NHKラジオ おやすみの前に…知ってる方
現在のラジオ深夜便の前身になると思うのですが、昔23時のニュース後におやすみの前にと言う番組があったのですが、数十年前の番組なんで情報がなくどなたか判る範囲で構わないので色々な情報お願いします。特に番組オープニングの音楽が好きでタイトルを探してます。 福岡JOLKさん
独特の感性・・・
確かにあの番組の語りには心の底に染み入ってくるような感覚がありましたね。
エコーが一層その効果を演出していたのかもしれません。
どちらにしても、あの時間帯は私にとってとても大切な時間でした。
あと、ご存知ですか? 当時放送終了後のNHKは、日時不定期で試験放送というのを
流していたのを。
突然始まるほんの5分〜10分間の放送なのですが、やはり音楽を流していました。
邦楽をイージーリスニング化したものが多かったです。
今、その放送の録音テープを聴いていますが、なかなか良いものですよ。
テープには残っていませんが、「JOAK、JOAK、只今試験放送中です」
とかいうナレーションが入っていたような・・・
当時は、こんな「ゆとり」のようなものもあったんですね。 福岡JOLKさん
189の描写、なかなか当時の雰囲気をよく表現されていらっしゃいますね。
福岡JOLKさんが「夢のハーモニー」を聴いていらっしゃった光景が
目に浮かぶようです。
ちなみに私は、受験勉強中でしたので、机上のスタンドだけの灯りで薄暗い
部屋の中、机の端にラジオをおいて「夢のハーモニー」を聴きながらいつも
この時間を休憩時間にしていました。
そんな時に流れていた曲で強く印象に残っている曲は、こんな雰囲気の曲で、
そのせいかどうかはわかりませんが、今でもこんな感じの曲が大好きです。
www.youtube.com/watch?v=TGyzBzSqhNE
夜行列車さん
189に共感していただいてありがとうございます。
一体にNHKのラジオ番組では音楽がよく流れるので好きです。
ジャンルも時代も多岐にわたっているのがいいですね。
フランク・プルセルは一枚だけLPを持っています。
「夢のハーモニー」が放送されない今となっては、このレコードをかけたりして
心持ち当時の番組のような雰囲気に浸っています。 試験放送はラジオをつけっぱなしにして眠っていたら
突然始まってびっくりしたことがあります。 現実な話として、今「夢のハーモニー」みたいな番組が放送されたとして、どのくらいの人達がその放送を聴くのだろうか?
本当に需要はないのだろうか?
もちろん、私は毎晩聴きますけれどね。 深夜便も最近「どうぞ眠たくなったら寝てください」みたいなの言わなくなった気がするけど
気のせいかね
放送が直後に終了するからこそああいう番組ができたのかも
保守。
200ゲット!
お久しぶりです。
同期さんも福岡JOLKさんも元気かな?
夜行列車さんははじめましてですね。 中の鳥島さん
はじめまして。
昭和を懐かしむ夜行列車です。
以後、よろしくお願いします。
昭和の良き時代を知る最後の世代同士、いろいろと語り合って行けたらと思います。 お名前を書き間違えました。
中ノ鳥島さんですね。
大変に失礼いたしました。 >>200
中の鳥島さん
ごぶさたいたしております。
秋の夜長に夢のハーモニー。 生きています。みなさんお元気そうで…
中ノ鳥島さんも福岡JOLKさんも汽車好きなんですよね。
過去に三人で盛り上がって、他の人に注意されたことがありましたね。
夜行列車さんもお名前からして、どうなんでしょう。
最近は夜汽車ってほとんどなくなってしまって寂しい限りです。
おやすみの前にのゆったり感と、夜汽車の感覚ってなんとなく
似ているような気がしてきました…
先週北海道へ帰ってきました。今日なら雪で大変でした。 中ノ鳥島さんの同期さん
お久しぶりです。
ご想像の通り、私も汽車好きですよ。
若き頃、よく夜行列車に乗っていた時の思い出から、夜行列車と名乗って
いるんです。
私が始めて夜汽車で旅をしたのは、大阪へ行った時のことで、その時に
乗った夜汽車は EF66に引っ張られた「急行 銀河」。
なんと寝台車両ではなく、座席車だったんですよ。
あの時は、乗車しながらラジオで「ジェットストリーム」を聴いていました。
リクライニングシートを倒して音楽を聴きいているうちに、いつの間にか
