・・・戦前最高の美女 桑野通子 第二幕・・・
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>23
>ところで高峰さん、高杉さん、それに木暮実千代さんは同じ1918年生まれで
>今年生誕100周年なんだな。記念で何かやってないのかな。
言われてみればそうですね、今まで気づかなかった。
以前松竹で「高峰三枝子特集」としてVHSソフトを出しているので、
今回もそういう形でDVDを出してくれればありがたいです。
高杉早苗さんは少なくとも昭和10年代前半に於いては
3人の中では一番の人気だったようなので、あのまま活動を続けていれば、
高峰三枝子さんとの地位は逆だったかもしれません。 >>24
今、「オール松竹」の昭和12年5月号を調べて見ましたが、
築地まゆみさんは載ってなかったですね、あればうpしようかと思いましたが。
ただブロマイドの広告はあったので、今でも根気よく探せば入手できるかも。 >>25
ググッたら広島市映像文化ライブラリーが6月に「生誕100年 高峰三枝子・木暮実千代特集」
をやってました。通子さん出演作は「戸田家の兄妹」だけで「蛍の光」はなかった。
高杉さんの作品がなくて残念ですが、なかなかいい企画だと思いました。
http://www.cf.city.hiroshima.jp/eizou/calendarThis.html?id=jun30 >>28
やっぱり知名度の問題ですかね…
企画自体は素晴らしいとは思いますが… >>30
このサイト何度か訪問しました。
昔の邦画の女優を知る上でとても勉強になりました。 >>34
動画サンクスです。まだ残ってたんですね。
キャストの坂本武...花十 斎藤達雄...丸由 飯田蝶子...お雪
は現存するフィルムに残ってないのが残念。
原作読むとこの三人は修羅場に関わっているようなので。
お三方とも名優だけに観たかったな。 >>32
VHSは出ていたようですね。
先月、広島市で高峰三枝子さんの生誕100年記念上映会があったようです。 >>36
「永遠のスター高峰三枝子シリーズ」の一巻として出ていましたね。
これも現存の尺は58分ですが、オリジナルは1時間以上はあったような。
結末が急展開なので、坂本武さんが高杉さんの働くバーに行った場面辺り
から若干切られてるのかもしれません。
広島の上映会は近くなら行きたかったですね。 >>37
>>36で書き込んだ者ですが、すぐ上に同じ話題があったのを見落としていました
大変失礼しました 築地まゆみさんの画像を欲しい人いますか?
このほど昔の雑誌を漁っていたら2枚ほど見つけました
希望する人がいればうpしますが? >>39
「有りがたうさん」以外の築地さんは見たことないので、
うpお願いします。 >>40
大きい画像ではありませんが、参考までにご覧下さい。
1枚目と2枚目は「オール松竹」昭和11年1月号から。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1584074.png
左が築地まゆみさん、右は水島光代さん。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1584075.png
(敬称略)左から水戸光子、築地まゆみ、小牧和子、高杉早苗、純英子。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1584079.png
これは映画「男性対女性」から。
立っている4人の左から2番目が築地まゆみさん。
出演場面が僅かで、頑張ってもこれくらいしかキャプチャできませんでした。 「映画之友」昭和13年2月号から。
「日本映画セレクション・新人譜 躍進する乙女等」から抜粋。
「築地まゆみと眞山くみ子は新人と言う名称には飽き飽きしたであろうが、
依然目覚しい活躍を見せたことが無く、従って今年も一応彼女達の為に
新人のリストの余白をつくって置かねばなるまい」
この文章は築地まゆみさんの亡くなる直前に書かれたものと推測されます。 同じ記事から。
「大船は高杉、桑野、三宅の三羽烏が漸く新鮮味を失い、
高峰三枝子が新人として素晴らしい躍進を示しつつ、1938年を迎えた」 >>41->>44
貴重なお写真うp頂き有難うございます。
>>41一枚目はすごいおぼこい印象ですが、どんどん変わって行ってますね。
「男性対女性」は高峰秀子さんもノンクレジット出演でしたが、築地さんも
出演されていたんですね。
期待も大きかったでしょうが、若くして亡くなられたのが大変残念です。 >>45
「男性対女性」では台詞もなかったですし、
ほとんど「その他大勢」みたいな扱いでしたね。
可愛らしい笑顔は印象的でしたが。 連投失礼。
死去ネットの築地まゆみさんの項目はこの記事を参考にして書きました。 >>48
貴重な記事乙です
有りがとうさんと男性対女性は同じ年の映画なのに築地さんの役のレベルが下がっている
移籍の動機はそれかもしれないね >>47->>49
「オール松竹」からの記事有難うございます。
記事からは築地さんというのは人見知りが激しくて、内向的な性格だったのが
伺えますね。スター女優になるには地味過ぎたのかもしれません。
新興キネマ時代のフィルムやスチール写真が見られればよいのですが、
国立映画アーカイブには所蔵フィルムがないようです。 >>49
「齋藤達雄の修業」も興味深い記事ですね。
サイレント時代から小津映画等で活躍されていた齋藤さんが
蒲田入社時はそんな不愉快な存在だったとはw >>53
齋藤達雄さんの記事は途中までだったので、
記事全文をうpし直しました。
時間のある時にお読み下さい。
銀座でバーを経営していたというのは初めて知りました。
齋藤達雄さんの肉声に接したような気がする記事でした。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1592094.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1592095.png >>52
新興キネマ時代の作品が全て現存しないとなると、
現存する出演作品は「男性対女性」になりますね。
さすがにそれは築地さんにとって気の毒。 >>54
早速うpいただき感謝です。
齋藤さんは「淑女は・・・」「宗方姉妹」の大学教授、「男性對女性」「暖流」のどうしようもない
道楽息子がホント嵌り役でした。これも"修業"の賜物だったんでしょうね。
高杉さんはその後栗島先生とお会いすることがあったのか?気になります。 >>54
乙です
斎藤さんのエピソードは興味深く読んだ
男性対女性の道楽息子役は憎々しくていい演技だったけど
やっぱり淑女は何を忘れたかの先生役の方がいいなw
ミッチーとの掛け合いは楽しかった
ホントに名優だったね >>54
「家族会議」で通子さんと結ばれる?高田浩吉さんのエピソードも面白いですね。
戦後のひばり映画や「白鷺三味線」で、てっきり時代劇の人と思ってたのですが、
さすが芸達者な人だったんですね。「顔に似せない、ガムシヤラな愛すべき青年」は
「家族会議」の京極練太郎にピッタリでした。 、「男性對女性」
どうしても銀歯に目がいっちゃんですがこの時代、歯に対する美意識はこの程度だったんでしょうか? >>59
モノクロだからわかりにくいかもしれないけど、銀でなくて金歯なんでは?
当時金歯はお金持ちの象徴みたいなとこもあったみたい。
今ならセラミックで入れるでしょうけど、金が加工しやすいのでよく
使われてたようです。
通子さんみたいに20代で入れてた人がどれだけあったか知らないけど・・・ >>58
高田浩吉さんが晩年に娘の美和さんと一緒に歌っているのを観たことがありますが、
同時代の俳優さんと比べても器用な人だと思いましたね。
「家族会議」の京極練太郎役は名演だったですね。佐分利信さんと好対照でした。
特にラスト近くで二人で語り合う場面がありましたが、印象的でした。
私も高田浩吉さんは時代劇のイメージが強かったです。 スレ違いで恐縮ですが、>>24の書き込みを見て以来、
私も築地まゆみさんに興味が出てきていろいろ調べてはいますが、
生年月日が不明なんですね。没年齢が17歳というのはさすがに早すぎる。
現存している作品も「ありがとうさん」と「男性対女性」しかないようで残念。 「オール松竹」昭和12年6月号から
御影公子「あの頃その頃 スイートガール時代の桑野通子 五年前の思い出」
https://dotup.org/uploda/dotup.org1596965.png
森永時代の桑野通子さんの姿、人となりがよく描かれています。 >>63
なんか読んでて胸が熱くなってくる思いがした
十代の時から苦労していたんだね >>63
貴重な記事うpいただきありがとうございます。
「きつと幸せがやつてくるから・・・」
通子さんにとってスヰートガール、ダンサーを経ての女優生活は幸せだったのでしょうか。
御影公子さんは築地さんと同様に松竹から新興キネマに移籍後、戦前に女優引退。
以後の消息は不明のようですが、幸せな人生を送られていたなら幸いです。 >>65
通子さんの女優生活は幸せなものだったと思いたいですが、
どうも必ずしもそう言い切ることは出来ないような気がします。
通子さんの写真を見ていると、どんなに朗らかな表情のものであっても、
どこか何となく陰があるように思えてならないのです。
そんなところに通子さんの本当の姿が感じられます。 幸せな人だと思うよ
亡くなって七十年以上経つのにこれだけ思ってもらえているんだから >>2
>秋、銀座松屋前で自動車事故を起こす
この部分は間違いだったので取り消します
自動車事故を起こした時期は不明です 長生きして女優として大成したかはわからないけど再婚をして幸せな人生を送って欲しかった。
つくづくそう思う。
なんたってミッチーだからね。 >>72
