・・・戦前最高の美女 桑野通子 第二幕・・・
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>>220
市販DVDからキャプチャーしたものです。
時々映像と音声が途切れる箇所もありましたが、この時期の映画としては
保存状態は良好でした。
>>221
松竹蒲田入社は東山さんも築地さんも同年(1935年)とされていますが、
日本映画データベースでは築地さんが「若旦那春爛漫」(1935.5)、
東山さんが通子さんと共演した「感情山脈」(1936.2)と、築地さんの方が
先になっています。もっともこのデータベースは作品にクレジットがないと
出演記載されないので、入社はどちらが先だったのかわかりません。
いずれにせよ、ほぼ同時期に入社だったのでしょう。 >>221
後から調べたら東山さんは1935年9月入社で、築地さんはそれ以前に
出演が確認されていますから、蒲田入社は築地さんの方が早かったようです。 >>222
そうでしたか、私はVHSの映像しか観たことがなかったので、綺麗さにびっくりしました。
築地まゆみさんは春頃の入社のはずなので、半年ほど早いことになりますね。
東山さんが2歳年上ですが、写真を見た限りもっと開いているような印象を受けます。 通子さんのエッセイは珍しいと思いうpしてみます。
桑野通子「快速三十哩」(オール松竹 昭和13年1月号)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1673972.png >>225
貴重な通子さんのエッセイうp有難うございます。
松竹ではいち早く島津保次郎監督が自家用車を乗り回していたそうです。
絹代さんや高杉さんは映画の中で運転する場面があったのですが、
通子さんが運転する場面はあったのでしょうか。現存するフィルムを
全て視ていないのでわかりませんが。 >>225
いつも貴重な資料をありがとうございます >>225
何で埃まみれになったんだろ?
オープンカーで練習したのか? >>226
通子さんの運転といえば「淑女は何を忘れたか」を連想しますが、
その作品は運転免許を取得する前に作られたものなんですね。
映画の中で栗島すみ子さんが「事故を起こすなら大阪で……」
という意味の台詞を通子さんに喋っていた記憶がありますが、
通子さんが起こした自動車事故に対する洒落かと思っていましたw
田中絹代さんが運転している映画は観たことがないですね。
助手席に乗っている映画は確か「男性対女性」で観た覚えがあります。 >>228
季節的に晩夏か初秋のころで、窓を閉め切りでは暑かったんじゃないか、と。
それで窓を開けて練習していたので、埃まみれになったのではないかと思います。 「オール松竹」昭和12年6月号から「大船 親子、兄妹、夫婦調べ」。
この記事で注目すべき点は築地まゆみさんについてですね。
お姉さんも松竹の女優だったことはこの記事で初めて知りました。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1676210.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1676211.png >>231
相川好枝で検索したけど全く情報がない
ほんとに売れない女優だったんだね >>229
私も「淑女」の事故の話は通子さんが免許取得後のことかと思っていたのですが、
それ以前だったのですね。通子さんならやりかねないとの予見でもあったのでしょうかw
絹代さんの運転シーンは>>219「女医絹代先生」の1番目の画像です。絹代さんは
まだ免許は取られていなかったと思うのですが、公道でのロケで蛇行シーンも含めて
見事に運転されていました。 >>231
いつも貴重な資料を有難うございます。
築地さんのお姉さんも女優だったとは、この頃の映画会社は縁故入社が多かったんですね。
五所さんと磯野さんは、スタッフクレジット見る度にたぶん血縁関係だろうと思ってた
のですが、ご兄弟だったのですね。 >>234
築地まゆみさんの姉に関しては、通子さんの影響もあったのでは?
同じダンサーとして桑野通子が大成功したのでそれなら……っていう感じで、、、
結果は大失敗に終わったようですが……
こういう記事を読んでると、当時は縁故採用は当たり前に行われてたんでしょうね。 その記事では築地まゆみさんはあまり評価されていなかったですが、
実際は新興移籍後は売れっ子になって多忙を極めたようで、
それが原因で体を壊して急性肺炎で早世しました。
お姉さんも妹と一緒に新興へ移籍したんですかね。その点は不明でした。 >>233
絹代さんの運転シーンってスタントじゃなくて? >>238
うp有難うございます。
お美しい…泰西名画のようです。 >>238
美しい…
思わず見とれてしまう…
洋装も和装も見事に着こなす美女の中の美女。
しかも演技もうまい。
戦後にも比肩できる女優が見当たらないほどの逸材。
かえすがえすも早世が惜しまれる… >>238
ありがとうございます
今まで見た中で一番美しい
素晴らしいとしか言いようがない >>240
うp乙です
絹代さんの顔を見ているとカッコよく運転しているように見えますw >>240
谷麗光さんはWikipediaでは昭和8年に準幹部待遇昇格と書いてますが、
昭和12年11月時点では名簿に名前がないですね。
「男性対女性」のラストで通子さんと共演していましたね。 >>245
情報有難うございます。
ウィキの記載は結構誤りがありますよね。
「男性對女性」の谷麗光さん出演シーンはどの辺りでしょうか。
役名がないので、劇場スタッフのどなたかだったのか?
谷さんで一番印象的なのは「花籠の歌」(五所平之助監督1937年)で、
岡村文子さんの夫役で散々どやしつけられる恐妻家振りが面白かったです。
右から谷さん、岡村さん、河村黎吉さん
https://i.imgur.com/coqluum.jpg >>246
今映画を確認してみましたが、上山草人さんの間違いでした。
ラストに近い場面で桑野通子さんと共に劇場を訪れた上原謙さんが、
河村黎吉さんを殴りつけるシーンがありました。
そこに劇場の所有者として同席していたのが上山草人さんで、
その人が谷麗光さんだと勘違いしてました。お詫びして訂正します。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1680770.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1680771.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1680772.png >>246
その画像を見るとやはり別人であることが明確にわかりました。
岡村文子さんも「男性対女性」に出ていましたね。
吉川満子さんとの共演シーンははっきり覚えています。 >>247,>>248
ご丁寧に訂正有難うございます。
谷さんも上山さんも痩躯面長なので、混同してしまいますよね。
同じ作品に出演されている水島亮太郎さんも似た感じなので、
時々わからなくなってしまうこともありますw
上山さんといえば、ハリウッドのサイレント時代に活躍されたんですね。
谷崎潤一郎さんはじめ文化人のご贔屓も多かったとか。 >>248
岡村さん、吉川さんに葛城文子さん、飯田蝶子さんが加わると
戦前松竹BBAカルテットの完成で抜群の安定感ですw >>249
>上山さんといえば、ハリウッドのサイレント時代に活躍されたんですね。
そういう経歴があったんですね。
そのことを念頭に置いて「男性対女性」を観ると面白いかもしれません。
ただ、当時はフリーだったみたいですね。松竹の幹部ではなかったようです。 オール松竹の昭和13年7月号から。
桑野通子さん(ただし雑誌の保存状態が悪く、一部に欠損あり)。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1682446.png >>250
私が最初にハマった映画が加山雄三さんの若大将シリーズで、
飯田蝶子さんというとどうしてもその時のイメージが強いですねw
戦前の松竹映画を観ると、その頃のほうがかえって新鮮に感じます。 >>252
乙です
ずいぶん顔黒いね
ドーラン塗り過ぎ? >>252
うp有難うございます。
>>254
確かにかなりガングロ(懐かしいw)ですね。
通子さん他にも日焼けした写真は見たことがあります。
夏は海で焼くのがお好きだったとか? ロケ地に真っ黒に日焼けした状態で現れロケ中止になったのは桑野通子じゃなかったっけ? カラーじゃないから日焼けも誤魔化せていいよね
>>250
吉川さんて今の目線で見ると長身小顔でスタイルいいのよね
ビックリしました >>256
それ何かで読んだことがあります。
島津監督の映画でしたか?島津さん激怒したけど通子さんは叱らないで
周囲のスタッフやマスコミ関係者に当り散らして大変だったとかw >>259
画像うpありがとうございます。
飯田さんは年相応という感じですが、吉川さんは地味過ぎて気の毒w
2枚目の画像を見ていると、戦前の日本家屋に対する郷愁が沸き起こってくる。
昔は私の家もこんな暮らしをしていたのだろうか、と。 >>256
私もどこかで読んだ覚えがある。
面と向かって通子さんを怒れず、代わりに助監督を怒鳴ったとかw >>259
この頃の飯田蝶子ってまだ40くらいだったんだよね
もっと歳いってるように見えた 「オール松竹」昭和11年1月号から「御挨拶は食われてしまえ」。
意味ありげなイニシャルがいろいろ出てきますが、松竹のことかどうかは不明。
2枚目の左に高杉早苗さんの写真がありますが、本文とは無関係です。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1685451.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1685452.png S監督と俳優のM、Hって最初清水宏監督と桑野通子、上原謙のことかと思った
よく読んだら違ったね >>263
貴重な記事うp有難うございます。
今もある映画公開初日の舞台挨拶のことでしょうか。
舞台挨拶だけで俳優が天狗になっても困るし、映画のイメージでぶち壊されたら興行成績に
も響くでしょうね。当時は一般人が映画スターに生で見ることのできる貴重な機会だったのでしょうが。
「Gといふ監督」は五所さん?主演女優Tは絹代さんだったのでしょうか? >>265
これなんか怪しいw
↓
人生のお荷物(1935)
監督:五所平之助
出演:田中絹代
出演:小桜葉子 >>260
では少し朗らかな吉川さんを『母の戀文』(野村浩将監督 1935)より
右は出雲八重子さん(溝口、小津、成瀬、黒澤の四大巨匠映画に出演)
https://i.imgur.com/5kH19dp.jpg
右は坪内美子さん(『新女性問答』で通子さんとも共演)
https://i.imgur.com/bngOiin.jpg
https://i.imgur.com/K96ZBJE.jpg >>266
あっ、確かにイニシャルは合ってますね。
この映画よく観てないのですが、時期的にはそうかもしれませんね。 >>267
画像うpありがとうございます。
吉川満子さんは通子さんより14歳も年上になるんですね。
そんなに歳が離れているようには見えなかったです。
それにしてもこうやって3枚の画像を見ていると、
当時の松竹大船には美人女優が揃っていたんだなって思います。
この3人の中では出雲八重子さんが良いと思うw >>265
映画の舞台挨拶って戦前からあったんですね。
今も昔もやってることは変わらない。
当時の映像が残っていたら興味深い。 >>264
S監督→佐々木康監督にアタリをつけて調べてみたら、本郷秀雄さんのウィキに
>佐々木康監督の『舞姫の暦』に主演し、共演の水島光代とともに
>「夢心コンビ」として売り出される[1]。
とありました。これでほぼ確定かな?
本郷さんは戦後も長く映画やテレビ等で活躍されたようですが、
こんな若気の至りの経験も生きたのかもしれませんね。 >>271
どうやら確定ですねw
80年も経ってからこうやって暴かれるのは辛いだろうなw >>271
>本郷秀雄さん
たぶん間違いないですね。
松竹大船の所属なのに通子さんとの共演がなかったようですね。
映像の現存状況も悪く、当時の様子がよくわからないのが残念。 >>275
うp有難うございます。
さらっと読みましたが、大変興味深い座談会ですね。
再度読み返したいと存じます。 >>275
男の償いのラストの夏川大二郎の演技は良く言えば肩の力が抜けたと言うか
悪く言うと手を抜いたような印象は確かに受けた
夏川静江の批判はそこを念頭に置いたものだと思う ヤフオクで久しぶりに通子さんのブロマイドが出てる。 >>275
1枚目に夏川さんが日活多摩川再訪問されたことを話されていますが、
佐分利さんも俳優生活のスタートは日活だったんですね。
夏川さんのお姉様静江さんとも共演されてます。
「鳩笛を吹く女」(田坂具隆監督 1932)のスチール写真より。
https://i.imgur.com/OX3IEx9.jpg
https://i.imgur.com/cXLUh5u.jpg >>280
うp乙です。
大変珍しい画像ですね。いずれも初見です。 >>280
佐分利さんは日活時代は芸名「島津元」でした。
松竹移籍後は巨匠島津保次郎監督と苗字が同じではまずいので改名したとか。
日活時代のフィルムがほとんど現存していないのが残念です。
デビュー作「日本嬢(ミス・ニッポン)」(内田吐夢監督1931)が観たいものです。
何しろ入江たか子さん夏川静江さんとの共演ですから。 詰襟学生服の佐分利信と、ジャネット・ゲイナー風の夏川静江…
こんな写真が現存していたとは…
今日ほど、5ちゃんねるを覗いてみて良かったと感じた日はない。
アップしてくれた方に多謝。 >>275
徳大寺伸さん、「花籠の歌」の李さん(詩を愛する中国人コック)役は
喜んで演じられていたとか。
(1枚目左は出雲八重子さん)
https://i.imgur.com/2Ccl96q.jpg
https://i.imgur.com/80WluuX.jpg
https://i.imgur.com/9rDlBI4.jpg
「按摩と女」(清水宏監督 1938)の徳市もほんとハマリ役でした。 徳大寺伸て、演技の幅が広い名優だよね。特に、見かけは真面目そうだが実は狡猾な男という憎らしい敵役の演技が絶品。 新撰組血風録の原田左之助はベランベエな役どころだったな 若い頃は二枚目だった人が、年取って嫌な中年を演じるって、上原謙と同じパターン。 >>288
徳大寺伸は戦前でも「暖流」や「母と子」などで女を弄ぶ気障で嫌味な役もやってる。
