原節子を大いに語ろう。Part11.
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>>282
訂正。
「元禄忠臣蔵」は、正確には戦中の作品だね。 >>277
溝口の遺作「赤線地帯」にも出演。
「西鶴」もそうだけど姉貞子とも出演してる。 >>278
吉永小百合みたいな、眼だけがデカくて主張ばっかりするわがままなションベン小娘と原節子を比べたら、原節子に失礼!
>>281
そうそうそう、北朝鮮に日本人を沢山移住させてしまった偶像勘違いアイドルの方 >>284
「大番」では、加東大介が子供で、母親が沢村貞子だった。原節子は沢村貞子とは古く、「緑の地平線」(1935)。デビューから4作目。初のトーキー映画だったなぁ。 沢村貞子は朝ドラの「お貞ちゃん」で演じられたんだよね。新劇出身だから左翼で、刑務所にも入ったらしい。原節子も、朝ドラでやって欲しいな。 脇役とはいえ、日本六大監督(小津・溝口・成瀬・今井・木下・黒澤)の作品に出てる男優は加東大介くらいじゃなかったかな?
三井弘次は溝口作品に出てたかな?
女優では、香川京子と久我美子がいたと思うが。 >>279
「西鶴一代女」(1952)では、市川莚司ではなくて加東大介の名前で出ているのではないか。戦後だし、wikiには加東大介とあるね。 >>288
三井弘次の溝口作品は共同監督だけど「必勝歌」だけかな?
あと戦前戦後通じて貴重な脇役男優だった田中春男と菅井一郎も
6監督の作品に出演してる。 原節子については素人でよく知らんのだが、東京物語、めし、晩春、青い山脈、その他
小津監督の題名は忘れた数本の映画を近頃、見た。
めしが一番よかったね。 >>291
「めし」は傑作ですね。原節子の東宝復帰第一作目。プロデューサーから成瀬は離婚させないでくれといわれ、毎日映画コンクール監督賞を受賞。原節子も同女優賞となる(麦秋と同時に受賞)。いろいろみて下さい。 1951年のキネ旬ベストテンでは「麦秋」「めし」の原節子主演作がワンツーフィニッシュだね。
当時は「ムギとメシとの争い」といわれたとか…
自分の主演作品がその年の1位2位というのも俳優冥利に尽きるだろうね。しかも別の監督の作品で全く異なる性格の主人公を演じているという…
他にそんな実績のある俳優いたかな? 1949年にも原節子は、キネ旬1位晩春、2位青い山脈、6位お嬢さん乾杯、で毎日映画コンクール女優賞を受賞した。小津は監督賞は受賞したかは不明だ? なるほど。
戦後のこの頃が原節子の絶頂期と言っていいかな?
結構、いろんな役柄を演じ分けているよね。自分は「麦秋」で女友達とふざけまくるところが好き。 「麦秋」のガールズトークはいいね。でも俺は、小津映画では「晩春」が一番好きだなぁ。「お嬢さん乾杯」の原節子が、1番、いや、「青い山脈」の彼女と同じくらい美人だな。28.29歳あたりが、いい女だね。 正月に、原節子の出ている映画を映画館でみられて嬉しいね。今回は成瀬巳喜男特集。「山の音」と「女が階段を上がるとき」の2本みた。デコの銀座の雇われバーのママも悪くはない。 東宝芸能の所属で、原節子の後継者は誰になるだろうか。あるいはいないか。沢口靖子がデビューしたとき、幹部らが原節子と名づけようとした。正統派美人ゆえだが、今はすっかりTV女優だ。期待できない。強烈な映画監督もいないけと……。 IDは変えているが、相変わらずすべて同じ文体
タブレットからだとIDは毎回変わるしな 「…….私が訪ねていくと、「薩ちゃん先生、お酒飲みましょう」といって、ビールを出してきた。あまり酒のない時代だったから、遠慮しながら飲んでいたのだが、どんどんビールが出てきて、とうとう二人で1ダースぐらい飲んでしまった…」(山本薩夫) >>300
そげなこといってる暇があったら書きやがれ 1950年頃、古澤憲吾助監督は女優に恋をしていたことがあった。それが原節子。古澤はクレージーシリーズで有名ですね。 つべで「北の三人」(1945.8.5)の特撮を6分程やっている。みなさん、見て下さい。佐伯清監督。原節子・高峰秀子・山根寿子が主役で、デコと山根さんは出ている。藤田進も。円谷の特撮 昭和残侠伝シリーズが有名です。佐伯清は東宝から新東宝、東映へ行きますね。「かけ出し時代」(1947)で、原節子と撮っています。つべにあり。 「…私が東宝入社以来、自分の作品にはずっと出ているので、節子さんの方もすっかり馴れて、近頃ではなかなかよく喋ります…この人が巧くなったら素晴らしいだろうな…この人を大成させるのは自分の義務であるような気がします」(島津保次郎、1940.6月) 原節子の女優の形成過程において、島津保次郎の影響はどれ程だったかな。演技の師匠か? まあ、確かにそうたな。島津の6作品。1.「光と影」(前・後編)、2.「嫁ぐ日まで」3.「二人の世界」、4.「兄の花嫁」、5「緑の大地」、6.「母の地図」。俺は1.3.4は観てない。まだファンになって5年位なので。6作品みた人は尊敬する。 「緑の大地」は、嫉妬心に燃える原節子という、他にはないシチュエーションが見もの。
俺は画像の悪いつべで見たが、画質のいいバージョンでもう一度見てみたい。戦中の国策映画で、池部良も出てるので、映画史的に意味深い作品。 連投失礼。「緑の大地」は、2017年に原節子追悼で国立アーカイブでみたよ。ここでフィルムをもっているから。池部良の中国人役はデビュー作か? 嫉妬する原節子いいな。 「兄の花嫁」は、原節子が山田五十鈴と共演した映画。誰かみた人はいるかい。観たいな。 山田五十鈴と原節子は戦前は同じ東宝だけど、共演は1作品だけかな? これは目指す方向が違うということか。山田五十鈴は芸道ものが多い。 福井市メトロ劇場 1月12日〜18日
10時〜晩春
12時10分 東京物語 13日〜14日、16〜17日
早春 12日、15日、18日
その他 福井市方面の方はみて下さい。 今のガッキーとか高畑充希?とか、人気あるみたいだけど、女優ではなくアイドルという感じだ。原節子やデコや倍賞千恵子あたりが、女優だよね。TV女優はTVで満足して映画にはでないのかな。 山中貞雄作品は3作品しか残ってないが、ときどきみたくなる。「河内山宗俊」の原節子なら、俺だって助けたくなる。 原節子の前でデレデレする翫右衛門が面白おかしいよね。
十代の節子さんはキンキン声で頭から声が出てるみたいw 頭から声が出ているのは、まだ発声の訓練ができていないからかもw。島津保次郎監督に、発声から教わり、徐々に変わるよね。低音になるというか。落ち着いてくるという感じかしら。 以前話題に挙がったと思うが、高峰秀子も、十代の頃の甘え声が戦後になってぐっと大人びた声に変わっているよね。
高峰はボイトレに励んだそうだが、原節子もボイトレやったのかな? 原節子は歌うために、ある教師について稽古していたのでボイストレーニングはやっていた。歌う稽古をしても、映画では歌うシーンはめったになかったね。「晩春」で、鼻歌を歌い音痴でないことが分かる。実際に1人で歌ったのは、「美しき母」か。 昨日の堺正章の、ファミリーヒストリーで父親の堺駿二が「新しき土」のエキストラに出演した。最初の映画出演だった。それが伊丹万作版だ。ファンク版は持っているが、日英版の伊丹版はまだみてない。日英版みた人はいるかい? 早川雪洲は国際的俳優。日本で劇団のようなものを作っていて、それに堺駿二さんが参加していたのは知りませんでした。その縁で、「新しき土」にエキストラで出たのでしようね。原節子さんとは話しをしたのかしら。原さんは8歳歳下ですね。 堺駿二を知らない人が原節子のスレに来ているという不思議。
若者なのかな? 原節子は、昨年末のTVドラマ「獣になれない私たち」に、壁紙や写真などで登場しているから
、若いひとが知っていてもおかしくはないぜ。 40代は堺駿二を知らない。俺は原節子を知ったのは、今から5.6年前だ。映画に関心がなかったからね。原節子さんが、20代の頃に生きていたかった。 堺駿二は、エノケンに似た芸風の俳優だったよね。息子の正章もこの芸風を継承したマルチタレント。
東宝の沢村いき雄もそうだし、昔の映画界には、こういう小柄でちょこまか動き回るコメディアンがよくいたよね。 エノケンは戦前から人気があった。原節子とも共演してないか? 不明。 タイムスリップができたら、俺は1937年3月10日にスリップし、東京駅からドイツに出発する原節子に会いにいき、せっちゃーん、と呼びたいな。2000人も来たらしい。ファンが。 せっ、せっ、せっ、せっ、…せっちゃーん!
三船敏郎や黒澤明も、せっちゃんと呼んていた。 戦後、東宝で日米合作映画の計画があったね。「旅愁」ー原節子が主演の予定がダメになった。残念だった。 没になってよかったんじゃない?
外国との合作映画なんて、ろくなのがないからw 旅愁は監督候補が久虎があがった
予算でダメになつたと聞いている。
原作がだれだったか、日本作家。 せっちゃんはデビューから数年間はとても人見知りする性格。いつも笑えるエピソードあり。1人銀ブラしていたら、いつの間にファンが後を付けて来てデパートに逃げるせっちゃん。そこで助けてもらう。「だって、私が悪いことしてないのに追っかけて来て」と泣く。w 横光利一も知らない無教養な輩が原節子を論じるとは片腹痛いw 俺も「旅愁」は聞いたことがある。原作を読んだことはないが、パリでの出来事があり、好きなパリにいけると、原節子は思ったらしいですね。 原節子は将来先生になろうかと思ったほど学校での成績が良く、
家のために女優になってからも読書を欠かさない才媛だった
少なくとも古今東西の名作文学を読んでない低能が彼女を
論じることを今後一切禁止する
イケメンで教養豊かな人間のみ書き込んで良い >>345
上から目線だ。そういえは、愛川欽也が原節子の大ファンだったね。何かエピソードを知っていたら教えて下さい。 1月20日、川崎ミュージアムで、「めし」を上映中。川崎を舞台にした特集。あと「おかあさん」も川崎らしい。これは知らんかった。 石井さんって人が晩年の3年間ほど原さんを取材したようだが、直接本人とは会ってない。が
突撃取材してほしかった。100の推測より1の肉声だ。しかし1962年の引退はさほどミステリアス
な事件でもなく、普通に女優生命が終わったということでしょう >>349 最後の映画「忠臣蔵」は1962年11月かな。俺は1963年に引退したと思う。外国の原節子履歴は1963年になっている。小津安二郎は1963年12月に死去したが、この時生きていればもっとやりたかったと、最後の肉声がある。小津が
いれば継続していたよ。 小津の葬儀に出席したのが公に見せた最後の姿だからそうなっているのかな? そうだね。それに1963年になっても、オファーは結構きており、それを原節子は断り続ける。彼女が小津の母親に辞めるにさいし、 膝がわるくなり座る芝居が出来ないといった。1つの原因か。また手術をした左眼は失明に近い 最後の出演だった忠臣蔵は、出番はほんの少しだったが、まだ40代というのにかなり老けて見えたよね。
あれでスパッと引退して正解だったと思うな。
数年後に隠し撮り写真が出回ったが、化粧なしとはいえ、かつての面影は微塵もなかった。 引退して1979年か80年頃、車を運転するためにメガネをかけた姿や山を歩いているすがたが写真週刊誌にスクープされた。若かったな。容貌も衰えていなかった。60歳頃。ロックンローラーのイメージ。やればできたよ >>354
いやいや、顔はそんなに衰えていないけど,体型が完全におばさん、太り過ぎだね
理想は20Kg減量、最低でも10Kgは減量しないとダメな感じだった、元々太り易い
体質なんだろう >>355
原節子は元々骨太でがっつり体系だから、太らない。水泳が好きで引退後も泳いでいる。まあ、43歳で華やかで、名作を多く残したからそれでいいと思う。「伝説の女優」と社説にも載ったし。いい人生だったね 小津安二郎生誕100年以後、NHKは原節子に何回か、アタックしている。俳優の後輩に声を聞かせて、経験を記憶のアーカイブにしたかった。これは深夜便なんかで、インタビューしたかったのかな? 結局、原節子は沈黙した。 おそらく、原節子さんの女優人生を「深夜便」あたりで、アナウンサーがインタビューするつもりでいたように思いますね。 原節子は引退して、自分の全てを忘却して欲しいと念じていた。でもファンは大切にしていたみたい。亡くなる時も、騒がないでと 原節子との一問一答
どういう役柄がやりたいですか?
「私はやっぱりいろんな事件にぶっつかるような役が好きです」(今村太平『映画入門』1955年)。 原節子とモーリン・オハラと同年生まれで、2015年に死去。せっちゃんも、西部劇に出て欲しかったぞなもし。2人とも好き。95歳で他界 >>361
モーリン・オハラ。
アカデミーに招かれた宮崎駿が会場で面会して大感激した伝説の女優ですね。
オリビア・デハビランドはまだ存命だったっけ? >>363
渋いね。102歳で健在。俺は知らなかった。妹の方が有名だね。ジョーン・フォーンテインだもの。ビデオもってる。姉は東京で出生した。原節子より4歳年上。 そういや、カーク・ダグラスも102歳でまだ元気(らしい)。
さすがに昔の面影はないけれど… もう少し早く、10年くらい前に原節子を知っていれば、鎌倉辺りで会えたかもね。ファンになるのが遅かったです。1940〜50年大の女優の美しさは、今より上です。銀幕女優は今はいわない。 北川景子や綾瀬はるからは一応美人の部類に入るが、やはり顔かたちが変化しているのだろうか。ハリウッド女優も含めて、黄金期の女優の方が次元が違う気がする。これはなぜかしら。 昔は役者なんて河原乞食なんて言われてかなり蔑視されていた。
入江たか子や久我美子など旧華族出身のとびきり美人が映画俳優になるなど例外中の例外。
しかし、映画産業黄金時代になると、スターはとてつもなく稼げる職業ということで、人目を引く美女は、もうそれだけで就職先が決まったも同然w
山本富士子や吉永小百合、佐久間良子などがこのパターン。
職業が多様化した現代、映画界はさほど魅力ある世界ではなくなった。芸能界に入っても、せいぜいテレビタレントだし、肌も露出しなけりゃならない。
女優になりたいと思ういい育ちの美人令嬢はいなくなったのでは? 原節子は県立高女にいっていれは、授業料が安いから女優にはならなかった。教師になっていたね。 小津安二郎とも出会っていなかったか。 資生堂のイメージガール原節子。1946年
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E8%B3%87%E7%94%9F%E5%A0%82+%E5%8E%9F%E7%AF%80%E5%AD%90#image_1 スレチだけど、坂本なおみの全豪オープン優勝。凄い。スポーツしている映画もいい。原節子は「青い山脈」で、生徒とバスケットやつていたね。 ツッコミをまっていた。大坂なおみといわずに、「坂本なおみ」にしたのさ。
ツッコミをおおきに。 ビートたけしの好きな女優
高峰秀子、原節子、浅丘ルリ子。 今日用事があり、ついでに町田駅のツタヤにいったら、俳優別の棚があり、女優では田中絹代と原節子だけがあった。監督別や男優の個別化はしても、女優はやらないので新鮮だった。原節子の棚は皆んな持っていた。 俺が持っている往年の写真誌「LIFE」の映画特集総集編(1975年版)によれば、
米国映画界の4大女優は、
グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリヒ、ベット・デイヴィス、キャサリン・ヘプバーン
となっていた。
これは、この時点でベスト女優を誰が選んでも、この4人だけは絶対に外れないということらしい。
日本はどうかな?
オールタイムで選ぶと、
原節子、田中絹枝、高峰秀子、山田五十鈴
あたり?
ちなみに、男優の方は
ゲーリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、スペンサー・トレーシー、ジョン・ウェイン
となっていた。 キャサリン・ヘップバーンは、アカデミー賞の主演女優賞を4回受賞している。美人ではないけど。原節子が「麦秋」でフップバーンのファンというのはキャサリンだった。日本では原節子、デコ、田中絹代、山田五十鈴➕京マチ子くらい。 >>379
原節子、田中絹代、山田五十鈴、京マチ子は、外国からみた有名な日本女優と似ている。巨匠監督の映画は海外でも有名になるから、出演した女優も知られる。溝口、小津、黒沢。成瀬は4人目か。 >>378
ゲーリー・クーパーは、原節子が戦前からのファン。16歳の頃から。「晩春」にも、杉村春子叔母が、鼻から下はクーパーといっていたね。 紀子のお見合い相手がクーパーに似ていたんですね。作家辻仁成さんは木下恵介の影響を受けたらしいです。木下、成瀬は黒沢、小津の陰に押しやられていて、学生時代不満だったと、1月28日東京新聞夕刊に述べています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています