本多は、自分が日大芸術学部にいたとき黒澤は社会で苦労していたと言ってた。
黒澤は大学に進学せず、画家を目指し展覧会で入選したり子供むけ雑誌の挿絵を
描いたりしながら、プロレタリア美術研究所にも通っていた。
思想的に特に共感したわけではないが、感じ入るものがあって関わったけど、
そしたら権力から凄い弾圧があって、負けるもんかと警官を振り切り逃げたり
当時病気で体調が良くなかったのに、よくあれだけ走れたものだと回想していた。
そんな黒澤と違い、自分は大学生として気楽な生活をしていたと言って
本多は黒澤に敬意を表していた。違うことでむしろ通じることもあるよ。