本田技研工業の創業者である本田宗一郎が、作家で経済評論家の邱永漢に、ホンダの海外の工場で一番うまくいっているところと一番具合が悪かったところを問われた時、
いいほうを「台湾」、悪いほうを「韓国」と答えた。
その理由を問うと、「台湾に行くと、台湾の人がみんな、私に「こうやって自分たちが仕事をやれるのは、本田さんのお陰です」と言って、
ものすごく丁重に扱うのです」と答えた。
自動車やオートバイの技術を持っていなかった台湾に技術を伝えた本田に対して“台湾人は”ちゃんと相応の感謝をしていた、というエピソードである。
一方、韓国の工場が具合悪かった理由を問うと、「向こうへ行って、オートバイを作るのを教えた。
それで、一通りできるようになったら、「株を全部買いますから、帰ってくれ」と言われた」と答えた。
つまり韓国人の言い分は、技術を盗み終わったら師は「用済み」ということである。これはまるで「併合で散々援助されたのに、分別のない行動をした韓国」という国そのものの歴史に酷似したエピソードではないだろうか(邱永漢・渡部昇一『アジア共円圏の時代』より)。

ある製鉄所の技術援助。韓国語にも、ありがとう――カムサ・ハムニダって、言葉があるでしょう。要は、気分の問題なんです。
日帝三六年を持ち出されると、こっちとしては、なにも言えません。
うまく言えないけど、すべて終わったあとで、ぜんぶ自分たちがやったっていう態度にでられると、
こっちとしても我慢しなけりゃいけないと判っていても、割り切れない気持ちになるんです。
友人を通して、このとき知り合った製鉄会社の同僚は、こう言ったものだ。この類の日本人の不満は、あちこちで聞かされた。
これは、直接に聞いたものではないが、日韓共同プロジェクトとして、ソウル市の地下鉄1号線の工事は、日本の技術援助で完工した。
だが、その開通式にあたっては、日本の援助には一言も言及されなかったという(豊田有恒『いい加減にしろ韓国』)。