>>770
いま、第一作を見てて思ったんだけどさ、
一作の初めの方で、寅が帰ってくる。
とらやの座敷でおいちゃん、おばちゃんに20年ぶりに帰ってきた挨拶・お礼を述べる。
「ところで…あれはどうしたい?」
「あれって…あぁ、さくらちゃんかい?残業なんだよ。」

で、さくらが帰ってくる。
なつかしさで詰め寄る寅におびえて逃げるさくら。
「無理もねぇ、5歳か6歳のころに放り出しちまって、それっきりだものな。」
「ひょっとして、おにい…ちゃん?」
「そうよ!お兄ちゃんよ!」

で、ここでさくらの一言が
「生きてたの。」

1作目も20年ぶりの帰宅なんだよね。
20年音沙汰が一切なくて、さくらは二人の兄(描かれたことはないが、東大に通っていた秀才の長男あり。夜釣りで船が転覆して死亡)

今回の作品は「寅次郎の死亡」じゃなくて、「死んでる」とあきらめてるところに帰ってきて終わるんじゃないかとふと思った。

まぁ、公表されてるように現代パート(思い出話)と過去の映像4K修復(思い出シーン)を交互に織り込む。
で、「でも、もう死んでるんだろう。」となったところで、
「ごめんよ!とらやご一党は死に絶えちまったのかい?」
とデジタル修復ないし合成で作った渥美清の声、
さくら筆頭に店頭に飛び出してきて、
「お兄ちゃん!生きてたの?」

あくまで寅次郎は移さず、寅の側にカメラを置いて帰宅に喜ぶとらやのメンツの表情を一瞬だけ捉える。
で、そのままエンディング

今までなかったエンディングがあるそうだから、そこで1~48作までの名シーンを流して、歌も渥美清オンリー

こんな感じかなとふと思ったよ。
帰ってきた寅次郎の顔を見たいと観客は思うけど、
「観客が一番見たいシーンは、あえて撮影しない。」
っていう山田洋次の思想にも合うしね。
(幸福の黄色いハンカチでは、帰ってきた高倉健を見て、驚き・悲しみの表情を見せる倍賞千恵子を撮影しなかった)
↑試写を見た当時の松竹幹部が「観客が一番見たい倍賞の表情がなくてどうする!さっさと使い撮影して来い!」
と叱りつけて急遽、撮影隊と倍賞さんだけで追加撮影してる。

こういうエピソードに事欠かない山田洋次だから、
「エンディングの寅次郎みて、帰ってきたときの寅次郎の表情は、あなたがた観客が想像しなさい。」
って感じだろうと思った。

まぁ、死んでいたでなければだけどね。