眠ってしまいました。
あ、列車の話をすると叱られちゃうかな・・・
「夜の停車駅」というラジオ番組もありましたね。「夢のハーモニー」より少し前の時間帯に
NHK−FMで放送されていたしみじみとした音楽番組でした。 >>206
夜汽車にラジオって似合いますよね。僕は北海道の夜行急行なんかに
乗っていました。リクライニングは簡易だから、姿勢を変えると
ガクンと戻ってしまう… 銀河は寝台に乗りました。
寝ながらにして目的地に着く… 今はこんなことしないで、その日のうちに
現地に着いてホテルに泊まるのかなぁ
>>207
夜の停車駅…youtubeに出ているものかな >>206 >>208
夜汽車は客車なのでラジオの音は明瞭にイヤホンを通して聞こえていましたね。
これから眠る人たちのために室内の明かりが消えるころには
オルゴールで始まる停車駅の案内放送もありませんでした。
終点まで行かずに途中の駅で降りる人たちには車掌さんが個別に「間もなくです」と教えてくれていました。
暗がりの中をさりげなく乗り降りする人たち。
デッキからプラットホームに出るドアは自動ではなかったので、手で開けて、降りたらそっと閉める。
九州では、客車の場合、夏の暑いときには客室からデッキに出てきて手動式のドアを開け放し、吹き込んでくる夜風を全身に浴びながら涼む人も。
座席の窓の下半分には、固定された網戸。かつての東京モノレールのように。
座席は垂直式なので、満席の時には壁や椅子の手すりに寄りかかって寝ていました。もっとも夏休みの平日にはガラガラだったのでゆったりと足を延ばしていました。
発車するときのガクンという感覚で目を覚ますことしばしばでした。
その時間帯にはNHKのラジオはとうに終わっていた時代でした。
>>208
youtubeにアップされていますね。「夢のハーモニー」もその画面で紹介されていますから
趣向の似ている人たちが視聴するんじゃないかと思います。 福岡JOLKさんが夜汽車に乗ったのがいつ頃かは分かりませんが、
(蒸気機関車が牽引していた頃!?)ドアが手動だったとカキコ
されてますので、恐らく木製だったので電波がよく入って来た
のではないでしょうか。現在の車両は金属製ですので電波を
遮ってしまうし、車内に搭載された機器がノイズ源となって
いますのでラジオはノイズだらけですね。
(新幹線のように車内再送サービスがあれは良いのですが・・・) ハコはさすがに鋼鉄だったと思います。鉄板の継ぎ目に鋲がありました。
屋根も真っ黒に錆びていました。
だから私の記憶違いで受信ノイズは多少あったかもしれません。それでもディーゼルカーほど極端ではなかったと思います。
ドアや窓は木製でした。扇風機はありませんでした。上り大阪行き急行には扇風機もあったような。
天井が高かった記憶があります。車内の壁や座席の枠にはニスが塗られていて
改装して白いペンキで塗ったのもありました。座席には布が張られている急行にも使われていたような車両で
外面の塗装は茶色か青でした。
私の乗ったころ、牽引する機関車は九州内ではほとんどがディーゼルでした。
今調べてみたら、どうもスハとかいう系統の客車だったようです。
ラジオ板ですから、あまり鉄道のことばかり書き込むのはスレ違いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが
夜汽車での深夜ラジオの受信について語るうえでご参考になるかも知れませんので
上記コメントにご理解願います。
今夜、昭和56年5月17日と24日に録音した夢のハーモニーを聴いて
みました。録音テープがあると過去にタイムスリップできていいですね。 夢のハーモニーの最終回はクラシック音楽だった。
何もかも懐かしいな。 ご無沙汰いたしております。
昭和を懐かしむ仲間の皆様、よいお年をお迎えになられますよう
心よりお祈りいたしております。
また来年、しみじみと過ぎ去りし良き時代を語り合いましょう。
暮れも押し迫りカキコミ制限も解けました。
同好の皆様、どうぞ良い年をお迎え下さい。
ラジオをからめた昭和の話ならいいんじゃないかなって思いますので
来年もよろしくお願いいたします。 換算すれば来年は昭和86年です。2011-1925=86
天皇陛下には申し訳ないが、いつか平成も終わる時が来るんだろうな。
