懐かしの公開ラジオ番組総合スレ
かつて放送されていた公開番組の思い出を語り合いましょう。
下記はほんの一例です。生放送でも公録でもOKです。
LF「ロッテヤンスタNo.1」
ABC「ポップ対歌謡曲」
RCC「サテライトNo.1」 柏村氏の公式ブログに該当番組の最終回がUPされてた。(通常60分ですが、最終回のため90分)
ttp://ameblo.jp/t-kashimura/entry-10875777322.html
聞くまで最後の内容あまり覚えてなかったけど、こんな番組今だとそんなに作れるもんじゃない気がしたよ。 柏村さん声が若いなあ。
それに場を盛り上げるのが本当に上手かった。
公開番組の司会にこれほど向いてるアナウンサーは他に居なかったと思う。 20年以上も前、一度だけABCの公開放送に参加したことがあったけど
テレビと違って前説もなくいきなり始まった記憶があるね >>8に出てるわいのわいの90では
MCの鶴瓶師匠が本番スタートよりも早めにスタジオに来て
面白い雑談とかやってくれてたよ >>16
サテライトbPが人気だったのはコント小噺コーナーが面白かったからでしょ >>8
やしきたかじんが司会してたのは末期。
この時代の泰葉との掛け合いが面白かったという人もいる。
でも全盛期は角淳一アナ司会の時代だよ。
専用スレが立ってる
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/rradio/1145027138/ フリがあってオチをつけるというトークを、
お笑いが本職じゃない、“歌手の”二人がしかも即興で出来てしまう、
これを至芸と言わずして何という。
オンエアで流れなかった部分でも爆笑取ってたこともあったと思う。 サテライトスタジオだと
秋葉原シントク電器から生放送のロイ・ジェームスの番組(タイトル失念) 子供ん時、近くに来て照れながら遠くから見てたら、
円鏡さんが「こっち来なさい」て誘ってくれた♪
「午後2時の男」 KBS京都 丸物WAIWAIカーニバル
今は無き、丸物百貨店(のちの近鉄百貨店京都店)屋上での公開録音
当初はフォークソングのライブ中心だったが自分が聞いていた頃は
人気の出る前の太平サブローシローが司会するお笑い中心の番組になってました
収録が終わった後食堂街でスパゲティを食べるのが楽しみだった
まだ当時は「パスタ」なんて呼び方が定着してなかったんだな >>19
コカコーラの景品付きだったな。
早見優がイメージガールだった頃 >>2
街角で一般人にマイクを向けて素人の面白さを引き出す狙いの番組は
別に珍しくも無いけどね。ABCテレビの探偵ナイトスクープもそれに着想を得ているし。
大阪ではMBSで毎日正午前にやってたホットの歌って当てましょう、が
近縁のものだと思う。 毒蝮のやつは生放送、しかも45年続いてる。
これはスゴイと思う。 帯の生放送はたしかに賞賛に値するかもね。
タレントのスケジュールを拘束するわけだから。 公開放送であることは知っていても、リアルに聴いたことがないなら
普通はレスしないと思うよ。古すぎて。 そうだよな、ここは思い出を語り合うスレ。
聞いた事も無いのに何を語れと言うのか?
番組に関する基礎情報(制作局、放送時間、司会者名など)なんて
ネットで調べればすぐに分かるもの。 ロッテヤンスタの司会をダウンタウンがやってたが
彼らのスタイルだと思うが態度があまり良くなかった ダウンタウンのメイン番組だから、
ゲストがダウンタウンに合わせるべき。
喋るのが苦手とかいうならゲストに来なければいい。 訂正>>36
それは今も続行中だった。
お好み名人会?という番組があったように思うが >>35-37
落ち着けw
放送局の公録用スタジオではなくて、各地の文化ホールや公民館などを巡回の際に
同録したものを流していたのでは?
NHKの真打ち共演と同じ。 寄席番組は特に漫才師が嫌がるらしいね
放送用のネタって使い回し利かないしかといってB級C級のネタやると
面白くないと思われて仕事に差し支えるというし。 本ネタを公録でおろしてしまって焦ってる漫才師見たなあ ロッテヤンスタは嘉門達夫と松尾貴史(当時はキッチュ)が組んでたこともあったが
なんとも不釣り合いな二人だと思ったものだ。 ロッテヤンスタみたいなアイドルのライブ放送は
ヲタが喧しくてまともに進行できなかったらしいよ。
たとえば当時全盛だったおニャン子クラブにしても、
ヲタ派閥がいくつかあってその派閥間での小競り合いは日常茶飯事。
お前ら何しに来てるんだよ… ヤンスタを降りてもう歌番組は嫌ですわ、と言ってたダウンタウンがフジでまた歌番組持ったのが
意外だったな。歌番組というカテゴリーに入れて良いのかよく分からないけど。 そもそもダウンタウンはMCに向いてない。
ヤンタンでもよくこぼしてたよ。
やり難いって。 東京での仕事の愚痴を大阪でこぼしてたのか。
それはアカンなあ。 まあ、グチるというか、当時の活躍の場であった心斎橋筋2丁目劇場などの雰囲気とは
全く異なる環境でMCを務めることの困惑みたいなものを正直に吐露していた感じかな。
ゲストにもよるが、事務所側から、本番中は一切イジりNGの要求が出たこともあったし、
ファンからの野次も酷かったらしい。公開放送ならではの苦労だね。
みんなヤンタンで喋ってましたよ。 そりゃ2丁目の舞台は自分たちのファンで埋め尽くされてるけど
ヤンスタはアイドルオタで埋め尽くされていておもいっきりアウェー。
勝手が違うのは当然だよ。
アイドルオタを鎮めて無事に進行させるのがMCの役割でしょうに。 >ファンからの野次
目に浮かぶなあww
それも放送で流れたのだろうか。 >>49
ブサイクだの整形してるだのと本人の目の前で言うから当然、
本人はともかくファンは怒り心頭だろう
松本浜田は敢えて怒らせてそれを楽しんでいたふしがある。 今も昔もアイドルヲタはからかいの対象になり易いからね。 マツダウイークエンドパーティー
覚えてるかな・・・ >>11
やしきたかじんさん死去…食道がんで休養中
ttp://www.sanspo.com/geino/news/20140107/oth14010723040029-n1.html きけばきくほどやしきたかじん金曜日の公録は楽しかったな
あれが円広志を復活させた 懐かしいな
ABCエキスタからの生放送だったね。
たかじんさん亡くなってたんだ…
合掌 ああ、生でしたね、すいません
天気予報か道路交通情報センターかのお姉さん(みずほちゃん?)との絡みが好きでした たかじんの公開録音番組と言えば
ラジオ大阪の「ハローナショナルショールーム」 >>56
円さんとの掛け合いは面白かった。
二人ともノリノリでやってるように見えたがこの番組が終了した後に円さんが述懐するには
「あの番組は結構キツかった」とか。
芸に厳しいたかじん氏のことだから放送終わりでダメ出しとかやってたんだろうか。 自分の番組で漫才みたいなことをやろうと企画を持ちかけたのはたかじんサイドで、当時あまり仕事に恵まれてなかった円サイドは一度くらいならOK、と応じた。
それが大当たり。人前で喋ることに苦手意識があった円も、この番組で意外に自分が喋れることを自覚して、放送タレントして食っていける自信がついたと語ってたよ。 円広志もナショナルショールームでの公開番組やってなかったっけ? ナショナルショウルームも、エキスタも、こじんまりとしてたから
MCと観客の一体感ができて盛り上がったと思う。 エキスタはその名の通り駅の中にあるスタジオだから
放送の見学が目的でない人(電車に乗るために駅に来た人)も
覗ける構造で冷やかし半分の人も多かったので雰囲気はあまりよくなかったよ。
鶴瓶さんはよくぬかるみで「エキスタの公録は苦手」と言ってました。 ABCエキスタはテレビの収録もやってた
つるべはテレビ公録のことを言ってたのではないか? >>60
本番終わりどころか本番中にもダメ出ししてたこともあった うわwそれ嫌だなあ。
たかじんのトークはラリーになってる時は面白いけど
格下が相手の場合はいつも説教モードになるんだな。
聴いてる方もツラくなる 学生の頃京都住まいで鶴瓶さん、たかじんさん、などの
公開放送に参加できた自分は幸せ者ですね。
放送開始までの様子は、鶴瓶さんは周りの参加者に「どこから来たの?」とか
をとっかかりに雑談してましたが、たかじんさんはキューシートらしき書類に目を通して
物静かにスタートを待っている感じで好対照でした。
でもいざ本番が始まったら一気にテンションが上がるんですよね。
楽しい思い出でした。 この3連休、関西各局はたかじん追悼企画ラッシュだったな。
凄い人だったと今さらながら実感 >>71
KBS京都は公開放送が多かった。
今は亡き河原町ビブレでも、若き日の森脇健児が司会していたのを思い出す。
まだ山田雅人と組んで人気が出る前の頃、もっと売れたる〜!と
口癖のように叫んでた。 >>74
ふりーうぇーぶめいどいん京都「コセンにキャンディー」は
京都御所向かいにあるKBSの本社スタジオからの公開生放送 山形だが、「あぼんがぼん村」を知ってるお方はおらんか? >>73
TBCとIBCはミュージックショーウィンドーだったけど
RFCでやってたエンドーチェーン提供番組はレインボーハッピースタジオだったんだよな >>77
YBCリスナーだったが、その番組は知らない
ミスターローカルのんだんだジョッキーは覚えてる。 >>74
森脇山田のコンビはつまんなかったよ
吉本の2丁目軍団と比べるとその差は歴然。 タレントの面白さもさることながら、台本を書いていた人が
当時のダウンタウン筆頭の2丁目軍団にかかわっていた作家連
(倉本氏、岡崎氏など)に比べて圧倒的に面白くなかった。 >>80
前番組のラジオジラと並んでABCの黒歴史になってる >>69
司会が上岡龍太郎。
ラジオの30分番組には勿体無いすぎるメンバーだ。 出演料があまりにも安すぎて文句を言う気さえ失せたと
紳助がボヤいていた 放送のギャラではなく単発イベントのギャラしかもらえなかったらしい >>69
会場は旧のABC社屋1階。
オープンスペースで出入り自由、入館許可証も無しだったが、
2階よりも上は自由に出入りできてたのかな。
昔はのんびりしてたから。 関西ばかりの書き込みだし
シャナナ・ザ・ギンザを知ってるのは俺くらいなものか
横山プリンの司会で 今は亡きTBS松宮アナが進行していたラジオの公開放送って何でしたっけ >>3
おぼろげにしか覚えてないが、あの番組は客弄りやってたのかな
高校まで名古屋住まいで、大学進学で関西に行ったとき、関西はテレビもラジオも
本編で普通にMCが客弄りをするので驚いた 司会進行がCBCアナがやるので、フォーマットに書かれてないことはやりません。
つまりイジらないということです。 ラジオで聞いてる立場としてはいじりは耳障りなんだけどな 疎外感を抱くことになるから?
ちょっと大げさすぎるかw イジリ方にもよるでしょ。
音声だけしか伝わらないラジオの特質を無視したイジリ方だったら
聴いてる側は何の事やら分からないから醒める。当たり前だけど。 >>100
松宮アナの担当ならサーフ&スノー?
でも公開じゃなかったような・・ >>92
懐かし過ぎるよww
司会の越前屋俵太の奇矯なテンションも、
時折出しゃばってきてた審査員の放送作家も、普通のお笑いゴングショーとは
何かが違う変な可笑しさがあった
このオーディションに落語家時代の伊集院光が出ていたのは有名。 >>101
お笑い芸人が司会する場合はそうだけど、局アナ司会の番組は弄りは関西でも基本的に無い。
それは全国どこでも同じでしょ。
ただ、関西の局アナは自分が面白いと勘違いして
芸人みたいに客席弄りをやる人は確かに存在した。結構叩かれてた気もする。 客席弄りが成功するのはMCの技量でなくて、参加者(一般人)の面白さによるものだと思う。 >>47
オタ同士の小競り合いもあった。
工藤静香の時は人数が半端じゃなく、人気の高さを改めて目の当たりにした。 しかし親衛隊の規模がそのアイドルの人気のバロメーターでもあったね。 オンエアでもしばしば親衛隊の罵声?みたいなのが流れてたが
現場ではもっとカオスなことになってたんだろうな
田舎住まいで金もなかったから銀河スタジオには一度も行けなかったが
どんな空気だったのか興味深いわ。