砂の器 Part.1
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あの頃は小さなスキャンダルが命取りになったからな
今じゃ、代議士は人殺しでもしない限り安泰だが ♪人の命は〜火と燃やせぇ〜 ずうぇいっ!
虫の命は〜火に捨てよぉ〜 やぁあああっ!
唄 田所先生 >>418
そのことじゃが、
亡くなったことは知っておるが、アパートで孤独死の情報はどっから、なん。 >>469 >>470
それはクラシックの現代ではないだろw >>466
指揮者としても評価が高い、との台詞もあった >>476
クラシックの現代ってなんだ? はじめて聞いた
マジで教えてくれ クラシックって古典音楽の演奏だけじゃない
もちろん自分で作曲して演奏するクラシックの音楽家なんていっぱいいる 和賀と同時代だったらレナード・バーンスタインとかアンドレ・プレヴィンとか
それよりも、「クラシックの現代」って何か教えてくれよ 伊福部昭とか久石譲もクラシック音楽の作曲家だからね クラシックって古典以外にも商業より芸術を目指した西洋音楽というような意味があるんだろうか、思ってたより幅広いんやな
wiki見たたけだからよう分からんが小説でいうと純文学のようなもんなのかね >>478
つまりクラシック音楽と言う明確な定義はないが、バッハ辺りからドビュッシー辺りまでの西洋の特定の形式の音楽をクラシカルミュージックと呼んで古典とみなすとヨーロッパでは一応線引きされている。
つまりクラシックは18世紀から19世紀初頭においては同時代音楽(現代音楽)であったのが現代では古典になっている。
古典であるからにはもうバリエーションは増えないし増えてもそれは現代音楽等と呼ばれる。
それがクラシックの現代。
それらしきものを自作自演してもクラシックにはならないのがクラシックの現代。
ポール・モーリアもリチャードクレイダーマンもクラシックではない。
ギリギリの例外がホラーBGMでお馴染みのオルフが1938年に発表したカルミナブラーナかも。 オーケストラをバックに加藤剛が吹き替えなしに演奏したら最高なのに
それは無理ですわねえ 和賀のモデルは山本直純か黛敏郎かで論争してた頃が懐かしい >>486
あのピアノは音が出ないようになってるんかな >>489
確かにw
雰囲気だけの無茶苦茶だったら回りはやりにくくて仕方が無いだろう。 >音が出ないピアノ
この演奏シーンの撮影をエキストラとはいえ観客がどういう思いで観ているのか興味深いね 原作のように前衛音楽にしたら、映画の成功はなかっただろう 原作者の清張はこの映画を絶賛してるね
原作を凌駕したとも 加藤剛の最後の笑顔が、やり切った感が出てて清々しいんだよな
原作の超音波小悪党とは、もはや別人 >>491
>雰囲気だけの無茶苦茶だったら回りはやりにくくて仕方が無いだろう
アフレコならやったかも
無茶苦茶な演奏会かあ、見てみたかったな(笑 この映画の加藤剛は加藤嘉が若い娘をレイプして産ませた子っていう設定もあるらしいね 最初から「本浦千代吉は加藤嘉」という前提で始まった企画
しかし準備に何年も要し、撮影に入る頃には、加藤は秀夫を見て、
「もうこんな小さな子の父親は無理だ、爺さんに変えてくれ」と申し立てたが、
スタッフがなだめて何とか撮り終えたという次第 緒形拳が千代吉の役の方をやりたがっていたという説もある。
もしやってたら極悪人の父と子の話になってたろうな。 緒形拳と加藤嘉は同じ野村監督の「復讐するは我にあり」でも共演してたな
たしか緒形が加藤を殺してタンスの中に隠す 中居見てから、映画見たら、原田義雄のゴツい本浦千代吉の方が絵になっているように思った。
加藤嘉は貧相すぎると思った 業病で世間から迫害され、妻にも不義理され
あの悲壮感は素晴らしい演技だと思うが 緒形拳の老けメイク
加藤嘉の若作りメイク
どっちもキモイ 絶賛されてきた加藤嘉だが
怪演の類いかも
実際のハンセン病の人たちには
かなり違和感があったとのこと >>514
たしかにあんなにミジメに演じられたんじゃあなぁw お父さんの指とかなくなってるのかと思って見てたら普通にあるのね
流石にリアルにはできなかった感じ? >>516
加藤嘉のミジメさはそれとはまた方向が違う。
生活はほぼ乞食でキャラも異常に情けない。
病気が原因とは言え病気以外の一見してわかるミジメ要素が多すぎる。 三木役の緒形拳はやっぱはまり役だわ
白い軍服に軍刀下げてカッコええ >>520
んな奴いねーだろw
このフィクションっぽさにリアル病人の人たちはイラっと来たんだろ。
単なるネタ扱いしやがってと。 目か鼻がえぐれてたら息子が殺人犯してもしょうがないって同情されまくるよな 映画制作時と千代吉放浪時では、30年ぐらい開きがあるからな
国が先陣切って患者狩してころは、さぞ恐怖と絶望だったろうに 細かいところは抜きにして全体としてはやっぱり稀にみる名画だよなぁ
しみじみそう思う >>532
伊勢はな、出雲は単独行、普通は複数で行くんじゃね >>535
佃次郎でも、ベンガルが六平の出張を許さず、西郷が地方に一人で言ってたよ >>534
ヤクザな渡瀬恒彦がよかった
あと、大竹しのぶのオッパイ でも、佐分利、丹波、丹古母鬼馬二、穂積、芥川が共通項だし…
まああっち行くわ。 列車内での今西と和賀の遭遇シーンは不自然な気もするがどうなんだろ 原作は「羽後亀田駅」でヌーボーグループとの遭遇になってる この映画は論理的に詰めていってはダメw
突っ込みどころの嵐。
昭和の日本人なら無意識に期待する展開や映像をちゃんと見せてくれる緻密な心理的エンタメとして見るべきです。 映画冒頭で亀田を徘徊していた男は和賀自身?
結構チャレンジャーだな 原作では亀田を徘徊したのは関川だろ。
映画では関川が出てこないからその辺あいまいになっちゃったけど。 >>545
フィクションなんだから、エンターテイメントで当たり前 >>551
エンタメにもいろいろあるから。
この映画は推理サスペンスと思わせておいて実は理不尽なミジメさを楽しむ倒錯の昭和エンタメ。 突っ込むなと言われてもどうしたら大阪の自転車屋の丁稚小僧がピアノも弾けて作曲も出来て元大臣の娘と婚約にまでこぎ着けることが出来るのかとw 婚約者の父である元大臣の秘書が興信所で調査させた結果・・・ 今ならカメダで思いつくのは亀田三兄弟だろな
そうなると和賀と三木はボクシングの話をしてたわけで事件性なしw このスレで対話しようと思えば重箱の隅を突くような突っ込みも避けられないが
普通に映画観てる人には分からんことだから 当時の刑事がモリケンみたいな髪型で許されたのか?
昔は髪の毛が耳に掛かってると五月蝿く言われたもんだが
そんなところも 砂の器の2年前が太陽にほえろのスタートで、モリケンと同じくショーケンみたいな
髪型の刑事は当然現実にいなかったが、番組が始まってしばらくしてから
そういう刑事も出てきたらしい
理由はそういう実際の若者と同じ髪型をした刑事もいないと若者の盛り場とかで
スムーズに捜査ができないから現実にも出てきたんじゃないかって説
太陽にほえろが現実に影響を与えたのかどうかは分からんけど
なので74年だと微妙だな。70年代後半にはもういたと思う この映画もそうだけど昔は捜査車両といったら幌付きのジープが主流なんだよな
今みたいなパトカーになったのいつ頃からかな 軍用で使用されてたし当時では一番信頼性が高いかったからだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています