>>304
黒沢さんの死去をこのスレでさっき初めて知った。
自分も批判はあるけど、ただ黒沢さんをそこまで悪く言うのは気の毒。

元々は日活にいた黒沢さんを岡田茂が「ウチの東映の東京・京都の連中で撮るとカネが
掛かる」「ロマンポルノの日活の奴なら低予算も慣れたもんだろう」と東映に引っ張ったのが
東映セントラル・アーツの始まり。
そこでTVの制作=石原プロ・スタジオ=日活の『大都会パート2』の俳優(優作)・監
督(元は日活出身の村川透)・スタッフ(仙元誠三など)を黒沢さんが「この俳優・スタ
ッフのコンビネーションをそのまま活かしたい」と連れてきて作ったのが『最も危険な遊戯』なわけ。

セントラルアーツ作品が黒沢さんの古巣の日活撮影所で制作されることが多かったのも、
結局は「東映の撮影所・スタッフで作るよりは安かった」からだと思う。

黒沢さんが気の毒だったのは、結局は東映では最後まで「低予算映画・TV映画・Vシネマ」
専門プロデューサーの様に扱われたこと。
そういう扱いは80年代以降に『Wの悲劇』『ビーバップ』『あぶ刑事』など大作・ヒ
ット作に絡む様になってからも基本的には変わらなかった。

東映グループ内でも黒沢さんはあくまで「セントラルアーツ・東映ビデオの人」で最後まで
外様だったからね。
実績的には本当は東映の社長になってもおかしくないぐらいの人だったのに、90年代
以降も延々とVシネ(系低予算映画)の制作を続けたのってつまりはそういうことですよ。