・・・戦前最高の美女 桑野通子 第二幕・・・
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>>80
そういうのがブームだったころがあるんでしょうかね
通子さんのも含めてほぼ同時期に作られたものじゃないですか? >>80
通子さんのとそれを見ていて思い出した。
だいぶ前ですが、石立鉄男さんの似たようなバージョンのポスターがありましたね。
もしかしてそれらは映画上演の宣伝用の素材だったのかもしれません。 >>83
うーん。
高杉早苗は上原謙が嫌いで、桑野通子は佐分利信がタイプとみたが如何に? 「美男子は好かない」
「美男子は気取りたがる」
「男が気取るのは見ていられない」
確かに全てが上原謙に当てはまる >>83
貴重な資料うpありがとうございます。
各々の女優さんの結婚条件、興味深いのですが通子さんのコメントは・・・
「松竹映画寸評一束」が意外に辛辣なのが、面白かったです。
松竹のPR誌と思ってたので。 >>83
「桑野通子さんはおっしゃいます」という小見出しが興味深い。
昔は一般的だったんだろうか? 高峰三枝子は姑と一緒に暮らしたくないと言ってるし、桑野通子も断然二人きりで暮らすと言ってる
当時の女性たちも本音はそんなところだったんだろうな 桑野通子さんはおっしゃいます
「ブスはイヤ」
「チビもイヤ」
「旦那の月給は100円以上200円くらいまで」
「断然二人で暮らす(姑と同居はイヤ)」
「銀行員はイヤ」
「30歳から35歳までの初婚者限定」 桑野通子さんとは無関係ですが、こういうものを見つけたのでうpします。
「横浜は外国船の夢の街」(「オール松竹」昭和11年7月号)
出演は小牧和子さん、築地まゆみさん、東山光子さん
この企画に関する編集者のコメント。
「中でも横浜のは少女趣味のようなものですが、横浜の街は私も好きで
時々何となく歩きにゆきます。横浜を知っている方も知らない方も
懐しめる風景ではないかと思います」(春風曾代子)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642911.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642912.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642913.png
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築地まゆみは早世して他の二人は消息不明なんだよね
この頃はみんな幸せだったんだろうなと思うと複雑な気持ちになるね >>90の2枚目の画像が傾いているように見えますが、
これは始めから傾いた状態で印刷されています。
念のために申し添えます。 >>90
貴重な資料うpいただきありがとうございます。
築地さんは洋装でお化粧すると「有りがたうさん」の時とは随分違う印象です。
東山さんは「女医絹代先生」のメガネっ子が印象的でした。
小牧さんは?「婚約三羽烏」で佐分利信さんの許婚役で出てたんですね。
佐分利さんの勤める人絹会社のお店に訪れて、ズーズー弁で話しかけると
佐分利さんに「しっしっ」と追っ払われる場面は爆笑もんでした。 顔はまぁまぁだが、スタイルがよくないね。やはり通子さんと比べるとダンチ。 >>95
今、某動画サイトで観てみました。
当時の松竹の主要な俳優陣がほとんど出ていますね。
上原謙、夏川大二郎、そして佐分利信と名優3人がそろい踏みなのがいいですね。
あとは通子さんが出ていれば完璧だった。
小牧さんが出ている場面はまだ確認できていないのでこれからじっくり観てみます。 >>83
ごめんなさい、この記事もう一度あげてもらえないでしょうか?
保存したはずなのにファイルが見当たらないのです >>97
いい体してるね
若くして亡くなってしまったのが惜しまれる >>97
築地さん先頭ってことは、かなり嘱望されてたのですね。
祇園初枝さんは「恋も忘れて」で通子さんと共演されてますし、築地さんとの
共演も多いようです。
立花泰子さんは「家族会議」で通子さんに「大阪の女に負けちゃダメよ」と
発破をかけたり、佐分利さんをひっぱたくちょっとアクの強い尾上春子役が
印象に残ってます。
純英子さんだけは出演作その他詳細がわかりませんね。 >>101
わぁありがとうございます!!
みなさんの条件で「月給百圓以上」とありますけど
これ当時だといくらくらいなんでしょう? >>103
純英子さんについては「日本映画俳優全史(女優編)」を確認しましたが載ってなかったですね。
ただ、「オール松竹」で時々写真は見かけますから、当時は一定の人気はあったと見えます。
築地まゆみさんは人気女優だったようで、読者からの似顔絵の投稿もあったくらいです。
それなのに何故「男性対女性」以降松竹での出演作がほとんどないのか謎ですね。 昭和12年当時の桑野通子さんの月給は800円。
現在だと900万円くらいに相当するのかな?
田中絹代さんで1000円なので1000万円は軽く超えてますね。 大変勘違いしてましたw
通子さんで90万円くらい、田中絹代さんで100万超ですねw やっぱスターは違うなって一瞬ビックリしたw
当時の大卒公務員が月給70円だそうですね
100円はまあ最低ラインなのでしょうか
男性スターにもこういう質問あったら読んでみたいです それだけ稼いでいたのに晩年は生活に窮して親戚の小林正樹監督の援助を受けていた田中絹代… すいません、もう一回訂正しますw
田中絹代さんは1200円でした。通子さんは800円。
他では高峰三枝子さんも800円。
田中さんは大幹部で通子さんは幹部だったので、他に役職手当てはあったかも。 マネージャーに中抜きされるわ、義母には浪費されるわで、結婚式当日は一文無しだった高峰秀子… >>106
純英子さんの件、お調べ頂き有難うございます。期待されながらも大部屋のまま
で 終わってしまったのでしょうか。当時はそんな女優さんも多かったのでしょうね。
築地さんは1936年11月20日公開の「七転八倒」(斎藤寅次郎監督だから喜劇映画 でしょう
か?)出演後、新興キネマに移籍したようですね。健康上その他諸々の 事情があったのかも
しまったのかもしれません。 申し訳ありません、もう一度訂正します。
昭和12年当時は高峰三枝子さんは幹部ではなかったです。
高杉早苗さんと勘違いしていました。
「大船俳優出世双六」(「オール松竹」昭和12年11月号)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1647455.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1647456.png >>113
築地まゆみさんと同期のようです。
当時の雑誌では二人の名前を並べて「新人」という紹介をしています。
「オール松竹」では昭和11年の秋以降突然名前が出なくなりました。
築地まゆみさんと共に移籍したのでは、と推測しています。
>>114
「じゅん えいこ」と読みます。芸名だと思います。 >>115
興味深いけど冷酷なランキングだな
特に小林十九と夏川大二郎が同じ幹部というのが泣ける こりゃ驚いた!
飯田蝶子て松竹の大幹部だったんか。 >>115
いつも貴重な資料上げて頂きありがとうございます。
ほとんどの俳優さんは顔とお名前がほぼ一致するのですが、豊田満さん
だけがわかりません。現存する映画では「金色夜叉」に出演されていた
ようですが。
>>117
夏川大二郎さんは姉が大女優だし、日活時代は溝口映画の主役級でいわば
エリートだから叩き上げの小林十九さんと格差があるのは致し方ないかと。 >>119
まあそのとおりか、と
夏川大二郎はいわばサラブレッドだからね 大二郎は太りだしてから精彩かなくなったね。
彼がまだ二枚目はだった時期の「男の償ひ」がツベから消えたのが残念。松竹のスター揃い踏みの大作でもちろん通子さんも出てる。
原作の吉屋信子さんは、自身が同性愛者たったせいか、世の男の醜悪ぶりを「これでもか!」と描写する異色の作家。
「男の償いひ」では夏川大二郎扮する男性だけが唯一まともなで他はまんなクズばかり。しかし、まともな夏川でさえ地獄に突き落とすという徹底した男性嫌悪映画。ラストにも全く救いがない。
いかに文芸作品とはいえ、当時の松竹首脳会談が、よくこのシナリオにゴーサイン出したものだと感心する。
できれば再アップしてもらいたいが… 4年で幹部になった桑野通子、高杉早苗、三宅邦子ってやっぱり凄い存在だったんだろうな 「花」(1941)撮影中のスナップかと思われます。
左から城戸四郎さん?、原作者の吉屋信子さん、帽子の通子さん、絹代さん、上原謙さん、
右端は監督の吉村公三郎さんでしょうか。
https://i.imgur.com/2BjVwLA.jpg >>124
画像うp乙です
左端は当初近衛敏明さんかと思いましたが、城戸さんでしょうね。
ところで「花」は現存しない作品だと思い込んでいましたが、
普通にVHS化されていたんですね、知らなかったです。 >>125
レス有難うございます。近衛さんは嫌らしい花屋の役で出演されてました。
「花」は当時の松竹花形スターが出演しているにも関わらず、なぜか無視
されることの多い作品です。華道界が当時の挙国一致体制に協力したという
負い目があるからでしょうか。
作品としては吉村監督のモダンな感覚が遺憾なく発揮されていると思います。
通子さんが戦後も長く活躍していれば、吉村監督に起用される機会も多かった
ことでしょう。 「花」見たいなぁ。
DVD化してくれんかなぁ。
吉屋信子原作だから、またどんな風に男たちが辛辣に描かれているのか興味津々w 珍しい座談会記事を見つけたのでうpしてみます。原本からコピーしたものです。
「座談会 松竹の映画の花形女優さん お化粧打開話しの会」(「スタア」昭和11年2月)
出席者(敬称略)
桑野通子、三宅邦子、小牧和子、純英子、水戸光子、築地まゆみ、南満洲子
栗原敬治(松竹関係者と推測)、三輪善太郎(ミツワ石鹸社長)、記者(「スタア」誌の編集者と思われる)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1648842.png >>129
桑野通子が半分以上しゃべっていて笑ったw >>129
通子さんが三宅さん以外の出席者は『戀愛豪華版』に出ていると発言されて
ますから、築地さんや純英子さんも出演されてた訳ですね。
おそらくノンクレジットだったのでしょうが、フィルムが失われてしまうと
どの俳優がどの作品に出演していたのか確認するのが難しくなります。
それにしても子供の頃、「わっわっわっ輪が三つ」のCMでお馴染みだった
ミツワ石鹸が現存せず、戦前松竹映画ご用達?のクラブ化粧品が今も存続発展
しているのは何とも… 有りがとうさんの撮影の途中で一回東京に戻ってきたタイミングで座談会をやったのか >>133
あぁそれそれ、懐かしいです。
今でも頭に残ってるのは秀逸なCMソングだったんですね。 >>129
南満州子て…
また物凄い芸名w
ミツワ石鹸て、この時代は景気良かったんだね。社長はスターのパトロンやってたんだろうな。
たしか昭和の終わりごろ倒産したと記憶しているが、ミツワ石鹸やバヤリースはテレビ黎明期の有名企業だったね。 >>129
発言の多さは人気に比例していますね
人気女優の通子さんは半分近く喋り、三宅邦子さんが次いで、残りを5人で分け合うという >>131
築地まゆみさんの出演リストにも載ってないし、現存しない作品の詳細を知るのは難しいですね。
「オール松竹」昭和11年1月号によると、10年10月27日に「戀愛豪華版」の撮影を東京で。
撮影所内で上高知ホテルそっくりのセットを組んで撮影。夜の舞踏会シーンもあったとか。
その後の11月12日に「有りがとうさん」の制作に着手した、と記事がありました。
なので、座談会は11月から12月にかけての時期に行われたものか、と。 >>129
いつも貴重な文献をありがとうございます >>136
ミツワ石鹸って懐かしCMでしか知らなかったので、そんなに有名な企業だとは思わなかったw
スターのパトロンやってたというのは十分ありえると思う。 >>139
昭和11年から13年頃の雑誌を10冊程度所有しているので、
これから不定期で面白そうな記事をうpしていきます。
私一人で独占していても仕方がないし、みなさんに知っていただきたいので。 >>141
「オール松竹」や「スタア」など戦前の映画雑誌は国立国会図書館や
大学図書館くらいしか所蔵しているところがなくて、なかなか見る
ことのできない貴重な資料です。
スキャン等お手数お掛けしますが、宜しくお願い致します。 >>129
三輪社長の要望に応えて、しっかりミツワ石鹸の宣伝をしてくれる三宅邦子さんw
そういや三宅さん、戦後は大塚製薬のオロナインのCMやっていましたね。
スターって演技だけでなく、こういうスポンサーへのゴマすりもしないといけないから大変ですよねw 訂正
>>115の2枚目の画像の中で「小林十九(二十七年)」とありますが、
たぶん正しくは「小林十九二(十七年)」の間違いだろうと思います。
大正10年に松竹蒲田に入社したそうなので昭和13年で17年目ですね。 三宅邦子は便秘薬サラリンでは?
「煙突さん苦しそうですね・・・♪サラリンサラリンサラサラリン 便秘にすっきりサラサラリン♪」ての。
オロナイン軟膏も同じ大塚製薬だから浪花千栄子の前にやってたかも知れんが。 >>145
一方で空気を読めない発言をして記者氏を困らせる水戸光子さんに笑ったw >>147
そうですね。
三宅邦子さんのCMでは、便秘薬のサラリン錠の方が有名ですね。
でも、オロナイン軟膏のCMにも出ていたはず。これは想像ですが、三宅さんがサラリンを始めたに時期に、オロナイン軟膏は浪花千栄子さんに切り替わったのではないかと。
浪花千栄子の本名は南口キクノ(なんこう・きくの)なので、語呂の良さで抜擢されたとも聞きますね。
桑野通子さんが長生きしていたら、戦後はCMに引っ張りだこだっただろうと思います。 >>150
日生のおばちゃんのCMを見たかったな<通子さん
不当なほどの早死だった >>150
サンヨー夫人、マダム・ジュジュの木暮実千代さんとともに
CMの女王になってたかもしれませんね。 >>129
記者はできればもっと新進女優3人の声を積極的に引き出して欲しかった
個人的には築地まゆみさんの話を読みたかった
いずれにせよ当時の女優たちの肉声に接したような感じがしていい記事だと思った >>154
ありがとうございます こういうのは、いつの時代も変わりませんね >>154
俳優の自宅を訪問するなと、サインを強請るなは現在に通じるものがあるな 内容自体は昔も今も変わらないが、さすがに昭和初期となると、文章が全然違うよね。 >>154
有難うございます。当時の事情がうかがい知ることができる興味深い資料です。
第八戒の「映画中のタイアップ広告を失笑すべからず。」はクラブやら明治やら のこと
ですね。当時はうざったいと思われていたんでしょうね。今見ると成瀬さん や五所さん
などの映画にやたら出てくるので風俗としては面白いんですが。
明治製菓のタイアップという成瀬さんの「チョコレートガール」は現存しないのですが、
どんな映画だったのか観たかったですね。 >>158
通子さんは確か森永でしたね。
明治出身ならその映画に出演したんでしょうけどw 第二戎に松竹大船撮影所記念日のことが書いてますが、
来場者8万人って凄いですね。AKBみたいだw >>129
純、築城、南の3人はほとんどしゃべってないね。先輩に押されて自由なことをいえないよね。かわいそいに。 チョコレートガールは昭和7年の作品なので桑野通子さんのデビュー前の映画ですね。
主演の水久保澄子さんのあの騒動があったので、仮に現存したとしても
再上映はされなかったんじゃないでしょうか。 ヤフオクで「慰問袋」っていうものが出品されてるけど、
その中に入ってる桑野通子さんの腕組みしたブロマイドは有名なものだね。
もともと慰問袋用のものだったのか。 慰問袋のブロマイドの人気ナンバーワンは高峰秀子。嫁にしたい女優ナンバーワンは三戸光子。
桑野通子さんは理想の不倫相手ナンバーワン(これは嘘w)。 >>162
水久保さんのスキャンダルは明治製菓にとってはダメージが
大きかったでしょうから、戦前は再上映できなかったでしょうね。
ただ成瀬監督の蒲田時代の映画は現存わずか(5本)だけに、もし
残っていたら…と思わずにはいられません。今残っている映画も
優れた作品ですし、フィルムの状態も良好なので。
松竹で成瀬監督と通子さんがすれ違いになってしまったことも
ほんと惜しまれます。 >>165
成瀬監督作品では松竹ではありませんが「秀子の車掌さん」が一番好きですね。
ああいう朗らかな作品が観ていて癒やされる。
そういえば高峰秀子さんももともと松竹でしたね。 成瀬監督が松竹を去った直後くらいに通子さんが入社した感じですかね。 >>168
いつも貴重な記事うp頂き有難うございます。
当時の松竹トップスターが集っての創作座談会ですね。
全てフィルムが現存している映画なので、今でも「そうそう」って
頷けるところがあるのがいいですね。 >>168
本物の座談会なら、その場の写真を絶対に載せるはずだから、それがないということは、やはり創作でしょうね。
もちろん、松竹の宣伝誌だから会社の許可はとっているでしょう。 >>168
うp乙です
座談会の様子を写した写真がないからやはり創作ですねw
読んでてこっちが恥ずかしくなったw
この架空座談会を書いてる記者の顔が見たいと思ったw >>168
最初に記者が「その当時の御扮装で」とありますから、仮装架空の座談会ですね。
「朱と緑」の雪江(高峰三枝子さん)がその役柄まんまのベタな大阪弁が笑えます。
高峰さんはその後の「花は偽らず」(1941年大庭秀雄監督)でも、大阪のお嬢さん役
でしたが、当時の松竹大船ではネイティブなの女優さんはいなかったのかなと。
通子さんも「淑女は何を忘れたか」では大阪のお嬢さん役でしたが。 すみません訂正
>ネイティブなの女優さんはいなかったのかなと。
→ネイティブな大阪弁の女優さんはいなかったのかなと。 「男の償ひ」のラストで気が狂って病院の中庭を彷徨する田中絹代さんを
悲しみと絶望の入り混じった表情で見つめる桑野通子さんが大変印象的だったし、
そこへ現れた佐分利信さんが今後毎日病院へ通い忘れ形見の子供を育てる、
それが男の償ひだと言い切る場面なんかすごく感動的だったが、
それだけにその後日談なんか読みたくはなかったw >>172
いたかもしれませんが大部屋女優しかいなかったのかもしれないし、
桑野ミッチーの大阪弁はハマってるとおもいましたよ。 >>172
通子さんはある一時期神戸にいたそうですから、関西に縁がなかったわけでもないようですね。 >>168訂正
正しくは「オール松竹」の昭和13年7月号でした。お詫びして訂正します。 >>175
大船のスター女優でいえば大阪の琵琶少女歌劇にいた田中絹代さん
くらいだったかもしれませんね。
通子さんの大阪弁はぎこちないながらも、あの滑舌の悪さが逆に
良かったように思います。
大阪弁指導は滋賀県出身の吉村公三郎さんだったとか。
>>176
神戸にいらしたなら、それなり関西言葉に触れていたから違和感
なかったでしょうね。 >>168
男の償ひの最後で夏川大二郎が溺死する場面があったが自殺って書いてるな
事故死だと思って見ていたんだが 男の償ひのラストシーンで夏川さんが岩の上に腰掛けて物思いに耽る場面があり、
もしかしたら死を選択するか思い悩んでいたのかもしれないけど、
その時に息子の声が聞こえて我に返り、息子の側へ行こうと立ち上がった時に
バランスを崩して川へ転落したんだと思う。だからあれは事故死で自殺ではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています