森一生が言うには永田雅一ほど映画が好きで技術革新にも積極的だった映画会社社長は他にいないんだけれど、自社の映画監督はプログラムピクチャーに撤しさせて絶対に監督からの企画などは通さず、芸術作品や大作を撮る時には他社から大物監督を招聘、だから大映では新人監督が育たなかったらしい