バッハの時代はまだ音楽を「芸術」だとみなす考え方がなかった バッハ自身も
自分のことを芸術家ではなく、職人のようなものと考えていた 音楽を「芸術」と
みなして「創作」を始めたのはベートーヴェンだが、その時代でもその考え方を
受け入れる人は多くはなかった それが完全に確立されるのはブラームス〜
ワーグナーのころ

その過程で優れた「芸術音楽」とは何か、という基準もできあがっていく それは
岡本太郎が「爆発だ」と呼んだ、作品の持つインパクト(心の底から震えさせて
くれるあの感覚)と、創造性(=パクリはダメ)という二つの要素を併せ持っている
こと、というものだった

ラヴェルだったかが弟子に向かってこう言っている 「学ぶは真似ぶである 諸君は
大いに先人の優れたところを真似なさい そして、とことんまで真似ようとして、
それでも真似きれない部分があることに諸君は気づくであろう それこそが諸君の
個性である そこに光るものがあれば、諸君は語るべきものを持っていることに
なる」と 個性に光るものがなければ、語るべきものはない、ということでもあり、
多くの芸術家がこれと同じ意味のことを語っている

確かにバッハの作品に先行する他の作品の「パクリ」とみなせる部分はあるものの、
それはその時代の価値観によるもの 創造性こそが芸術家の命であるという考えは
その時代にはなかった それでもバッハは「光る部分」を十分に見せている

多くの作品を残し、のちの芸術音楽の礎となったバッハを「パクリの集大成」と切って
捨てようとしても、まあ誰も取り合わないよ