新しい元号になって何年か経ったら、平成も昭和のように懐かしく感じるんだろうか。
昭和は長かったですからね!62年と2週間。 出来事、世相すべてにおいて昭和30年代、40年代、50年代は良かった。
「盗むつもりはなかった。弁護士を呼べ」
NHK首都圏放送センター職員の西山泰史容疑者[27才、
東京都渋谷区元代々木町]が窃盗未遂(車上荒らし)
で現行犯逮捕
これが5日の出勤停止で済むのが犬HK >>144
とても安らぐ詩です。AMラジオで流してほしい。夢のハーモニー。
私と同じ北海道出身の同期さんなら知ってると思うけど、昔NHKのテレビで
「ほっかいどう730」という番組やっていたのを覚えてますか。
テーマソングが口笛でどこか切ないメロディーでした。昔(昭和60年)、録音
したテープを聞いて、懐かしい昭和の日々を思い出しています。 ほっかいどう730なつかしいですね。そのころって、やたら鉄道特集
やっていましたね。さよなら汽笛(再)、万字線、士幌線、根室線貨物、
瀬棚線、名寄線… 口笛よかったですね。あれは名曲ですね。
ところで中ノ鳥島さんはじめ、皆さん被害は大丈夫でしたか。
離れた東京でも、買い物、鉄道、電気、放射線… 大変ですね。
四月ですが世の中は大変なようで
四月と言えば夢のハーモニーで「エイプリル・シャワー」を題材にした詩の朗読があった
ことを思い出しました。(四月の雨が上がったあとに残った水たまりの情景)
かたわらを通りすぎるとき、ちょっとのぞいてごらんなさい
あなたの瞳は、花よりも濃いすみれ色 >>228
返事が送れてすみません。地震の被害は、うちはさほどなかったです。
ただ部屋が7階なのでかなり揺れを感じました。
収納箱の上に積んであった箱が落下したり、鏡が吹っ飛んだりしました。
表の国道がたちまち大渋滞になって翌朝まで続いていたのは凄かったです。
「夢のハーモニー」、放送が終わってから今月で27年になりますね・・・。
>>229
よく覚えてらっしゃいますね。よほど心に残るものだったのでしょうか。
僕はテーマ曲くらいしか覚えていないのに…
>>230
あの日は職場の長老に付き合って事務所に泊まりました。
道路も朝まで渋滞でしたね。(江戸通、春日通)
自宅は食器、佛具が飛び出したようです。
ああ、27年かあ…早いですね。 「夢のハーモニー」のテーマ曲、「今宵の君は」…。
実は放送で使われていたのは曲の途中からだったって知ってました?
私はCD買って聴いてみるまで気づきませんでした。 あの・・・平日昼からやってたnhkほっとタイムで流れていたテーマ曲を
どなたか知りませんかね。
>>233
いつ頃の番組でしょうか?
私は聴いていなかったので分かりませんが…。
ここは人が少ないので別の番組スレで訊いてみると良いかもです。 4年も続いているんですね。私のカキコ、25あたりからですが
よくのこっているものですね。 おおっ、まだこのスレあったのかw
ちなみに>>14は私の書き込みです。
「おやすみ〜」の当時、こういうインスト系の曲をかけてくれる番組がかなりありましてね。
FM東京の「ジェットストリーム」、TBSの「キューピーBGM」とかね。
そういえばJ-WAVEが開局したのもこの頃だったかな。
90年代になってからのNHKFMの「FMサウンドクルーザー」なんてよく聴いていたなぁ。
今こういう番組が無くなってしまって、何かこう心にゆとりや潤いをくれる番組ってないなぁ、
なんてつくづく思いますね。まぁまだまだ余裕があった時代だったのでしょうね。 >>235
8月10日でこのスレッドも4周年ですね。
スレ立てたラジオ好きさんもまだこのスレが残っていることを知ったら
驚くことでしょう(時々みることあるのかな?)。
ちなみの私のカキコは42からです。福岡JOLKさんも夜行列車さんも
元気でしょうか。
真夏も終わってやっと涼しくなってきましたね。
>>237
ご無沙汰しております。
私はお蔭様で元気にしていますよ。
このスレも4年目ですか。。。
わぁわぁと盛り上がるスレが多い中、4年間で238レス・・・
このようなスレがあってもいいですよね。
まったりと、細々とでもいいから、いつまでも続けて行きたいですね。
そういえば、最近ラジオを聴いていないな。
みなさんは、いかがですか?
