原節子を大いに語ろう。Part11.
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原節子は、戦前の10代からしっかり自己主張していて、それが生意気だと受け取られてしまう。特に戦前は男尊女卑が高いから、俳優の世界も変わらないなぁ。生意気は賛成だ。 「上海陸戦隊」(1939)ー上海にいった原節子。
「上海の街は…無残な荒れ果てた街となってしまった…戦争には、どんなことをしても勝たなければいけない、とかたく思いました」(1939)ー軍国の優等生となる原節子。 >>879
「なんともうしましょうか〜、はいポン!」
なんて言ってたりしてw 原節子は現役の頃の麻雀仲間は、久我美子、淡路恵子、乙羽信子、中北千枝子ら。 91年のゴジラ映画を観てたら山村聡が出てた ちと驚いた
その映画のトメは土屋嘉男 知ってる俳優さんだけどかなり意外
山村聡は真ん中あたりの単独クレジットだが長年功労の敬意を表して(特出)くらいは入れてもえんでないか?と思ったわ なんか、山村聰や佐分利信は特別枠でいいかもしれない。黄金期の俳優だ。節ちゃんがいればね。 「日本誕生」の映画では、山照大神をやった原節子のクレジットは、一番最後にでていたな。
これも特別枠かな。 ラストクレジットは作品のトメ俳優で、
特出や友情はクレジット中間以降に単独もしくは連名で記されることが多い >>886 天照大神の誤り
原節子は戦前から潔癖な女優であり、17歳から水着や入浴を拒否する。が、「わが青春に悔なし」「晩春」「麦秋」での乳首浮き出るサービスショットは、どう考えたらいいんだろう。
考えると眠れない。 原節子さんは、演技で必要とあれば「ブラをしない」。戦後直後はブラジャーはなかったのでしょうか。 原節子が拳銃を撃った映画ー「望楼の決死隊」
原節子が拳銃に撃たれて死んでしまう映画ー「颱風圏の女」
後者はサスペンス映画。演出がイマイチだった。 原節子が拳銃を握る映画に、「安城家の舞踏会」がある。 >>889
原節子よりは一世代下の母が学校の裁縫の授業でブラジャー作ったと言ってます ブラジャーの歴史を見ると、日本では1929年に「乳房バンド」が出現したが、あまり流行らなかった。戦後、1949年「ブラパッド」が大流行した。戦後直後には、女優はブラよりスリップの方が多いのではないか。 >>893
裁縫の授業でブラを作ったの。高等女学校でかな。戦後じゃないよね。
俺は小学校のとき、ミシンで何を作ったか忘れた。枕カバーか。節子さんはミシンのCMに出てるから、上手いよね。 >>895
今本人に聞いたら学校の授業ではなくて昭和28年頃文化服装学院に洋裁習いに行った時だそうです 文化服装学院で洋裁を習った。モダン!
洋裁ができると、洋服から下着まで全て作れるようになるんですか。商売ができますね。
原節子は編み物の写真を見てるので、編み物は得意かも。 原節子にも、デザイナーのような配役も、やって欲しかったね。そういう原作がなかったか。 原節子は、16歳のときドイツからフランスに行ったとき、監督のジュリアン・デュヴィヴィエとジャン・ルノワールに会い、映画を撮ろうといわれる。特にデュヴィヴィエは、日本で撮ろうと提案した。「望郷」は良かった。 「望郷」をみて、俺はジャン・ギャバンをしった。原節子は、彼との共演もありえたかもね。
ジャン・ルノワールも、フランスで原節子と「蟹工船」が撮りたいと。エー。 小津映画は、反戦を大上段にアピールしないが、小津なりの方法で戦っているよね。ホームドラマだが、戦争と直結している。紀子三部作をみても分かるね。原節子自身も戦争は嫌いだった。 衣更えの季節。こういう日は、原節子のどういう映画をみたらいいのか。
「魂を投げろ」(1935)あたりか。30分程の映像しか残っていない。美少女ぶりがハンパない。
今日は仕事だ。 日本が降伏し進駐軍が上陸占領すると多くの日本人女性が強姦された
それまで日本に付いていた朝鮮人たちも進駐軍側に寝返り我々は戦勝国民の第三国人だと愚連隊を組み日本人女性を強姦しまくった
こんな苛烈な状況で当時20才と美しさもピークだった原さんはどのように貞操を守ったのだろ、警察も暴徒に襲われ無力化、敗戦国民の日本人は抵抗できなかった様だし >>905
敗戦の日。1945年8月15日、原節子は25歳だよ。1920.6月生まれだから。勿論、無防備にあちこち歩かない。家族のために、コメなど苦労して入手してるね。 戦前の天皇制国家は戦争ばかり。
戦後の民主国家になったので、簡単には戦争はできない。原節子は国策映画に多く出演し、
これも政府の責任で、ある面では犠牲者かな。
普通の映画に出たかったよね。 戦前の日本国民は天皇と軍部の圧政のもとにあり、暗い世界だった。
なんてサヨク史観をここで述べても無駄だよ。
ここにいる人は戦前の映画を通して、昔だって人々はたくましく、
それなりに楽しく生きていたことを知っているのだから。 H)原さんのお父さんは会社員ということですが、どんなお仕事だったんでしょう。A)貿易関係かしら。M)モダンな人だったわね。A)モダンで堀の深い綺麗な人だった。h)彫り深いでしょ、だから何代か前に北欧系が入っているなんていう話もきいたけど。 M)ちょっと外人系の顔をしていたもの。h)お父さんは特にそうだもの。M)そんなに背は高くなかったけど。だけどなにしろ彫りが深い。
h)だから昌江ちゃんだって、ちょっとね。
昌江=原節子 堀内正美という俳優知っているかい。最近知った。原節子が親友の結髪師中尾さかゑ宅の隣に住んでいた。節子がさかゑ宅に遊びに来ると、子供だった正美も遊んでいて、原節子から「まあちゃん」と呼ばれ可愛がられていた。彼の父親は堀内甲で映画監督。 堀内正美は映画、TV、舞台で活躍する。朝ドラ、大河ドラマ、渡鬼やウルトラシリーズなどに出演。昨年の大河ドラマ「西郷どん」にも出演。今年も映画2本出演。69歳。子供のとき、原節子に膝枕をしてもらった。「まあちゃん」になりたいよ。 俳優堀内正美さんは、全く面識はありませんが、昨日僕のツイッターにフォロワーになってくれた。これも、原節子さまが結び付けてくれたということでしょうか。 蒼井優が結婚したね。南海キャンディーズの山里亮太と。山崎静代(しずちゃん)が、蒼井優と「フラガール」で共演して、共通の友人ができたのか。「東京家族」などで山田洋次作品にでいるから、彼はがっかりしたか? 33歳。原節子は「東京物語」(1953)に出演した年だね。 蒼井優は山田洋次の映画に、何本か出ているから気に入られている。結婚して、ガッカリか。でも、監督も88歳だから映画を撮るのは難しいかな。小津は60歳で早すぎたが。節ちゃんは、6本出演か。 蒼井優の結婚。結局は「フラガール」が縁ということか。蒼井優はやはり田舎の女性のイメージがあり、垢抜けていないところがいいね。
原節子は西洋風だから、それもいい。 堀内 甲(ほりうち まさる)
敗戦後の1946年、東宝撮影所に入社。黒澤明監督に師事。『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』に助監督として参加。
1951年、レッド・パージで退社。1952年、近代映画協会の同人となり『縮図』『夜明け前』などで新藤兼人、吉村公三郎の助監督を務め、
1956年東映教育映画部製作『オルガン物語』で監督デビューする。
教育映画 六人姉妹 1959
https://www.youtube.com/watch?v=DHMy6WJLyFE
教育映画 続 六人姉妹 1962
https://www.youtube.com/watch?v=DsXHKR8JY8U >>921 堀内正美は、父親の甲と原節子について詳しく語っている。キネマ旬報が、原節子死去のときに原節子特集に、正美は色々書いている。子供の頃、隣家の中尾さかゑ宅に原節子が来たとき、膝枕をしてもらったり、まーちゃんと呼ばれ可愛がられたというね。 堀内甲は、「わが青春に悔なし」の助監督をしていたとき、撮影終了後、原節子よりネクタイを贈られた。そのことが、とても嬉しかったそうだ。晩年になり、息子の正美に挙げており、正美は特別な日にそのネクタイを付けるという。 山田洋次が、蒼井優は原節子の再来といっていると、誰かがいっていた。これは本当かよ。
まだ、分からんな。 蒼井優が原節子の再来
令和を象徴する女優になれるでしょうか。
今後にかかりますね。
浅田美代子の汚れ役。遅すぎるけど、映画女優だったのかしら。 蒼井優は、楽に生きていける山ちゃんを選んだ。
華やかさは原節子には及ばないけど、けっこう好きだな。田舎もののイメージ さすが、自称小津安二郎の後継監督。
言うことが斜め上過ぎ。
こんなこと言われたら、本人が一番迷惑だろ。 蒼井優は、「東京家族」に紀子役で出てる。
彼女は原節子の映画では、「めし」がとくに好きだといっている。結構みている。
「フラガール」の福島の方言は似合っていたね。 だから、原節子のスレで、当人とは似ても似つかないタレントの話題は止めろって。 来年は原節子生誕100年。石井妙子さんがいっていたけど、イベントがあるらしく期待している。原節子に関わる本を刊行した北村匡平氏も、イベントを計画している。楽しみだな。 「戦争中は恋愛なぞ考えるいとまもありませんでした。だけれど唯誰かを愛していなければあの大苦痛、狂いそうな時間の連続には耐えられないような気がしました」(原節子「民報」1947.5) 誰かに恋していたと思う。誰? 黒澤? 俺は原節子の命日は知っているが、母親の命日は自信がない。これは親不孝かな。 今日、6月10日は早川雪洲の誕生日。原節子の父親をやった「新しき土」(1937)くらいしか知らない。この時の原節子は神々しいね。これをみて、ファンになった人が多い。 円谷某が、最初に特殊撮影を実施したのが「新しき土」だと思う。
特殊撮影で最も有名な映画は、「ハワイマレー沖海戦」だと思う。戦前は。いずれも、節ちやんが出てるね。 「戦場にかける橋」には「嫁ぐ日まで」で原節子に振られた大川平八郎(ヘンリー大川)が出てるよね。 円谷某の映画で若林映子を改めて観たが、さすがにボンドガールに選ばれる美しさ
時代は刻々と変わってるんだなと思ったわ
原節子がボンドガール選ばれるとしたら晩春の頃の美しい風貌のときかなと >>941
同意。27歳〜29歳くらい。
原節子、超絶の時期かな。 原節子は、26歳〜33歳位が美しさのピーク。
でも、「決戦の大空へ」(1943)、「阿片戦争」(143.1)の22歳〜23歳の時期は、それまでの少女顔とは違っている。大人びているよ。「東京の女性」(1939)は19歳で、大人への移行の時期。今の人から見れば24.25歳にはみえるが。 俺は原節子のファンになって5年くらい。彼女の死去の報道は、メディア関係者によれば、その前の高峰秀子や山田五十鈴らに比べて大きかったと。それは今年死去した京マチ子のそれをみて分かったよ。原節子は、「伝説の女優」だから特別かもしれない。 それだけではないな。
43歳でお隠れになり、それを死ぬまで通したことが、原節子を神格化させたと思う。各評論家が、最後まで意志を貫いたことをありがとう、といつていた。めでたいと。
沈黙は金なり、だな。 原節子さんの生誕日が近づいてきました。
皆さま、6月17日です。
仕事に行かなくては。 原節子と森光子って同じ年なんだね、この二人実に対照的な人生歩んでる
原は持って生まれた華と美しさでデビューから別格のスターで常にスポットライトを浴び数々の名作に出演、43で引退するとその存在は以降半世紀伝説となった
一方原の様な美貌も華もない森は、映画に出ても端役で一向に芽が出ず、結核で死亡説が出たりと長い長い下積みを経験した苦労人
そんな森が放浪記に出会い主演を演じたのが43の時、それは原が女優を引退した年だった
そして、テレビの時代になるとようやく本領発揮、日本のお母さんと呼ばれる活躍し、以降半世紀、生涯女優を貫いた 節子といえど老いて若い子が好きになって、ジャニーズカウントダウンに毎年出てたかもしれんな両脇にマッチさんとヒガシを従えて() >>949
森光子は、映画ではなくてTVで成功した。
舞台も頑張って成功した。努力家だよね。
華やかさはないが、TV女優のイメージ。成瀬映画で脇役をやった。 映画では芽が出ずテレビで有名になった俳優は結構多いよね。
田村正和もその口。兄の高廣に比べて映画の広いスクリーンでは全く見栄えしなかった。 代表作
モーやん!
もしくは
田村三兄弟の一番下という呼称 田村三兄弟では高廣が最も阪妻に顔が似ているが、映画デビュー当時は台詞が棒読みで演技は最低レベルだった。
しかし、徐々に演技派に脱皮して名優として名を馳せた。変に時代劇に拘らず演技力の向上に専念した結果だろう。
正和は少年時代から有名監督の作品に出て将来の二枚目俳優として期待されていた。ところが、大人になってもなぜか伸び悩み。
結局テレビに転身して成功した。以降、映画にも何本か出演したが、残念ながらこれといったヒット映画は無い。
テレビでは眠狂四郎など演じたが、ブラウン管の小さな画面ではよく見えても、銀幕ではなぜか映えないというテレビ俳優の典型例。
比較するのも可哀想だが、阪妻や雷蔵など、映画のスクリーンでこそ映えるスター俳優とは格が違う。
原節子も「銀幕スター」の一人。
40代前半で引退し、テレビなど出ずに本当に良かったと思う。
なお、末っ子の亮はあまりにも演技力が無さすぎ。顔は二枚目だが、それだけでは映画でもテレビでもトップを張るのは難しい。
正和も演技は今一だが、雰囲気を漂わせるテクニックに長けていたのと、テレビでは相手役に恵まれていた。
スレ違いの長文失礼。 そういえば田村正和は、木下恵介映画でデビュー。タイトル忘れた。印象に残らず。
やはりテレビ俳優か。テレビには合ったね。
原節子は銀幕が一番映えた。大きな瞳。 原節子と森光子はウサギとカメだな
華麗で美しい原ウサギは鮮やかに疾走し大輪の花を咲かせ続けた
地味で冴えない森カメはゆっくり着実に歩み、最後に花を咲かせた >>956
「永遠の人」での高校生の役。
木下恵介監督の最高傑作。 >>957 うさぎと亀にたとえたのは、言い得て妙。その亀は、マルチタレントで名誉欲は半端なかった。いつ文化勲章貰えるかと。原節子は、早く自分の事を忘れて欲しいと思い、勲章も拒否。亀は東山が好きだったね。小津や黒澤映画などで国際的女優原節子。 森さんは小津映画の常連の一人、杉村春子を生涯の師と仰いだね
原さんに関しては持って生まれた天分が違いすぎる別世界の人と思ってたのかな 原節子と森光子は1920年に生まれて1935年に映画女優としてデビュー、
そして90歳を超える長寿だったと共通点も多いけど共演はなく、
戦前の活動拠点が東京・京都と分かれていたので、面識すらほとんどなかったかも。
ちなみに森光子は小津作品に出ていそうで出ていない女優の筆頭だけど、
小津の遺作となった「秋刀魚の味」の次回作として構想され、渋谷実監督によって
制作されて1965年の正月に公開された「大根と人参」には出演している。 森光子は映画会社に入っていたかしら。
やはり、テレビ時代に活躍できた人。映画女優としてはパッとせず。「時間ですよ」あたりからか。マルチタレントだね。杉村春子は、森をよくは思っていない。原節子とは仲がいいが。 渋谷実の「大根と人参」は全然焦点が定まらない凡作。
これが戦前に名を馳せた名匠の晩年作かと思うと泣けてくるほどの出来映え。
むしろ、この題材を小津が監督していたらどんな作品になってろうかと思ってしまった。 澁谷實の代表作は、一般には「本日休診」か「現代人」といわれている。
自分は、戦前の「或る女」が好き。田中絹代主演で若き日の佐野周二が共演。過酷な運命に翻弄される女性の半生を見事に描いた傑作。
コミカルものもシリアスものも器用にこなす名匠だった。木下恵介の先輩だが、戦後には完全に名声が逆転した。 渋谷実は「もづ」も撮っていた。つべでみた。「本日休診」は、小津が批判していなかっか。 >>966
◯ 小津が批判していなかったか。
批判していたような。原節子は、渋谷実映画にはでてないよね。 明日は、原節子様の生誕日。
健在なら1920年生まれだから、99歳ですね。
悲しい😭ね。 原節子の兄弟姉妹で、唯一すぐ上の姉が健在だった。原節子の死去した2015年の暮れ。
今はどうしているだろう。 原節子は、今日6月17日は生誕日。
1920年生まれだから、健在なら99歳。 原節子さんは、今日6月17日が誕生日ですね。生誕祭!好きな映画ー小津では「晩春」、黒澤ー「わが青春に悔なし」、成瀬ー「めし」か「驟雨」、木下ー「お嬢さん乾杯」、今井ー「青い山脈」、山薩ー「熱風」、島津ー「母の地図」、伏水ー「東京の女性」。以下、略。 原節子。戦前の映画ベスト10. みた映画の中で、
1.東京の女性、2.熱風、3.母の地図、4.望楼の決死隊、5.河内山宗俊、6.嫁ぐ日まで、7.巨人伝、
8.指導物語、9.母の曲、10.結婚の生態
皆んなはどうだい? >>972
3789が未見。
「巨人伝」て「レミゼラブル」の翻案だっけ?だとすると、原節子はコゼット役かぁ…
激しく見たいぞ。 >>973
「巨人伝」は、「レミゼラブル」の翻案映画。
昨年、三鷹市でみた。原節子はコゼットだよ。
西南戦争が背景にあり、1877年・明治10年が時代背景。ジャンバルジャンは大河内伝次郎。 >>974
首都圏の人は羨ましいな。
九州の片田舎では見たくても見れない。DVD出ないもんかな。
大河内のジャンバルジャンは適役だと思う。ウィキで見るとジャベール警部は丸山定夫か。ちょっと頼りなさそうw 九州の片田舎では、原節子なんかの戦前の映画はみられないね。同情する。「巨人伝」のジャベールの丸山定夫は、なかなかよかったよ。彼は演技派。原節子とは「母の曲」(つべにある。タイトルは違っているが)、などで共演。 丸山定夫は青年役から老人役まで、実に演技の幅の広い名優だったよね。
あまりに上手すぎて、少々演劇風の臭みが気になる作品もあった。
「巨人伝」では警部が自殺するシーンまであるのかな? 「巨人伝」では、ジャベール丸山定夫は自殺はしてないね。一度しかみていないが。原節子とは、「母の曲」。「指導物語」では親子。これはいい父親だった。他にも、原節子の父親の映画があったな。「二人の世界」だ。未見。まだある。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。