>>254
恰も自分が一方的に森昌行たちに利用・搾取されていたようなイメージを巧妙にふりまき、
功労者の森たちを切り捨てて「晩年はオレとお姉ちゃんの2人だけの為に時間もカネも
使うから、あとは知らねえよ」と、、あの騒動でたけしの「底」も見えちゃったね。

最近、『影武者』80を改めて観たのだが、この頃の時点で既にクロサワは一般的な意味での
「商業映画の巧いシナリオ」にはもう興味がなく、基本的には「いかにオレが観たい画だ
けで繋ぐか?」しか考えなくなっている。

結局、クロサワなどプロの映画人たちがなぜか北野武を高評価したのは、「たけしは
自分の観たい画だけで繋いでて凄い」とそこに共感したからだろう。
内心では商業映画的なシナリオの「お約束」をもうウザいと思っている人たちが
たけしに共感してしまった。
逆に「でもそこはやっぱ大事だろ」と思った者はたけしを評価しなかった。 

たけしはインテリ転がし・プロ転がしなだけであって、映画監督としても所詮は才能は
「無い」と思う。
「いやインテリやプロを転がせるだけでも凄いんだよ」とは、言えるけど、、