大学受験講座&百万人の英語
数学の講師でYゼミの教壇にも立っていた
田島稔師はどうしたの? 先生は星の数ほどあれど、出てくる先生は殆ど同じ... 平成になって最初の頃、駿優予備学校の講師が盛んに
参加していたのを記憶している。
宮崎尊、岡安實、猿渡周一郎、岩城(名前を忘れた)
など・・ >>104
> 岩城(名前を忘れた)
「岩城隆」先生だったはず。
ttp://www.sunyu.ac.jp/main/mito/daigaku-jukenka-m/05-koushi/ichiran.html
駿優予備学校もラ講講師陣がいることが売りだったけど・・
何年か前に東京校も閉鎖になったみたいだし、時代の流れを感じるな ラ講で結構命拾いした漏れ
寺田文行 大先生!の鉄則シリーズがなかったら数学いつまで経っても克服できなかったかも。。
特に確率統計は本当にお世話になりました。上っ面で解いてわかったつもりでダメだったのに
ラ講&鉄則シリーズは最高!だった
おかげで寺田先生の学校にも合格できたし!(確率統計と漸化式を融合した問題は完璧に解けたっ!)
先生は今、ご存命なのかな?
あれから15年くらい経つんだな。。。。。 先日古本屋で、
ラジオ講座で英文解釈を担当していた三浦修先生の書かれた参考書
「英文解釈のカギ12」(もちろん発行は旺文社)が売ってた。
妙に懐かしくなって買ってしまった。
>>109
漏れも高校生の頃に持っていたよ。
ちょっと怪しいテクニックも書いてあるんだけどw >>110
英文解釈のコツを書いたエッセイ集って感じの本ですね。
私は受験時代持ってなかったですが、結構いい本って感じました。
著者紹介の欄で、三浦先生はラ講テキストの「笑いの電波」という
コーナーの選者も兼ねていると書かれてました。
そんなコーナーあったような… >>111
ほかにも三浦先生は、蛍雪時代の「受験ユーモア」の選者でもありました。 三浦さんって、漫研の出身で顧問でもあったような記憶が・・ >>112
>>113
たしかに著者紹介欄で
「受験のユーモア」の選者で、漫研の出身とされてますね
ところでラ講っていつ頃放送終了してしまったのでしょうか?
書き込みを見ると94〜95年には放送していたようですが…
>>114
「ラ攻」としては1994年3月で放送終了。
その後は週一回の「Jランド」として衣替えするが、
これも1年か2年くらいで終わった記憶が。 >>115
1994年3月で終了でしたか…
予備校の発達で聴く人が減ってしまったのかな?
そのころにはもう大手予備校の衛星授業がだいぶ浸透してて、
全国で東京の校舎と同じ授業が見れるようになってた。 >>114-115
「ラ講」は94年度は文化放送(もしかしたらラジオ大阪も?)以外の局は引き続き放送してたようです。
そして文化放送などは115の言うとおり「Jランド」を放送していました。
しかし95年2月か3月に完全終了したようです。 予備校界では有名な数学の安田亨、森茂樹も出ていたな >>118
「Jランド」って、どういう所から名前付けたんでしょ?
大学受験ラジオ講座という硬い名前から随分イメージが変わってますね。
>>119
いい先生多かったですよね。
古文の原先生をラジオ講座で聴いて、代ゼミの講習まで取ったことあります。 >>120
原先生が金沢大に在籍中のときの放送を聴いていたかな?
でも理系だったので、共通一次対策程度で付録だった古文単語集のお世話に
なり、本番でびっくりするくらい点が取れたことは憶えています。 >>120
JUKENランドじゃないのか。
アルシェ通り三番地っていうのもあった。 >>121
私が聴いていた頃(昭和62年前後)は、前金沢大教授という肩書でしたね。
あの古文単語集(イラメージ式でしたっけ?)には私もお世話になりました。
>>122
なるほど、JUKENランドですか。
名前にあわせて、あのテーマ曲も現代風の曲に変更したのかな? 伊藤和夫の声はひたすら眠気をさそいましたよね。
それにしても今思い返すとハズレ講師がいないのは
さすがラジオ講座だと思った。
宮崎尊、伊藤和夫、斉藤資晴、数学は安田に長岡先生
化学は三国、現代文は堀木に古文は国広と各予備校の
オールスターを集めた感すらあった。 私が予備校も行かず大学に入学できたのも「ラ講」のおかげです。
工業高校出身だったので最初見たときホンとに「全部解らない」状態で
絶望しました。
「カセットに録音してあとで復習」と思ってもどんどんカセットが溜まってしまって。
英文解釈の2講座、誰だろう?たしか青学の女性教授ともうひとり男性。
これをしっかりとやったら、次年度は英語が得意科目になったよ。
なんて人だったかなぁ?
昭和55〜56年ごろの話です。 >>125
なかなか根性が有ったんですね。
本当にアレを一年間続けると力がつくんですよね。
>>124
古文の林省之介なんか、いまじゃ代議士やってるしな。
現代文だと出口なんとかという大本教の末裔が良かったねえ。
>>127
林先生は社民党の辻元がまだ代議士だったころ
ピースボートではフリーセックスで乱れきっているなんて
ビラを撒いたんだよ。人間として如何なものか・・・ >>125
青学→竪川恵理講師(not教授)
男性→前川裕先生だと思う 夏のスクーリングで竪川さんに会ったことあるが、
なんだか萌え萌えだったなあ。
青学の女性教授で講師をやっている人もいたよ。
名前忘れたけど、知っている人うpキボンヌ。
宮崎尊さんが法政の講師になったのは、前川さん繋がりだったのかな? ハリス先生の書かれた、「私は日本兵だった」を読んだことがあります。
外国人の外見から上官からのいじめなど、散々な目にあったことを
抑えた筆致で回想されていました。
ひゃくまんにんのえいごだよ のお声は私の耳から離れません。 木谷喜美枝先生(名前あってるかな?)の現代文。
控えめな語り口がとても癒されました。
今どうされているんでしょうか? 94年3月某日讀賣新聞「おあしす」欄より
◇受験生のパートナーとして親しまれてきた文化放送の深夜ラジオ番組「大学受験講座」が三月いっぱいで
終了し、四十二年の歴史に幕を閉じる。四月からはキャンパス情報などを盛り込んだ新番組に生まれ変わる。
◇昭和二十七年、文化放送開局とともにスタートした長寿番組で、テキストも最盛期には四十万部を売った。
ところが、大学の個性化が進み、受験生も偏差値だけで学校を選ばなくなり、受験テクニックだけの内容が
時代遅れとなった。
◇また、毎夜ラジオに向かわずに、録音して週末にまとめて聞くリスナーが増えたため、新番組は時間枠をニ−三
時間に拡大して、土、日曜に放送する。さすがの名物番組も、移り変わりの激しい昨今の受験事情には勝てなかった。 しかしリニューアル後は1年で終わってしまったようだ。
そしてラジオ講座のテキストは休刊となってしまった。
その後旺文社はCD講座を付けた「蛍雪アルシェ」を発行したが・・・。 ラ講が廃止されたのは
バブルによって図に乗った旺文社が
大量に赤字を出した結果です
あのころは結構はったり講師も出演してた
キンピカとか寺○とか 実はあのころのキンピカは世ゼミでも賛否両論があった
奴は五文型は不要な知識とほざいていたが
それは五文型をわかってる人間が言う言葉であって
そこに論理矛盾があった
東進に移籍し、そこにいられなくなり
ついにはタレントまがいで高い講演料をふっかける活動をしてるのは
人間としてはいかがなものかと・・・ 寺○に関しては
易しい問題を
いかにもこれは難しい問題であるが
私の講義を聴けばやさしくなる
という詐欺まがい的な部分があった
奴の参考書は解説が薄っぺら
今から思うと解説の詳しい青チャートをちゃんと勉強しておけばな、と思う
それも受験商売なんだが・・・ 今は代ゼミTVネットや東進Dスクールが後継といえるよね
値段は高いがテレビなので圧倒的に情報量が多いし、講座数が圧倒的に多い。
>>143
ずいぶん美辞麗句で固められたプロフィールだね
拓殖大学客員教授?
プ・・・
■講演時間と料金の目安
1.5時間 / 666,666円
※事情により応談可。お気軽にお問い合わせ下さい。
■交通機関
新幹線・・・指定席グリーン車 飛行機・・・スーパーシート
チケット手配・・・主催者側での手配を願います
■宿泊施設 / 何処でも可
■その他条件、要望
仕事ですので、身勝手な要望はいたしません。
十分身勝手だ!!! 俺の仕事の都合で○○大の教授(テレビにも良く出てる人)に講演頼んだことあったが
交通費は新幹線指定(グリーン車ではない)
講演費は2時間で10万だったぞ 北野たけしは特殊な例だけど
今時、MAで大学の教授にしてしまうところが
拓○大学の馬鹿さ加減
それにキンピカは予備校講師時代
拓○大学をものすごい馬鹿にしてたんだよ > それにキンピカは予備校講師時代
拓○大学をものすごい馬鹿にしてたんだよ
へえ、恥ずかしいな。ツゲ大学の人は知ってるんだろうか? 全ての科目が良いわけではないので、ある程度しぼって聴いてました。
実力テスト前は、間違えたものだけチェックするとか。
鉄則と英作文だけはきっちりやった記憶がある。現役生にはよいペースメーカー
でした。テープはとらず、生放送の時間に集中するのが結局効果的でした 春と夏にスクーリングもあったね。
参加した人はいるか?
私は昭和61年、62年頃に参加した記憶がある。
会場は、新宿の小さな予備校と青学だったと憶えている。 >テープはとらず、生放送の時間に集中するのが結局効果的でした
私は高3〜浪人の間、通学の電車の中で聞いていました。
>春と夏にスクーリングもあったね。
私は関西なので、参加したいなあ、と思っていました。
今から思えば「武道館コンサート」に行くノリでしょうか?
>今から思えば「武道館コンサート」に行くノリでしょうか?
でもみんな真面目に勉強していました。
同じ受験生が集まっているから、田舎者にとってはいい刺激でした。 >>151
は?
みんな上京したの良いことに夜遊びばっかしてた馬鹿野郎だったぞ
こっちにとっちゃ迷惑以外の何者でもなかったがな 結局、そういうことやってたから放送休止になるんだよ
金さえ払えば学力付くと思ってるガキを集めて講習をやる
でも東京は遊びもそれ以上にあるからね
結局そっちへいってしまう
大半は大学なんぞは受からず、せいぜい専門学校でモラトリアムを過ごす
そういう無責任な講習会をバブルに任せてやって来た旺文社は反省すべき立場にある >>152-153
実は漏れはそうだった。
それだから、受けた大学はみんな
ズンチャズンチャズンチャズンチャズン パーパー♪
となっちゃったんだな。 これだけ悪事を働いてきた旺文社なのに
英協が旺文社に吸収されたのも納得がいかない
英検の参考書は旺文社はダメなものばっか
これから英検を受けようとする人にはアルクの参考書を薦めます 懐かしいです、ここ。
今ラ講で知り合った人と一緒に仕事してます。 10年以上前のテープが今もあります。
テキストは処分したが・・・
久々に聴いてみようかな・・・ >>149
私は63年の青学と立教で行われたスクーリングに参加しました。
最後の授業が猪狩先生でその前にみんなゾロゾロと帰ってしまった
ことを覚えています。 集中力のない俺には、あの短時間さがよかったな。
タ、タ、タ、タ、ター♪。あの音楽懐かしいな。(1982年視聴)。
>>159
頭が良くて授業が低レベルなのか
頭が悪くて理解できないかのどちらか
後者の方が圧倒的多数だったはず
予習はしない
授業は良く分からない
復習もしない
夜は夜遊び
受講生はそんな連中の集団だった 猪狩先生は冗談も言うけど
意外にきつい人だったよ
低レベルの質問をしようものなら相手にしない
ちゃんと勉強しないと内容的に付いてこられない人の方が多かったでしょうね >>158
伊藤先生はやり過ぎ
(でも金ピカとは月とスッポンだが)
英文を理解するにはあそこまで必要か?
中ゼミや河合塾ではあそこまで要求はしてなかった 金ピカの問題点
「英文をノートに写すのは意味がない。ガキのマスターベーションと同じ」
中ゼミの方針
「授業で使ったテキストの英文は10回ノートに書き写すこと。同じく10回音読すること。出てきた単語塾語で分からないものは50回ノートに書き写すこと。」
俺は後者のやり方の方が正論だと思う
フィーリングで英語を理解するのはこの方法が一番
(ここら辺も伊藤先生と異なるのだが)
松山先生も中ゼミで単科持ってたよね スクーリングで松山先生がそのやり方を指導してた
宿に帰り一人やってたら馬鹿にする奴がいたのもなさけない
金ピカの無責任な発言に感化されて一年後痛い目にあった奴が大半だな 最近の予備校では音読は薦めるけど、英文を書き写すという方法は支持されていないらしい。
スペルを覚えるには役に立つけど意味を覚えるには役に立たないから。 この番組が始まるために、青春キャンパスがなくなりました。 漏れは最終2年間(1993・1994年度)の生徒だ。
宮崎・前川・岩城・伊藤・山本・斎藤・橋本・関・ハリス・御園・竪川・猪狩・佐久間・大島・入不二・河端,吉田・白石・狩野・奥田
寺田・長岡・秋山・渡辺・岡安・田島・岡本・森・岡部・安田
出口・堀木・木谷・武石・平尾,原・林・国広・山田・望月,志村・宮下
菅野,岩田,長坂
三国,田中,橋本
古き良き時代の旺文社 ラジオ講座のスレッドあったんですね。
工業高校生でしたが、ラ講のおかげで高三6月の検定で英検2級とれました。
英語は、イカリ先生の英作文が印象的ですね。高三秋に受けた英検1級の作文だけは偏差値60にあと一歩だったのを覚えています。
工業高校生の私が英検1級受験生のなかで作文では上位10%だったわけですから。
数学は寺田先生、鉄則シリーズ好きでした。まだご存命かなあ? 今の旺文社の業績ってどうなってんの?
英会話ブームなのに、老舗ながら相手にされてないし。
中高生向けの学習事業も斜陽で、「時代」も
「蛍雪時代」のみになって久しいし。
何年か前、QRが自社株買いやった時に
数百億だかで全て譲渡したとか聞いたが、その運用益で
ほそぼそとやってるのかな。
かつて日経新聞と東京12チャンネルの経営権を
引っ張り合いこした面影はいずこへ・・ >>174
oubunnsha はAKO家が石潰した。 質問があるんだけどいい?
ラ講を始めはAMでやっていたけど、途中からFMで放送するようになった地域ってある? ラジオ関西(558kHZ)で深夜に聴いていました。
恐らく韓国と思われる混信から聞こえる曲が今も耳に残っています。
どんな曲かは文字では表せませんが・・・。 ラ講なつかしいね。
この番組にはずいぶん世話になった。
英語科目は相当充実してたんじゃないかな?
ラ講懐かしいな…自分も高校当時ラジオ関西で聴いていた
宮崎先生と林先生の講座は高校3年間毎週録音して聴き直した
たんぱの方が時間的に聴き易いと思って短波ラジオも買って貰ったし
特別講義があると聞いて大阪まで受けに行った事もある
あの時貰ったサイン色紙は今でも大切に持っている >>175
悪事働いたからな
教育を営業に使うというやり口
今のネットをバブル営業に使うホ○エ○ンや三○谷のやり方に似てる
「おごれるものはひさしからず」だよ 70年ごろは数学の勝浦捨造がいた。代々木ゼミでも教えていた。
「数学は誰でもできる」が口癖。あなたが過去に数学ができなかったとしても、
数学ができなかったことはあなたの未来を拘束しない、とよく言っていた。
この人、代々木ゼミ仙台校の校長になることが内定していたが、たしか82年、72歳
くらいで亡くなった。 >>184
仙台校の件は知らないけど、もともと代ゼミの名誉校長。
わざわざ地方校の校長になる予定って本当にあったの?
ちなみに勝浦氏が亡くなる前の開校前から、仙台は竹内均校長って
発表されてたよ。 1984年(の2月)でしたか、
2次試験対策として、「地域別(私の場合は九州地方)の傾向と対策」と銘打って、
英語の中田先生が講義されたその最後に、
当時在籍されていた北海道大学の歌(学生歌だったのかどうかは覚えていない)を自ら歌って、
ラジオ受講生を激励されました。
それは、とても気合いが入ったものでした。
旺文社のラジオ番組は自社スタジオ制作。電波料金を値切るので、深夜もどんどん遅くなった。地方局がオールナイトニッポンを受けるようになり、FMを使うようになった。 今から思えば、毎日聴こうとしたのがまずかった?かな。
金曜だけとか、土曜だけとかにすれば長続きしたかもしれない。 >>177
それはなかったような。
ラ講がFMでネットされたのは青森・秋田・岩手・宮城・静岡・山陰・
広島・山口・長崎の以上9地域。
寧ろ岡山・香川・高知・大分・鹿児島は少なくとも1980年代後半以降
AMもFMもネットしなかった。これらの県はラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)か近県の放送局を聴くかあるいは放送テープを購入するかで大変だったと
思われ。 話が少しそれるが、この前1996春頃の文化放送の番組を録ったテープが見つかって、
CMを聞いたら参考書や辞書のCMがあったが、学研や小学館のだった。
1995年に大学受験講座が終わったが、その直後から文化放送は旺文社との縁を切ったのかな? >>194
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E6%94%BE%E9%80%81
2001年 - 20%強保有していたフジテレビ株式の大部分を外部に売却し、
その売却益で旺文社が持つ全ての自社株式を購入。直ちにこれを消却して、
旺文社と絶縁。一層独自色が強まる。 >>198
家の親父が大学同期っていっていた。大学在学中から結構目立っていたみたい。
イリイリメソッドとかハラハラメソッドとか発音に忠実な米語講座が印象だったな。
しかし、この発音で英語のリーディングしたら当時の先公、発音が駄目とかいって
日本語式の発音に正された思い出がある。w
当然、俺の学校の英語教育はダメダメで大学にいくとみんな単位を落としていたそうな。
>>193
ラ講、漏れは学校に(たぶん無償)レンタルされたテープも利用してた
放送日前に講義が聴けた >>202
出ていたよ。
旺文社からも英文法のカセットテープ教材を出していたし・・ 英文法だったか・・不安
英文読解だったかもしれない 久しぶりにこのスレに来たぜ(=゚ω゚)ノ
林先生、今はどうしてるの? 最後の年は藤木アナ(この頃は名実ともにアナドル格)が
進行担当してた。番組消滅を予感してたのか、
どことなく寂しそうな雰囲気が漂ってた。 京都の実家へ帰っていて、20年ほど前に録画したビデオテープの整理
をしていたら、旺文社提供の昭和63年の共通一次試験解説と二次出願
対策番組のテープを発見したよ。テレ朝が夜中に放送していたもの。
旺文社の代田室長を中心に寺田文行さん、中田靖泰さん、国広功さん
が解説、傾向分析をするというもの。
やたらとフリップを出して説明をするあたりが時代を感じる。
懐かしかった・・ >>207
お亡くなりになりました
当時、文法&単語やってた原さんの家に遊びに行ってたとか行ってたけど
実際の講習では原は林のこと馬鹿にしてた
今思えば、どっちも大したこと無いけどね まあ、林は単語文法より感覚的な部分を重視してた
一方の原は単語文法の重要性を説いてたけど
でも原のやり方で結局理解できる部分は
はっきり言って無い >>78-81>>198-199
某英語専門学校でハイディの授業を受けた事の有る私が来ましたよぉ〜。
体を壊した為に半年で学校辞めたけど、その後はしばらく実家の飲食店手伝いながら『アメリカンイングリッシュ道場』聴いてました。
ハイディ元気かなぁ〜? 鎌倉在住だって聞いたけど。 初めて投稿いたします。76年〜77年の間聴講しておりました。
今でも記憶に残っている講師は、ダジャレで英単語を覚えさせるお方でした。(三遊亭円右師匠に似ていたような気が・・・)
でも今思い出すと、講義内容に少し首をかしげたくなる所がありましたね。 例えば「anniversary 記念日」の覚え方は、兄貴がバッサリと刀で殺された記念日
アニバッサリ。 背筋が寒くなるようなダジャレでした。 旺文社か、、英協の添削なんてのもあったな。
そういえば赤尾さん、亡くなったらしいね。 ラ講、世話になったなあ。
英語は結構力がついたような記憶あり。
>>220
英語は良かったよ
金ピカ以外は(あれは間違いなくハッタリ)
問題はそれぞれ個性があって
どれを信用するか
どれか一人を信用すれば良かった
伊藤和夫が良いと思えばそれを徹底的に信じれば良いし
(俺はあの考えは嫌いだが、正論と言えば正論)
他にも良い考えの先生はいっぱいいた
でもどれか一人を信じなければ失敗するという
危険性もあった 國弘正雄やJBハリスに、英作文のおばさんの放送聞いたかなあ
ハイディ矢野は、最初國弘先生は苦手だったとか、暴露してたな 山口組の東京大学合格専門学校=灘高校
稲川会の開成高校(教頭は李朝末裔) 懐かしいね、旺文社のラ講。
旺文社の参考書もたくさん買ったなぁ。
今でも頑張ってるみたいね。
ttp://www.obunsha.co.jp/news/news0610_rikai-sho.html ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%BA%E6%96%87%E7%A4%BE
会社の経営、悪くなってる
景気の良い時、やりすぎたから
特にスクーリングとか栂池サマースクールとかは、ぼったくり商法 古文にイケメンの講師がいたな 確か青学で教えてたような 百万人の英語の先生はおもしろい人が多かったですよね。
奈良橋陽子さんとか、ハイティ矢野さんとか、小林克也さんとか。
ああいう生の英語を理解するラジオ講座がなくなったのは残念だよね。
NHKのラジオ講座の遠山顕さんも百万人の英語出身ですよね。 鳥飼久美子も講師だったんだよな。ちょっと難しかったことを覚えているよ。
文章が詰まっていて。鳥飼久美子は上智出身で大阪万博で活躍した。
この人のおかげで上智の人気が高まったとか言っていた人がいたなあ。
僕は鳥飼久美子のような同時通訳になりたかったんだが、結局外国語学部に
進学しなくて、大学に進学しても英語を熱心にやることもなかったなあ。
相変わらずリスニングはできないよ。スピーキングもだめ。
ライティングも下手だな。 鳥飼さんマーシャ・クラッカワーさんはむかしアイドルだった。今は大学教授。 数学の寺田ぶんこう先生はお元気かな あと古文の林先生はよく聞いてたな >>233
林先生は確か、兵庫で国会議員に当選したんじゃなかったかな? 79年80年頃落語家の人が英語初心者としてよく出てました。
あの落語家さんは誰だったのか、今では思い出せません。
覚えてらっしゃる方教えて下さい。 鉄則 そのいち
こたつに入ってラジオ講座を聴いてると、いつの間にか意識が飛んで
番組が終わっている。 176 「オジゴイサ」の意味、思い出せません!
教えて下さい! 佐藤恒雄先生の微積分のテープが残っているけど、ラジオから録音したもの
なので、著作権の関係でオークションには出せません。残念!! 「百万人の英語」「大学受験ラジオ講座」
文化放送の場合
この2番組の放送開始は文化放送の開局から数年以来のスタートで
「百万人の英語」は1992年10月4日まで、
「大学受験ラジオ講座」は1994年4月8日まで
(「Jランド」を含めると1995年4月2日まで)
放送していました。
開始当初は夜10時30分〜深夜0時までで、
「百万人の英語」→「大学受験ラジオ講座」の順番で放送していました。
その後「ニュース・パレード」の毎晩22:30〜の放送時間移動に伴い
夜11時〜深夜0時30分に移動、など幾度かの放送時間変更を重ねて
1990年の頃には毎晩深夜0時30分〜1時30分「大学受験ラジオ講座」、
深夜1時30分〜2時「百万人の英語」という順番で放送していました。
ただし、毎年大晦日の深夜の放送は授業を休講して「行く年来る年」の特番や
年始特番を放送していました。
「百万人の英語」 で長く講師をされていた安藤登美子さんは現在何をされて
いるのか、ご存知の方教えて下さい。リチャード・ヨーカムさんとのコンビだった
と思います。大変分かり易い番組で、沢山のことを学ばせて頂きました。
(結婚されて、苗字も変わったのだろうと思いますが・・・。) 竪川恵理先生の声ききながら
マスターしました。
今は法政大学教授なんですね。 >>244
もう見ていないと思うけれど・・・。
安藤登美子さん、今は英語関係のお仕事は引いて、セラピスト・ヒーラーをされています。
若い頃に神秘体験をされたようで、いつの時点からかは存じませんが、
こっちへこっちへと引っ張られるように人生がスピリチュアルな方向へ導かれたと聞いています。
(ちなみに、今も安藤さんですよ。) 御園先生のアシスタントだった光岡ディオンさんは、
BOOMの宮沢さんの奥さんになったんだね。 ハィディ矢野先生の声に惚れた。
back of the stationを「バッ!カッ!ザッ!スティション」と発音させる公開録音授業あったな。
大学受験講座で鈴木一雄という先生が古文を担当されていた時代があったと聞いたんですが、本当ですか? >>239
そうだね
もう一つある
ふとんのなかでラジオ講座を聴いてると、いつの間にか意識が飛んで
番組が終わっている。
>>251 >>252
ありがとうございました! そうだったのですか! 今はセラピスト・ヒーラーをされているのですか!
思い起こしてみると、安藤先生の番組は当時(30年以上前)から、英語の勉強の番組にもかかわらず、
聴いていて気持ちが安らぐような不思議な雰囲気がありましたから、昔から安藤先生にはそういうオーラ
があったのでしょうね。
英語に関しても、安藤先生の番組は本当に分かり易く、毎週楽しみにしていました。今でも、安藤先生
とリチャード・ヨーカム先生のフリートーク(英語)を丸暗記している部分もあるほどです。
今後、「爽」 のホームページも時々訪問させて頂きたいと思います。
ID:kQ/11/RD さん! 本当に有難う御座いました!!
当時京大教授だった塚原先生が担当していた小論文講座が良かった。課題が
出てそれにしたがって書いた小論を送ると先生自ら添削もしてくれた。昔送った
小論が先日掃除していたら出てきたが塚原先生の達筆な字で小論の講評が書いてあった。
竪川恵理先生は前川裕先生の後押しでめでたく法政大教授に。 小西甚一先生が古文を担当されていた時代があったと聞きましたが、本当ですか? >>259
アジア訛りで充分だろ
東洋人丸出しの顔で白人気取りに見えんのも逆に痛いし >>262
確かに書くというのは正論だが
寺田のは、易しい問題を、これは難しい問題だけど、私の参考書を買えば解ける
って手法だったよ ラジオ講座といえば私は数学の田島一郎先生。当時は数UBの担当でした。いまだに記録に有るのは2次関数のグラフつまり方物線と直線に囲まれた面積をもとめる問題。数UBの範囲を超えて数Vの範囲の置換積分を用いて解いても可能との話は未だに記憶に有ります。 >>268
数学教育者・田島一郎先生は、戦後の新制高等学校・数学指導要領作成の中心人物でした。
微積分の専門家で、田島一郎先生の手ほどきを受けると大抵の生徒は微積分が大好きになる
というほど、微積分の教え方が素晴らしかったです。ラジオ講座でのお話も格調が高く、(大学
での講義も含めて)田島一郎先生の恩恵を受けた学生の数は測り知れないでしょうね。
西尾孝先生、お元気でしょうか?
「それではテクストの○○ページを開いて下さい。今回は・・・」で始まり、
「10秒ゲームのお茶のこさいさい・・」
「フィールライク ニョロニョロing・・・」
「これで○○大学は合格!」
あー懐かしー、よく物まねもしました。 「百万人の英語」ですか・・・日曜の朝、眠い目こすってよく聞きました。
雑誌『英検直前対策号』もワクワクしながらよく買いました。
あの頃は、将来海外で活躍することを夢見ていたのだが・・・ >>230
Far Out なつかしい。
Wordsたまに聴きます 寺田の数学鐵則「入試問題は解けるようにできている。」 お前は解けなくて3流大学へ進学して、今も3流人生を歩んでいる
悲惨な親父w ラ講のテーマを聴いて俺はクラシックにハマった。
ブラームス先生!ありがとう。 首都圏もチェルノブイリ並みに汚染されている(日刊ゲンダイ)2011年8月9日
医師の土井里紗氏はこう言った。
「首都圏はチェルノブイリ事故のような汚染はない、とされてきたが、(調査結果は)それを否定するもの。
降り積もった(高濃度汚染の)砂塵(さじん)が風などで吹き上がれば、皮膚や粘膜に吸着される可能性もあります」 寺田文行、西尾孝、J・B・ハリス、志村和久、猪狩博、竹内均、勝浦捨造等々
懐かしい先生方。
一方的な放送なので、レベルに合うというカリキュラムにはならないのですが まさに「継続は力なり」でしょうか。
韓国と思われる電波との混信の中、ラジオ関西で聞いていた日々は30余年前なのですね・・・。
>>281
懐かしい〜
>勝浦捨造
という先生は知りませんでしたが、、、
他にも数学の佐藤忠氏、佐藤恒夫氏、国語の原栄一氏、林田明氏の講座は印象的でした。
当時、講座がホントに役立ちました。 >>280
はっきり覚えてないが、ブラームスの「大学祝典序曲」ではなく、その原曲の「きつね狩の歌」
出なかったかと思います。 橋下知事「こんな猥雑な街はない」と大阪の風俗や無料案内所を散々撤去した《繁華街の活気が大きく停滞した》が、2003年頃から嫁がいるにも関わらず風俗で毎月決まって3P《三人プレイ》ハーレムプレイ《上下同時責め》通い、先週アサヒ芸能 矛盾していませんか? ハリスの豆単プラスゼミ
「みなさん おげんきですか〜ん」 fishfinder フィッシュファインダー 魚群探知機 という意味だよ。 猪狩先生のおかげで、一年目5割そこそこしか取れなかった
共通一次の英語が2年目は9割に手が届くところまで行きました。
人生が変わったな。(大げさじゃなく、ほんとに感謝してる)
1985年にラジオ講座、聴いていたのですが、
テキストに付録で「だるにゃんシール」って言うのがついてて
今でも、あれってなんだったんだろうって
気になってます。
だれか知ってる人いないかなぁ・・・。 ラ講打ち切りを皮切りに旺文社との絶縁工作を断行したら
QRは一気にマイナー局になった。
後継番組がアニラジというのもマイナスイメージだなあ…。
相手がベネッセでもZ会でもいいから提携してラ講を復活しないかな。
どうせ今のレコメンやリッスンは聴取率がボロ負けしてるから、
そこに箱番組としてねじ込めば良いんじゃない? 遙か昔、「百万人の英語」を高校時代に聴いたのが、語学講座の事始めでした。
遠山顕先生も講師をしていたのですが、なぜか聴いた記憶がありません。
記憶に残っているのはトミー植松さん、JBハリさんス、鳥飼久美子さん、水谷信子さんなどです。
この百万人の英語という番組は日本の語学教育に果たした役割は小さくないと思うのですが、
いま調べてみると、番組関連の資料がほとんどみあたりません。
番組のテキストを兼ねた『百万人の英語』という月刊誌もありました。
うちにあったのは捨ててしまったの、読んでみたいのですが、
図書館で所蔵しているのは国立国会図書館と一部の大学図書館だけ。
さすがの慶應でもありません。
70年代頃は本、雑誌、ラジオ、テレビとほんの少しのカセットテープ教材
(これはすごく高かった)くらいでした。
いまの時代は英語を学ぶツールがものすごくたくさんあります。
たくさんあるから、かえって迷ってしまう。これがいまの悩みかもしれないな。 >>66>>96
いや、たけしのANNが終わる前でもやっていた。
喋っていた相手はタカかラッシャーだったと思う。
なんにしろ、あのたけしが『先生』って呼んでいたのは軽く衝撃的だった。 >>153
行ってみたいと親に言ったら大反対された。
親はよくわかっていたんだな。
「地元の予備校の夏季講習でダメなのか?」
と一蹴された。
>>154
受験生にとってシビアな時代だったよ。
>>160
初めてこの人の声を聞いたとき、声優さんかと思ったわ。
>>178
そうなんだな、
関西でラ講放送してたの
ラジオ関西だけなんだ。
なんで、大阪の局は放送しなかったんだろ? >>159
『ぞろぞろと帰る』
>>163だからか?
>>135
熟女好きの俺にはたまらんかったな。 チャイニーズ首脳オークション 沖縄海中華焼きそば
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チャイニーズ首脳オークションTVバンク 沖縄海中華焼きそば 当時は百万人の英語VSイングリッシュジャーナルVS英語青年
こういう感じだったかな。
全国版のラ講を真似たのかどうか定かじゃないけど、北海道でも桑園予備校の先生が短めのラジオ講座をやっていたね。 チャイニーズ光金空気警察コピープレン 沖縄海学校ゴーヤそば
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チャイニーズ交通混乱空気警察コピープレン 沖縄海学校ゴーヤそば ハイディ矢野のメソッドは斬新だと思った。
何故ネイティブの英語は聞き取り難いか少し分かった。 チャイニーズケイキ強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
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チャイニーズケイキ光金強制送還権オレオレ空気プレン 沖縄海キンコウマー君博多焼きそば
チャイニーズ光金気ブラックジャックオレオレプレン 沖縄海マー君捜査焼きそば このスレって2003年からあるんだ!
たしか85年5月号からテキスト買って聴き始めました。高2だった。
工業高校だったけど,高3ではじめて英検受けて2級に受かったし
旺文社模試なら英語は偏差値70いった。数学も60はあった。
やればできると実感できたのはこのラジオ講座のおかげ。
寺田先生,片山先生,御園先生,伊藤先生,前川先生,長崎先生,うーん,金ピカ先生はちょっとあやしかったな。
懐かしい。 ちなみに今は英語教員です。工業高校卒だけどね。
英検1級に通訳ガイド(今みたいに簡単になる前のね),工業英検1級持っていますよ。
ラ講はなつかしいなあ。 >>309はもしかして中卒ニートデブのY.T.さんですか? >>309
ヲ頭ン中がヨーチエンヂの「オマイ」が言うな花見川の芋虫ヲヤヂ(37・独身・無免・無職・メタボ・桐谷美玲と柏木由紀の大ファン・趣味:せんずり)w >>310
すごい反応ですねw
ちなみに、大学受験勉強はどんな感じで進められましたか?
英検の勉強方法はどんな感じで進められましたか?
ちなみに、学部はどちら? 予備校なんかは、昔の方が場所としては面白かったような
気がするよ。今と違ってどちらかといえばアンダーグラウ
ンドな世界だった。また、そこがよかったんだけどね…。
俺の思い出の予備校講師は、
青木義巳・総合英語ゼミ
潮田五郎・東大英語ゼミ
山本矩一郎・数TUゼミ
堀木博礼・現代国語読解法ゼミ
永橋博・古典読解法ゼミ
多久弘一・漢文
白井明・2次私大日本史
山村良橘・2次私大世界史
以上すべて代々木ゼミナール 百万人の英語はあまり聴いていなかった
同僚に発音がネイティブ並みの人がいたけど
聞けばハイディ矢野先生の公開授業か何かで
直接指導を受けていたとか
NYに赴任した当初、日本人慣れしている現地の同僚は
ともかく、新たに加わったスタッフにしばらく
聞き取って貰えなかったことがよくあった
それで、先生のCDブックを聞いて実践したら
驚くほどの効果があった
効果抜群だった >>314
つづき
長らく続いていた東海道新幹線の車内での
先生の月次「テキスト要らずの英会話レッスン」
楽しみに聴いていたけど、気がついたら車内放送サービスが
廃止され、もう聴けなくなっていた
せめて最終回は聴きたかった
ネット配信による復活を強く望む
非常に残念 ハリスの豆単プラスゼミ
「みなさ〜ん おげんきですか〜」 >>317こと花見川のスーパーデブ…これはねえ、やっぱり狂ってますよ。このトドゴリラな顔見てご覧なさい。 都会の医学部志望者は地方の国立に行くべきではないんだよ。
地方国立は地元に残って地域医療を担う地元の秀才が行けばいい。
卒後東京に帰ってきて私大の医局に入って外様で虐げられるくらいなら、
そこの医学部を最初から卒業しておいた方がよっぽど卒後は明るいけどね。
受験生の時は偏差値の違いばかり気になって、そんなことわからんのだろうな。
学費が安いところも増えているし、地方いくなら慈恵や順天堂あたりの在京私大医学部の方が絶対に良いよ。 國弘正雄さんの最後のお弟子さんのブログ。お弟子さんは國弘先生のホームページ
を開設しようとしたが、國弘さんから「そんなもんは要らん!」と拒否された
そうだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatahaha メガネかけた英文法の先生で、穴埋めの所を「ドッゴーン」と読むのが軽薄で好きではなかった 小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく
見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下して
たね。将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。あの内何人が法政以上の大学に
行けたというのだろうね。毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父
さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。生きるって
本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと
分かりました。あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。総務省の、
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
2017年10月22日(日)の国政選挙は、ぜひ投票に行きましょう。
平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ ラジオも面白いけど得できる儲かる情報とかぶろぐ
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ZVV >>212
原先生はグリデン古文の和角仁先生のことはけなしてたな。
でも、グリデン古文はマーク式では効果絶大でした。記述式ではちと微妙だったかな。。。
英語の御園先生と日本史の菅野先生はサイコーだった!! 「百万人の英語」講師だった故・國弘正雄先生のお弟子さんの林先生。國弘先生の死を悲しみ、
遺志を継ごうと奮起したようだ。http://gtatahaha.livedoor.blog/archives/6388307.html 東大物理は、ほかの理系科目に比べ点になりやすいといわれます。
生物選択者は点の上限が40点代前半、
しかしながら物理では、やるべきことが限られるので
訓練次第で50点台も可能なのです。
しかも時間内に解き終わらない化学のことを考えると
物理でしっかりとしたカバーが必要。
それゆえ当日は数学と物理で、高得点をたたき出すことは
D判定から東大を狙うあなたにとって、もはや義務なのです。
というわけで東大物理で高得点をたたき出す最大のポイントは
「熱力学で満点をとれ!」
これにつきます。他分野との結びつきが少ない熱力学では
融合もなく解法もワンパターンの場合が多いです。
具体的には赤本で過去問を解き、間違えたところは
考え方をしっかり頭に入れましょう。
余力があればオープンや実戦の過去問から熱力学分野のみを解き
レパートリーを増やしてください。
なんと言っても熱力学は暗記で何とかなりますから。 訃報です…
【訃報】ラジオ「百万人の英語」の御園和夫さん事故死…横断歩道で妻と2人はねられる [征夷大将軍★]
hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1671970519 https://www.yomiuri.co.jp/national/20221225-OYT1T50117/
ラジオ「百万人の英語」の御園和夫さん事故死…横断歩道で妻と2人はねられる
2022/12/25 20:30
25日午前8時50分頃、横浜市金沢区釜利谷西の市道で、横断歩道を歩いて渡っていた
近くに住む関東学院大名誉教授、 御み園その 和夫さん(80)と妻の陽子さん(74)が軽乗用車にはねられ、
御園さんが死亡、陽子さんが 肋骨ろっこつ を折る重傷を負った。
御園さんはラジオ「百万人の英語」に講師として出演していたことで知られる英語教育の学者だった。
金沢署によると、現場は信号機のない横断歩道。
軽乗用車は停車していたが、後続の乗用車に追突されて押し出され、御園さん夫妻をはねた。
同署は、後続の乗用車を運転していた同区、会社員(32)を
自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の容疑で現行犯逮捕し、過失運転致死容疑で調べている。
会社員は調べに対し「事故を起こしたことに間違いない」と容疑を認めているという。 >>294
今は少子化の上に大学全入時代だからね
受験戦争という言葉も死語になりつつある
今さらラ講復活は難しいかも ジジイだが、受験生の時はラ講のテキストを買って、西尾先生の放送をピーヒャラ混信の多い文化放送で聴いた。結局役に立たず浪人生活に突入。もうラ講は止めて、駿○の授業に集中することに。