特撮の撮影裏話
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たまにはあげてみる。
宮内語録は話半分で聞いておくと吉。 円谷英二さんは、当初
TDFの制服をオレンジにしようとしていたのだ >>101
ヒーローは歳をとってはいけない!
だもんな〜。
>>102
もしかしてMATの制服はそれでか?
防衛隊の制服って夏暑くって冬寒いって話……は、科特隊かZATの話だっけか?
多分みんな大差ないと思うが。 ハヤタの黒部さんが当時無免許で、撮影中に車をぶつけて傷つけた、
つ〜話はなぜに未出?有名すぎなのか? 昨日のNHK・BSのトクサツナイトでつるの剛士が言ってたけど、
制服は皮だったんで、夏は暑いし冬は寒い、でもそれが断熱・保温だけでなく、
宇宙空間でも平気な服、って設定なもので、汗なんか浮かべるわけにいかない。
「営業」wなんかで、子供たちの前に行ったときなんか大変だったそうだw しかもアンヌはサイズひとつ小さい服を着てたんだっけ。
これも有名? ピチピチで中が大変な事になってるアンヌの隊員服。。。。
ごめん、ツボだわ。 >>103
いや、MATの制服があの色になったのは、
「帰ってきたウルトラマン」だから、MATにオリジナルのウルトラマンの
科学特捜隊のイメージを残そうとして、制服をあの色にした、
って前に何かで読んだ覚えがある・・・ >>107
最初のうちね。
もともとアンヌの役は菱見さんではなかった。
で、最初に予定していた人のサイズでアンヌ役の制服を作ってしまった為、
自分にあうサイズの制服ができるまで、菱見さんはそれを着るしかなかった。 >>111
無免じゃないよ。前任者二人が事故ったり無免だったりしたんで、
特に気を使ってスズキのテストサーキットでテクニック講習まで受けた。
コケタのはむしろ、バイク慣れして調子コイた上の油断。
藤岡弘の事故も、同様の油断だったって本人が回想してるね ウルトラQ放映が開始されるとすぐに次の企画が検討された。
最初は、べムラーという河童のような怪人が登場する話むだったそうだが、
@怪獣退治の専門チームを登場させる
Aヒーローを登場させる。
B@とAは未来科学的なイメージとする。
こうして誕生したのが科学特捜隊であり巨大ヒーローウルトラマンとなる。
この科学特捜隊というスタイルはその後のウルトラシリーズの教科書的原点となる。
ウルトラマンの撮影が終盤に差し掛かる頃、はやくも次の企画が検討される。
この企画の初期段階では、少年を主人公としたものだったらしいが、様々な意見・アイデアを検討していくに従い、
宇宙人の侵略をテーマとした企画で、ストーリーにほのかなラブロマンスを組み込んだものとして次第に纏まっていった。
ここで問題となる宇宙人モロボシ・ダン役を誰にするかで示された条件は、目がきれいなタレントを起用するということだった。
そこで当時撮影中であった『天下の青年』に出演していた森次晃嗣氏に白羽の矢が立ちなんの異論もなく起用が決定された。
尚、森次晃嗣氏はウルトラマン撮影の見学に行き科特隊の制服の色に難色を示していたらしいが、
ウルトラマン撮影中に出来上がったウルトラ警備隊の制服が、とてもシックで気に入ったとされている。
次に企画書にはほのかなラブロマンスという要素があるため、ヒーローだけではなくヒロインが必要となってくる。
そこでヒロインに起用されたのが東宝の新進女優だった豊浦美子さんである。
ところが、東宝が別の映画を撮影するために豊浦美子さんを引っ張っていってしまったため、ヒロイン役に欠員が生じてくる。
ここで『天下の青年』撮影が終了した菱美百合子に円谷プロからのオーディションの声がかかる。
そのときのオーディション時のスチール撮影が、一般的に知られている『アンヌ隊員』の写真である。
また、このオーディション時に奇しくも撮影から帰ってきた森次晃嗣氏と再開し、一緒にスチール撮りを行う。
ちなみにこの撮影はウルトラセブンの最初の撮影『湖のひみつ』の撮りだったとされている。
一般的に知られているダンとアンヌがポインターの前で映っている写真は、これもオーディション時のものである。
こうしてウルトラセブンという最高傑作が誕生する。
が、放映直後から中盤あたりまでは視聴率30%あったが、次第に視聴率が低下し終盤では視聴率10%台まで落ちてしまう。
しかしながら、後年セブンの傑作とされる一連の作品は、このあたりに製作される。
代表的な作品としては、『盗まれたウルトラアイ』『勇気ある戦い』『ノンマルトの使者』『第四惑星の悪夢』『円盤が来た』など。
さて、セブンの武器であるアイスラッガーとは、もともとの名称がウルトラセブンではなくウルトラアイであるところからの名残。
ウルトラセブンとは『我らご先祖様ウルトラセブン』という企画からの借用。
>>112
あれは油断と言うより、むしろ本当にヘタだったからだと思う。
宮内洋は「ライダー」をやる前は、撮影でバイクに乗った事は
数えるほどしか無かったらしいし。
そこから努力して、第2クール目にはもう「手放し変身」をやってるんだから
大したものだよ。 ウルトラシリーズの一連の作品の特色を述べると、
『ウルトラQ』は、自然界のバランスが崩れたアンバランスゾーンをテーマとしている。
元もとのタイトルもウルトラQではなくアンバランスゾーンだった。
次の『ウルトラマン』は未来科学的な怪獣退治の専門チームと巨大ヒーローの活躍がテーマ。
次の『ウルトラセブン』は宇宙からの侵略をテーマとしかつほのかなラブロマンスを組み込んだでものある。
次の『帰ってきたウルトラマン』は形式的にはウルトラマンだが、本質的にはセブンの延長線に位置づけることができる。
次の『ウルトラマンA』は地底の怪獣や宇宙のからの侵略とは一気に趣向を変えた『異次元からの侵略』である。
以降の作品については完全な子供路線であるため述べない。
1993年にNHKで2週に渡って放映された『わたしが愛したウルトラセブン』は、
1988年に放映された『ウルトラマンを創った男達』の続編として位置づけられるが、
『わたしが愛したウルトラセブン』は、かなりフィクションが混ざっているため、本格的なセブン製作ドラマとして位置づけることはできない。
従って、『ウルトラマンを創った男達』の続編となるセブン製作ドラマは未だに創られてはいない。
ウルトラマンの次期企画は当初は少年を主人公とした企画であったが、
青年のサクセスストーリーに変更されていく。
ウルトラ警備隊にドライバーとして採用され最後に正隊員になるまでを描いたものだったらしい。
その初期企画が反映されているのが初回の『姿なき挑戦者』である。
撮影自体は3クルー。
>>113
すごいね。
蛇足をいくつか。
>この企画の初期段階では、少年を主人公としたものだったらしいが、様々な意見・アイデアを検討していくに従い、
当初のタイトルは「ウルトラ警備隊レッドマン」
ウルトラカーの運転手である諸星弾少年はR星人とのハーフで、危機に陥るとウルトラ・アイでR星人レッドマンに変身するという設定だった。
レッドマンはウルトラマンの企画段階のタイトルから。REDMAN(赤い人)ではなくLEDMAN(導く人)。
後に仮タイトルが「ウルトラアイ」と変更された。
>さて、セブンの武器であるアイスラッガーとは、もともとの名称がウルトラセブンではなくウルトラアイであるところからの名残。
だから英語表記は「EYE-SLUGGER」。
>ウルトラセブンとは『我らご先祖様ウルトラセブン』という企画からの借用。
七人の原始人(というか直立猿人)の日常をコミカルに描く実写番組、という企画。
同企画の試作品の着ぐるみが「戦え!マイティジャック」の宇宙猿パッキーに流用された。 ウルトラセブンのヒロイン友里アンヌの名称については諸説があるが、
一番有力な説は、タレントの真理アンヌさんの名前を意識して命名されたという説である。
つまり円谷プロの製作スタッフに真理アンヌさんのファンがいたということだろうか。
しかしながら、一連のセブン作品を見ていくと外国人女性の出演が意外と多い。
例えば『宇宙囚人303』『ウルトラ警備隊西へ』『プロジェクトブルー』など。
従ってウルトラマンの次期企画の初期段階でヒロインを外国人かハーフに設定していたのではなかろうか。
ここから一つの推測ができるが、本当は真理アンヌさんをセブンのヒロインに起用するはずだったのではないか?
