黒澤明・乱 副題〈板に始まり板に終わる〉
インタビュー集『十五人の黒澤明』 三橋達也
― 次が「天国と地獄」(一九六三年) になるわけですが。
実はそのにね。『用心棒』(一九六一年)に僕も卯之介役で出演する
予定だったんです。「タッちゃん、髷物なんてやる?」
「やりますやります。 何でもやります!」 「でもタッちゃん、
チャンバラは似合わなそうだから、武器はピストルにしといたよ」
とか、首のところが何か寂しいっておっしゃるから「じゃあ
スカーフ巻きましょうか」 なんでこちらから提案したりして、
衣装合わせから何まで自分たちで終わらせていたんです。
ところが、それが藤本真澄プロデューサーがちょうど『愛と炎と』
おやりになっているときで、あれはイラン・ロケの作品で出光興産が
スポンサーになっていて、撮影の延期とかが許されないんですね。
一方、黒澤組は撮影延期の可能性もあるから、もし万が一ってことが
あったら大変なので、『愛と炎と』の方を優先してくれって藤本さんから
言われてしまったんです。
(略)
そうしたら黒澤さんの顔色が変わりましたね。そのまま一時間くらい、
もう何もおっしゃってくださらなくて、それで帰ったんです。
黒澤組を自分から降りた人って、そうそういないですよね。
カツシンだってあれは降りたんじゃなくて降ろされたんだから。
あのとき黒澤さんのプライドを傷つけてしまったんでしょうね。
後になって「用心棒」を観たら、僕の時の設定を仲代君がまるまる
踏襲してやってましたね。 (続き)
正直、悔しい気持ちもないわけ ではなかったけど、仲代君の
卯之介はよかったですよ。ただ、もうこれで黒澤さんとのご縁が
なくなってしまったなとずっと思っていたら、黒澤さんから
ふと呼ばれたんです。それで撮影所の控え室に行ったら
「タッちゃん、憎まれ役なんだけど、やってくれる?」と。
つまり、普通ならこれは バイプレイヤーの人がやる役(秘書・
河西役)なんだけど、そういう人がやると裏切りがばれちゃう。
これは裏切りによって三船さんが決心をするメドにもなる
一番重要なところだから、どうして も僕にやってほしいって。
黒澤さんとしては、「用心棒」の恨みで憎まれ役に仕立てたと
いうこ とではないことをおっしゃりたかったんだと思いますね。
― また黒澤映画に出演できるということは
ええ。 悪役だろうが何だろうが、そんなことはもうどうでも
いいわけです。「天国と地獄」は仲代も出ているし、むしろ
「よっしゃ!」という気分ですよね。
ただこの時は初めて僕は黒さんから駄目出しを食らいましたね。
伊藤雄之助さんら重役たちを玄関まで送るときのシーンで、
僕は既に引き抜きの話が来ているということをさりげなく
強調しようと思って、メガネをちょっといじったんですよ。
そうしたら「タッちゃん、メガネをいじりすぎる!メガネを
かけたことのない人ほどそうするんだ!」って。もちろん、
それですぐにやめましたけどね。あのメガネも銀座のイワキで
自前で作ったものです。黒澤さんは偽物をすぐ見抜いて
しまいますからね。
黒澤さんは いつも一本作品が終わると、メインスタッフだけで
お疲れ会を必ずやるんですけど、 『天国と地獄』 お疲れ会で、
黒澤さんが「今回の殊勲「甲」は誰それとタッちゃんだね」
とおっしゃってくれたそうなんです。それを聞いたとき、
何かホッとしましたね。