上原謙は戦前二枚目の正義派役ばかりやらされて辟易していたらしい。戦後色々な役が
出来て良かったのでは。 今日は小津監督の誕生日+命日だけど、通子さんの出演作は「淑女」と「戸田家」の
2本だけか。小津さんが出征しなかったら、もっと出演作品があったかも。
「お茶漬けの味」は通子さんがご存命だったら出演してただろうか。 通子さんのブロマイドまたぼちぼちヤフオクに出品されてるな。
>>6「新妻問答」の主題歌?印字スチール写真
おそらく「花」からのスチール写真
もう1枚和服に丸髷?のブロマイドは即落札だったけど、ここの住人かなw >>291
お馴染みのスチール「戸田家の兄妹」も落札早いね あらら「西住戦車長伝」とおそらく「愛の暴風」のスチールも
出品されてますね 最初の女優たちはダンサー出身が多いけど、桑野通子もそうだったのか。同時に頭が良さそうですね。 師走に入ってこのスレも大分過疎ってしまったね。
来年1月4日は通子さんのお誕生日(103歳!)だから、その辺に
なったら書き込み増えるかな。
残念ながら1月4日はここに来れないと思うけど、書き込める方は
宜しくね。どうか皆さん良いお年を。 遅くなりましたが、通子さん104歳のお誕生日おめでとうございます。
今年最初は「天狗倒し」(井上金太郎監督 1943)のスチール写真。
後の大女優京マチ子さんとの最初で最後の共演作。フィルム現存していますが未見です。
和装もまた良し、時代劇の通子さんもっと観たかったですね。
https://i.imgur.com/DYsacHd.jpg 長生きしたとしたら、戦後はどういうポジションになったんだろう
原節子路線ではないだろうし、三宅邦子のような母親役も違うような気がする >>298
全盛期の立位置で被るのは高杉早苗さんだから、上品なマダム役か?
「夜の女たち」のような汚れ役も十分こなせたでしょう。
成瀬巳喜男監督の「薔薇合戦」化粧品会社社長の三宅邦子さんはミスキャスト
だと思うので、通子さんが生きていれば…と思わずにいられません。 高峰三枝子のようにのちのちまでメインの役で活躍したんじゃないかと妄想(;'∀') 100歳ぐらいのゾウガメが発見されたみたいだけど、ミッチーと同年代かな >>301
ミッチーはドジでのろまな亀ではございませぬ! 明日待子さん、日舞の舞台に出るらしいな
ミッチーとさほど年が変わらんのにスゴいわ ミッチーと会ったことがある人でお元気なのは京マチ子さんだけ? >>305
子役の爆弾小僧(横山準)はミッチーと共演多いがまだお元気なんだろうか 通子さんの遺作『女性の勝利』(溝口健二監督)は1946年の今日公開されました。
敗戦から8ヶ月、当時どれだけの人が観ることができたのでしょうか。
https://i.imgur.com/zLF6kxf.jpg
https://i.imgur.com/79JYTUr.jpg 京マチ子さん逝く
>>297で共演した通子さんからは
「もういらしたの。もうしばらくあちらにいらっしゃるかと思ったわ」
とか言われてたりして。 >>313
同じ令和の年に亡くなるというのも奇遇ですね。
明日待子さんは映画にも出演していますが、基本的には舞台がメインでした。
明日さんの出演映画で現在見ることができるのは『春爛漫狸祭』(1948)だけのようです。 娘のみゆきさんのWIKIに本名の佐藤と書き込むと斎藤へ変えられるのはなんでかな 愛染かつらでミッチーが船から手を振るシーンが可愛い >>314
主役の「風車(かざぐるま)」(38)という東宝映画作品も残ってますよ。
衛星劇場で2008年2月に放送されました。
旅芸人とお侍の淡くて切ない恋のお話。
大川平八郎に往復ビンタされる場面にびっくりしました。 >>317
ありがとうございます。
ツィッターにもあったのですが、残ってたんですね。
国立映画アーカイブ検索しても所蔵がなかったので、
消失したものと思ってました。 1日遅れとなりましたが、通子さま105歳のお誕生日おめでとうございます。
>>297で共演した京マチ子さんとはもうお会いしたかな? 2006年に亡くなったハリエットというガラパゴスゾウガメは享年175歳。
生まれたのが1830年頃らしいからミッチーより85歳ぐらい年上になるね。 今日は通子さんのご命日。
遺作が悲し過ぎる。『女性の勝利』(1946 溝口健二監督)より。
https://i.imgur.com/zLF6kxf.jpg ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています