「雨のアムステルダム」を初めて観たのは既述の通り先日なんだけど
シーン毎に目が釘付けになってしまったのは、公開された1975年をトレースするようなふりかえりを兼ねて観たからかも。
『変奏曲』は出版されていたが映画になっておらず、ロッキード事件も発覚していないし、『戒厳令の夜』も出版されてない時期に
日本の映画監督が、個人的なイメージに基づいてここまでやろうと迫ったその内面が、あえて想像されてゾクゾクする。

『約束』の演歌的抒情や、『青春の蹉跌』のその漂白を2極とするなら、
それのどっちにも寄らず、傷天+五木寛之欧州小説を映画化したような”大作風の構え”がまず面白い。

公開当時もその後も、映画批評の場からさえ放棄されたような扱いになってる作品
(ユリイカの「ショーケンよ、永遠に」特集号でもほとんど言及されていない珍しい作品)だが、
それほど美しいわけではもちろん決してないが、観たあとの印象がパゾリーニの『ソドムの市』に通底する後味。
それでいて、今観ると、ニッポン70年代サブカルのパロディ化といったパノラマ感がマニアックに「うひひひ」と享楽せしめる。

80年代の現代アート用語で言うなら、「トマソン」映画。自宅で寝転がってわくわくしたりひそひそしながら内向的に観る映画。
家族とは一緒に観ないほうがいいと思う。

ショーケンと岸惠子がエレベーターで交わす会話シーンだけでも脳裏に貼り付くよ(笑)