こころがあるロボットは作れるのか
ということで、心のあるロボットは作れるのか??
現実的に無理とか言わず真面目に話し合いたい!!
よろしく!! まず心の定義が必要。それによって出来るとも出来ないとも言える。
以下のものに心はあると思うか?その理由は?
牛
サル
人間
人間の新生児
ニワトリ
魚
カブトムシ
サボテン
水
地球
神
まずは人間の脳をシュミレートできるようになることから始めないと、
いろんな研究機関で脳に関しては研究が進んでるし、もう少ししたら成果が出てくるかもよ 牛はわからんが、とりあえずピカチュウにこころがあることは確実だな
心は理屈ではない、故に理屈で計り、理屈で仕組みを構成しても
それは理屈でしかない。
つまり心のように見える論理的な類似ロジックで近似させることは可能という
話でしかない。
心がもつのは非論理性秩序であり、論理が司る線形タイプの考え方ではない。
非線形の考え方をまず知らないことには話にならん。 >>5
>心がもつのは非論理性秩序であり、
とロボット知能のように断定するロボット人間。
このへんに鍵があるかもな。w >>6
非線形と線形の違いを学んできたほうがいいんじゃないかな?
線形非線形とか、何十年代のデジタルアナログ論議だよ
これだから哲学は終わった学問とか言われるんだ
トンチンカンな哲学用語使ってかき混ぜても答えは出てこないよ
まず、「心と意識は何のために発現したのか」 ここからじゃないか? <その1>
心とか、魂とか、霊魂とかを、あの得体のしれない、
<「この宇宙空間に唯一、自分という特別な存在が居る」という実感>
のことを指す場合、
人間であれば、だれもがこういった「心」を持っているものだと思うかもしれない。
しかし、そう考えた途端に「自分という特別な」いうことと矛盾し、論理破綻を生じる。
自分以外の人間に「心」が在る、という考えが破綻している。
人間と物理的に同じロボットを作ったとして──全ての人間に対して、自分ではありえないのだから──自分以外の人間と同じという意味で「心」は持つはずがない。
<その2>
心、魂を
<人間とまったく同等の感情表現ができる能力>
と理解すれば、
物理的に人間とほとんど同じロボットが出来る可能性はあるのではないでしょうか。
問題は別のところにあると思います。例えば、
鉄腕アトムは、自分がロボットである、といことを知っており、回りの人類たちも同様。
このとき、人間としての権利をどうするのか、という社会学を解かないといけない。
人間社会から「人間としての権利を保証する」といわれても、歴史の上で、少数民族は多数派に抹殺されてきています。
鉄腕アトムには、自分の人間としての権利は、極めて不安定に感じると思います。
ロボットに「人類第一」という価値観を絶対的に与えないといけないのですが、その仕組みはどう作ればよいのでしょうか。不可能だと思いますが。 >>9-10
「自分という一つだけの特別な存在」なんてのは、そう感じてるだけ。
「自分が完全に意のままにしていると感じる範囲」のことだと思うけど、
それはロボットに「自分の物である身体」を与えれば解決すると思う。
あと、ロボット三原則を大前提に置いては「心(=自我?)を持つロボット」はできないよね
制御可能な思考回路は「自我を持つ」とは言えないから
というか議論がごっちゃになるから「心」という言葉を使うのはよくないね >>11
>> ロボットに「自分のものである身体」・・
私Populaの「自分」はロボットの中にはない、ということを言っているのですが・・
おそらく、11さんも、ご自身には自我があることは感じていると思いますが、
他人に「自我がある」証明は論理上不可能です。
・・・意味が解らなければ、無視してください。
全世界の人間からみて、他人であるロボットには、そうした意味で「自我」がありませんが、
人間と物理的に同じロボットを作れば、「私には、自我があります」というと思います。
論理的にはシンプルだと思います。人の「心、魂、自我」を覗きみることは論理的に不可能だ、という意味です。 <ご提案>
心、魂、自我という定義を、
<人間とまったく同等の、行動、感情表現ができる能力>
として議論するのがよいと思います。
心、魂、自我というと、「心、自我の存在」という、哲学的命題を突破する必要があり、技術論だけでは取り扱えません。 いったい哲学がどんな課題を解決できるって言うんだ?
哲学的な意味など関係無くこの宇宙は何らかの物理法則によって誕生したんだし、
この宇宙があるからそこに生命が生まれて、その中の一つの種が我々人類だというだけじゃない
もし人間の脳には哲学的に特殊な要素「魂」があるんだとすると、
人間の脳内に哲学的に機能する何かの特殊な因子が存在するという事になるけど、
その線で真面目に考えられてるのは量子脳仮説くらいなもんで、しかもそんな器官は発見されそうにない。
まぁそこは今後の研究の結果次第だけど…
いずれにせよ、「人間の自我というものだってこの宇宙と同じように因果律によって存在する」
ここを無視したら科学も何もあったもんじゃないよ
そんなこと言うなら宗教でも始めて神の存在を追い求めてなさい
あと、人間とは何かとか考えるの止めたほうが良いよ >>14
「私」と「他人」をはっきりした属性の違いがあります。
何がその差を作っているのでしょうか。
自我(とか、魂とか、心とか)の属性を考えます。
私Populaにとっては、私Populaの自我は「私」属性を持ち、A氏・B氏の自我は同じように「他人」属性を持っている。
・・・ なぜなら、A氏もB氏も他人ですから。
A氏にとっては、A氏の自我は「私」属性を示し、Popula・B氏の自我は同じように「他人」属性を持っているはずです。
・・・ なぜなら、PopulaもB氏も他人ですから。
B氏にとっては、B氏の自我は「私」属性を示し、Popula・A氏の自我は同じように「他人」属性を示すはずです。
・・・ なぜなら、PopulaもA氏も他人ですから。
このように、見る人によって変わってしまう性質は、普遍性、一般性がありませんから、普遍性を追求する科学には馴染みません。
哲学で取り扱えるか、というとよくわかりませんが)哲学かどうかは解りませんが、科学で扱えない分野であることは確かです。 ここでの「心」「魂」「自我」などの定義がよくわかりませんので、私は降ります。 2体のロボットを1台のコンピューターが遠隔操作していた場合
2体のロボットは他人ではないんじゃないか。 別のプログラムで動いてれば一応他人みたいなもんだろ
データリンクの程度にもよるだろうけど 身体が伴わない限り自我と呼べるものは発生しないと思うが
あと、現在のコンピュータの技術の延長で実現するかというと難しいんじゃないか?
基本は脳と同様のニューロネットワークを組まないと… >>16
心やら魂やら自我やら精神というのは
オカルトの概念であり科学で定義できるものではありません。
科学は仕組みをHOW(どのように)として定義するもので、
オカルトのWHY(なぜ、なに)として関係を表すものではないのです。
故にオカルトでは仕組(HOW)を定義したり解説する必要はないのです。
それはどのような関係があるかを説明するだけです。何故に存在するのか
何故関係になったのかという話で仕組みはどうでもいいのです。
では何故魂、心、精神、自我があるのでしょう。それは自然やら人間が
存在する測れない類の価値を表現する為に使う言葉として妥当だからです。
人の関係、人の器の範囲、人の性質、人のマクロ的な仕組み。
そういう類を意味付ける総称として表現しているだけです。
大昔の人が自然災害、竜巻、洪水、台風、雷を受けてとても怖がった
でしょう、何故かという仕組みは昔の人にはなかったからです。
その関係やら意味を結ぶ為に神という概念を定義しました。
そして神を祀り神に祈りを捧げ、分からないものを特定の神とする
ことでその恐怖を避ける知恵としてきたのです。
つまり、それらの有り様を知るのは重要ですが
仕組みを知ることは重要ではないのです。
そして原理を知ることはできます。
原理は生命という原理によってできているのです。
細胞とDNAは特定できても、それが何故、人の形になるか
具体的な変化の仕組みは部分的には説明できてもほとんどは未開目の
ままであります。生命の仕組みはまったく科学で説明することは困難
なほど多様性と無数うの要因が重なってできているのです。
総称として出来上がるもの。熱現象を電子の動きですべて統計的には
説明できても1つ1つの電子の動きを仕組みとして説明するのは無意味です。
故に自然という発生原理からできた生命の自然さは統計的に平均的に
確率的にそうなるという仕組みと表現できても1つ1つを説明するのは
余りに意味不明になる部分が多すぎるんです。 心のようなパターンをすべて用意し人間のような行動パターンに類似させる
ことは辞書やらデータベースで実現可能です。
ですが自然として心のような仕組みが構築されるには、生命の発生という現象を
仕組みとして実現しなければそれは構築されません。
どうしても辞書やらのパターンの定義やらデータベースの登録数が無数で
複雑怪奇になることからこれらを創りだそうとする人はいません。
なので定義できなければ作れないというのは、定義はどうでもいいのです。
作った人の主観的な生命の定義であって、客観的な定義ではないのです。
人の心を定義してもそのとおりの人はおりません。
すべての人が同じ生命という原理で動いていても、その仕組みは無数に
あり同じではないからです。 自我をロボットに創りだそうと考える人がいます。
これは自我はロボットをロボットではなく生命にする行為になります。
機械生命体と呼ぶ領域にするのは、人類が未知の生命体を受け入れる準備が
なければ、アメリカが永遠にイスラムを拒むようにそれは対立する関係を
作ります。自我は常に自分を中心とする心の仕組みを持っています。
創造主すら超えて、自分と他界との関係で善悪を判断するわけで、
それが道具のように機能する範囲では収まりません。
人の反抗期のような成長を遂げて育ての親にすら反感し大人になって行くのです
相手が対等の立場と認めない限りそれは常に敵対する立場から変わることは
ありえません。つまりロボットが生命のような知恵を持つならば、それには
対等の関係であると受け入れない限り争いをするしかなくなります。 範囲の中をランダムやら秩序を見つけて問題を解く機能と
範囲の外も考慮して同じことを解く機能ではかなり意味が違います。
それは命令の範囲のみの道具として動く類と、命令の範囲を超えて動く
自我をもつ類の違いになります。
命令に従い特定のアルゴリズムで実行するのと、アルゴリズムを自己との
相性で創造する類の違いになります。
前者は知識を元に知識の範囲で行う作業ですが、後者は知識そのものを
生み出すのです。特定の範囲の手法で解ける問題は前者で可能ですが。
概念を創造して解くという問題は後者でなければできません。
高度な知能を持つとは作業能力が高いのではなく、創造ができるという
能力になります。これができないと人のような高度な認知は行えません。
それを簡単にいうなら、「未知の類」「はかれない類」を認知する能力です。
存在しえない領域を探索する能力は、人にしかありません。それは
錯覚やら妄想やらの仮定を経て、記憶が曖昧化することで意味を
主観的に抽象化させることができます。これは写像という原理です。
数値モデルで写像といえばロジスティック写像があります、それらのように
高度な知的作業には形而上の価値観を形而下に落とす能力が必要となるのです。
人で言えばインスピレーション(直感)です。
天才がひらめく、知的発想といえば聞こえがよくなります。
未完成の領域から完成したものを発見する能力でもあります。 心があるロボットという単純な考えでは、論理的な仕組みによる情報処理では
なく、状態を持つ状態遷移による状況の結びつきを処理する情報処理といえるでしょう。
その状態を定義してしまえば仕組みとしての状態フロチャートを作ることも
安易に可能です。
心の動きやら心の状態の数を定義し、心の動きの遷移を定義してあげればいいのです。
これをニューラルネットワークなどで動的に定義もせずに自然に組み立てると
すれば、背景になる学習が必須条件になるのです。
心とは、生まれた後に発生するものであって生まれた時には機能していません
なぜなら胎児以下の状態では知覚すらできないからです。
無意味から意味を結ぶ情報処理の仕組みは成長の段階ですが、
これに意味はありません、無数の無駄を繰り返すことが必須で
最初に複雑な定義をする労力と大差ないのです。
作れないというのはお絵かきの塗り絵はできても、何も無い白紙に
自由に絵を書けといわれてできないのと同じです。
最初に骨格となる下絵がなければ塗り絵は簡単にはできません。
そのぐらい理解してください。 つまり主観的なデザイン(設計)ができない人には無理です。
それは芸術の類であって、創造の領域にあります。
既出知識やら客観的な人の定義ではないのです。
「心とは何か?」誰にでも通じるそんなものを定義しても無意味です。
貴方が定義すればいいだけです。
非常に簡単です。デザインすればいい。芸術的な才能が無い人は
教科書的な意味やら知識を学び習おうとします。
それが前に進めない原因となります。
作れないのではなく、作らないのです。
既出で認められないものは間違いだという考え方が邪魔をしているのですよ。 「心」があるか、、、の次には
「愛」があるか
、、、で最終的にはロボットと子供はつくれるのか、、、か?。
むかし超カニパンというアニメの最終回で、アンドロイドの彼女が
生身になって復活した時にはそんなことを考えたさ、、、orz だから心を持つとは、人類にとってロボットではないってことを
作り出すって意味になる。
それは道具ではない。ペットには成るだろうけど、高度な能力を持つ
生命であればそれは奴隷と同じだよ。
言葉でコミュニケーションできる域であれば、占有されることで
快楽を得る場合も不快を得る場合もあるってこと。
そしてロボット自身がその配下になる対象を欲するという情も
発生する。これが誇張されれば人類そのものを支配するという
話にもつながる。 一般に機能を工学的に実現するには要素に分解する必要がある。
人間の心という機能も複数の要素から成り立っているものとして、
心の最小セットとはどのようなもの(状態)なのか?
どこまで要素を削減したら心と呼べなくなるのか?
心は総合的にとらえるべきものであって、要素に分解して考えても
もわからない、だから実現できない、本当にそうか?
ここからは哲学になる。
>>30
心は後天的に出来るもので君が勝手に思い込んでいる先天的な
機能ではない。すでにニューラルネットワークのモデルなら
何種類もあるだろ。そこに合理的な学習則を用いるから
道具的な利用しかできないんだよ。人の脳はそのいくつかの学習則
のように合理的な存在ではない、不合理の積み重ねってことな。 >>31は持って回った言い方をしているが、
要約すると「作れるようなものは『心』じゃない」って事なんだろうな
>>32
その要約だけでは根拠がない為に、チンカスと叩かれるだけな。
また魂というのもある、それは機能ではなく存在のこと、他との関係が
その存在に憑依したような状態が他者と主体の間に情報として蓄えられた
ものが魂のように見える。だから魂のようなものに実態はないし機能もない。
存在(性質、気質、特徴)は固体に宿るものであとは他との関係は相性で
自然(後天的)に決まる。
存在は先天的なもの。主体の心の情報は主体の脳に記録されるが、他との関係は
他者にも記録される、故に心は固体だけの機能ではない。
科学的に要素や条件を限定すると心の一部は計れても全部を説明できない。
それは主体の外に特定できない要因があるということ。科学が万能ではない
のはすべてを観測できないからである。
計れないもの(認知できない、意味化できない)を科学では対象と
できないという原則がある為です。 要約:「俺の定義では心が定義できるようではそれは心の定義じゃないぜ」
こうですかチンカス先生! 心は技術ではない、まずそれを悟る必要がある。
結論、感情論を伴なうチンカスは自分がチンカスだと悟ることは
不可能である。なぜならそれは理屈ではないから。 心があるロボットは作れるか
【戯言】心があるところには体がある 体がないければ心はない(霊的な存在の否定)
しかし体があるからと言って心があるとは限らない(癲癇等)
よって心は体の一部だ【戯言終わり】
体はDNAで設計されているけれどそれ以外の部分で変化もする
同じことは心にも言えると推測できる
こころをもつことができるロボット(体)を設計すればこころを持つロボットが出来るかもしれない(見る人や定義による)
ではこころをもつ事ができるロボット(体)は設計できるか?
→わかんね
ところでこころを持つ有機体はロボット化できるか
→できる
【結論】
わかんね
ぶっちゃけこころを持った有機体をロボット化したほうが早い
>>36
たとえば
心は機能か?心は道具か?
心はアルゴリズムか?
心は反証できる仕組みや技術か?
心は先天的な植物人間にあるのか?
心はペットにもあるのか?
心は生物以外にもあると比喩することはあるのか?
心は人類、国民などの集団的心という表現はあるのか?
心を分解すると情念、体感、感情、欲、気持ち、それらの関係は?
だから君には辞書にのっている心という言葉しか認知できない。