砂の器 Part.1
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>>442
お前の妄想する駄作をなんぞどうでもいい
いろいろ突っ込み処ありすぎる
まず、丹波は、東宝所属、森田は、松竹所属
映画や映画会社や俳優に無知なのに、よくこの板探し出したな(笑) >>450 わしは制作のことをいっとるわけやで。
所属プロなどどうでもええ。
1.「疑惑」はよかった。
岩下志麻、桃井かおり、あの映画では輝いてた。
鹿賀丈史、柄本明もええ。
2.「天城越え」
全盛期の田中裕子はよかった、今はおばあちゃん役が似合うが。
3.「事件:
大竹しのぶ、もええ。
永島敏行は大根だが、
「サード」「帰らざる日々」と、
素人っぽさ、演技の下手さがかえってたどたどしい青年ぽさを出していた。
下手な演技、だが。
大根の丹波、森田はあかんかった、
映画に出すレベルではない。
森田の「俺は男だ」の演技は最高、テレビの青春物としてはあの時代の傑作、だが。 砂の器より俺は男だの演技を褒められたらモリケンも辛いだろうな 丹波は良かったと思うけどな、「事件」の丹波も良かった
大根いうけどな演技は経験次第で上達するが存在感だけは持って生まれた才能
大根かもしれないけど丹波にはそれがあるよ >>442
1970年代のキネマ旬報読者欄に投稿しまくり
没を食らいまくったやつが書いたようなひとりよがりの 感想文w >>453
レスありがとう。
素晴らしい演出、やと思う。
いや、ほれ、
実はわしは、映画版「砂の器」を最後に見たのがいつか不確かやが、
10年以上前のお話。
初見は40年位前、以降、視聴回数計、3、4回位見た思う。
DVDも録画も持っとらんゆえ、場面毎の細かい演技の演出は分析はできんが、
いずれにせよ、
砂の器に感動した、入り込めたことは一度もない。
1.この映画の場合、乞食のように放浪した子供が、
孤児となり、篤志家の養子となり、音楽家へとなる。
この落差をどう違和感なく埋めるのか。
過去の寂寥感を芸術という形で昇華させ、
他方で、過去を知る者、愛人を殺し、
にも関わらず、犯人に同情し、涙させることができるのか、やと思う。
いわば、永山則夫に涙するようなものや。
極めて難しいミッションやと思う、
成功した後に二人も殺すわけやから。
したがって、
犯人はやはり冷酷冷血な人間像でなければならない。
このタイプは、
「天国と地獄」の山崎努、や。
TV版「白い巨塔」の田宮二郎、が最高の演技をしておるが、
それとは違う、
財前五郎の根底には弱さ、やさしさがあった。
犯人を冷酷動物としてみるならば、
大根の鉄仮面の役者、血の通っていない男、唐沢 寿明がええのかなと思う。
実生活でもそういうこと、しそう、やから、な。
どうなんやろ、
芥川はんの音楽自体が完全にミスマッチ、なんかしらん、な。
犯人にはやさしさがない、いうか、血が通っておらん、思うのに、
芥川はんの音楽は繊細、ナイーブすぎる。
芥川はんの音楽があの映画を破綻させた、思う。
むしろ、正反対なイメージー、
ベートーヴェンやワグナーのパワフルな交響楽のほうが
犯人の狂気を表現できておった思う。
https://www.youtube.com/watch?v=CZiHhS7r6M0 皆のいっちょる意味はわかる。
わしはむしろ、個性派、存在感のある役者の方が好きや。
演技派のダスティン・ホフマンよりも、
いつも同じ演技のスティーブ・マックイーン、
チャールズ・ブロンソンのほうが好き、や。
高倉健もええ。
要するに、存在感、やな。
そして、映画俳優こそ、銭を出させて客を呼ぶわけやから、
演技力なり、存在感、や。
じゃが、な、
銭出して、丹波はんの演技や存在を見たい、とは、思わん、やろ。
そういう地味な存在、言う意味では、
刑事っぽいんやろが、
かといって、リアルな刑事とも丹波はんの演技は違うな、と。
あの時代の役者では、誰がよかったんやろ、な。
緒形拳を刑事役にしたほうがよかったか、
あの時代の役者名鑑でも見んとすぐにはわからん、がな。 >>461
そうなん。
だとしたら、映画の破綻度がものすごいのぉ。
そこらも、わしが入り込めなかった理由やろな。
芸術家、音楽家になるんに、
幼少期から英才教育、音大でもトップレベルの成績やないと無理やし、
金持ちでないと、無理な世界、やから、な。 この映画の主役は丹波さん?でしょうね
違いますか? 三木謙吉極悪人説主張者といい今回の偏向評論ジジニキといい
このスレ奇矯な人来るね。それはそれで面白いからいいけど ピアノはそう簡単に弾けるものじゃあないのよね
5歳くらいから始めて毎日5時間、時には10時間も一年一日も休むことなく練習して
かつ持って生まれた才能が有ることが最低条件
それでもピアノだけで食べていける人は100人に1人くらい 実際のところ和賀はピアニストなのか?
作曲家なのか? >>467
いや、わかりにくい。
自作自演ジャンルはクラシックにはないし現代音楽にも見えないし。
坂本龍一みたいなもんか?
またはYOSHIKIとかw >自作自演ジャンルはクラシックにはないし
ショパン、リスト、ラフマニロフ あの頃は小さなスキャンダルが命取りになったからな
今じゃ、代議士は人殺しでもしない限り安泰だが ♪人の命は〜火と燃やせぇ〜 ずうぇいっ!
虫の命は〜火に捨てよぉ〜 やぁあああっ!
唄 田所先生 >>418
そのことじゃが、
亡くなったことは知っておるが、アパートで孤独死の情報はどっから、なん。 >>469 >>470
それはクラシックの現代ではないだろw >>466
指揮者としても評価が高い、との台詞もあった >>476
クラシックの現代ってなんだ? はじめて聞いた
マジで教えてくれ クラシックって古典音楽の演奏だけじゃない
もちろん自分で作曲して演奏するクラシックの音楽家なんていっぱいいる 和賀と同時代だったらレナード・バーンスタインとかアンドレ・プレヴィンとか
それよりも、「クラシックの現代」って何か教えてくれよ 伊福部昭とか久石譲もクラシック音楽の作曲家だからね クラシックって古典以外にも商業より芸術を目指した西洋音楽というような意味があるんだろうか、思ってたより幅広いんやな
wiki見たたけだからよう分からんが小説でいうと純文学のようなもんなのかね >>478
つまりクラシック音楽と言う明確な定義はないが、バッハ辺りからドビュッシー辺りまでの西洋の特定の形式の音楽をクラシカルミュージックと呼んで古典とみなすとヨーロッパでは一応線引きされている。
つまりクラシックは18世紀から19世紀初頭においては同時代音楽(現代音楽)であったのが現代では古典になっている。
古典であるからにはもうバリエーションは増えないし増えてもそれは現代音楽等と呼ばれる。
それがクラシックの現代。
それらしきものを自作自演してもクラシックにはならないのがクラシックの現代。
ポール・モーリアもリチャードクレイダーマンもクラシックではない。
ギリギリの例外がホラーBGMでお馴染みのオルフが1938年に発表したカルミナブラーナかも。 オーケストラをバックに加藤剛が吹き替えなしに演奏したら最高なのに
それは無理ですわねえ 和賀のモデルは山本直純か黛敏郎かで論争してた頃が懐かしい >>486
あのピアノは音が出ないようになってるんかな >>489
確かにw
雰囲気だけの無茶苦茶だったら回りはやりにくくて仕方が無いだろう。 >音が出ないピアノ
この演奏シーンの撮影をエキストラとはいえ観客がどういう思いで観ているのか興味深いね 原作のように前衛音楽にしたら、映画の成功はなかっただろう 原作者の清張はこの映画を絶賛してるね
原作を凌駕したとも 加藤剛の最後の笑顔が、やり切った感が出てて清々しいんだよな
原作の超音波小悪党とは、もはや別人 >>491
>雰囲気だけの無茶苦茶だったら回りはやりにくくて仕方が無いだろう
アフレコならやったかも
無茶苦茶な演奏会かあ、見てみたかったな(笑 この映画の加藤剛は加藤嘉が若い娘をレイプして産ませた子っていう設定もあるらしいね 最初から「本浦千代吉は加藤嘉」という前提で始まった企画
しかし準備に何年も要し、撮影に入る頃には、加藤は秀夫を見て、
「もうこんな小さな子の父親は無理だ、爺さんに変えてくれ」と申し立てたが、
スタッフがなだめて何とか撮り終えたという次第 緒形拳が千代吉の役の方をやりたがっていたという説もある。
もしやってたら極悪人の父と子の話になってたろうな。 緒形拳と加藤嘉は同じ野村監督の「復讐するは我にあり」でも共演してたな
たしか緒形が加藤を殺してタンスの中に隠す 中居見てから、映画見たら、原田義雄のゴツい本浦千代吉の方が絵になっているように思った。
加藤嘉は貧相すぎると思った 業病で世間から迫害され、妻にも不義理され
あの悲壮感は素晴らしい演技だと思うが 緒形拳の老けメイク
加藤嘉の若作りメイク
どっちもキモイ 絶賛されてきた加藤嘉だが
怪演の類いかも
実際のハンセン病の人たちには
かなり違和感があったとのこと >>514
たしかにあんなにミジメに演じられたんじゃあなぁw お父さんの指とかなくなってるのかと思って見てたら普通にあるのね
流石にリアルにはできなかった感じ? >>516
加藤嘉のミジメさはそれとはまた方向が違う。
生活はほぼ乞食でキャラも異常に情けない。
病気が原因とは言え病気以外の一見してわかるミジメ要素が多すぎる。 三木役の緒形拳はやっぱはまり役だわ
白い軍服に軍刀下げてカッコええ >>520
んな奴いねーだろw
このフィクションっぽさにリアル病人の人たちはイラっと来たんだろ。
単なるネタ扱いしやがってと。 目か鼻がえぐれてたら息子が殺人犯してもしょうがないって同情されまくるよな 映画制作時と千代吉放浪時では、30年ぐらい開きがあるからな
国が先陣切って患者狩してころは、さぞ恐怖と絶望だったろうに 細かいところは抜きにして全体としてはやっぱり稀にみる名画だよなぁ
しみじみそう思う >>532
伊勢はな、出雲は単独行、普通は複数で行くんじゃね >>535
佃次郎でも、ベンガルが六平の出張を許さず、西郷が地方に一人で言ってたよ >>534
ヤクザな渡瀬恒彦がよかった
あと、大竹しのぶのオッパイ でも、佐分利、丹波、丹古母鬼馬二、穂積、芥川が共通項だし…
まああっち行くわ。 列車内での今西と和賀の遭遇シーンは不自然な気もするがどうなんだろ 原作は「羽後亀田駅」でヌーボーグループとの遭遇になってる この映画は論理的に詰めていってはダメw
突っ込みどころの嵐。
昭和の日本人なら無意識に期待する展開や映像をちゃんと見せてくれる緻密な心理的エンタメとして見るべきです。 映画冒頭で亀田を徘徊していた男は和賀自身?
結構チャレンジャーだな 原作では亀田を徘徊したのは関川だろ。
映画では関川が出てこないからその辺あいまいになっちゃったけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています