砂の器 Part.1
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収容施設があったせいで今でも年に1,2回はローカルニュースでハンセン病って聞くけどね
全国的にはハンセン病って聞かない方が多いのかな >>345
この映画だけ時代背景を理解出来ないって都合がよすぎる >>347
近代とかちょっと前の現代ってそういう把握や切り替えが難しいんだろうとちょっと思う
言っても江戸時代より後だし今と同じじゃない?って心構えで見る人が多そうというか
明治大正昭和初戦前後で価値観が結構違ったりするけどそこの変化に疎いというか
今から20年前とかでも現在とかなり違う事が多いし、それを当時を知らん人が見て理解するのも難しそうだし現代的な価値観で見ちゃうよなと きのうのフジの糞ドラマ見て
また映画が見たくなったわ アマゾンで見ているが
テンポ最高
面白い!
昨日もドラマは犯罪レベルに酷い
全てにおいて日本の力が低下したことを
実感して辛いわ。 でもフジのドラマは何でわざわざシャツを微塵切りにして電車から撒いてたかの説明を必死でつけてたな
確かに不可解なパフォーマンスw
あと和賀に高島が気づく経緯も、違和感が出ないようにかなり丁寧な設定と展開。
ドラマ原作にあたる野村版はこの辺りはシラっとムードで持っていくからなw
でもあのムードこそ野村版を名作にしてるからな。 >>342
中居版のも父親が大量殺人犯の犯罪者で死刑囚
って設定だったけど
あっちは親父が凶行に至った理由が謂れなき理由で村八分にされて家族全員迫害された挙句
病気の妻も診てもらえず見殺しにされた経緯があったうえでの犯行だったから同情はできたんだけどな。 しかも本浦家が部落民設定で差別されていたって設定まで付け加えてた
あれはTVドラマではよく勝負したな
そういえば玉木宏版って原作通り昭和30年代設定にしていたレアな作品だったが
観たはずなのに、しかもそんな大昔でもないのにほとんど記憶にない…
映画よりも原作寄りだったっけ?超音波殺人は無かった気がするが 砂の器 キャスト比較
TBS版 テレビ朝日版 フジテレビ版
和賀英良 中居正広 佐々木蔵之介 中島健人
今西刑事 渡辺 謙 小林 薫 東山紀之
吉村刑事 永井 大 玉木 宏 野村周平
三木謙一 赤井英和 橋爪 功 高嶋政伸
田所大臣 故夏八木 勲 小林稔侍 北大路欣也
田所大臣の娘 京野ことみ 加藤あい 桜井日奈子 なぜ今回(フジ版)は三木謙一の巡査設定はなくなったんだろ? 捜査会議に鬼馬二がいないと寂しいな
ほっしゃんや哲太では代わりにならん 元巡査だと「殺人犯の父親に会え」が、どれほどの理不尽か分からないのはおかしい、
という事では
たかが養護園の職員なら、情だけが膨らんでそんな事も言ってくるかもしれんが >>346
NHKのニュースでたまにやってる
>>349
それはおかしい
朝ドラだって戦前、戦後を舞台にしてるドラマが普通にあるだろ
理解できないって言ってるやつは、ハンセン病を使えないことを駄作の言い訳にしてるやつと同じ部類だよ 三木が極悪人でないと残虐な方法で殴り殺すにいたる過程に説得力がない。
脚本が破綻しているドラマだったな。 今回のはここの三木大嫌いおじさんがわりと喜びそうな三木像だったけどなあ
和賀の気持ちも空気も一切察しようとしない天然のありがた迷惑おじさんって感じだったし、
ある意味で悪人よりもタチが悪い
しかも「お前は本浦千代吉の息子で、本浦誠也の弟という宿命からは…」って、
和賀が一番言われたくない事を言って精神的に追い詰めた事で殺されたわけだし
こんな直接的な言葉で追いつめたのは緒方三木でさえやってない 三木が和賀を秀夫だと分かったのって
面影もあるけど昔自分が手当てしてあげた傷が
残ってるのを見たから秀夫だって確信したのに
今回のドラマはそれがなかったのが残念すぎる
結構重要な事なのにさ。 >>361
「クビに縄かかけてでも引っ張ってくぞ」と脅した緒形三木の方が極悪だ >>363
クビに縄かけてでも引っ張ってくぞじゃなくてクビに縄がげででも引っ張っでぐぞ 平成の世にお遍路とかギャグとしか思えないんだがw中居のも舞台は現代だったけど
和賀の幼少期は昭和の設定だったから違和感
なかったのに。
あと兄貴も犯罪者とかさすがにやりすぎだろ。
中居のみたいに差別からくる犯罪ならまだしも
大した理由もなくとか秀夫一家がサイコパスの
血筋受け継いだ家庭にしか見えないw 色々批判や嘲笑は覚悟の上で砂の器を何度もやるのは結局数字取れるからだろうな。
文句言うやつほど見るしw そうです
本放送時みて、録画で再度確認。やっぱつまらん もう砂の器は忠臣蔵クラスの古典になってるからな。
大石内蔵助=今西刑事
浅野内匠頭=和賀英良
吉良上野介=三木謙一 >>370
どの特番にもある吉本枠。
大物はギャラやキャスティング、演技力の問題で使いにくいのでほっしゃん程度を端役で。 >>354
個人的には原作のトンデモな部分を削って上手くいってるのが野村版だと思う >>357
丹波の話に丹古母鬼馬二が涙堪えてるとこが泣けんだよね >>359
朝ドラは最近の奴のことなら毎年一応現代を生きる人が作った時代劇という面もあるだろうしちょっと違うと思うんだ
(原作あったり元ネタの人がいる作品は時代と共に変化させてる部分があるだろうからちょっと被ってる面もあると思うが)
言いたかったのは時代劇として近代が成立しないとかじゃなくて、朝ドラだと例えばおしんとかでも倫理観についていけないって人がちょいいるというような
明治とか昭和当時に書かれた小説の時代の価値観でよくわからん部分があった時、わからない部分を放置して現代的な考え方のみで見ると感想がズレるみたいな
砂の器の映画のようにちょっと昔の人がその時の感覚で作った作品を見る上で、当時と違う時代の人がその感覚で見ると感想として「わからない」ってものが出てくるのはあるだろうなって感じの事を言いたかったんだ
この映画の場合は病気の人が差別されるというのが実感として分からんというような感想を見たな、そこは確かに現代の人は調べないとわからん部分じゃないだろうか
江戸時代でも幕末より前だと親や祖父母がその時代生まれで話聞いた…というのも少なくなってくるから、作り手も見る側もその時代をわからない前提になるからフィクションの感覚が大きくなるんじゃ?と思う
ドラマ版知らない上擁護派の主張もわからず書き込んだからかなりズレた事書き込んでたかもしれない、ごめん なぜ血の付いたシャツを切り刻んで列車の窓から撒かなければならなかったのか?
いまだに理解できんけどなあ、焼いたり埋めたりではあかんのか? >>377
プロット的には解るけど普通はあんな目立つことしないだろって話
昔の列車は窓が開くんだろ
現実には撒いた血染めの布切れが他の窓に吸い込まれることだってあり得る
大騒ぎになるよ そんなこと言い出したら蒲田操作場で殴り殺さず拉致して殺害、どこかの山中に遺体を埋めるよ
三木謙一は旅行中に行方不明にってね >>379
あれは三木に再会して窮鼠猫を噛むような追い詰められた心理状態だったからで納得できるよ
血の付いたシャツの処分には充分な時間があったはずだから冷静な対処が可能でしょうjk
ただこればかりは清張先生に訊いてみないと判らないことだけど なぜ血の付いたシャツを切り刻んで列車の窓から撒かなければならなかったのか?
アレは変だよ 書き直せ
とホン読んだ黒澤が橋本に電話して来たらしいね
他にも色々口出しして来たらしい
橋本も黒澤撲殺したくなっただろう 和賀のキムチが判っただろう >>381
黒澤は、幻の湖の時は電話しなかったの? そもそも和賀はなぜ血染めのシャツの処分を愛人に頼んだのか
んなもん自分で穴掘って埋めるとか焼き芋焼いてるフリして焚き火で燃やすとか
いくらでもやりようはあるやん。
わざわざ足が付くようなことするとかアホなの そもそも和賀は三木謙一を殺す必要も無かった。
曲が完成してリサイタルが終わったら必ず千代吉に会いに行くことを約束したらいいだけ
三木も千代吉も和賀の出自を公にする人じゃない まさか三木が会いに来るとは思っていなかった和賀の心理状態が普通じゃなかったってことでFA ハンセン病で放浪してた子供が成り上がったのにまた引きずり降ろそうとする緒形拳は厄介だよなあ >>185
それじゃ、こちらからも1つ。
この前のドラマでは、近鉄?JR?
この作品の小説とドラマを全て見てたら、そういえば、と気付くはず。 和賀が秀夫だとどこで判ったんだろう
映画館に飾られてた写真からか
グラサンかけて年齢も相当上なのによく判ったな ■黒澤は、幻の湖の時は電話しなかったの?
コレは俺もマジで疑問に思う
絵造りは黒澤組だったから 黒澤もホンはチェックしてる筈 そもそも子供の頃からやってなくてあんなピアノ弾けるの? 砂の器の脚本を読んだ黒澤は橋本にアドバイスしたらしい。
「この三木という人物をもっとはっきり悪人として描かなければダメだ。
これではアタマが悪い観客は三木を善人と勘違いしてしまう」
黒澤は正しかったな。 三木を知る人たち「三木さんのことを悪く言う人は一人もいなかった」
どう見ても善人だろ
これで悪人だったら二重人格者だな 良い人だけど残念な人なんだろ
この時代にそういうのが伝っていたのかな? 善悪をあまりはっきり分けすぎないのが好きな所だが
民衆に広く受けるのはより分かりやすい物が多く興業として考えると完全な悪人として描かないのは冒険なんだろうな
三木は個人主義が進んでおせっかいな人物の評価が当時から変化してそう 観客に三木の行動にある無理解のむごさとかを伝わりやすいように工夫したら
父と旅した子ども時代の描写を濃くする事につながったんだろうか もし三木が善人なら、三木を殺した和賀が極悪人になってしまう。
それだと観客は和賀に感情移入できず、砂の器は映画として成り立たなくなってしまう。
したがって三木はやはり極悪人として解釈されなければならない。 最初から三木を悪徳警官として描いたらどういう展開になるのだろうね
何の益もない乞食に飯を食わせてやることもないだろうし三木の存在自体意味がなくなるんじゃね
やはり強引で頭の固いおせっかいを親切と勘違いしている人物として描くしかないか 三木は木訥な善人なのにその直球の善人らしさが逆に和賀にとっては、やっとつかんだ栄光の致命的な障害になると言う人の世の理不尽を描いて観客を泣かせたかった、に決まってるだろ。
昭和的だよなw
黒澤が三木を露骨な悪人に描けと言ったのは脚本を評価したくなかったんだろう、嫉妬で。 殺人を犯してまでも過去を隠したかった和賀
当時の乞食やハンセン氏病患者に対する忌避感を理解しないと解らんだろうな >>394
作品ができたら一切文句言わなくなったんだから、黒沢も納得したんだろ
八甲田山は、暗くて誰が誰か分からんといったいらしいが 飢餓海峡のスレで左幸子が殺されちゃうのに
「可哀相」
「あんな空気読めないアタマおかしい女は殺されて当然」
という議論が起きてるのと同じだな。 >>409
すんません、黒澤って誰?世界のクロサワ? >>410
嫌だよめんどくさいよー
タダで読めるなら我慢するけど 三木が再度映画館に足を運ぶ話の下りはドキッとするな
丹波は上手い 実は三木はホモで、それで和賀をストーカーしまくってた 和賀の人は実生活で「ボク 食べる人」を喰っていた
彼も数年前アパートで孤独死していると最近判明 今西視点、和賀視点、吉村視点のものはもう作られたから、
三木視点ってのも作ってみたら面白いと思うけどな
冒頭でいきなり殺されて、なぜ自分は殺されたのか、誰に殺されたのかも
思い出せない…という死者の霊の回想から始まり、今西の背後霊みたいな感じになって
警察の捜査を追ってゆく
最後の方で秀夫に殺されたことを思い出すが、自分はよかれと思って
父親に会ってやれと薦めたのに、なぜ殺されたのかさっぱり分からない、みたいな 和賀もあほやな
なにも殺すことない
誰かも書いとったがコンサートが終わってから会いに行けばよかったんや
世間に知られたくないならこっそりな
よほど過去を捨てたかったんかな まあ和賀の気持ちが理解できない人のほうが幸せってことだろう > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 ある日、森の中をさまよっていたヒデオはうち捨てられたピアノを見つけたんだよ もともと引き取られたガキの頃から和賀は三木が大嫌いだったんだろ。
だから逃げ出した。
それが何十年ぶりかで押しかけてきて、難癖つけられりゃ
「このジジイ、ほんとウゼーな」
と殺す気になるのは当然。 あんな弾けるようにならんだろって思わなかったのかな 初めてテレビで見て1回じゃ理解できなかった。
・血の付いたシャツの処分を愛人に任せるミラクル
・シャツを切って紙吹雪にするミラクル
・そこに新聞記者が居合わせて記事のネタにするミラクル
・新聞の小ネタを偶然目にするミラクル
・記者がその女をもう一度見かけて追いかけるミラクル
・血の付いたシャツを渓流で見つけるミラクル
これら全部が同時に発生するスーパー大大大ミラクル劇なんて起こりうるの?
私の人生経験ではここまでの偶然はないなぁ
たとえるなら今まで付き合ってきた異性全員がたまたま同じコンビニで居合わせるくらいのミラクルでしょ 今まで付き合ってきた異性がゼロな、おれへの挑戦状とみた しかし74年版は良いな
佐分利心の『ザ・政治家感』や、石川県の寂れた集落の山々
千葉県知事はベビーフェイスだね
丹波の今西刑事は、ちょっとおちゃらけ感出しすぎ 丹波はマフィアみたいな帽子被って葉巻でもくわえないと。 自分には「砂の器」はダメ、だった。
1.映画は役者が出てきたところでワクワク感がないとダメだと思う。
砂の器にはそれがないどころか、ガッカリ感しかない。
丹波哲郎、モリケン。
丹波もモリケンもテレビ止まりで映画に出るレベルの役者ではない思う。
2.ラストで芥川先生の音楽のコンサート場面と、
刑事の真相説明とが同時並行するのだが、
併せて、犯人の幼少期の放浪の場面とがシンクロしていくわけだが、
長過ぎるし、映画的なテクニックに頼りすぎておる。
実際は、コンサートはコンサート、過去は過去なのであり、
同時並行シンクロさせて、
お涙頂戴、浪花節、あまりにも情緒的、ウェットすぎる。
真相究明と放浪の映像を単体で見せた後、
コンサートはそれとシンクロさせずに、
コンサート場面のみをみせ、
コンサートを終えて誰もいなくなった静かなホールから
ただ一人、出て来て、タバコに火をつけたところに、
歩み寄る二人の刑事、
「あなたを逮捕します。」で終わらせるのがよかった、思う。
そこらが、松竹大船調の限界であり、
松竹の土着的体質が都会人に好まれない理由なり。
バタ臭い東映、
家族主義の松竹、
都会的現代的な垢抜けた東宝。
まぁ、好みの問題、やが。 わしのイメージは、
アラン・ドロンの「サムライ」とか、「スコルピオ」の終わらせ方、やな。
情緒は不要、
冷めきった犯人の孤独感を描いて欲しかった。
その意味で加藤剛も冷血感足りなかった。
「天国と地獄」の山崎努のような、寒々しさが欲しかった。
松竹では無理だが。 丹波もモリケンも映画からテレビへ進出した俳優なんだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています