【米岡】RKBラジオ もっとももんが【誠一】
RKBラジオの人気深夜番組「HiHiHi」の後番組で
1993(平成5)年5月3日(月・祝日)から
1994(平成6)年9月30日(金)までオン・エアされた
「もっとももんが」(DJ・コメさんこと米岡誠一)の
想い出を語り合いましょう。
パーソナリティー 米岡誠一(コメさん)
アシスタント 上村聡子(トコ)
佐々木亜希子(アッキー)
永田真代(マヨ)
プロデューサー 井上悟
ディレクター 谷口陽子
ゲーハー笹栗
「ももんが」の目玉だった
天神イムズビル6階「JAお米ギャラリー天神」での公開録音
「米米エブリボディ」は雰囲気がほのぼのとしていて良かった。
「お米ギャラリー」のコンパニオンさんも美人だったし。
「米米エブリボディ」
平成5年5月9日から翌年4月24日までの毎週日曜日に
天神IMSビル6階「お米ギャラリー天神」にて開催。
リスナーに数々の想い出を与える。
>>3
米米エブリボディ内の「ももんがイントロクイズ」における
ももんがイントロ王
初代イントロ王(94年1月) P・Nみかちゃん
二代イントロ王(94年2月) P・Nサーチライト
三代イントロ王(94年3月) P・Nイントロ魔神
スタート以来、イントロクイズはこの3人だけの為にあるようなものだった。
そこで挑戦者のマンネリ化に悩んでいた「ももんが」スタッフが苦肉の策として
「イントロ王」なる称号を与え、上記3人を挑戦者側から出題者側へ回した。
ちなみにこの3人の中で一番強かったのは初代のみかちゃんだった。
当時のお米ギャラリーには「ももんが」宛ての
リクエストボックスが設置されていて、毎日番組でリクエスト曲が流れていたが
その中には「茨城県の石井竜也君」からのリクエストなんていうのもあった。
さらに面白かったのが「石井君」からのリクエストを
コメさんが真剣に紹介していたことだ。 >>5
「HIHIHI」のティーンズクラブも
参加リスナーのマンネリ化で打ち切られたね。 >>5 >>7
米米の公録には元ハイハイハイリスナーが多数参加していた。 某裏番組での投稿より。
その日はたまたま「13日の金曜日」。
裏番組ではコーナーの合間に「なー今時、今日「13日の金曜日」
って騒いでる奴いるのかな〜」とのパーソナリティの問いかけにアシ
は「いませんよそんな人〜」と返していた。その日は「独占!Jリーグ
エクスプレス」の間、ふとRKBの「もっとももんが」にラジオをあわせた
ところ
「今日の『ももんが』は『13日の金曜日特集』で〜す!」 >>3 >>5 >>7
イムズの公録はただ単にRKBとJAとの契約(1年契約)が
切れただけであって
リスナーのマンネリ化とはあまり関係が無い。
契約更新をしなかったのは「ももんが」自体の番組終了が決定していたから。
したがって、当時のリスナーが責任を感じることは無い。 >>3
「米米エブリボディ」が終了して1年後、小生は「ももんが」を通じて
知り合った仲間達とお米ギャラリーに集まった。
その時、皆の姿を見たある女性の方が
「あら、みんな久しぶりね」
と声を掛けてくれた。
その「ある女性」とは、お米ギャラリー天神を管理されている方だった。
当時の年齢は40代半ばぐらいで、コンパニオンと全く同じ制服を着ていた。
その女性の方、コンパニオンには厳しい方だったが、小生をはじめとする
元・ももんがリスナーに対しては息子のように可愛がってくれた。
懐かしい顔ぶれを見て嬉しかったのだろう、その方は元・ももんがリスナーの
一人一人にJA特製のキーホルダーをプレゼントしてくれた。
そして、最後に一言、
「君達の仲間にも女の子がいるといいよね」
そう、我々は野郎だらけのリスナー集団だったのだ(涙)。
自分が毎日厳しく指導している部下のコンパニオン達には皆、彼氏がいる。
それに比べて自分の息子みたいなリスナー達には皆、彼女がいない(涙)。
その方は「息子たち」の現状がすごく心配だったのだろう。
あれから9年、みんなどうしているかな〜。
突然ですが、プロデューサーの井上里瑠より皆さんへ感謝の言葉を
送ります(一同拍手)。
本当に長い間応援してくださって有難うございました。
考えてみますとね、リスナーの代表として
「隣のお姉ちゃん」が、「友達のお兄ちゃん」が放送に登場するという、
こういうスタイルは考えてみると25年前にスタートしたんですね。
「スマッシュ・イレブン」に始まって「ハイ・ハイ・ハイ」、
そしてそれを引き受けて「ももんが」・・・。
この25年間に幕を閉じることになりました。
まあ、しかし、世界に目を転じると
東西の緊張も雪解けで全然無くなったし、国内も政治の世界も
再編されたりとかね、価値観が大幅に変わっている時、
21世紀に向けての何か新しいトライをするのもね、
それなりの意味があるんじゃないかな。
一番、僕嬉しいのは、幕を閉じるんだけども、うーん、そうだね、
「ももんが」、本当に今人気が出て来て「これからだ!」という時に
幕を閉じる・・・。元気な姿で「サヨナラ」っていうのは
それなりの意味があるんじゃないかな、と思いますね。
「ハイ・ハイ・ハイ」から「ももんが」
影で谷口ディレクターが本当に頑張ってくれて
「ディレクターも一言」と思ったんですけど、あの人は「影の人」だから
「言わせてあげないっ!(一同大爆笑)」 >>13
えー、そういうことで、またね、新しい番組が
この後スタートするわけなんだけども、
これも引き続き応援してもらえればなぁ・・・、と思っております。
本当に長いことね、あっ、それから皆さんからお便りで
色々心配していただいたんだけども
「まよは?」「あっきぃは?」「とこは?」「米さんは?」
というのもあったんだけど、それぞれまた、それぞれの道でね、
また皆さんの耳にかかることもあろうかと思います。
その時は気分新たに応援をさせていただきたいと思っております。
それから、AD、スタッフの皆さん、
一生懸命にね、夜の時間にね、頑張ってくれたんだけど
これも偏にね、リスナーの皆さんからの励ましのね、
「みんな聴いて下さっているんだ」
という、そういう繋がりがあったから出来たんだと思います。
最後の最後でプロデューサーがしゃしゃり出て(一同爆笑)
ひとこと御礼が言いたかった。
どうも本当に皆さん長い間聴いて下さって有難うございました。
1994(平成6)年9月30日(金曜日)
RKBラジオ「もっとももんが」最終回より
あれから丸10年が過ぎました・・・。 >>13 >>14
素晴らしい最終回だ!
大学生スタッフが7年間の歴史をガチャガチャにした
「HIHIHI」の最終回とは大違いですね。
さすが井上サトル氏、リスナーの気持ちを理解しておられる!!