始まった当時、中学2年でした。
久々の実写ウルトラマンという事で期待して毎週観てました。
夕方5時からの「夕焼けロンちゃん」でも毎週水曜日は円谷の満田さんが解説で登場し、
その日の80の見所紹介なんかもありました。
特撮がとても緻密で、戦闘シーンの街のセットの作り込みも細かくて、電線ナメの80対怪獣なんかは妙にリアルで関心しました。
しかし音楽の使い方がワンパターンなのは当時からあまり好きではなかったです。
それと、全体的にこざっぱりし過ぎていて、やや取っ付きにくい所もありました。
何か「優等生過ぎる」みたいな(笑)。後、後年になって知る所となったのですが、
企画の意図が「80年代のウルトラマンを創る」という事で、先ず念頭から「ウルトラマンありき」が実はネックだったのではないか? と感じました。
かの実相寺昭雄監督は生前、ある短編ドキュメントで「物語を発想するのにウルトラマンからの発想はない。怪獣からどうしても物語は生まれて来る」という主旨の発言をされていますし、
帰りマンからプロデューサーになった橋本洋二さんも、人間ドラマの中で郷秀樹が死力を尽くした最後の最後にウルトラマンが現れる=死力を尽くすドラマがあってウルトラマンがある、という考え方です。
作品それぞれのドラマ、帰りマンなら郷の成長、Aは人智を越えた善悪の戦い(その設定は最後までは生かし切れず)、
タロウは現代版の神話創成、レオは企画書の副題通りの 生きる厳しさと哀しさを鮮烈に謳う、と、それぞれドラマの核となる指針がハッキリと示されていました。
80の場合、ウルトラマン先生という方向性はあったにせよ、あくまで「ウルトラマンが先生なら」という発想からで、全体的なドラマの方向性は示されていなかった様に思います。
矢的猛の物語です、と言えるのかも知れませんが、30分引き付けるドラマに芯が通らなかったのが80の弱い部分だったと思います。
先生編が途中でなくなったのも大きな痛手だったと思います。
ただ、ウルトラマンと地球人との関係性を、時代に即して描き切った点はもっと評価されていいと思います。
自分も、戦わずして地球を去る最終回は好きです。
自分としては、レオまでの濃厚なウルトラのドラマを見慣れていた分、80の洗練された世界は少し薄味で物足りなかった、という所です。