全盛時代と言ったら失礼ですが、昭和12〜13年ごろの面影を残していてホッとしました。 久しぶりに通子さんのブロマイドがヤフオクに出てる。 >>74
ブロマイドと言えば『日本映画スチール集 美人女優 戦前篇』にあったこれは
この当時の流行だったのでしょうか?ヤフオクでは入江たか子さんのが出品されて
のを見たことがありますが。ここまでやると夢でうなされそうですw
https://i.imgur.com/opkDo7J.jpg >>75
一つ一つハサミで切って作ったのかなw
それだけ凄い人気だったんだろうね 同じ『日本映画スチール集 美人女優 戦前篇』から
https://i.imgur.com/xNjxvny.jpg
通子さんの愛車?かと思ったのですが、ダットサンではないみたいで、
外車でしょうか?エンブレムがあるのですが、どこの車かわかりません。 >>75
それたぶん戦後に作られたものじゃないでしょうかね
デビュー当初と思われるものから昭和10年代後期と推定されるものも混じっていますから >>78
戦後ですか・・・
ヤフオクで見た入江さんのはこれよりもっとすごかったように覚えています。
役柄により睫毛を何種類も付け替えたと言われていますから、こわいくらい
表情に千変万化の趣きがあったように思います。
ネットで検索しても他に同様のは出てこないのですが、古書店とかで漁ると
見付かるのかもしれません。 >>80
そういうのがブームだったころがあるんでしょうかね
通子さんのも含めてほぼ同時期に作られたものじゃないですか? >>80
通子さんのとそれを見ていて思い出した。
だいぶ前ですが、石立鉄男さんの似たようなバージョンのポスターがありましたね。
もしかしてそれらは映画上演の宣伝用の素材だったのかもしれません。 >>83
うーん。
高杉早苗は上原謙が嫌いで、桑野通子は佐分利信がタイプとみたが如何に? 「美男子は好かない」
「美男子は気取りたがる」
「男が気取るのは見ていられない」
確かに全てが上原謙に当てはまる >>83
貴重な資料うpありがとうございます。
各々の女優さんの結婚条件、興味深いのですが通子さんのコメントは・・・
「松竹映画寸評一束」が意外に辛辣なのが、面白かったです。
松竹のPR誌と思ってたので。 >>83
「桑野通子さんはおっしゃいます」という小見出しが興味深い。
昔は一般的だったんだろうか? 高峰三枝子は姑と一緒に暮らしたくないと言ってるし、桑野通子も断然二人きりで暮らすと言ってる
当時の女性たちも本音はそんなところだったんだろうな 桑野通子さんはおっしゃいます
「ブスはイヤ」
「チビもイヤ」
「旦那の月給は100円以上200円くらいまで」
「断然二人で暮らす(姑と同居はイヤ)」
「銀行員はイヤ」
「30歳から35歳までの初婚者限定」 桑野通子さんとは無関係ですが、こういうものを見つけたのでうpします。
「横浜は外国船の夢の街」(「オール松竹」昭和11年7月号)
出演は小牧和子さん、築地まゆみさん、東山光子さん
この企画に関する編集者のコメント。
「中でも横浜のは少女趣味のようなものですが、横浜の街は私も好きで
時々何となく歩きにゆきます。横浜を知っている方も知らない方も
懐しめる風景ではないかと思います」(春風曾代子)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642911.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642912.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642913.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1642914.png >>90
築地まゆみは早世して他の二人は消息不明なんだよね
この頃はみんな幸せだったんだろうなと思うと複雑な気持ちになるね >>90の2枚目の画像が傾いているように見えますが、
これは始めから傾いた状態で印刷されています。
念のために申し添えます。 >>90
貴重な資料うpいただきありがとうございます。
築地さんは洋装でお化粧すると「有りがたうさん」の時とは随分違う印象です。
東山さんは「女医絹代先生」のメガネっ子が印象的でした。
小牧さんは?「婚約三羽烏」で佐分利信さんの許婚役で出てたんですね。
佐分利さんの勤める人絹会社のお店に訪れて、ズーズー弁で話しかけると
佐分利さんに「しっしっ」と追っ払われる場面は爆笑もんでした。 顔はまぁまぁだが、スタイルがよくないね。やはり通子さんと比べるとダンチ。 >>95
今、某動画サイトで観てみました。
当時の松竹の主要な俳優陣がほとんど出ていますね。
上原謙、夏川大二郎、そして佐分利信と名優3人がそろい踏みなのがいいですね。
あとは通子さんが出ていれば完璧だった。
小牧さんが出ている場面はまだ確認できていないのでこれからじっくり観てみます。 >>83
ごめんなさい、この記事もう一度あげてもらえないでしょうか?
