現代の作曲家が純粋に芸術音楽を創作してもなかなか発表する機会はない
採算が合わないということだろう

佐村河内守を日本のメディアは「現代のベートーヴェン」などと持ち上げていたが、
聴覚障害者でありながら作曲するという、一種のストーリー性にメディアが飛び
ついただけ 確かに、「感動的な」曲ではあったが、芸術という観点からすれば
パクリの集大成でしかなかった あの作品が芸術音楽として認められるのであれば
世界中の作曲家は誰も困らないだろう

そんな楽曲でさえ「ストーリー性」があって初めて世に出てくる 「芸術家」に
とっては現代は生きにくい時代なのだろう