にっぽんのメロディー 動画サイトにありました。感動。 >>242 ごぶさたです。
聴いてきました。懐かしいですね。毎晩聴いていました。
うちにもテープが残っているはずです。中西さんのおかげで
戦前から昭和20年代の曲が好きになりました。落ち着いた番組と
いうことでは、「おやすみの…」と共通していますね。 >>244 ごぶさたいたしております。
考えてみますと、私たちはまだ10代だった頃に
「夢のハーモニー」や「にっぽんのメロディー」を聴取していた訳ですね。
>>245
そうですね。中ノ鳥さんはじめ福岡JOLK先輩も地味なラジオ派ですものね。
級友に軍歌とか好きなのがいましたが、他にも地味系ラジオが好きな
人がいたとは、ネットとかない当時ではわかりようがありませんでした。
そうかと思えば、大橋照子のラジアメなんかも聴いていましたが…
あと、ラ講かな…
福岡先輩の、あこがれのマドンナは今いづこ・・・ >>246
どうも。
確かに地味と言えば地味ですね。学校でも話題にならない、ひそかに聴く番組でした。
軍歌、「ラバウル小唄」を歌っているクラスメイトなどいました。
高校時代はパソコンなんてよく分からなくて、タイプライターの配列もダメでしたから
英文もすべて手書きでした。
「大橋照子のラジアメ」は全く知りませんでした。
放送時間が夜中で、私は「夢のハーモニー」を聴いたら眠っていたからだと思います。
夢のハーモニーの後、ニュースが流れて、「福岡第一放送です。JOLK」のアナウンス。君が代、そしてなぜかオルゴールの音色が余韻をもたせていました。
「ラ講」は高校の同期が多数聴いていました。テキストを買って。
「寺田の鉄則」とか「林の古文」など。英語は小川芳郎さんだったような。
福岡では朝の4時半に始まっていたので、あれを聴くと登校してからが眠くて眠くて私は途中で投げてしまいました。
マドンナ、どうしているのかなあ。 そーそー、あのオルゴール好きでした。チャンチャンチャンチャン♪
ってやつですね。あれくらいで眠るのが一番いいかもしれませんね。
まぁトラックドライバー向けの歌うヘッドライトとかあったのでしょうが。
僕にもマドンナはいました。(当時とても言えなかった)クラス会で
20年ぶりで会いましたが、見た目全然かわっていませんでした… 福岡JOLKさん、同期さん、ご無沙汰しております。
トラックドライバー向けのいすゞ歌うヘッドライトは私が高校生の頃、新聞配達
していた時に目覚まし代わりに聴いていました。もちろん終わりのほうだけで、
3時から5時まで全部聴いたのは4回しかありません。そのうちの1回分を録音
してテープにとってあります。
私にもマドンナはいましたよ。小学5年生の時はとても仲が良くて、宿泊学習の
時なんか一緒に寝たほどですが、中学校に入ってからはほとんど口を利かなくな
りましたね。双子の姉さんの方とは今でもメールでやり取りすることがあるんで
すが、まだ札幌に住んでいるとのこと。苗字が変わっているから結婚したんでし
ょうね。当たり前か…。もう42歳ですからね。 >>249
話がそれますが新聞配達、昭和五十年代後半に中学生で新聞配達やっている
のが何人もいて、自分も手伝った事があると東京の人に話すと、信じられないと
言われました。別な国扱いされました。ニコンのカメラが欲しくてやろうかと
思いましたが断念しました…
中学のマドンナ陽子ちゃんはどうしているかなあ… 「歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして
歳月は静かに流れていきます。
お変わりありませんか?中西龍でございます。」 >>251
中西さん、ハガキ読むとき、女性のセリフがかわいらしく良かったです。
なつかしいですね。 当マイクロフォンのセリフがかわいらしいですか。
うれしいですね。
「秋深き 隣は何をするひとぞ」
お休みなさい。 「にっぽんのメロディー」中西さんのナレーションで曲もお便りも引き立つ番組でした。
話がテレビにそれますが、私が小学生の頃「土曜ドラマ」が終わった後に「きらめくリズム」という歌謡番組がありました。
スピーカーからメロディーが流れて画面には情景を醸し出す絵。歌詞は画面下にスーパーが現れる淡々とした番組だったのですが、
曲の前口上とでもいうのでしょうか、中西さんのナレーションがしっくりと趣深く
当時小学生だった私も母とよくみていました。
「きらめくリズム」のオープニング画像は走っている蒸気機関車の前面でした。
そこに主題曲のブルースと中西さんのナレーション。
主題歌のソロはサックスだったりトランペットだったりクラリネットだったりと、時期によって変わっていたように思います。 この番組のナレーションは、中西さんでしたか。オープニングの映像は、今でも良く
覚えているのですが、内容は殆ど覚えていません。 三年前の4月にラジオ深夜便のアーカイブスのコーナーで、
「にっぽんのメロディー」が放送されたことがありました。
その時の音源はなんと全て視聴者から寄せられた物でした。
NHKには残っていないと言っていました。ちょっと驚きでした。 >>257
「にっぽんのメロディー」の再放送、聴きたかったなあと思います。
ラジオ深夜便では「昭和歌謡大全集」の再放送は印象に残っています。
「おやすみの前に」や「夢のハーモニー」の再放送もぜひ実現してもらいたいものです。 ヨウツベでたまたまNHKラジオ終了時のメロディーを見つけました。
「NHKラジオ終了時にかかるオルゴール曲? 」で検索すると出てきます。
放送機材メンテとかで24時間放送しない時?なんかは今でもあるのかな?
とてもなつかしいです >>259
第二では現在も放送していますよ。第一ではメンテで休止する場合でも
コールサインを言った後はそのまま停波してしまいますね。 >>259
久し振りに聴くことができました。ありがとうございます。
長らく無縁だった、明日という近未来への希望というものを取り戻しそうな気がしました。
>>260
感謝します。
寝る前の安らぎのひとときに部屋の灯りを消して、ラジオで聴いてみたいと思います。
かつてそうしていたように。
>>260
第二でやっているんですか…なんだかラジオもあまり聴かなくなってしまって…
>>261
24時間働く時代しかたがないんでしょうが、夜中に放送が終わる時代も
また良かった気がします。民放でも日によって夜中で終わっていたし…
あと、定時ニュースで、東京から地方に切り替わるときに「ポン」と
木琴のような音がしていました。20年位まえから聴かれなく
なりましたが覚えておられますか? >>262
「ポーン」は覚えています。放送用の小さな木琴の低音部を叩いたような音でした。
全国ニュースからローカル・ニュースに変わる合図の
「ポーン」は、スレタイの「おやすみの前に」が放送されていた
時期には、まだ流れていましたね。ラジオ深夜便が土日だけの
「試験的放送」を始めた頃(1990年(平成2年)?)になくなった
ような気が・・・・ >>259
今使われている曲と、20年ほど前に使われていた曲は、ちょっとだけアレンジが違います。
両方ともYoutubeにあるので、聞き比べてみてもいいかも? >>265
なんとなく昭和の頃に聴いたのとちょっとちがう気がしました。
>>263-264
ポーン、、好きだったんですが、働き出した頃から日中ラジオを聴かなくなり、
しばらくして外回りで車に乗ったとき、正午のニュースでいきなりローカル
(東京ですが)に切り替わったときショックを受けた記憶があります。 11月もあと一日、あさってからは師走です。早いですね 時が経つのは…
このスレ、いつまでもつかな? 2chが無くならない限り、現在の進行状況なら10年はもつでしょう。
>>267
お久しぶりです。このスレ、我々で守っていきましょう。
もうすぐ“昭和87年”ですね。
同期さん、福岡JOLKさん、夜行列車さん、どうぞ良いお年を…。 昭和87年、大正101年も始動しました。
中ノ鳥島さん、福岡JOLKさん、夜行列車さん、皆さん、
今年もお元気で!
寝台特急〈日本海〉(大阪〜青森間)、
夜行急行〈きたぐに〉(大阪〜新潟間)。
来月なくなるって言うので大騒ぎしてますね。
昭和の香りを乗せた列車がまた姿を消しますね。 我々がいた頃だと、まりも・利尻・大雪かな…夜汽車の座席車で聴く
深夜放送ももはや過去のものとなってしまった…学生時代は貧乏で
寝台なんて乗れなかったし…味わえるとしたら、函館〜札幌の夜行急行で
しょうか
函館〜札幌間の夜行急行といえば臨時急行すずらんでしょうか?
私も1983(昭和58)年8月に乗ったことがあります。
寝台車はなく、5両編成でオール座席車でした。
あの頃は旧型客車での倶知安回り夜行列車もありましたね。 たしか62年の10月まで走っていましたね、函館〜札幌間の荷物客車列車。
何度かのりましたよ。今あるのは「はななす」でしたっけ。札幌〜青森間の
夜行急行は。あれにのれば昭和の感覚に浸れるかなぁ… よくかかるBGM、街角のカフェともうひとつ何でしたか?曲は覚えてるんですが… 関東は櫻が満開、、、北国の友人からは吹雪とのメイルがきましたが
>>276
口づさんでくださいよ とも言えないしなぁ 大変にご無沙汰してしまいました。
中ノ鳥島さん、同期さん、福岡JOLKさんをはじめ、
皆様お変わりなく、お元気でいらっしゃいますでしょうか?
夜行列車さん お元気でしたか
只今、YOUTUBEで「FRANCK POURCEL-CAMPANITAS DE CRISTAL」
を聴きながら往時を懐かしんでいたところです 最近涼しいというより寒いですが
皆様、体調をお崩しにならぬよう
ご留意ください。 戦後教育は文部省と日教組の不毛のイデオロギー対立により本来の教育を蔑ろにし、主役である子供達を放置してきた。最初にその犠牲となっ
たのがいわゆる「団塊チルドレン」と呼ばれる世代である。彼らは歪んだ「権利・自由・平等」を教えられ、「責任・義務」を教えられないま
まに育った。日教組は彼らに経済と言う物差ししか与える事ができず、信念・哲学・自尊心という価値からは程遠い「金と物」にしか価値を見
出せない貧しい精神を育んだのだ。この事は「失われた十年」と呼ばれる90年代に於ける彼らの生き様に大きく影響した。
子供は幼児期に於いて父性と母性の対比の中で社会性を獲得する。「亭主元気で留守が良い」と言うコピーがはやったが、父性不在の家庭はや
がて「団塊チルドレン」の社会性の無さの原因となった。当時オバタリアンと呼ばれた世代は、戦後処理もろくに済んでいないのに平気で海外
へ出かけ、金に飽かせてブランド商品を買い漁り、傲慢さを世界中にまき散らした。彼らの世代に特徴的であるこの品性・品行の悪さは、後の
世代のライフ・スタイルにまで影響を与えた。それ以上に、欧米諸国が未だに日本人を蔑視し、アジア諸国が不信感を持ち続けている事への鈍
感は不幸でさえある。団塊の世代が戦後の営みの中で経済力に見合う人生観や価値観、広義の品性・品行やモラルを獲得していれば日本社会は
ここまで歪まなかっただろう。
90年代は「失われた十年」と呼ばれている。経済と言う物差ししか持たなかった我々は、旧来の発想で経済的な豊かさを追求し続けたが故にバ
ブルの崩壊をもたらした。その時不幸だったのは「我々は何処へ行くのか?」と言う根源的な迷いに気付かなかった事だ。この事が90年代を無
為に浪費した最大の原因である。団塊の世代は欧米を追う間は素晴らしい能力を発揮したが、追いついた後のビジョンを描く想像力が欠如して
いた。彼らの責任では無い。社会が彼らにその様な能力を要求しなかったのだ。村上龍の「あの金で何が買えたか」が売れたと聞くが、悲しい
のは未だにその程度の次元でしかバブルを検証できないメンタリティーの低さである。検証すべきは「何故我々が貧しい価値観しか持ち得なか
ったのか」と言う事である筈だ。まさしく教育の問題である。冒頭で述べた様に信念・哲学・自尊心を育む努力を怠らなければ、もっと違った
社会があった筈である。 夢のハーモニー
www.youtube.com/watch?v=xqHII0q1lPg NHKも女性専用車両という人権侵害が発端の金融懸念材料に批判声明を!
のべ38万人が視聴した女性専用車両の問題指摘番組
http://www.youtube.com/user/20091201memorry/
女性専用車両は女の馬鹿げたわがままです。