という推測だ。
その伏線がないわけではない。ウルトラマンで科学特捜隊の隊員パティ役で出演しているからだ。
従ってウルトラセブンのヒロインは、
真理アンヌ→豊浦美子→菱美百合子という変遷を辿ったのではないかと推察することが可能である。
>>118
>ウルトラカーの運転手である諸星弾少年はR星人とのハーフで、危機に陥るとウルトラ・アイでR星人レッドマンに変身するという設定だった。
そうだっんですか。そこまでは把握していませんでした。
するとヒロイン友里アンヌというハーフを連想させる名前は、やはり当初は外国人かハーフ系タレントの起用を考えていた可能性がでてきます。
そこで最も可能性が高かったのヒロイン役むは、やはり真理アンヌさんではなかったかという仮説がでてきます。
この仮説が正しい場合、なぜ真理アンヌさんがヒロイン役に起用されることがなかったかの疑問が出てきますが、
この疑問を解く鍵は豊浦美子さんと菱美百合子さんに共通するファクターにあると思います。
両者ともどちらかというと子供受けしやすい顔立ちであることがわかります。
対して真理アンヌさんの場合はアダルト過ぎたために起用が見送られてしまったのではないかということです。
ウルトラシリーズ屈指の名車ポインター。
実はこのクルマ、当時の世田谷区用賀にあった廃車処理工場に捨て置かれていた外車を
安く買い取って改造しリニューアルしたものである。
撮影中によくエンストを起こしスタッフを苦労させたらしい。
劇中で颯爽と走るポインターだが、このシーンについては、実はエンジンをかけないで、
ニュートラルでの走行を撮影したものが多いらしい。
撮影のための移動間では後部のウィングは取り外して走行していたとされている。
>>119-120
前作の「ウルトラマン」が海外で放映されて好評だったので、
「ウルトラセブン」では海外で放映される事を意識して製作された。
だから、番組初期では一般家庭のセットなどは日本的な畳の和室では無く、
テーブルや椅子やベッドなどの洋室を撮影するように決めていた。
しかし、ジッソーはこの事を知らず”畳にあぐらをかく宇宙人”を出してしまった。
>撮影のための移動間では後部のウィングは取り外して走行していたとされている。
本来の車体の全幅から突出する寸法の突起物だからですね。 ウルトラセブンの武器であるアイスラッガーを考案したのは、
当時の特殊技術担当だった高野宏一氏である。
>>128
設定はともかく、“アイスラッガー”って名前をつけたのは、脚本家の藤川桂介じゃなかったっけ?
たしか爆笑問題の番組で本人が出てそんなことを話していたような。 実相寺氏の本に書いてあったが、セブン後半の特撮現場は予算削減でやる気がなかったらしい。
初代マンなら特撮が少ない話だと特撮班は怒ったが、セブン後半は特撮が少ない話を喜んでいた。
円谷英二氏もあきれて現場に来なかったとか。
あと「タロウやレオの特撮は低予算」
というのは嘘。
上手くマーチャンダイジングの収入を見越して予算を上乗せしていた。
「ウルトラに予算は関係ないのか?」と他のドラマ現場から羨ましがれていた程だったそうです。 >>120
金城さんが真理アンヌのファンだったんでしょ? 念願かなって「蒸発都市」では
ゲスト出演してもらっている。
>>130
実相寺はウソツキだよ。昔はセブンの特撮の安っぽさをバカにしていたのに、
「ウルトラマンができるまで」では「あれはあれでそれなりに見えるからいい」
と掌を完全に返した。その頃はウルトラネタがウリになるから態度を変えたのだろう。あの人は本当にいい加減。
タロウの特撮がカネが掛かっているのは観りゃわかる。ミニチュアのスケールが
尋常じゃない。レオはオイルショックの影響で徐々に安っぽくなっていった、これも有名な話。
つか、誰でも知ってるような話しかないじゃん、このスレ。 >>131
1クール目の2本を取り終えて京都で「風」に参加して、現場のテコイレ図ってた橋本Pの要請で終盤に再び参加すると、
現場のメンツが入れ替わっていた。
それまでの主力がゴッソリMJの方へ抜かれ、悪く言えば2軍がセブンを任された感じだった。
怪奇の初期でも飯島さんがスタッフのやる気のなさにマジギレして、現場を放棄したって話もある。
「ウルトラマンができるまで」は対象年齢が低めに書かれた本なので、露悪的な表現を控えたのだと思う。 残業するのを嫌って 仕事をこなすだけの現場。
狙った画も撮れないし 演出も手間暇のかけたのをさせてくれない現場。
効率だけが優先されるから演出家の個性なんかでるハズないわな。 >>132
セブンからMJに完全移行した特撮スタッフって、佐川和夫と深田達郎(特美)
くらいでしょ。大木淳はMJとセブン後半を両立させてたし、MJ特撮班で
カメラを廻した稲垣涌三は、セブン前半では本編の撮影助手を務めていた人。
>>131さんも指摘しているけど、実相寺の証言だけを信じない方がいい。
飯島監督が怪奇でブチ切れたのは、初登板の「白い顔」(実は「壁ぬけ男」よりも
製作順が早い)でしょ。守田Pが歌舞伎座テレビ室から「ギャラが安い」という
理由で質の悪いスタッフを大量に連れてきた。福沢康道カメラマンは、怒って
現場放棄。飯島氏は監督権限で歌舞伎座テレビ部のスタッフを全員解雇、カメラマンを
稲垣涌三氏に替えて(これが稲垣の撮影監督デビュー)再開した。歌舞伎座の劣悪な
スタッフ参入は、おそらく「白い顔」の一本だけ。 セブンからMJに完全移行したスタッフ。他には関口政雄(特撮班撮影助手)や
井口昭彦(特撮班美術助手)を追加。MJの場合、セブンのメインスタッフよりも
むしろセカンド的な立場にあった人を多数起用したという感じだな。 >>131
誰も知らないような話がしたいなら、2ちゃんなんかよりもっと濃い所に行きなよ。 >>136
実相寺が当時美術の池谷とケンカしたって言ってるから、成田さんが抜けたことが大きかったのかもと思う。
盃UFOも注射器ロケットも池谷が指示して用意されたものだったようで。
その池谷とその後コダイを組んで、今でも続く長い付き合いになったのだからわからないってフォローしてたけど だからと言って実相寺と成田が仲がよかったわけじゃないよ。 >>138
そういう言い方をしなくてもいいだろw ただ、真理アンヌの件とか知ったかぶり
して延々と書かれるとさすがにハラが立つ。そんなの「裏話」でも何でもない。
>>136
福沢さんは東宝の本編の人なので、そりゃ早撮りのTV映画でもそういう
ことをされるとさすがにハラが立っただろう。成瀬の「女の中にいる他人」を撮った人だしね。
>>139
池谷氏に言わせれば、「お金がないんだから仕方が無い」ということなんでしょうね。実際、
低予算特撮でも今でもそれなりには見えるのは事実。 あえてメジャーな物で。
『ウルトラマンタロウ』パンドラの回
篠田三郎が乗ったロケバスが事故を起こし、こんにゃく畑に落下。
幸い怪我人は出なかったが、こんにゃくは閻魔大王の好物なので
エンマーゴを倒した報いなのでは、という噂がスタッフの間に流れた。
『ウルトラマンレオ』マザラス星人の回
砂丘での撮影中に富永みーなの目に砂が入り、撮影は中断。
だが、ロケを見に来ていた地元の人が母乳を目薬にして富永の目を治療。
すると富永の目はたちまち回復、撮影は続行された。
『仮面ライダー(新)』2号ライダーゲスト出演の回
ロケ先のホテルに自殺した男の霊が出没、記録スタッフに乗り移ったが、
それに気付いた佐々木剛が祓った。
本当かウソか知らんが、メタルヒーローの製作会議か何かに平山亨さんも居たとか。本当かどうか知らんが。 仮面ライダースーパー1のVマシーン造形が完成して、
主演の人が喜んで試乗してきて帰ったら一言「コケちゃいました」
実はその直後にオープニングを撮影しているので、
どこかに割れた痕跡があるらしい OPのクレジット表記を改めて調べてみました。
セブンの第26話以降、MJに異動した特撮スタッフはB班の人達ですね。
残留したA班の苦労は、想像を絶するものがあった筈。予算・スケジュール共に。
『ウルトラセブン』第1話〜25話の特撮スタッフ
◆A班(高野組)◆ ◆B班(的場組、大木組)◆
撮影 鈴木 清 撮影 佐川和夫
美術 池谷仙克 美術 深田達郎
照明 小林哲也 照明 小林和夫
操演 平鍋 功 操演 沼里貞重
助監督 円谷 粲 助監督 東條昭平
撮助手 中堀正夫 撮助手 関口政雄
>>145
特捜最前線で撮影所に居た、藤岡弘に見せに行ったんだとさ >>140
成田氏は実相寺の事、ボロクソに言ってたよ。 >>148
お互い色々あったみたいだけど、とりあえず成田さんは美術には予算無視して高い要求してたみたいだから。
実相からするとそれでも不満があったのに、池谷さんに変わって輪をかけて予算の切り詰めが厳しくなったのが不満だったのだと思う ここでも守田pの話題が出てきたか。
ある意味時代を超えた人気者だな。 >>145
そのVマシーン(ジェットのほうだったかもしれん)、撮影終了後に外装取っ払われて
ハーレーマニアでもあるミッキー・カーチスがもらってっちまったとか。
一説によるとミッキーのおっさん撮影中から密かに狙っとか。 >>146
状況がやばくなると、そのA班の人間が駆り出されることもあったらしい… 仮面ライダーの主役が本郷から一文字に変わったのは
本郷役の藤岡弘が撮影中にバイク事故で大怪我をしたため
藤岡弘は仮面ライダーの第一話を入院先の病院で見た >藤岡弘は仮面ライダーの第一話を入院先の病院で見た
仮面ライダーの研究本をはじめとして、この事故のことを書いている本の多くが
こう書いているが、実際には藤岡氏は病院では見ていない。
今でこそ、レンタル業者に委託してテレビを病室で見ることができる病院も増えた
が、当時はまだ小型のテレビは普及しておらず、病室にテレビを持ち込むことなど
ほとんど許されなかった。
「病人は静かに寝る」…当時ほとんどの病院ではこれがあたり前のことだった。
また、実際の藤岡氏の怪我の状態はかなりひどく、怪我をした日の夜は、
とてもじゃないが、テレビを見ることができるような状態ではなかったそうだ。 (´・ω・`)そういえば、平山さんの著書では藤岡さんの事故を電話で聞いたときは、すでに放送の終っていた1話の視聴率が芳しくなくて、
盛り返しを図らなければならないと思っていた矢先だったって書いてた…
事故は番組スタート前ではなく、番組開始間もなくってことかね? >>156
この間(と言っても何ヶ月も前だけど)、テレビで藤岡さんが言っていた。
何の番組だったか忘れちゃったけど、藤岡さんの所にインタビューに行って
「藤岡 弘、」の『、』の意味を聞いたりしていた。
その時に、仮面ライダーの撮影中の事故のことも話題になったんだよ。
病院に担ぎ込まれた時には、折れた足があり得ない方向を向いちゃってて、
まずその向きを直したんだけど、ものすごく痛かったって言っていたよ。 病院にかつぎこまれて、医者の家で静養&リハビリしてたんじゃ
なかったっけか。番組の主役が放送前に入院ってばれるとまずい
とかで…。なんかの番組でその医者の家にお礼にいっていたかと。 静養&リハビリは骨がくっついてからの話だね。
骨折してから1ヶ月以上あとのはず。 確か、事故を起こしたのが第1話の放送の日だったんじゃなかったかな。
場所は新興住宅地で、完成している家よりも建築途中とかこれから建築する家の
方が多かった。(仮面ライダー〜仮面ライダーV3あたりでは、そういった場所での
撮影が多かったんだよね。ライダーとショッカー(デストロンやゲルショッカーも
含む)戦闘員との戦いのシーンなどが多く撮影された。)
で、撮影していたのは確か10話の終わりの部分。ショッカーの怪人をやっつけた
ライダーが本郷猛の姿に戻り、バイクに乗って去っていくシーン。
ところが、この建築途中の家などが多かったことが災いの元になった。
砂利や砂などを運搬するトラックの通行があり、道路には砂や細かい砂利が
落ちていることが少なくなかった。
藤岡氏が乗ったバイクは、路面の砂や細かい砂利によってタイヤのグリップ力が
失われ、コントロールを失って電信柱を支えているワイヤーに激突してしまった。
(きちんと電線が張りめぐらされている時と違って、電線を張っている途中の場合、
電柱は一つの方向に引っ張られてしまう為に自立できなくなることが多い。
この場合、反対方向に向けて、電柱から地面に斜めにワイヤーが張られる。
藤岡氏はこのワイヤーに激ぶつかった。ワイヤーといっても張力は大きく、
コンクリートの壁にぶつかるのと同じくらいの衝撃になったそうだ。)
事故のあらましはこんなところだったよね。 事故って骨折なんかしたら少なくとも数日は痛くて痛くて
テレビ見るどころじゃないよ、実際。 怪我したのは放送日じゃないよ。
>>161
それだと夜寝ることすらできないよ。
痛み止めってあるの知ってる? >>162
知ってるけど。
でもマジで痛かったんだよ。それこそ寝られなかったくらい。痛み止めなんか気休めだよ。
いやオレはバイクで事故ったんじゃなくてクルマにはね飛ばされたんだが。 >>155
その話は、ちょっと端折られていると思う。
平山さんが最初に電話で聞いたのは、第1話が放送された日の夜(つまり放送は
もう終わっていた)で、内容は「藤岡氏が撮影中にバイクで転倒して怪我をした。
しかし怪我はそうたいしたことは無い。」ということだったとか。
(電話してきたのは、撮影スタッフの一人だったかな。)
だから、この時点では平山さんは、1ヶ月もすれば藤岡さんが現場に戻ってくる
だろうと考えていた。
ところが翌日になって、病院に問い合わせて確認してみると、大腿骨複雑骨折で
全治6ヶ月の重症、ということだった。
第1話の視聴率が出たのはそれから数日後。
藤岡氏の番組出演が不可能になった為、その後の番組をどうするか
会議を重ねて検討している時だったんじゃないかな。
(「第2クールから一文字隼人の2号ライダーが活躍するにあたって、
本郷猛の1号ライダーはショッカーにやられてしまったことにしよう」
という脚本家やテレビ局側の意見に対して、平山氏は「殺しちゃならねー!」
と拒否し続けたんだよね。このおかげで、1号ライダーと2号ライダーの共演が
可能になり、さらにライダーシリーズの世界が広がった。)
昭和56年に発売された「 TOWNMOOK 増刊 仮面ライダー」で、
そのへんのことを読んだ。
(ただし、事故の詳細については、その本には載っていなかった。) >>162
>怪我したのは放送日じゃないよ。
そうなの?
じゃ、怪我をしたのはいつ?
オレが>>160で
>確か、事故を起こしたのが第1話の放送の日だったんじゃなかったかな。
と書いたのは、>>164に書いたように、昭和56年に発売された「 TOWNMOOK 増刊
仮面ライダー」に、平山さんが最初に電話で事故の知らせを聞いたのが、第1話
が放送された日の夜だったと書いてあったように記憶しているから。
ただ、その本を読んだのがもう20年以上前のことだから記憶があやふやになって
いる部分があるし、その本に書かれていたことが間違っていた可能性もあるかも
しれない。 (・ω・)泉朝人の著書には、事故を新聞記事で知ったって書かれてたんで、
一部の報道はあったようだから詳しく調べれば正確な事故日がわかるかも。
余談だが泉は「電柱を支えるワイヤーに丁度洗濯物を干すような状態になり…」みたいに記されてて、
「ヒーローなのに格好悪い」と思って、特撮ものから卒業するキッカケになったとか バイオマンのイエローフォーがバックレて劇中で殺すハメに…そのお詫びで出たのが真田宏之
「空の大怪獣ラドン」で鉄を溶かして溶岩を再現して撮影開始。
ところが計算外の方向に溶けた鉄が流れてきたので、
カメラマンがビビって逃げ出してしまった。
慌てて円谷英二がカメラに飛びついて、英二自身の手によって
撮影が続行された。溶岩がアップになるシーンか? >>162
大腿骨へし折ったことがあるのだが、
はっきりいって「痛み止め」なんぞ、大して利かないうえに
時間経過で効果が切れてきて鈍い痛みから
キリキリガンガンの痛みが復活してくる分
気休めどころかイヤ感が増すばっかじゃ。 >>169
80年に某大学映研のイベントで有川貞昌氏のトークがあったのだが、
そのときの話では、「どのカット」ではなく、あの噴火のシーン全部で
鉄工所に依頼して溶鉱流したので、阿蘇山セットのふもと〜カメラ足元は
すごいことになってたそうな。 藤岡氏の怪我〜降板〜復帰については、
「仮面ライダー・本郷猛の真実」で本人が詳しく書いてる。
一度読んでみなされ。 「モーニング娘。」が「。」つきなんで「藤岡 弘、」とマネ
したんだと思ってたよ。
そうでなければ姓名判断上、もう一画ほしかったのかな。 黒部進がウルトラマンのミロガンダか何かの撮影で、サボテンの上に尻もちついて撮影中断、
スタッフが一本一本針を抜いたんだそうな >>174
>サボテンの上に尻もちついて撮影中断
「ミロガンダの秘密」は、黒部氏の勘違い。正しくは「恐怖のルート87」ですね。
あまりに痛がって撮影にならないのでズボンを下ろして懐中電灯を尻に
当ててスタッフ総出で毛抜きで抜いたらしいがイデ隊員がそれ以来
「男のケツは二度と見たくないですねー」w述べているけどその後もこの件
が撮影所内でネタにされてしまったらしいw。 >>176
座談会では撮影用照明で照らして、
1本1本、歯ブラシのようなとげを抜いたと書いてあったよ。 ウルトラマンエースは最初男女二人で変身していたが
テレビを見た女優の方の親戚がクレームをつけてきて
女優は1クールで降板した
※※TBS免許剥奪チラシ配り※※
8/13新宿駅前にて
http://video.google.com/ videoplay?
docid=5827036897963371841&hl=en
スペースを決してお飛び下さいm(__)m
一部新聞の飛ばし記事への対応として、
9日に総務省にその時点で集まっていた署名を提出しましたが、
署名はまだまだ受け付け中です。
詳細は、大規模オフ板内本スレにてご確認下さい >>178
まず事実として間違ってる。1クールで降板してないし。
次にその親戚とやらがどういうクレームを付けてきたのか?
さっぱり意味不明で強烈な電波を感じますが。 調べてから書け!
あからさまに間違ってる部分に自分自身で気付け!
デタラメを書くな!
好きなのは構わん。
ただ、思い込みや半端な記憶で語るな。
まず資料を当たれ。
とかいいつつも今日もこのスレは事実誤認の書き込みで埋め尽くされている。
まさに「悪貨は良貨を駆逐する」。
…そんなことにいちいち腹を立ててたらキリがないのでそこは
覗かないようにすればいいのだが…
悪役を買って出ても良いのだが、
そこまでして不快なスレにするくらいなら身を
引いた方がお互いのために良いのかも知れん。
とにかく、これからは「資料を調べて書かない人、お断り」 !!!!!!! >>162
俺も二度骨折したが、痛み止め飲んでも中々寝付けなかったもんだよ
>>164
仮面ライダーをやる数年前に悪魔くんに平山さんが関わった時に
メフィスト役の吉田氏が病気でドクタ−ストップがかかり、急遽メフィストに弟が居る事にして潮氏に交代した
その時上手くいった事を参考にして、藤岡氏の大怪我を埋めるために、もう一人の仮面ライダーが生まれたと言う話を読んだ 小林稔侍氏が、ジャイアントロボのU3号南十郎役が
直前で、駄目になった。
ウルトラマンタロウの東光太郎は当初、松平健が演じる
はずだったとか。 >>187
「松平健も、タロウの主役オーディションを受けていた」という程度のこと。
マツケンは同時期、仮面ライダーX、太陽にほえろ!三代目新人刑事など
人気シリーズのオーディションを落選しまくっている。 もし松平健が神敬介だったら・・・ 最終回、呪博士に・・・・
「士道不届きである。 潔く切腹いたせ!」
ライドルも扇子になっていただろう
クルーザーは白だからヨシ 松田優作が「突撃!ヒューマン」の主役オーディションに
落ちた件は既出? 一文字隼人役は三浦友和も候補の1人だったが、事務所から子供番組はダメだ!との理由で
佐々木剛になった、と昔のライダー関連の本に書いてあった
ショッカー基地内に階段で上る「やぐら」のような2階が出てくるのは
劇場2作目からだが、それに先駆けてTV版で死神博士が歩いてる。
普通なら劇場用のセット流用場面がTVで先に流れたのだろうと判断するのだが
そんな時間差でTV登場してるのは神業に近く
一体何故なのか?
このTVのショッカー2階の謎を説明できる人は未だいない。 >>197
その情報、今となってはガセっぽい。
三浦友和は1952年生まれで、藤岡弘負傷の71年3月〜4月には高校を卒業したばかり。
デビュー作は翌72年4月の「シークレット部隊」だから、まだ演技研修中じゃないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています