この番組ができた動機は熱いぞ・・・。

NHKが1953年2月1日、東京テレビジョン局を開局し、歴史は大きく動き出しました。
急速に民放の開局ラッシュが続き、番組の種類も豊かになっていきます。
当時TVの主流になっていたのはアメリカからの輸入テレビドラマ、欧米からの輸入映画なども隆盛を極めました。
アメリカ製テレビ映画が始めて日本のテレビに登場したのは昭和31年、その後8年間はアメリカンテレビ映画の全盛だったといいます。
ドラマ制作黎明期のテレビ界、番組を埋める為に米国から輸入していた。
アイ・ラブ・ルーシー、スーパーマン、パパは何でも知っている、
名犬リンチンチン、名犬ラッシー、ハイウェイ・パトロール、ヒッチコック劇場、弁護士ペリー・メイスン
ここらへんは1950〜1960年代にはすでにありました

だが原作者の川内康範は・・・。

1958年当時、貧乏国である日本、当時1ドル=360円の時代の日本が
貴重な外貨を費やしてアメリカのテレビドラマを輸入することは国益に反すると憂慮していた。