【長谷川・雷蔵・勝】大映映画総合5【京・若尾・山本】
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大映映画に関しての、総合スレです。
作品、俳優、監督、脚本、何でも構いません。
大映映画について、語り合いましょう。
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【長谷川・雷蔵・勝】大映映画総合3【京・若尾・山本】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/rmovie/1554124800/
【長谷川・雷蔵・勝】大映映画総合4【京・若尾・山本】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/rmovie/1613731922/ 大根というなら石原裕次郎や高倉健だって演技上手くないよ
でも舞台と違って映画はスター性がものを言うから >>39
田中徳三の著書だと永田は羅生門の撮影の遅れに焦って黒澤を叱責したとか、試写を見終わった後で「よくわからん高尚なシャシンやなあ」と感想述べたとか書いてたけどなあ 大映は青春ものとコメディがジャンルとして弱いと書いてある本があったけど
青春ものが弱いなら東映も青春スター不在だったような 東映にとっては任侠映画が青春ものであり、高倉健や藤純子が青春スター
もちろん青春ものの定義にもよる話だからめんどくさい脊髄反射はいらない 大泉時代の若い千葉真一は青春アクションと言えるかもね >>500
当時は各社住み分けで得意なジャンルで勝負してたんだからそんなこと書いてる奴がおかしい 三隅や田中徳三の話は出てくるけど森一生は出てこないな
インタビュー本の『森一生映画旅』は買ったほうがいい?前に中島貞夫の『遊撃の美学』や深作欣二の『映画監督深作欣二』を買って読んだんだけど思っていたよりつまらない内容でなあ 勝新太郎曰く「一緒に撮っていて一番楽しかったのは森先生。その代わり、出来たシャシンを観て一番ガッカリしたのも森先生だった」
調べてみたら大映発足から倒産まで一番数多く映画を撮ってるのが森一生でそりゃ玉石混淆になるよなと
田中徳三がまだ新米助監督だった頃に某女優から使い走りを頼まれて
「助監督は女優の小間使いではない!」
と顔を真っ赤にして怒鳴ったのが森一生だったそうな 大映作品ではないが森一生が溝口の『祇園の姉妹』の助監督に就いた時の話は面白かったな
溝口があまりに口うるさいから森含む助監督連が腹を立ててて
「偉そうにしたってどうせ大した作品じゃないんだろ。観に行って馬鹿にしてやろうぜ」とみんなで実際に観に行ったら
それまで「クソオヤジ」と言ってたのが映画館出る時には「溝口先生」になってしまっていたとか >>507
第一映画はラッシュをスタッフに見せなかったんだろうか?
新藤兼人によれば第一映画が破綻した後に
溝口が新興キネマで「愛怨峡」を撮った時は
昼飯を食って溝口に対する軽口を叩きながらスタジオに戻ったら
溝口はスタジオにずっと残っていて一同驚き
少し後にラッシュを見て完全に降参したらしいが
女優が女優ではなく一人の女としてフィルムに定着されている
という表現だったと思う
美術助手に過ぎなかった新藤兼人自身の体験として クレージーキャッツの犬塚弘が森一生監督は早く家に帰って酒が飲みたいものだからかなり強引に撮影を早く終わらせる人だったと自伝に書いてたな 『ある殺し屋』『薄桜記』『不知火検校』『昨日消えた男』は傑作・会心作だろうが
『続・座頭市物語』『若親分兇状旅』『忍びの者 新・霧隠才蔵』といったシリーズ屈指の凡作も多い
早撮りで有名だったのが渡辺邦男・マキノ雅弘・森一生
晩年はビクトル・エルセが好みだったとかセンスは抜群なんだが 監督の年齢的なものかも知れないが
森一生の作品は映画というより「活動写真」という感じがするな
タッチがドライすぎて盛り上がりに欠けるんだけれど
「兵隊やくざ脱獄」「ある殺し屋」「薄桜記」「新悪名」あたりはそれがうまく活きていていい作品だと思う 初めて衣笠貞之助監督作品を観た時、雰囲気がどことなく三隅作品に似てるなと思ったし
テレビドラマ「怪談利根の渡し」で霧の中の船のシーンを観て「あっ雨月!」と思ったら田中徳三
やっぱりみんな助監時代に忙しく走り回りながらも合間で相当勉強していたんだなとつくづく感心する >>514
俺も衣笠の事を思い出した所だった
森一生の話で 衣笠の何を見たの?なんで一番大事な作品名書かないの? 雷蔵の『炎上』はもともと市川崑は川口浩で撮りたかった
でも永田雅一が「国宝に火ィつける役なんてとんでもない!」と頑なに拒否
で雷蔵だとすんなりOK
「雷蔵のほうがスターやのに……」と市川監督納得出来ず >>518
太陽族映画の処刑の部屋が炎上したからでしょ
同じ監督と主演でまた問題作ではね
wikipediaを一応確認してみたら書いてなかったw 川口浩が吃音の放火僧を演じるにはちょっと都会的過ぎるよね 雷蔵も不遇の身だったとはいえ歌舞伎役者出身で東京とはいえなくても京都と大阪の充分洗練された関西文化圏の都会人だよ 前にも話が出たがスター不在だったのなら自分が言い出した五社協定の違反だけど新東宝から若山富三郎と天知茂を正式に引き抜けよ
二人とも大映で成果出せなかったならともかく立派に仕事してるでしょ
若山は勝新がいるからいらないと言っても勝新には無い若山富三郎の個性がある
それで東映でスターになれたんだから大映でもスターにさせることが出来たろ
大映じゃないけど『子連れ狼』で三隅との相性も良かったんだし 前にも出たも何もそんなしょうもないこと語ってるのお前くらいだろ Wikipediaだと橋本治は市川崑のファンと書いてあるんだが
橋本治の好きな市川崑の映画って『東京オリンピック』でストレートなファンとは微妙にズレるんだよな
好きな映画ベスト10を挙げた時も10位に『東京オリンピック』が入っていて1位が『人間の條件』2位が『歌ふ狸御殿』3位が『血煙高田馬場』4位が『宮本武蔵』で市川崑作品でランクインしてるのは『東京オリンピック』だけだし 祇園の姉妹の話しが出たので新旧どっちも買ってまだ見てない新の方みたらつまらなかった
小野道子じゃ画面が持たない
しかも祇園囃子とキャスト結構被っててなんか二番煎じみたいだった 森一生が言うには永田雅一ほど映画が好きで技術革新にも積極的だった映画会社社長は他にいないんだけれど、自社の映画監督はプログラムピクチャーに撤しさせて絶対に監督からの企画などは通さず、芸術作品や大作を撮る時には他社から大物監督を招聘、だから大映では新人監督が育たなかったらしい 芸術作品や大作にそれなりの格のある大物監督が選ばれるのは当然でしょ 大映の監督のイメージの強い溝口健二だって戦後に松竹・東宝からやってきた監督で衣笠貞之助も東宝で吉村公三郎も松竹
海外の映画祭や国内のコンクール向けの映画はこうした監督が制作してて
大映はこういう体質があったから自社の新人監督が育たなかったと森一生は言ってるんじゃないの
森一生は新興キネマ以来の人だから >>534
大映の監督はむしろ甘やかされてたんじゃないかな
ディレクターシステムの松竹に比べると
日活と大映はスターシステムだしね >>534
溝口は日活→第一、新興、松竹→大映
日活の後は全部永田雅一だよ
第一映画=新興キネマってのは松竹が日活を潰すために
永田に金渡して日活から引き抜きするために作った会社
溝口も日活から引き抜かれた
二人はそういう意味で盟友だから
児井たちからリクエストがあれば貸してやっただけ >>535
脚本書けませんという監督ばかりだったのは痛いよな
依田義賢や八尋不二といった優秀な脚本家が多くいるから任せてられるという部分もあったんだろうけど
白坂依志夫は永田雅一が育てようとした監督は増村保造だけという主旨のことを言ってた 何が痛いの?
作曲家に歌詞も書けと言ってるようなもんじゃないか 監督は必ずしも作家主義的に評価される必要はないが
脚本書けるくらいじゃないと職業演出家に留まるのは仕方ない >>532
『森一生 映画旅』によれば正確にはこう。
〈だから、そういう意味では、監督を育てるちゅうことをやらなかったですね、大映というとこは。
ぼくはいまでも、大映はいい会社やったと思うけど、残念なのは、いいもんいうたら、およそ売れてる監督を引っぱってやらしたりして、自分んとこの監督の本質なり傾向なりを見極めて、それを育てていって、それとともに会社の商売になるように、総合したもんをやっていこちゅうのが、なかったことですね。
大映におるやつは、みんなプログラム・ピクチャーの監督であって、ちょっと文芸的なもんは、黒澤(明)さんとか、よそから名の売れたのを呼んできて撮らせる。よその人にしてみれば、名前は出てても、自分の会社ではやりたくてもやれんもんがあるでしょう。それを、「おお、うちじゃやらすぞ」ちゅうて、いい顔して、やらせておった傾向がありますなあ(笑)。だから、よその人は助かったでしょう。好きなことができて。だけど、大映の子飼いのもんは、絶対そういうもんがないですね。
その意味で、大映におった若い監督は、みんなかわいそうやと思うんですよね。それぞれやりたいもんあったけど、もうしまいには誰も言わなくなりましたからね。ただ、頑張ってやったのは、池広(一夫)君の『ひとり狼』(一九六八)。あれは池ちゃんが頑張って頑張って、やりましたね。して、やっぱりいいシャシンでしたからね〉 >>540
黒澤明に関しては
試写や受賞後のラッパのリアクションをみても
芸術的な作品を作ってもらおうという思惑なのではなく
本木荘二郎のトークマジックに説得されてしまっただけだろう
大映は製作者も育ちにくい環境だったんじゃないか
社長がワンマンだから >>542
チャンリンシャンって何だ?と検索したら1989年のシャンプーのCMかよ
ジジィだなあ 増村保造は大島渚と論争になったらしいけど詳細がわからない
勝敗はついたのか?平行線で終わったのか
若尾文子は増村の「ルネサンス的女性」には不満があったようだね
「増村さんは自分の理想の女性像を押し付けすぎる」
「もともと物事をタイトに見る人だったけれど、それがさらに狭まっていった」
「もっとパッと変わっていくのを期待していましたけど」なんて言ってる 時代という名のメカニズムが人の心を忘れさせたんだよ >>539
東映は助監督には必ず脚本を書かせてたらしいな
沢島忠か中島貞夫かどっちか忘れたけど「脚本は必ず書けるようになっとけ。まともな脚本はほとんど下りてこないから現場で自分で直せるようになれ」とマキノ雅弘に教えられたと言ってた 森一生は元々伊丹万作の大ファンで学校辞めて伊丹に弟子入りしようとしたら「大学は行っとけ」と断わられたんだっけ
それで行ったのが京大ってのが凄いが >>552
松竹なんて監督昇進の条件が上手いシナリオを書けるかどうかだったから松竹出身の監督は全員脚本書ける
おまけに助監督時代にスクリプターもやらせて鍛えるから日活に引き抜かれても成功してる監督が多い
もっとも大島渚も鈴木清順も神代辰巳も自分と波長の合う脚本家と出会ったら以降は自分ではシナリオ書かなくなるよね >>554
鈴木清順は脚本を直しまくるから実質共作だな
新藤兼人のけんかえれじいさえ直してる
新藤兼人には流石に事前に断り入れてる
大島渚は後期もいっぱい共作クレジットあるし単独もある >>553
森一生だったかはちょっと不明だけど伊丹万作没後に大映の監督が家の表札持って帰っちゃったんで後に伊丹十三が大映に入社した際に返して下さいと頼みに行ったというエピソードが残ってる 大島渚は『青春残酷物語』のラストは『薄桜記』のラストを意識したと述べてた
大島は自分のより前の世代の批判ばかりしてたのに『薄桜記』は見て評価してたのね 三隅と雷蔵は元々シリーズ化するつもりで剣鬼を作ったけど興行が振るわなかったので断念したって話があるけど
この場合は企画に口出す権限持ってたのは三隅というよりはやはり雷蔵だったのかな >>530
小野道子って華やかさに欠けるから主演は無理 >>557
14年後だから保管しててくれたんだろうな >>557
このスレで初めて有益な情報にふれた気がする 今大菩薩峠2見てるが雷蔵の目瞑りながらの殺陣すごいな 完結編の、まるでフランケンシュタインの怪物みたいな最期が、如何にも机竜之助だな 「大菩薩峠」って、そもそも原作がもう読まれてないけど、戦前の大ベストセラーで、映画も戦後になってからも大映以外に渡辺邦男と内田吐夢の東映版と岡本喜八の東宝版がある。その後は映画化の企画すら立たないほど忘れ去られてしまったけど。
中村玉緒は演技上手いがお浜は他のもっと綺麗目の女優でも良かった気がする。渡辺邦男だとお浜は光浦光子、内田吐夢は長谷川裕見子、岡本喜八は新珠三千代が演じてる役だし。 祇園囃子の時の木暮三千代の年齢調べたら35歳だね
この人年齢不詳だよね >>567
もう十年くらい前に連載時のバージョンが出版された
俺も綺麗な人じゃないと駄目だと思う >>568
木暮実千代が1918年生まれで
山田五十鈴が1917年生まれだから1歳しか違わない
東映だけど1953年に『女間者秘聞・赤穂浪士』で共演しているね
溝口作品は『雪夫人絵図』『祇園囃子』『新・平家物語』『赤線地帯』と結構出ているな >>570
CSでかなり若い時の映画見たが美人でもないし芋ぽいし年増になってから綺麗になった女優の典型かも
三浦光子もそう
稲妻のあのクネクネとしたの現代の女優さん出来ないだろ 祇園囃子見てるがこの前宮川町の元?舞妓が告発したの思い出した 溝口の元々の構想だった若尾が木暮を見捨てて成り上がっていく祇園囃子も見てみたかった
ただそれだとイヴの総てそのまんますぎて逆に評価低くなった可能性もあるか 大映じゃ無理だったんじゃないか?
ラッパは祇園に配慮する必要あっただろうし
祇園の姉妹の二の舞というわけにはいかなかっただろう >>570
溝口はああいう外見の女性が好きだったらしいよ
肉感的な女性が >>64
鶴田浩二は高倉健みたいにおおらかさが無いから、石井輝男に嫌われてたよな 高倉健のどこにおおらかさがあるんだよ
人一倍細かいことに厳しそうだろが >>575
溝口健二は戦後もまた山田五十鈴と組んで何か撮ってほしかったな
山田五十鈴のあの崩れた感じって溝口の世界観にとても合うと思うと思うんだよな
戦前の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』は山田五十鈴ありきの映画だし 山田五十鈴がどういう基準で映画選んでるか分からない人だし
(キヌタプロとか男絡みでないものの話だけど)
溝口が田中絹代萌えで何でもやらせたからなあ
夜の女たち お遊さま
は山田五十鈴の方が合ってただろう
赤線地帯の沢村貞子だって山田五十鈴の方がよかったかも
五十鈴は二人より年下だからね
10代で浪華悲歌、祇園の姉妹に出てるから 溝口健二が西鶴一代女からまた脂が乗ってきて(よく戦後まもなくの作品はスランプと言われるがそうでもないとは思うけど)、雨月物語、祇園囃子、山椒大夫ときて、次の噂の女はちょっと地味な気がする
決して悪くはない映画で、それどころか「和製ヘップバーン」久我美子の魅力が良い作品なんだけど、その次が近松物語で、山椒大夫と近松という溝口を代表する名作の間にあるから、なんというか…… >>579
山田五十鈴主演、成澤昌茂脚本の青電車って映画の企画があって大阪物語の次の作品になるはずだったみたいね 溝口健二の早逝は悲劇ではあるけど
その後の黒澤明を見ていると同じようにスタジオシステムが崩壊した後に作品を作ることが難しそうな人なので長生きしててもどうなったか 『刺青』の新藤兼人脚本は谷崎の「刺青」と「お艶殺し」を継ぎ合わせてる為に筋にぎこちないところがある
だからラストの刺青師の言葉「この女郎蜘蛛だけは許せねえ」に必然性がない
「お艶殺し」だけで本来は話は完結しているので脚本上タイトルの「刺青」が余計になってる
それに『刺青』は若尾文子の相手役に華が無さすぎる
『妻は告白する』の小沢栄太郎や川口浩や『清作の妻』の田村高廣のように文子の夫になるような役者にも魅力が無くちゃ
『刺青』は一般的には増村監督の代表作のひとつに挙げる人が多いんだろうけどその辺りが不満なんだよな 「巨人と玩具」とか「黒の試走車」で描かれる殺伐としたサラリーマン社会は現代よりシビアな感じだね。巨人と玩具のラストでは川口平社員が「こんな生き方より、もっと人間らしい生活があります!」高松宣伝部長「文句は日本に言ってくれ!この日本では無理だ。とにかくがむしゃらに働かなければ生きていけないんだ、この日本は!」
三丁目の夕日だと昭和30年代は理想の時代だけど、現実はもっと厳しく残酷な時代だったということか。 >>584
俺も刺青は詰まらない
新藤兼人は何度か谷崎を扱ってるけど成功したことない
谷崎が小説を書くため枠組みとして利用している観念的なものだけを取り上げ
谷崎が本当に描きたい自分の性格に根ざした情念は常に取り逃がしてる
原作を知ってるとそこが気になって仕方がない
原作が妨げにしかなってない
新藤兼人は偽れる盛装みたいに理屈が建っている話は得意なのにね
新藤の脚本でけんかえれじいのような映画を撮る清順には驚く まあ監督の増村も原作を尊重して文芸映画を撮るようなタイプではないからなあ >>588
谷崎の女性と増村の女性は全然違うしね
けど卍は新藤脚本は読んだことないんだけど
この時点で原作からは捻れていて
増村の演出で更に捻れてるから
原作から設定だけ借りた映画になっていて面白い
出てる役者の個性が生きてる そうそう刺青は相手役の俳優がしょぼくてリピする気になれない
最低でも川口浩レベル持ってこないと >>587
「けんかえれじい」は新藤兼人の最初持ってきたシナリオ読んで鈴木清順がこれではつまらないと苦情を言い
新藤兼人の承諾のもとかなり自分で書き直したんだそうだ
新藤兼人が「愛妻物語」を撮った際は大映の監督たちが書いてくれる脚本の量がこれから少なくなるんじゃないかと危惧したくらい脚本家としては凄腕の人だけど全部完璧という人ではないし(川島雄三の「しとやかな獣」は川島の演出力+新藤兼人の脚本の力によるものだとは思うけれど) 「婦系図」1955年公開か
丁度鶴田浩二が独立してフリーになってた頃だな
森雅之は1955年くらいまで大映専属みたいな感じだったけど、この作品以降他社の作品に出るようになるね成瀬の「浮雲」が1955年だ
森雅之もフリーで特に特定の映画会社とは契約結んでないんだっけ 市川雷蔵の眠狂四郎シリーズをBOXでいつになったら販売してくれるのか
勝新太郎の座頭市に並ぶ雷蔵の代名詞じゃないか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています