元々は万博会場周辺の交通情報やパビリオンの混雑情報の提供を目的とした局。
当時の車は今のようなカーステではなくAMラジオ主流。またFMもまだ一般的
ではなかった。
また当時は臨時放送局という概念が無く、仕方なく実験局という免許で開局。
実験局ではCMが流せないので、この実績を踏まえてCMも流せる臨時放送局
が認められるようになった。