保存したはずなのにファイルが見当たらないのです >>97
いい体してるね
若くして亡くなってしまったのが惜しまれる >>97
築地さん先頭ってことは、かなり嘱望されてたのですね。
祇園初枝さんは「恋も忘れて」で通子さんと共演されてますし、築地さんとの
共演も多いようです。
立花泰子さんは「家族会議」で通子さんに「大阪の女に負けちゃダメよ」と
発破をかけたり、佐分利さんをひっぱたくちょっとアクの強い尾上春子役が
印象に残ってます。
純英子さんだけは出演作その他詳細がわかりませんね。 >>101
わぁありがとうございます!!
みなさんの条件で「月給百圓以上」とありますけど
これ当時だといくらくらいなんでしょう? >>103
純英子さんについては「日本映画俳優全史(女優編)」を確認しましたが載ってなかったですね。
ただ、「オール松竹」で時々写真は見かけますから、当時は一定の人気はあったと見えます。
築地まゆみさんは人気女優だったようで、読者からの似顔絵の投稿もあったくらいです。
それなのに何故「男性対女性」以降松竹での出演作がほとんどないのか謎ですね。 昭和12年当時の桑野通子さんの月給は800円。
現在だと900万円くらいに相当するのかな?
田中絹代さんで1000円なので1000万円は軽く超えてますね。 大変勘違いしてましたw
通子さんで90万円くらい、田中絹代さんで100万超ですねw やっぱスターは違うなって一瞬ビックリしたw
当時の大卒公務員が月給70円だそうですね
100円はまあ最低ラインなのでしょうか
男性スターにもこういう質問あったら読んでみたいです それだけ稼いでいたのに晩年は生活に窮して親戚の小林正樹監督の援助を受けていた田中絹代… すいません、もう一回訂正しますw
田中絹代さんは1200円でした。通子さんは800円。
他では高峰三枝子さんも800円。
田中さんは大幹部で通子さんは幹部だったので、他に役職手当てはあったかも。 マネージャーに中抜きされるわ、義母には浪費されるわで、結婚式当日は一文無しだった高峰秀子… >>106
純英子さんの件、お調べ頂き有難うございます。期待されながらも大部屋のまま
で 終わってしまったのでしょうか。当時はそんな女優さんも多かったのでしょうね。
築地さんは1936年11月20日公開の「七転八倒」(斎藤寅次郎監督だから喜劇映画 でしょう
か?)出演後、新興キネマに移籍したようですね。健康上その他諸々の 事情があったのかも
しまったのかもしれません。 申し訳ありません、もう一度訂正します。
昭和12年当時は高峰三枝子さんは幹部ではなかったです。
高杉早苗さんと勘違いしていました。
「大船俳優出世双六」(「オール松竹」昭和12年11月号)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1647455.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1647456.png >>113
築地まゆみさんと同期のようです。
当時の雑誌では二人の名前を並べて「新人」という紹介をしています。
「オール松竹」では昭和11年の秋以降突然名前が出なくなりました。
築地まゆみさんと共に移籍したのでは、と推測しています。
>>114
「じゅん えいこ」と読みます。芸名だと思います。 >>115
興味深いけど冷酷なランキングだな
特に小林十九と夏川大二郎が同じ幹部というのが泣ける こりゃ驚いた!
飯田蝶子て松竹の大幹部だったんか。 >>115
いつも貴重な資料上げて頂きありがとうございます。
ほとんどの俳優さんは顔とお名前がほぼ一致するのですが、豊田満さん
だけがわかりません。現存する映画では「金色夜叉」に出演されていた
ようですが。
>>117
夏川大二郎さんは姉が大女優だし、日活時代は溝口映画の主役級でいわば
エリートだから叩き上げの小林十九さんと格差があるのは致し方ないかと。 >>119
まあそのとおりか、と
夏川大二郎はいわばサラブレッドだからね 大二郎は太りだしてから精彩かなくなったね。
彼がまだ二枚目はだった時期の「男の償ひ」がツベから消えたのが残念。松竹のスター揃い踏みの大作でもちろん通子さんも出てる。
原作の吉屋信子さんは、自身が同性愛者たったせいか、世の男の醜悪ぶりを「これでもか!」と描写する異色の作家。
「男の償いひ」では夏川大二郎扮する男性だけが唯一まともなで他はまんなクズばかり。しかし、まともな夏川でさえ地獄に突き落とすという徹底した男性嫌悪映画。ラストにも全く救いがない。
いかに文芸作品とはいえ、当時の松竹首脳会談が、よくこのシナリオにゴーサイン出したものだと感心する。
できれば再アップしてもらいたいが… 4年で幹部になった桑野通子、高杉早苗、三宅邦子ってやっぱり凄い存在だったんだろうな 「花」(1941)撮影中のスナップかと思われます。
左から城戸四郎さん?、原作者の吉屋信子さん、帽子の通子さん、絹代さん、上原謙さん、
右端は監督の吉村公三郎さんでしょうか。
https://i.imgur.com/2BjVwLA.jpg ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています