【元TBS】スーパーDJ松宮一彦【追っかけマン】
「それではお元気で。
さよならさよならさよなら・・・」
音楽番組「サーフ&スノー」などで活躍していた故・松宮一彦アナについて語ってくださいな。 ラジオなのに、スキーで滑りながらオープニング、てのもあったな 「夜は友達・松宮一彦絶好調!」
漏れが初めて聞いた深夜(?)ラジオだったよ。懐かしいな。 サーフ&スノーのおかげで洋邦たくさんの音楽を知った。
毎日夢中で聞いてた厨房時代… 彼の後は、小林豊アナが継ぐのかと思ったんだがなぁ。
音楽番組担当しなくなったし・・・。 歌謡曲黄金時代、全盛時代を知り尽くしていた最後のMr.DJ! 「20世紀〜21世紀を跨ぐ瞬間を、DJとしてマイクの前で迎えたい」
…と語っていたのだが、思わぬ形で夢は潰えてしまった…。
金曜深夜にOAしていた「週刊ファンハウス」もHBCラジオを通じて楽しく聴いていたYO! 山下達郎氏のオンザストリートコーナー3と言うアルバムの歌詞カードの最後に
泣ける言葉が入ってるよ
ここに来る人ならみんな知ってることかな? TBSをやめるにあたってサーフ&スノーのジングル持ち出して勝手に他局で使っちゃまずいよ
そりゃ業界干されるわ ノルディカをスポンサーに連れてきたのは
松宮さん自身なの? 確か松宮一彦ワオ!だったと思うが、小堺一機のコーナーの曲が物悲しい感じで好きだった。
むかし、「4月(10月)だョ!全員集合」とかよく放送してましたね。
どっかの新番組の出演者たちがドミノ倒しに挑戦するということでドミノを並べていた。
それを現場からリポートしていた松宮氏が、足に引っかけたかなにかでドミノに触れてしまい、かなりの数のドミノが倒れてしまった。
出演者たちは予想外の出来事にただ驚き、その中の一人の鈴木ヒロミツは生中継であることも忘れ「何てことしてくれるんだ!」と松宮氏に何度も怒鳴りつけた。
松宮氏は「申し訳ありません!私の給料から引かさせていただきます!」と繰り返すだけだった。
これ以降、松宮氏をテレビで見ることはあまりなくなったような・・・ 「懐かしラジオ」ネタじゃないけど、ふと思い出したので書いてみますた 最初のイチベイという愛称がひどかったので
その後はほとんど見聞きしてない あの、こふきいも顔こと、靭帯切断バキンボキンスキーは死んじゃったんかよー!!
バカヤロー。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。
なんとはなしに、検索してて、今知ったよ。
死んで伝説のスーパーDJかよ!。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。
あと、残るオレ的青春DJは、上ちゃんだけだ!
死ぬなよ!! >>20
そういえば、4月1日が金曜日だったときに、上ちゃんが
TBSに乗り込んで「サーフ&スノウ」やったことがあった記憶が。
当時LFは金曜日は関根勤がやってたから、上ちゃん出られたんだよね。 >>21
あれは、松宮さんがサーフの裏番組で月ー木放送だった
ファンファントゥデイの上ちゃんを
たまたまその年のエイプリールフールが金曜だったので
呼んだ。ライバルを呼ぶ方もすごいし、はいはい、と来る方もエライ。
しかも、両方のテーマ曲は久保田利伸。
サーフの方が早くて(デビュー前)、ファンファンの方が後なのに、
しかも同じ時間帯のものを作っちゃった上に、ファンファンのレギュラーもやっちゃったから、
それ以降しばらくサーフから久保田は干された。そういうのをほぐす意味もあったのかも。
オープニングは松宮さん自身、第1回目を聞いた「オールナイトニッポン」のテーマ曲。
ファンファンのテーマやジングルを流したかどうかの記憶はなし。
ちなみに、松宮さんが亡くなった当日の、うえちゃんの「のってけラジオ」のオープニングで
その話をずっとしていた。
合掌。
松宮さんがいなくなってから、TBSの音楽番組は衰退し、FMのDJに活路を見出すようになった。 ちなみに、松宮さんはTBSとニッポン放送のアナウンサーの最終に受かっていて
どちらにしようか悩んだ。DJをやりたかったから、もちろんANNもやりたかったが
テレビがTBSにはあるからテレビもやれるかも、ということでTBSを選んだ。
>>22-23
詳しいフォローどうも。カレンダーみたところ、88年あたりでしょうか?
上ちゃんが、「ニッポン放送に合わせると松宮さんが出てます」とホラ吹いたのは
よく覚えてる。夢の共演にドキドキしてたおいらは当時中学生。 亡くなったのは9月27日だけど私自身は生島ヒロシの朝の番組で
一報を聞いた29日が忘れられない。
寝床で泣いてしまった。 今にして思うと、狂言だと叩かれたあの時に生きることを選択したのを
責めなければ死ぬこともなかったんじゃないかなあ。
後になれば何とでも言えるかもしれないけれど。改変期に亡くなったのは
面白おかしく自分のことを報道されたくなかったからじゃないかなあ。
(特番とかで) 「どこかへ行こうよ!」とあの世へ行ってしまいましたが、何か? もしあの事故がなければ今頃NACK5でサーフを続けつつ、夕方あたりの情報番組
を持ってNACKの顔になってただろうな。 サーフ&スノウが全国ネットだったらよかったのに
そしたらあのしゃべりにもっと早く出会えたのに・・・ TFMの「NISSAY オールタイムヒッツ」はよく聴いていたな〜
ラジオ版「歌の大辞テン」みたいな内容だった。 89年野球シーズンオフ、「サーフ&スノー」がHBCとMBS向けのバージョンで放送された(僕
はHBCで聴いていた)。
松宮さんの軽快なDJは今も鮮明に憶えている。 日曜日は、よく「どこかへ行こうよ」を聞いてたな〜。
本当にどこかへ行っちゃった。。。 松宮さんは「ザ・ベストテン」全盛時代のおっかけマンをしてたけど
久米さんが私的スキャンダルで一時番組を休んだ時、当然黒柳さん
の相手は代打・松宮と思ったらスキーで靭帯きってお休み。
TVでも全国区になれたかもしれなかったのに。運が無かった。 >>38
松宮が靱帯切ったのは、久米が謹慎した何年も後の話だぞ。
ここのスレの書き込みを読んで思ったけど
やっぱ松宮氏はテレビには向かなかったんだろうな。
TBSではなくLFに入ってラジオだけやってればよかったかもな・・・・、 >>40
それは違うな。仮にLFやFM局に入社したから
と言って、ピンでラジオ番組をやらせてもらえるとは
限らない。可能性を広げるために、あえてTVも
放送しているTBSを選んだのかもしれないし、もし
ラジオだけで終わってたら、こんなに全国のファンに
知ってもらえるDJになれたかは分からない。
結果的に悲劇のDJとなってしまったが、今でも
忘れずにいる事は、彼がTBSを選んだ事は
少なからずとも間違ってはいなかった証である
とは思うよ。
長文、失礼しました。 そういえば、フリーになる直前にBAYFMの特番に出演していたな。 >>42
羽田空港が「ビックバード」になった特番の時にはBAYFMに出ていたが。 日大芸出身で、クラスメートの林真理子をマリブタってからかってた話が忘れられない。 素直に現場から身を引いて管理職になってればよかったのに。
もう40代なんだから管理職のポストで悠悠自適にやろうって普通の
奴なら考えるはず。
そういう意味ではDQN丸出しだと思う。 >>46
管理職が嫌でフリーになるアナウンサーなんて星の数ほど居ますが,何か。 >>46
そんなポリシーのやつでは
いい番組はつくれない そういやこの人、イントロの間にトークを入れるんだけど、そのしゃべる量が絶妙
だった。
トークが終わった瞬間、歌が始まるんだよな。
岸谷五朗が『スーパーDJゲーム』と称してマネしてたけどことごとく失敗してたなぁ。
そういや、松宮一彦は鉄道ファンだって自分で言ってた。
そこそこ濃い鉄道系のトークをしていたのを覚えている。 >>50
他の人だと、「イントロにセリフを被せるな」ということになるんだけど
松宮さんの場合は絶妙のタイミングでセリフを入れてくるから無いと物足りないんだよね。
今はこういうスタイルができる人がいなくなってしまい鬱。 「佐良直美・歌の街」という番組で、アシスタントのキャッシーが
佐良さんとの「あの秘め事」をばらして、アシスタントをクビになって
しまった週には、キャッシーが松宮さんに替わっていた・・・・。
松宮さんが佐良直美にことあるごとに「はい、先輩!」と言うのが臭かった。
ちなみに佐良も日ゲイ出身・・・。
伊集院のラジオに、よく出てたな・・・なぜか首を絞められて「死ぬ〜」って、やつ
最後の出演で「今回は良いのが録れましたでしょ」って言ってた・・・
サーフ&スノー懐かしいです、小学・中学時代吉田 照美からサーフへと流れてました、
確かポリシーでフルコーラスを流していたので、音楽を聞くきかっかけだったような・・・
エンディングテーマがKANのワンナイトキッスで"サヨナラ サヨナラ サヨナラ"とゆうイメージが
残っている、NACK5で偶然復活を知った時は嬉しかったのに、合掌 個人的には「フレンドポップス60分 松宮一彦いっしょうけんめい」が大好きでした。 サーフ&スノウって全国ネットじゃなかったの?
どこらへんの地域の人が聴けたんでしょうか?
>>61
一時期パックインミュージック21枠でやってた頃ね...。
北海道、岡山、沖縄、最後の6ヶ月だけ福岡(一時期訳の分らん別番組をやっていた)
一度阪神戦が0時台まで延びた時、最初は岡山だけ放送され、途中から東京が飛び乗って来るという事も1度あった。(北海道と沖縄は1時から)
ミッドナイトパーティーに変わった時、ローカルに戻ったけどね。
(その番組の平松まゆきとか松宮麻衣子ってパーソ為りティーが、松宮一彦をネタにする事がよくあったが、
地方の人にとっては「終った番組の話題かよ」なんて思ってたかも知れんな。) 訂正
誤→パーソ為りティー
正→パーソナリティー
失礼 >25
遅レスになっちゃうけど
松宮さんの自殺、マジになって怒ってたよね、生島・・・
よっぽど悔しかったんだろうなあ・・・・・・
(松宮さんも生島も、元TBS) サーフ&スノウを「ザ・ヒットパレード」の枠に持ってきたことはなかったっけか。
それならネット局はもっとあったことになるんだけど…何しろ記憶があいまい。 >>67
その一報はオイラはここの管理人氏から貰った。 >>50
日曜昼12:00『クイズ列車 出発進行!』で渡辺文雄と司会してたね。
DJ調の進行だった。 昔、コサキンのラジオ番組で
「松宮接骨院」なんてネタにされてなかったけ?
あの頃が懐かしい!! さんざんがいしゅつだが
コサキンの20周年だかの回のトークでそもそも二人で番組を持つきっかけが
ある方のピンチヒッターって感じでぼかされてて
やっぱTBSではまだタブーなんだなと思ったわけで スポンサーのノルディかの
♪さーがしていーたんだよー星のダイスを・・・
というコマーシャルがカッコよくて、ドキドキしながら聴いていました >>72
その曲ってノルディカのオリジナル曲なんでしょうか?
あの曲好きだったなぁ〜 松宮くん、今日で18年半やってきたニュース番組を卒業したんだよ。
ま、いろいろあったけどね。
君が旅立っていったすぐ後に、3ヶ月間番組休んだんだ。
雑誌なんかで「古巣のTBSラジオに復帰か?」なんて書かれたけど
どうかな?今のラジオ、聴いててどう思う?
最近はTBSラジオもレーティングがいいからね。
僕が土曜ワイドをやってた頃や、君が若い連中相手にやってた頃は
ニッポン放送が強かったからなあ。
そうだね。僕ももう一回、平野レミちゃんと外回りやるかな?
蝮さんがまだ毎日午前中バリバリやってるから、
昔みたいに午後に「男が出るか!女が出るか!」ってやってみるか?
ま、君も今なら時間あるのかな?
それとも相変わらずレコード室とゲレンデなのかな?
大丈夫、おっかけマンみたいに忙しいことはさせないからさ。
ラジオをやることになったら、林美雄にも意見きいといてよ。
君たちなら「俺のほうが面白い」って言うだろうけどね。
じゃ、家帰ってもう一杯ビール飲むよ。
放送の一番最後に、ビール飲んじゃったんだ。
>74
うーん、感無量・・・
なんともいえませんなあ・・・・・・
合掌 「るんるんナイト」は、松宮が木曜に「オッカケマン」のため、「コサキン」がやってたけど、おもしろかったなぁ。 杉山清貴、サーフ&スノー、スーパーギャングは定番だった サーフ&スノーよく聴いてました。
尾崎がゲストで出たこともあったよなぁ。。
尾崎が死んだときも特集やって、本当はゲストで
来てもらう予定だったとか言ってたな。
あとTMも結構出てたよね。
解散スペシャルのはテープがまだ残ってるかもしれない。。
内輪受けばっかしている今のラジオに、サーフのつめの垢をせんじて飲ませてやりたい 新旧洋邦を問わず名曲を〜の決まり文句、
この先が思い出せない 昔TBSレイディオクラブって最初に命名したのは
松宮さんでしたっけ?
もうTBSにはサーフアンドスノーのような番組はないのかな?
ちなみに私が最後にきいていたのは、ヤングヒポポタマスの放送のあとに
やっていたころである。 サーフ以降(1996,10〜)の自殺までの松宮アナのラジオ担当番組
1996,10〜1997,3松宮一彦The Selection(日曜19:00〜20:00)
1997,4〜1997,9松宮一彦のエキサイティングスポーツ(月〜金曜21:00〜22:00)
1997,10〜1998,3松宮一彦のザ・ヒットパレード電話リクエスト(金曜20:00〜22:00)
=========1998,6TBS退社=================
1998,10〜1999,3NACK5版サーフ&スノウ(日曜18:00〜20:00)
1998,10〜1999,5松宮一彦のオールタイムヒッツ(土曜9:30〜10:00)
=========1999,4連日の女性問題報道============
=========1999,9自殺=================== >>85
ナイタ−オフ限定でやってた「ポップスパレード」と「音泉」という番組が似ていたかと。
夜は今、毒電波ワイドが聴取率を取ってしまっているから・・・ じぇい おう けい あーる TBSレィディオ ジャス・ミッ・ナイッ サーフ アーン スノー ノルディカになる前は「日産サウンドステーション」という名前だったような。
あと「るんるんナイト○○○○ワオ」の頃は、「コサキン」ではなく「コサラビ」
という名称だった。 「三菱RVクルーズどこかへ行こうよ」っていうのもあったね。 >>2
本当にねぇ・・
しかもあのキャラだったから生々しさもハンパじゃない >>91
「NISSANミッドナイトステーション」が正解。 むかし、とある雑誌の編集部にいたころに、ちょうどTBSを辞める直前だった
彼を取材した頃がある。
こっちは独立することを知らなくて、インタビュ−のしょっぱなに
「実は、僕がTBS社員として受ける取材はこれが最後なんですよ」
って言われてびっくりした。
インタビューでは、影響された海外のDJとか、好きだったミュージシャンの
話をしてもらって、そのあと雑談みたいな感じでこれからのことを聞いたら
「とりあえず少しお休みもらって、大好きなハワイに遊びに行こうと
思ってます。僕にとって人生で一番幸せな瞬間は、ハワイで向こうの
ラジオ聴きながらドライブすることなんですよ」
と、ほんとに嬉しそうな顔で話してくれた。
真っ黒に日焼けした顔でニコニコしながら話す彼を見ていると、
こっちまで幸せな気分になるようだった。
その後も、引継ぎやら何やらで忙しいはずなのに原稿のチェックも
しっかりやってくれて、些細な部分の修正なのにわざわざ編集部に
電話をいただいたりもした。誠実な常識人、という印象だった。
そして、その後彼が「人生で一番幸せな」ハワイでのドライブで起こした
自動車事故をきっかけに、彼の人生は最悪の方向へと転がっていく。
人の一生ってほんとに皮肉なもんだなと思った。 >96さん、貴重なエピソードありがとうございます。
ココロがほろりときました。誠実な人だと信じたいです。合掌。 訃報は、フジテレビのとくダネかなんかの番組の最後でちらっと言ったが
他のサイトでは速報が出ず、信じられなかった。
TBSではゆうゆうワイドで11:09だったか、森山良子のフリの前のCM明けで
いつものジングルなしで、声を詰まらせながら涙ぐんで悠里さんが言ったのが最初で最後。
最後ってのは、緘口令が敷かれたのか、その後うんともすんともどの番組でも触れなかったため。
生島さんの番組も2日後ぐらいだったような。
悠里さん、松宮さん入社年の研修の先生だった。
松宮君、そんなに若くして先を急いでみたいなこと言ってたな・・・。
サーフも自らやらせて欲しいと2回ほどやらせてもらったことあったな・・・。
悠里さんが触れたことで、まさかが現実になってしまい
私も呆然としてしまった。
その後、ゆうゆうワイドはひっそりしてしまったのはいうまでもない。
悪いものには蓋、のTBS体質はあきれた。 >>98
ゆうゆうワイドではその後木曜の宇津木デスクの芸能界裏情報で結構時間を割いて
取り上げた。サーフのテープも流したし。 もう昔の話だけど「夜は友達 松宮一彦 絶好調!」
という番組によく電話していた。
いつもはオペレーターのお姉さんが出るんだけど、
ある時、松宮さん自身が電話を取ってくれて
「○○君いつもありがとう」なんて言ってもらったことがある。
声で本人だとすぐにわかったよ・・・。
ステッカー(ネタが採用されるともらえる)を集めてオリジナルのバッグを送ってもらった。
松宮さん・・・安らかに。