達には感謝しかない。
↑ってなことを上原さんが亡くなって、改めて氏のインタビュー読んだり
作品を見直して感じるようになったな〜。
今さらながらすげえ喪失感・・・・ 全般的にウルトラマンシリーズの最終回はウルトラマンは光の国に帰らなければならない
人間の女性とも結ばれないし、人間の子供達にも別れを告げなければならない
仕方ないよ それはそうだ。
問題は帰り方だろうね。
怪獣に敗れ、地球人にその役目を託して帰るか。
戦いに疲弊し、恋人に別れを告げて帰るか。
奸計にはまり、正体を知られてやむを得ず帰るか。
能力を返して、人間としてとどまるのか。
仇敵を倒し、少年(彼の仇)別れを告げてヨットで去るのか。
最後はシメないと。
防衛軍は壊滅、怪獣出現の脅威は去っていない。はっきりとした恋人ではない。身内とも言うべき少年はおきざり。唐突な最終回。特に盛り上がらない絵。
脚本というよりは演出の未熟さかもしれないが、ウルトラマンジャックの地球への別れは変だったよ。
あおり無く断言する。
「ウルトラマンジャックの実質的な最終回は、ナックル星人戦だ」
ウルトラマンジャック最大の敵と言うことで、令和ウルトラマンウルトラマンタイガにも、ナックル星人が出てきたんだろ?
あれがバット星人じゃないのは何でだ?
バット星人(笑) バット星人小森は自分を差別し続けた地球人にゼットンを操って復讐しようとした
ホマレ先輩の「俺達を受け入れてくれる人がいるんだよ! いるんだよ!」
このセリフもまた怪獣使いの続編ともいうべきだろう シーゴラスの鳴き声って二日酔いの時にゲロ吐く音に似ている バット星人が低下層な仕事をしているのか、薄汚い服装で安アパートに住んでいたのは笑った(でも超可愛いピット星人と同棲)
正体を隠していたんだろうけど、そこまで地球の風習にあわせずに、超能力を活かした何か別の仕事はないのかな? 底辺層に紛れ込んでるだけで、仕事はしていないかと。 >>585
バット星人がウルトラの星に攻めてくるから
帰らなきゃいけないってのは立派な理由だと思うけどな
それを言うならエースの別れの方がよっぽど変だよ
正体をバラす事に関して何も言及してなかったのに
急に「バレたら人間に戻れないなんて」言い始めて帰っていく。ちょい無理矢理すぎる。 エースでは最終回で南夕子が「正体を知られたらもう人間の姿に戻れない」と言ってたな
それまでは「正体がバレたら帰らなければならない」なんて言ってなかったから、唐突だった タイガにも出てたのね、バット星人。
ここで取り上げられないので、知らんかったが。
見た目全然違うが、本当に同じ種族か。
・・ゴーネ系の顔だったのに、だいぶイケメンになってるんだ。 >>591
罠にはめられた印象が強いので、その変遷は気がつかなかった。
まあ、最後の敵は寄せ集め怪獣とヤプールだったわけで。
一応最終回っぽいかと。
シーゴラスも混じってたが。 シーゴラスも混じってたが
それはタイラントだろ
エースの最終回の話をしてたのに、なぜタイラントが出てくるんだ? >>592
タロウのテンペラー星人の回であっけなく人間の姿に戻れてたね
その後はダンディー4の一員として >>593
タイガに出てきたタッコングもバット星人もマグマ星人もオリジナルとは違う種族だよ
タッコングが人類に味方した時「帰ってきたウルトラマン」の「夕陽に立つウルトラマン」
を流したんだから、マグマ星人がイージスに協力したときも
「真紅の若獅子」を流してくれてもよかったんじゃないかな >>567
>「『帰ってきたウルトラマン』でひとつ言えるのは、子供たちに
『自分で考えて行動しなくちゃいけないんだ』ということを伝えたかったんですね」
>「親に言われたことを、先生に言われたことをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、
自分の価値観で反芻して、自分の足で立って、自分の目で見ることができるような
子供になって欲しいという思いがありました」
しかし今の世の中、このスレに出入りしてる人も含めていろんな人たちを見てると、
「結局、上原さんの力をもってしても、そういう人間を育てることはついにできなかったんだな・・・」と
どうしても感じてしまう。
「自分の目で物事を見てどう生きるかを考え、自分の足で立つ」という理想像とは
程遠い人たちばかりだ。 >>591
>>592
スレ違いになるが、エースは行き当たりばったり感が否めないな
南夕子の降板も本人には台本を渡す時点で伝わったと言う唐突さ
同時期の番組テコ入れ策にも降板が前提になっていなかったと聞く
その後に登場するダン少年もいつの間にか消えているし… >>598
マグマ星人が地球人に協力してんのか。
多様性の時代だねえ。
ウルトラマンジャックの頃とはえらい違いだ。
多少、個体単位での友好しかないウルトラマンジャックにはなかった発想だな。
セブンには種族単位での友好条約が出てきたような・・。
ウルトラマンジャックには殺伐とした宇宙人しか出てこない・・・。 「A」のドタバタ感は第二期の中でも特筆すべきものではあるが、
「帰ってきた」スレの中ではスレ違い >>602
バキューモンの危機を知らせに
人間に憑依したザニカは? 種族単位か個体単位かの話を抜きにして
殺伐としてない宇宙人と言ったらミステラー星人も友好的だな ミステラー星人も善玉と悪玉がいるだろ
マグマ星人にも善玉はいるし、ウルトラマンにもトレギアのような悪もいるんだよ 先週の日テレで聞き違いによる放送事故騒動があったけど、
このスレ特有の「やったーすったほんろー」を何故か思い出したw >>601
南夕子については本人(役者)も知らなかったようだねえ。
ヤプールはどこかへ行っちゃうし。
超獣もよくわからんし。
>>604
個体単位だと思うよ。
ザニカ族の代表でなければ。 >>608
まぁ殺伐とした宇宙人しかいないってのを否定するには
個体か種族かなんて関係ないな エースの話するならエースのスレでやってやれよ
全然書き込みないぞ バット星人やタッコングが出ているときはいいんじゃない? エースだってジャックとウルトラマンの仲間じゃないか >>603
>>610
失礼
ただ、「帰ってきたウルトラマン」も、懲罰のためか上原先生が抜け、市川先生がメインライターになる次回作「ウルトラエース」の準備の為に抜けた「第4クール」
そこから作風が変わり、どことなくエースの展開に似ているような気がしてね
「ウルトラマンエース」も途中で市川先生が抜けてから、方向性が変わった感がある
やはりメインライターが不在となることが作品自体に大きな影響を与えたのではないかな >>613
そうだな。ここがジャックとウルトラマンの仲間スレ
なら文句ないんだけどな ジャックとその仲間でいいじゃん。
多少の脱線はOKさ。 別に自治厨を気取るわけじゃない。
ここと比べて過疎ってるから
行ってやれって事だ >>615
懲罰と言うけど、実際は「帰ってきた」の方向性が変わった第18話以降の34本のうち、
上原氏が書いた本は7本しかない
第18話の時点で上原氏はもうメインライターじゃないんだよね
この時点で上原氏と橋本Pの間で軋轢というかうまくいかないところがあったのではないか
ちなみに上原氏と入れ替わるように入ってきた石堂氏が9本書いて後半では最多 >>619
メインライターって、基本は方向性を定めるためにスタート当初に集中して書き、シリーズの方向性がまとまったあたりから本数を減らして、他のライターに分散するのだと思う
少なくともコンスタントに書かれていた38話まではメインライターであったと思うよ >>599
いい歳こいてスレ荒らしに貴重な人生の時間を浪費してるキチガイとか見るとねw 橋本Pと軋轢と言うか確執関係にあったのは
上原氏では無く市川氏の方
市川さんは橋本Pのテーマ主義に徹底して反抗し
ベムスターの話から途中参加した新マンを早々に降板してしまった
怪奇や新マンを見てれば橋本Pと上原氏が相性が良かったのはわかる
合わなかったのは市川氏であり金城氏 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています