砂の器 Part.1
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>>6
同じく。だから安易なリメイクが許せんと思うこともある >>11
極悪人の三木に毎日ボカボカ殴られてからな。
そりゃあ恨んで当然。 蒲田のトリスバーであんな大声で説教して、
ひとりしか感づかないのはジュークボックスがあるにせよおかしい
いま、蒲田でトリスバー「ろん」開業したら盛況だろうな そういう奴らが東京から出ていってくれたらさっぱりするんだけどなあ 子供の頃の顔しか知らない人間が写真だけ見て加藤剛をあの少年だと気づくわけがない。
でも原作はもっと色々トンでもない内容なのでそんな程度はどうでも良いです。 >>19
自分を裏切った秀夫への復讐心だけを頼りに生きてきた執念の強欲ジジイ三木だから、
気がついても不思議ではない。 シデオ!命の恩人のワシに金を貸せないとはどういうことなんだ!オイ!シデオ! 文藝春秋 2018年11月号
橋本忍が黒澤明に「造反」した日 西村雄一郎
黒澤
「この本はめちゃくちゃ 冒頭で刑事は東北へいって何もしないで帰ってくる。
映画は直線ではしる物で無駄なシーンを書いてはいけない。
時間はあるから直せ
それと野村君にこのメモを渡してくれ
ラストの演奏会シーン 、カメラは観客の視線となって一方向からしかとってはいけない 」 いくらなんでも
「首に縄かけてでも引っ張ってくぞ!」
なんて暴言吐いたらいかんだろう。
三木謙一という人間の本性があらわれた瞬間だな。 スレ主だがスレタイに
【おすすぬすんぶん】【バーベキュー】入れりゃよかった >>26
「おいっ!君っ!みんなの迷惑になるじゃないか!」 「となり食堂車だな」
「はぁ?」
「ヘイ!JOHN、ここ空いたよ」 「やると思ったらトコトlントコトンやる!三木さんという人は・・・」
こんな執念深い奴に目つけられたら、やっぱもう殺すしかないよなあ。 ああ、やっとわかった。三木叩きは三木と似てるって言ってほしかったのか >>37
「まあまあ、ビールでも飲んで。焼き鳥も冷めないうちに」 そんなことは決まっとる!
今、三木は音楽、音楽の中でしか金を強請るために和賀に会えないんだ! 三木は、原作では、純粋に英男懐かしさに会いに行ったはずだったけどなあ。ネットみんは性格が歪んでいるのか。 歪んでいるのは三木を自分の同類にしたい約ひとりだけ 画像チェックポイント
急行「鳥海」食堂車で、丹波と森田が駅弁持ち込んでビールだけとは失礼だなあ、とよく見たら手前にスライスチーズのようなものがある。 食堂車って入れ換え制とか?
乗ってすぐ陣取って大して注文もせずに何時間もいるヤツらとかいないんですか。 何回観ても感動する名作
主役、脇役も揃って上手く見応えがある リメイクは、みんな病気の設定を変えてある。そこまでのタブー扱いなのか >>46
たしかに、金の亡者の強欲老人という人格最低の人物を熱演する緒形拳には胸を打つものがあったな。 カラスマル教授はカラスマ教授の読み間違いと思っていたが、
カラスマル家という華族の家計があるんで丹波さん正解みたいな すみません、冒頭の秋田の警察署内のシーンで警察官を演じてる人、
名前が思い出せないんでご教示くださいm(_ _)m
よろしくお願いします 山谷初男にしては珍しくまともで善良な人の役だったな。
まあ緒形拳は珍しく極悪人の役だったけど。 山谷初男はツイゴイネルワイゼンでも田舎の実直な巡査やってたなぁ
ツイゴイネルでは原田芳雄の怪しさにテンパってたが 「今夜は最高!」で、女の脱いだハイヒールにブランデーを注いで飲んでた>>山谷初男 1974年『キネマ旬報』ベスト10
1位 サンダカン八番娼館 望郷
2位 砂の器
サンダカンでの山谷初男は、東京から来た女性研究者の栗原小巻をレイプしようとする田舎のゲスオヤジ >>44
西鉄ライオンズの連中は移動のたびに食堂車を占領して
積み込んであるアルコール類を飲み干していたとか
なにせ道中長いから >>65
当時の世の中に少し興味あって調べてみました。
西鉄の活動期間が1951年~72年で、山陽新幹線が開業するのは1972年なので本州方面への遠征は在来線。
ちなみに飛行機利用に関しては米軍から福岡空港のほぼ返還が終わったのが1972年だそうでそれ以降です。
当時選手たちが利用していた在来線は多分鹿児島東京間の急行で1949年には戦前の一等客車用ほど本格的で無いにしろすでにビュッフェ車両が連結されていたそうなので西鉄の選手たちは最古参の人たちも博多東京間でビュッフェを利用できました。
そして1956年にはブルートレインの先駆となる東京博多間寝台特急あさかぜが開業し、より本格的な食堂車が連結されたそうです。
ちなみに当時のあさかぜのメニューの値段はビーフステーキ440円コーヒー50円、山手線が10円だったそうです。
選手たちの年棒は中々書いてないのですが1960年の球界最高年棒が金田正一選手の1250万円、1969年の球界最高年棒が長嶋茂雄選手の4000万円だそうです。
多分西鉄のスター選手たちにとってはあさかぜのビーフステーキでも値段的には現代のサラリーマンにとっての吉野家レベルに見えていた感じ。
食堂車で飲み食いしまくっても財布的には余裕はあったでしょう。 食堂車に駅弁を持ち込みビールとチーズだけ頼んだ揚句、
「あ、お姉さん!お茶くれる?」
だもんな マクドナルドに宿泊していた連中からみたらかわいいものじゃないか 「贅沢な旅行をさせてもらったよ…」のお茶がめちゃくちゃ美味しそう 森田健作のかきこむ丼モノが異様にうまそう。
あと、二人が地元の人からもらうデカい瓜がうまそう。 極悪人の三木謙一が秀夫と食ってるメシも美味そうだな ここまで、地図を見ながらの丹波のアイスクリームなし 野村芳太郎といえば「張込み」の急行さつまのシーンが印象的だね
鉄道に対する愛が感じられる。乗り鉄っぽいな 東北勤務時代にサボって営業車で羽後亀田駅に行ってみたが、全くの片鱗も無かった。
青梅線かなんかで撮ったんじゃね?
染め物も多摩川の上流とか >>80
これがいいですねえ
うん、国語研究所の桑原さんにね念を押したんだがね。
そしたらね、カメダケかもしれないけど、そんなこと
はどうだっていいってよ。というのはだね、ズーズー
弁っていうのは、語尾がはっきりしないのが特徴なん
だそうだ。だから、カメダケにしてもカメダカにして
も、ズーズー弁の人が発音するとね、我々の耳には、
カメダに聞こえるって、カメダだよ。 そういや橋本忍が黒澤天皇に台本見せたら「これじゃ当たらんよ」と言われたとか 黒澤
「この三木巡査という人物の描き方が物足りないな。もっと毒々しい極悪人として描かないと」 事件発生時、昭和46年の世の中
物価 
封書15円 はがき7円
【飲食】ビール140円、かけそば100円
【雑誌】「週刊朝日」80円(1月)
【新聞購読料】朝日新聞朝夕刊セット月決め900円(4月)
新商品・ヒット商品
カラオケ機器 エイトジューク[井上大佑(1972年にクレセントを設立、1998年に倒産)]
<世界初のカラオケ。カーステレオにアンプとマイクをつけ、100円で5分間動くタイマーを組み込んだ。神戸でスナックやクラブにレンタル>
アメリカンクラッカー[アサヒ玩具](3月6日発売)
スマイルバッジ[サンスター文具、100円]
アメリカンクラッカー[アサヒ玩具、200円]
日用品
ピット[トンボ鉛筆、100円]
<国産初のスティックタイプの固形のり> 
マウスペット[ライオン歯磨(現=ライオン)、200円]
<容器の口をそのまま口に向けて約3秒間スプレーする口臭防止剤>
食品・嗜好品
カップ麺 カップヌードル[日清食品、100円](9月18日発売)
<世界初のカップ麺だったが販売価格も高いこともあり売れ行きに不安があった。当初は販売区域を東京都区内に限定し、夜勤が多い職場をターゲットにしていった。11月には銀座の歩行者天国で販売を開始、若者を中心に人気を呼んでやがて熱狂的に支持されるようになった>
即限定席麺 サッポロ一番 ソースやきそば[サンヨー食品](4月発売)
オールアルミ缶ビール[アサヒビール、350ml 90円]
http://imgur.com/pbowPpf.jpg 千葉県知事にあの丼は何だったのか存命中に訊いておきたい モリケンは昔、映画に出たらもちろん試写で見るが、
映画館で金を払って「二回目」を見たのは砂の器だけだと言っていた モリケンって基本的に歌手?タレント?俳優?
何でブレイクしたのかイマイチ知らんからよくわからん。 青春ドラマで売り出した俳優兼歌手だよ。中村雅俊のジャンル。
しかし中村ほどの演技の素養はなく、70年代後半に失速したが、
80年代の軽チャーブームで「俺は男だ」あたりの夕陽の遠吠えが嘲笑される形で色物として復活。
何だかんだで今まで上手く生き延びているね。 モリケンのライバルは石橋正次だった。
まだジャニーズが幅をきかせてない時代だったからね。
野村芳太郎作品のモリケンということでは
人情喜劇の「東京ド真ン中」の時の方がいい味出してる。 >>90
解説ありがとうございます。
中村雅俊はよく知ってるがモリケンの青春スターイメージはなかった。 森田健作は「おれは男だ」に尽きるのでは
高度経済成長期で日本人はみな将来は明るいと漠然と考えていた。
そのノホホンとした時代の雰囲気を、図らずも森田の能天気な演技が
よく映し出していた。
映像の中の稲村ヶ崎や七里ヶ浜は現在よりもむしろ明るく今っぽく見える
脚本は鎌田敏夫や石森史郎などの一流どころが担当、
健在だった松竹大船撮影所のカメラワークもなかなか凝っていた 森田健作は笠智衆を知らず舐めた態度だったが そういう役だったので
周囲も黙っていたらしい
「十三人の刺客」稲垣吾郎も松本白鸚を知らなかったが(松たか子の父だとさえ知らなかったらしい)
舐めてる設定だったので上に同じ 別に明るいと思ってはいなかったと思うけどね。
能天気というが、当時の高校生の進学率はまだ30%足らず、今の半分くらい。
ドラマの登場人物は社会へ出る一歩手前の人生を生きていたわけだ。
日本社会もまだまだ貧しかった。ただ平均年齢が若く、そろそろ団塊の世代が
親になり始めるころで子供がどんどん生まれていたから悲観的になっている
暇がなかったとは言えるだろうな。 >>89
剣道ドラマの主人公で主題歌も歌って一世を風靡したアイドル俳優
アイドルといっても当時のナヨナヨ系ではなく清潔で硬派なイメージで売った
昔は女性アイドル、今はお笑いタレントで有名なサンミュージックは
モリケンのマネジメントのために作られたプロダクション >>99
小林くんの家は稲村ヶ崎駅近くの路地沿いだね
「こりゃあいい街に引っ越してきたぞぉ、トー!」 そう、森田健作をスカウトした故相澤氏が、
「こいつは太陽みたいなイメージ明るく売りたい」
として設立した会社がサンミュージック。
その後は桜田淳子、都はるみ、松田聖子を得て、森田の低迷には関係なく巨大な事務所になっていった。
そしてその人たちが次々と独立していっても、森田は今なおサンミュージック所属。 ガキの頃、日テレ平日の16時台はいつも学園青春モノの再放送やってたな。
学校から帰って毎日見てた。 相澤秀禎氏はコワモテ揃いの芸能プロ社長の中にあって
温厚な性格の人格者として信望が篤くタレントたちから慕われた。
サンミュージックの歴史において唯一といってもいい暗雲は
日の出の勢いでアイドル街道を走っていた岡田有希子の飛び降り自殺である。
様々な憶測が流れたが相澤氏は終生固い沈黙を守った スレ違いの展開になってるな。
さてそろそろ本題の極悪人・三木謙一の話に戻ろうか。 >>105
松田聖子の度重なる恋愛スキャンダル
酒井法子の逮捕
を忘れちゃいけない そりゃあ、秀夫に復讐することだけを生き甲斐にして生きてきた執念のジジイ三木だから見抜くだろ。当然。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています