ハイヤング京都について語ろう
島田新助、桂文珍、つボイノリオ、寺島まゆみ、みのや雅彦、宇佐元恭一、
鈴置雄三、ザぼんち、若宮テイ子などなど、個性的なパーソナリティーに
恵まれていたハイヤング京都を語ろう! 俵太の曜日でただひたすら早口言葉を言い続けるという何の捻りもないコーナーがあったねえ
のちにヤンタンでも似たようなことをやってたらしいけど 自己紹介で「たわら・ふとし」(俵太を訓読み)と言っていたのも彼のセンスだろうか。 94年3月放送の「ダウンタウンDX」の録画テープを見てたら、上岡氏が出ていた。
カッコ良かった。 亀だが>470
楽珍の番組で使われたハービーハンコックの曲は「rock it」
インストナンバーなのに当時プロモビデオが話題になってヒットチャートの上位に食い込んだ
>520
スポンサーが絡んだレギュラーコーナーは平日23時台後半の「餃子の王将」提供だけ
ちなみにハイヤング11時代から(もしかして既にズバリクから?)始まっていて
昭和60年秋改編まで続いていた 高校野球の予選の前に、期間限定で
「目指せ甲子園」みたいな5分くらいのコーナーがあった。
スポンサーは藤井大丸。
高校の野球部の紹介があった。
俺が聞いてた当時、京都は平安も弱くて全然興味がわかず
邪魔にさえ感じていた。 >>531
上岡氏とダウンタウンの共演って意外に多いね。
働けダウンタウンにも出てたし、逆に上岡がホストだったEXテレビにも頻繁に出ていた。 >>534
高校野球の人気があった頃は、どこの局にもこの類の番組があった。 島田の紳ちゃん長期入院の際の代役が上岡さんでしたよね。Dは小泉のままで。小泉さんまだ浄土寺の局長されてるんかな?
>>534
「甲子園をめざして」が正式タイトル
京都府大会に参加する高校の放送部が製作 コーナー枠としては9分の設定だった
CMだが久保房郎アナが読んでたバージョンと
藤井大丸の店員にインタビューして宣伝させるバージョンがあった
昭和60年はこれとは別に京都・滋賀大会開始後
試合の結果を伝える「高校野球ハイライト」も5分ほどやっていた
ハイヤンが始まる前にニュース読んでたアナがそのまま原稿読みを担当していた >>539
うぉぉぉ!
素晴らしい!
詳細な情報ありがとう。記憶が甦ったよ! >>538
あれは紳助から上岡にオファーして実現したらしい。
予てより一人で好き勝手に喋れる深夜放送をやりたがっていた上岡には渡りに船の話だった。
この時期、土曜日は
YTVときめきタイムリー→KTVノックは無用→OBC歌って笑ってドンドコドン→KBSテレビタイガースフィーバー→KBSラジオハイヤング京都
と、曜日限定だが「超売れっ子」だった。 上岡ハイヤンの中では「筆下ろし」のネタがよく練られていた。
ああいうのってどこまでが真実なんだろ・・ というか、紳助と上岡の2人でハイヤンをやって欲しかった。
ポップ対歌謡曲の再現でw 文珍のハイ火の11時半頃のハガキコーナーが面白かったな。 >>544
上岡&紳助のメディアでの共演といえば99年3月の鶴+龍が最後だな。
VTRに撮ってあったので見てみたが神がかり的な面白さだった。
鶴瓶とさんまが邪魔にさえ思えた。 >>543
上岡氏はそういう"ネタ"ではなくて、ちょっと大袈裟だけど"批評"トークが面白いと思うんだよ。
前にも書いたけど、邪馬台国の場所に関する二説(北九州説と畿内説)の検証や、
おニャン子に題材を取った、アイドル"ティッシュペーパー"論など、
今聞きなおしても新鮮。 森脇健児の土曜日は結構面白かったよ。
今ナイターオフにやってるサタデーミーティングの源流がこの「ハイ土」じゃないかな。 >>517
弟子の江本達彦も出てた なお滋賀局では「さんさんワイド」をやってたので放送されず
ところでこの頃の上岡と言えば
「芸は一流 人気は二流 ギャラは三流 恵まれない天才 上岡龍太郎です」を多用していたなw
>>539 甲子園をめざして
昭和59年はドゥスポーツ 60年は北山リビングと京洛日産もスポンサーだった
>>545
本音の日記 → 1人はおるでこんなやつ 「ナツメロ大全集」でもそのフレーズ言うてた気がする。 火曜日の1人はおるでこんなやつは
ヤンタンからのパクリが結構あったぞ >>549
ローカルのラジオ番組にこんなにスポンサーがつくなんて
今じゃとても考えられん 当時からすでに東北や九州の小出力局は惨憺たる状況だった。
夜のスポンサー有り番組といえばLF制作の日立枠30分(ミュージックインとかファンファントゥディ)、
QR制作の花王枠30分(青春キャンパスとかスクールズアウト)しかなかった。
KBSはローカルセールスで出稿社を集めていたのだから凄い。 >>552
ヤンタンだってオールナイトニッポンやコサキンからの引用、
多かったよ。
そんなことどうでもいいと思うわ。 >>555
オールナイトニッポンは2時間で常時7〜8社のスポンサーを付けていましたが何か? >557
1980年代初めにはKBSのローカルスポットに数社出稿があった
(アートネイチャー京都や京劇ドリームボウルなど)
最近のオールナイトは事業案内や公共広告だらけで不景気感爆発
10年前に都築総合学園(第一工業大学など九州を中心に各種学校を運営)が
スーパー枠とコム枠のローカルスポットを埋め尽くしてた時代が一時あったけど 都筑学園、あったねぇ(懐)・・
もっと前には京予備とか関西文理学院といった大学受験予備校がハイヤンでスポットを打っていた。
特に、受験シーズンが終わる2月下旬から3月にかけてしつこいくらいに
たくさんCMを流してた。 >558
第一工業大学って箱根を除く大学駅伝で
山梨学院みたく留学外国人を招いて毎年一時的に上位へ行って名前を売ってるよね
>559
1分以上あるCMは全てKBSのアナウンサーに喋らせて製作させてたな
ちょうど自社製作の深夜生放送が土曜(モリモリマニア)を除いて打ち切られた頃で
そんな苦しい中KBSの営業には禿しく助かった時期なのかも知れんが >>559
専門学校も負けじとやってましたね。
コン専とか、美術系とか。
モード学園はオールナイトニッポンでしたっけね。 つボイのハイスイ 前期のエンディングに流れていたムーデイな曲の曲名をご存じの方しらっしゃいませんか。 >>563
>477じゃないの? ちなみに1年めも2年めもオープニングはそれぞれ別の曲が使われた
鳥山雄司とか80年代に活動してた日本のフュージョンアーティストを調べていけば
該当曲に遭遇するかも
ちなみに3年めと平成の復活版(平成8年から1年半やってた)は共に
オープニングもエンディングも「イン・ザ・ムード」のロックバージョンだった >>564
貴重な情報、本当に、本当に、ありがとう!!
永年の悩みがようやく解消された気分です。
ただ、残念ながら、なかなか当該曲が廃盤になっていて入手できないのが、次の悩み。
また、「イン・ザ・ムード」のことを書いておられるけど、2代目のエンディングはご存じないですか。
自分でも、過去レスも当たってみるようにします。 寺まゆが飲むジュース『うふふ』がウマそうだったなぁ。 ハイヤンの前の時間帯に高校の放送部あたりがラジオドラマとか
作って放送する番組があったけど番組名が思い出せない。 >570
u fu fu は昭和60年のカゴメコーナーでのセールス商品 昭和58・59年はリベラ
>571
ハイヤン始まる前(野球延長がなければ21時50分)に10分間のニュース枠があったけど
番組途中のニュース枠は設定されてなかった
但しニュース速報や交通情報が入ったことはあった
ハイ水だと原則としてつボイが原稿を読んでたが
グリコ森永事件のブレイキングニュースでは福居Dが原稿を読んだこともあった
>572
「こちら青春放送局」 新野新が担当してた時期もあったけど
漏れが聴いてた時代(昭和55〜56年)は山崎弘士アナ担当で東芝がスポンサーだった >>573
あ〜、それそれ。
スッキリしたわ、ありがとね。
ビリー・ジョエルの「マイライフ」を聴く度にこの番組を思い出すんですよ >>574
俺も同じ。
あの曲はいいよね。
ナイターオフシーズンだけの20分番組。
東芝がスポンサーだなんて、今のKBSじゃ考えられまへんなあ。
新野新が担当していたのは知らない。
竹内義和の時代は知ってるけど。 ハイヤン直前の21時50分京都新聞ニュースのあと、季節限定だが、
21時56分頃から、修学旅行便りもあった。
自分の学校がアナウンスされてちょっぴり嬉しかったのを覚えてる。
しかし、あのコーナーで「無事に目的地に到着した」以外のアナウンスって
一度でもあったのだろうかw
エッセイストの和多田勝が喋っていた時代もあった。
新野、和多田、竹内と、文筆業兼タレントというポジションの人が好んで起用されていたんだね。
和多田はのちにABCでハイヤンの同時間帯にまなびやんナイトの司会に就任しましたけど。 >576
阪神淡路大震災が起こったとき「安否情報」が各局で行われた中
ABCラジオでは「無事情報」と称してそれぞれ個人の無事を報告することだけに専念していた
修学旅行便りも「否」の情報を流すことはなく
「無事予定を終えました」とかの報告をして家族を安心させるのが第一の目的だったと思う
ただ時々「天候により予定を変更しました」と言っていたときもあったような気がする
なお修学旅行便りは「タイムリー10」など夜のTVニュース枠でも行っていた
>578
和多田さんはNHKのTVでもよく見かけたけど若くして逝去されてしまったね
良い意味で関西を伝えることのできる数少ない文化人だった というか、和多田氏は本業が落語家で、シャレで本名で出演してるのかとずっと思ってた。
土曜昼のNHK総合「しゃべくりバラエティー日本一」の司会者だった。
今「バラエティー生活笑百科」をやってる枠です。 >>578
正確に言うと
まなびやんナイトとハイヤンはカブってなかったけどね。 口調が芸人風なだけで、喋ってる中身はそんなに面白いものじゃなかった記憶が... >>529
ご本人はハイヤンは自由に喋られて楽しい仕事だったといっていたよ。
ハイヤンを担当したタレントは総じてこのレギュラーを肯定的に見てくれてるよ。 ハイヤン出身じゃないが鶴瓶さんも
頭のてっぺんから声を出さなアカン番組が多いとしんどい。
地声でゆっくり喋れる番組も要るんのとちゃいますか
と何かの記事で書いてました。
鶴瓶さんは今もヤンタン担当ですが、昔と違って
落ち着いた雰囲気で喋っておられますね。 >>586
貴殿は「ぬかるみの世界」(OBC)をご存じない? 昔のKBSやOBCは演者が気楽に喋ってる番組多かったですよね?MBS、ABCはCMが流れをぶち壊しにしていた印象ありました。鶴瓶さんにしてもぬかるみが一番しっくりしてたし、文珍さんもハイヤン以外は堅苦しい感じでした。 その意味で言うと一番KBSでほっこりしてたのは
島田紳助だと思う。 紳助は盲腸で死に掛けなければもう少し違ってたんじゃないかと思う 島田紳助入院の為降板 代打で上岡さん出演。聴いていたはずですが内容の記憶がない ドンドコは覚えてるのに…。 >>592
>>515から>>527
および
>>538から>>547
のあたりに中身についての情報があります。
あと、パペポで有名になった「占い師の顔に×印」事件も
このハイヤンで喋ってなかったっけ?
あの頃に細木某や風水オヤジが世に出てれば
もっとヒートアップしてたかもww 細木はすでにパペポ放映時期にはテレビ出演がそこそこあったから
上岡氏はEXテレビでネチネチやってたような。
スレチだけど上岡氏が出てた大阪EXの企画モノって
結構面白かった。
紳助の代打って上岡よりオール巨人のほうが長くなかったっけ?
細木いじりはつボイのハイ水でのほうが過激だったかと >594
一時期つボイも喋ってたし鉄道ライターの種村直樹も金曜を担当していた時期ある
>596 細木和子批判
音楽実技に「Bugってハニー」の音源を使って替え歌を投稿してた香具師いたな
「清川虹子が攻撃するよ〜」とかいう歌詞に禿しくワロタ つボイはどっちかというと「茶化してる」感じでまだ救いがあったが
上岡のは完全に「潰しにかかってる」ノリで、怖さを感じたよw >>596
上岡は86年8月と9月の2ヶ月間。
巨人は紳助の代打ではなくて後継だったのでは?
つまり86年9月で紳助はハイ土を降板した。
違った? 上岡の占い師の顔にバツ印は確か名古屋のテレビだったっけ?
上岡も上岡だけど女性占い師も変に意地を張るからだと思った。
上岡は親父が弁護士だしその流れもあるのかしらないが
理屈をこねると橋下徹並み。 上岡ハイヤンで話題になってたのは芸人論だよ。
俎上に乗せられたのは西川のりお、横山ノック、桂文珍、立川談志、遥洋子。
ディープだったぞ〜 ハイヤンやなかったが、フリキャン水曜日に生瀬勝久が(槍魔栗三助)やってよな!?
結構毒を吐いてたのを思い出したが…w そういえば槍魔栗は探偵役で出演していたナイトスクープで
上岡にケチョンケチョンに言われて降ろされたんだよね。 生瀬のフリキャンは面白かったよ。
土曜日の森脇よりもww >>603
NHKから出演以来が来たけど名前が・・・って話になって
本名の生瀬に戻したら上岡が怒った、という話じゃなかったっけ? フリキャン時代よりも後になるが、NHKの朝ドラ(山口智子主演のやつ)に起用されたね。
唐沢寿明、鶴瓶、藤山直美も出てた。
生瀬はフリキャン時代、放送の中でNHK朝ドラ出演の話をしてたから
山口主演のドラマより前にもオファーがあったのかも。
朝ドラは10〜3月が大阪BK制作になるのでチャンスは半年おきに・・・
やっと掴めたチャンスと思ったら芸名にNGを出され慌てて本名で出演、
ってのはありそうな流れだ。
でもそれで上岡が怒るのもおかしな話だな。 >>606
全国放送だしあの芸名NGなのは致し方ない
上岡もたかじんとか関西出身のタレントは何で東京に従わなあかんねん!って
血相変えるけど腹の底ではそれが俺の芸風やし・・って思っているし関東の
番組出演経験あるから「生瀬芸名問題」は百も承知の上だろう。
フリキャンといえばやはり徳永英明だな。
フリキャンは一年で終わったけどあのグダグダが良かった 徳永のフリキャンは>>63-69にレスがありますなあ。
当時は自分の知らないアーティストだったのでスルーだったが。
当時聞いていたのは文珍、森脇、圭修。
徳永も一度くらい聞いておけば良かったと思う。
やしきたかじんはハイヤン出てたっけ?
KBSの夜に出ていたのは覚えてるんだが。
文珍師匠の火曜日にも飛び込みで出たことがあった思い出も。。。 立原けいすけが出てた時のリスナーとの即興芝居のコーナーが
面白かったよ。 >>609
土曜日担当で問題発言してたかじんは降ろされたんじゃなかったっけ?
文珍さんがTHE ALFEE と仲が良くて彼らの新曲を何度か番組でかけていたのを覚えてる。
コセンさんと文珍さんとのやりとりも面白かった
文珍さんがフリキャンの公開録音をやった時に都合で行けなかったのは後悔してる。
文珍師匠の火曜日は知名度のあるゲストが多かったよ。
覚えてるだけでも風間杜夫、秋野暢子、田代まさし、梨元勝・・
アルフィーは出たことなかったような
他には、時代劇撮影の関係で京都に長期滞在してる
大物俳優が来ることもあったね
松山英太郎、根本律子は朝にレギュラー番組まで持っていた
生瀬は放送中によく京大や京大生の話をしてたので
てっきり京大卒だと思ってたわ 劇団そとばこまちが元々京大で結成された劇団だったからなんだろうなあ。
>>612
文珍師匠が東京で仕事をしたときにアルフィーと何度か顔を合わせたことがあって、
「非常に礼儀正しい若者でした」って
そとばこまちは辰巳琢郎が京都大学時代に旗揚げして同志社の生瀬とかが参加した。
フリキャンでも文珍さんのときに京大生が出演して面白いトークしてた いやぁ・・文珍師匠の火曜日に出てた京大生は内輪ネタばかりでドッチラケでしたよ。
ハイヤン時代からの雰囲気をぶち壊しにしてくれた。
出演していたメンバーの中に後にABCのアナウンサーになった人がいましたね。 文珍師匠といえばヤンタン日曜との戦争が忘れられないなあ >>616
フリキャン京都自体がそう言う番組だから文珍さんだけの責任じゃないわな。
オレはフリキャンが良かったと思っている。
大学生と同世代だから・・・なのかもしれないが。
上田慶行さんですね、京大の学生で文珍さんの番組に出てたのは。
彼は強姦?疑惑で左遷されましたが、長嶋アナなどと。
上田さんが企画した、リスナーそっちのけの内輪話「京大の七不思議」に文サンが激怒した。
「キミら、何喋ってんの!!」
ラジオの前で拍手喝采したわw >>619
フリキャンはそれを売りにしてコケた。
というより’80年代〜’90年代前半は「大学生を前面に出した」番組が
テレビラジオ多かった。
いかにもバブルという感じもして 奴らはただの出たがり、目立ちたがりだった。
プロの喋り手がそんなアマチュアの相手をさせられたんだから
キレるのも分かるわ。 >>621
文珍の気持ちも分かるが放送中に声に出してキレる文珍も大人気ない。
「素人の学生はそう言う人間だ」って分かった上で番組に出させているんだから。
如何しても注意するならCM中にやるとか放送では流さない状態でやるべきこと。
嫌なら番組から締め出せば良いだけ
森脇健児もざまあKANKANでスタジオ生放送中に男子学生のノリの悪さに逆ギレしてたけど
隣で冷静に森脇をなだめ、スタッフに一言二言話していた山田雅人が大人だなとオレは思ったけどね。
上田クンは出たがりだからアナウンサーになった。
それで良いじゃないか。
火曜日が京大だったのは覚えてるが、
他の曜日はどこが出てたのかな
同志社、立命館、京産、龍谷は妥当として、あと2校は?? 大谷大とか京都府立大とか京都外大とか言ってみるテスツ 文珍さんの火曜日のハイライトは西川のリおとの舌戦でしょう。
と思ったら
>>617で出てたね。
共演した携帯懐炉のCMの裏話がメチャメチャ面白かった。 ハイヤン、仏教大学は出てなかった?
’90年代前半にバブルガムブラザーズが仏教大学宣伝のCD出したし
大学にもコンサートに来てたしラジオで仏教大学のCMもヘビロテ。
去年森谷さんの番組にレスラー棚橋弘至が来て母校の立命館大学云々って喋ってた。
圭修とか寺西(元)アナは同志社で結構ラジオでも取り上げられるけど
立命館ってイマイチだな。
古田敦也とか長谷川滋利のときくらいか、ラジオで立命がバンバンネタになったのは?
片岡篤史も宮本慎也も同志社