吉永小百合
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>>3
ところが消えないところが大女優たる所以だ。
イモねーちゃんとは違う。 未成年 続・キューポラのある街
なにげなく見たのだが、見終わり感がヒドイ。
「キューポラのある街」の3年後の設定だが…ジュン(吉永小百合)の父は水戸黄門から宮口清二に。浜田光夫はそのままの役で工場を立ち上げて羽振りがいい役(最初は)。
最初は1965年当時の街や若者の様子がわかって面白いな〜と思っていたのだが、なーんか暗い。
父はプライド高くて暴れるわ、ジュンの友達(野川由美子)は堕胎するわ、チンピラうざいわ…暗い…前作のみずみずしさというものがない。
何よりムカついたのは、前作で北朝鮮に行ったジュンの友達の母(日本人だから一人日本に残った。菅井きんの存在感がスゴイ!)に「おばさん、北朝鮮に帰るべきよ!」とか説得するジュン。
あのなー、オマエそれは人ごとだから言うんだろ!死ね!ジュン!と思うくらい腹立った。
結局、菅井きんは決心してしまうのだけど、船出シーンの「私はね、いまだに決心がつかないんだよ。もう帰ってこれないのかと思うといまだにここにいたいんだよ…」とジュンに嘆く。
そしたらジュンったら「偉いわ、おばさん!よく決心して」とか言うんだけど、
オマエー!だからー!人ごとだろ!!!!オマエやったら絶対行かへんやろ!とマジに腹が立って、どうにもこの文を書かずにいられなくなった!
イヤダーイヤダー行くな!と心の中で叫び、実際にも画面に向かって叫んだがムダだった。
菅井きん、本当に日本に帰ってこれないよ。そこだけすごくリアル。日本人妻の問題はいまだに尾をひいている。無責任なこと言うな!じゅん!
と21世紀に生きる者としてはなりゆきを知ってしまっているから60年代の日本映画については「ハア〜?」みたいな感想を持つ。
最後のラストシーンまでジュン個人のモヤモヤした問題は解決せず、わけわからず。
えっと、これは原作は創作なのでしょうか?個人の手記なのでしょうか?結局、夢は夢でしかないのよ…貧乏人は…、という映画なのでしょうか?
七人の侍の一番カッコいい剣士、宮口清二様が酔いどれ偏狭オヤジになってるし。
どうも「?」マークがついたまま。前作がいかにわざとらしいと言われても「希望」を残して終わるのに対し、こちらはモヤモヤって終わります。 >>4 >>7
大女優ですね、アイドルですね、スターですね。
それに疑いの念を持つこと自体が不見識なのでは? >>9
日活の秘蔵っ子でした。
稼ぎ頭でした。
大スターでした。 >>10
他の女優を差し置いてごり押しされただけの話、勘違いするのは当然の筋違いな女優擬き https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e346718928
吉永小百合さん映画夢千代日記を記念に作られました。勿論、直筆サイン入りの一点物ですので、大変貴重な一品です。 団塊の青春時代は何の疑いもなく吉永小百合に熱中できた
ある意味、幸せな世代だったなぁ。 >>13
吉永小百合しかない、居ない様にしてしまったのですね!
団塊世代の青春?呆れたものですね!
他の女優さんを出れなくして、潰してしまう事をしたのは吉永小百合同様に、あなた方にも罪が在りますね!
日本映画を価値も無い、産物にしてしまったし > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 >>14
>他の女優さんを出れなくして、潰してしまう事をしたのは
他の女優さんは、ただ無能だっただけですよね。
吉永小百合とは能力、美貌共に劣っていたということでしょうね。 >>17
政治力や権力でモノを言わせて、共演者の方々や映画監督を意のままにする人が女優や役者を名乗る資格は無いし、他の女優さんが無能な女とかお前が言ってる自体がおかしな話
お前も吉永小百合も単なる老害だ >>18
他の女優さんが無能でないなら吉永小百合の方が優秀すぎたってことね。 プロデューサーにタモリみたいな爺さんが多いだけのことじゃまいか? >>19
他の女優さんの役を独占してしまったのが吉永小百合だ
他の女優さんが無能云々じゃない >>21
他の女優さんの役を独占できるってスゴイんじゃないの。
さすが、吉永小百合て感じだな。 女優としての力量で独占したのなら確かに凄いが
吉永小百合の場合はそうじゃなくて業界内政治力だからね
演技力などの女優としての力量じゃ彼女の場合は寧ろ他の女優に役を奪われる側だ
だから吉永小百合はサユリスト以外からは毛嫌いされ日本映画をスポイルした張本人として批判が集中する >>23
業界内政治力って、そんなものがあるのはスゴいんじゃない。 >>25
政治力がすごいとしても
女優としてのすごさとは全く関係ない。
しかも本人が死んだら0になり
全く評価されるものではない。 >>24
演技力、歌唱力が無いのに、主演映画を撮れるということは凄いヤクザが絡んでそうだ >>26
演技力は?、歌唱力も?だが、歌唱に魅力はあった(過去)。 吉永小百合は歌唱力は?
でも、橋幸夫と歌った「いつでも夢を」は、
レコード大賞をとってしまった。 >>27
過去だよね
今は痛いBBAに成り下がりました
演技力も無いのに、老け役や悪女にもなれない >>29
老け役や悪女にもなれなくていい。
それは過去の美しかった頃のフィルムと
吹き込んだ音源さえあれば、それで言うことなしだから。 >>30
今は痛いBBAって事だ
お前も痛いサユリストだ >>31
>今は痛いBBAって事だ
ってことは昔は処女だったって事 >>32
> ってことは昔は処女だったって事
そりゃどんな擦れっ枯らしのスベ公だって女ならば生まれて間もない赤ん坊の時は処女だよなw >>32
でも、枕営業して主演映画を勝ち取りすぎたから
マンコはガバガバの淫乱老婆だろう >>34
マンコはガバガバって言ったって、昔はウンコもシッコもしない
聖処女だったのを知らないの・・ 吉永小百合は人気だけはある。
だが、作品に恵まれず、監督にめぐまれず。
代表作はあるとすれば、「キューポラのある街」だけ。国内使用の女優。悲劇の「大女優」 吉永小百合は他の女優とは別格とみる。
映画女優ではあるけどその映画は所謂、芸術作品とみると
代表作がないのだろう。吉永小百合の映画は観る者の目を楽しませる
映画だよ。 でも・・吉永さんは声は良くない。
セリフを聴く映画じゃないわな http://jack4afric.exblog.jp/23334887/
吉永小百合−高齢化社会のアイドル−(1945〜)
吉永小百合について書くことを決めて、彼女の映画を何本みているか、あらためて調べたら、「キューポラのある町」(1962)、「細雪」(1983)、「映画女優」(1987)の3本しかみていないことに気がつきました。
元々、彼女のファンでないこともありますが、ファンでなくてもみたくなるような後年に残る作品が殆どないことも一因でしょう。
彼女が50年前に主演した「キューポラのある町」がいまだに彼女の代表作として挙げられているということは、それ以降は日本映画史に残るような出演作が存在しないということです。
それにも関わらず、70歳近くになる現在まで彼女の人気は衰えず、CMの出演料も最高ランクだと聞いています。
テレビドラマ「夢千代日記」で共演した樹木希林が、
「あんたはいいねえ、悲しそうな顔をしてりゃいいんだから。こっちは演技しなきゃなんないんだヨ」
といったそうですが、悲しそうな顔をするだけで70近くになっても主役を張り続けているのは大したもので、目に見えないところで、もの凄く努力しているのではないかと思います。
ただ、その努力項目に「演技力の向上」という項目が入っていないだけのことで、なぜ入っていないかというと、
彼女は女優というよりはアイドルであって、女優ならともかくアイドルには演技力など必要ないということをよく知っているからでしょう。
それでも1983年公開の「細雪」では、義兄の石坂浩二に想いを寄せられていることを知りながら、何喰わぬ顔で義兄に足の指の爪を切らすふてぶてしいところのある三女の雪子を演じていて、
大根は大根なりに長年、映画に出演しているとこういう陰影のある役も演じられるようになるんだな、とちょっと見直したのですが、
その次の1987年に公開された「映画女優」をみて、そのあまりの大根ぶりにショックを受けました。 この「映画女優」という作品は、日本映画を代表する名女優である田中絹代の生涯を描いた伝記映画で、吉永小百合はこの作品で田中絹代を演じています。
劇中で、田中絹代が主役の踊子を演じた「伊豆の踊子」のロケの場面が出て来て、踊子を演じる田中絹代を吉永小百合が演じているのですが、実は吉永小百合自身、映画で「伊豆の踊子」を演じています。(略)
田中絹代も吉永小百合もそのキャリアのスタート地点では、アイドルとしてこの伊豆の踊子を演じたわけですが、その後の二人の歩みは対照的でした。
田中絹代はアイドルから出発して、齢と共に演技派女優に脱皮して行き、汚れ役や老け役も演じるようになりますが、
吉永小百合の方は伊豆の踊子でストップしたままで、その後、齢をとっても本格的な女優になることはなく、ずっとアイドルのまま年齢を重ねているのです。
そのため、吉永小百合は齢をとっても、田中絹代が「サンダカン八番娼館」で演じたような老醜を晒す老婆役は絶対に演じることはないし、
たとえ老け役をやったとしても、アイドル「吉永小百合」のイメージを傷つけることのない小奇麗なおばあさんしか演じられないでしょう。
そういう意味では、吉永小百合は田中絹代とは最も離れたところにいる女優で、「映画女優」で彼女に田中絹代を演じさせたのは完全なミスキャストだったと思います。
実際、彼女はこの作品で名女優、田中絹代の凄さの1000分の1も表現できていません。
本来なら、演技力の必要のないアイドル向けの役しか演じられない彼女に、演技力を必要とするこのような役を演じさせた監督の市川昆の見識の無さは非難されるべきだし、
大根役者の分際で大女優、田中絹代を演じた吉永小百合の図々しさも批判されるべきだと思うのですが、
そもそも普通の人間であれば、70近くになってもアイドルをやるなんて恥ずかいことはできない筈で、それを堂々とやってのける時点で、彼女には常人には計り知れない神経の図太さがあるのでしょう。
もしかしたら、それがアイドルとして驚異的に長持ちしている理由のひとつかもしれません。 彼女は1981年から1984年にかけてNHKで放送された「夢千代日記」で被爆2世の役を演じたことをきっかけに原爆詩と出会い、
その後、国内だけでなく、海外でも平和を願う気持ちを込めて原爆詩を朗読するという平和活動を続けているといいます。
平和のために原爆詩を朗読するというのは誰も非難できないご立派な行為で、いかにも清純派アイドル「吉永小百合」に似つかわしい活動と思えるのですが、
アグネス・チャンの慈善活動と同様の偽善的な臭いを感じるのは私だけでしょうか。
その辺の計算のしたたかさに私は彼女のあざとさを見てしまうのです。
最近では細川元首相や小泉元首相と共に反原発を訴えているそうですが、細川元首相も小泉元首相も70代で、
考えてみたら、吉永小百合のファンであるサユリストは、現在はもうみんな70代のおじいちゃんになってるんですよね。
そんな70代のファンのためにみずからも70近くになってもアイドル「吉永小百合」を演じ続ける彼女は、まさに高齢化時代の日本を象徴する存在で、
いっそのことこのまま90歳まで長生きしてアイドルを演じ続けて世界最高齢アイドルとしてギネスブックに記録を残してもらいたいものです。 >>42
あの アグネス・チャンさんと比べるのは可愛そうだと思いますよ
あのチャンさんはね・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています