・・・戦前最高の美女 桑野通子 第二幕・・・
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申し訳ありません、もう一度訂正します。
昭和12年当時は高峰三枝子さんは幹部ではなかったです。
高杉早苗さんと勘違いしていました。
「大船俳優出世双六」(「オール松竹」昭和12年11月号)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1647455.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1647456.png >>113
築地まゆみさんと同期のようです。
当時の雑誌では二人の名前を並べて「新人」という紹介をしています。
「オール松竹」では昭和11年の秋以降突然名前が出なくなりました。
築地まゆみさんと共に移籍したのでは、と推測しています。
>>114
「じゅん えいこ」と読みます。芸名だと思います。 >>115
興味深いけど冷酷なランキングだな
特に小林十九と夏川大二郎が同じ幹部というのが泣ける こりゃ驚いた!
飯田蝶子て松竹の大幹部だったんか。 >>115
いつも貴重な資料上げて頂きありがとうございます。
ほとんどの俳優さんは顔とお名前がほぼ一致するのですが、豊田満さん
だけがわかりません。現存する映画では「金色夜叉」に出演されていた
ようですが。
>>117
夏川大二郎さんは姉が大女優だし、日活時代は溝口映画の主役級でいわば
エリートだから叩き上げの小林十九さんと格差があるのは致し方ないかと。 >>119
まあそのとおりか、と
夏川大二郎はいわばサラブレッドだからね 大二郎は太りだしてから精彩かなくなったね。
彼がまだ二枚目はだった時期の「男の償ひ」がツベから消えたのが残念。松竹のスター揃い踏みの大作でもちろん通子さんも出てる。
原作の吉屋信子さんは、自身が同性愛者たったせいか、世の男の醜悪ぶりを「これでもか!」と描写する異色の作家。
「男の償いひ」では夏川大二郎扮する男性だけが唯一まともなで他はまんなクズばかり。しかし、まともな夏川でさえ地獄に突き落とすという徹底した男性嫌悪映画。ラストにも全く救いがない。
いかに文芸作品とはいえ、当時の松竹首脳会談が、よくこのシナリオにゴーサイン出したものだと感心する。
できれば再アップしてもらいたいが… 4年で幹部になった桑野通子、高杉早苗、三宅邦子ってやっぱり凄い存在だったんだろうな 「花」(1941)撮影中のスナップかと思われます。
左から城戸四郎さん?、原作者の吉屋信子さん、帽子の通子さん、絹代さん、上原謙さん、
右端は監督の吉村公三郎さんでしょうか。
https://i.imgur.com/2BjVwLA.jpg >>124
画像うp乙です
左端は当初近衛敏明さんかと思いましたが、城戸さんでしょうね。
ところで「花」は現存しない作品だと思い込んでいましたが、
普通にVHS化されていたんですね、知らなかったです。 >>125
レス有難うございます。近衛さんは嫌らしい花屋の役で出演されてました。
「花」は当時の松竹花形スターが出演しているにも関わらず、なぜか無視
されることの多い作品です。華道界が当時の挙国一致体制に協力したという
負い目があるからでしょうか。
作品としては吉村監督のモダンな感覚が遺憾なく発揮されていると思います。
通子さんが戦後も長く活躍していれば、吉村監督に起用される機会も多かった
ことでしょう。 「花」見たいなぁ。
DVD化してくれんかなぁ。
吉屋信子原作だから、またどんな風に男たちが辛辣に描かれているのか興味津々w 珍しい座談会記事を見つけたのでうpしてみます。原本からコピーしたものです。
「座談会 松竹の映画の花形女優さん お化粧打開話しの会」(「スタア」昭和11年2月)
出席者(敬称略)
桑野通子、三宅邦子、小牧和子、純英子、水戸光子、築地まゆみ、南満洲子
栗原敬治(松竹関係者と推測)、三輪善太郎(ミツワ石鹸社長)、記者(「スタア」誌の編集者と思われる)
https://dotup.org/uploda/dotup.org1648842.png >>129
桑野通子が半分以上しゃべっていて笑ったw >>129
通子さんが三宅さん以外の出席者は『戀愛豪華版』に出ていると発言されて
ますから、築地さんや純英子さんも出演されてた訳ですね。
おそらくノンクレジットだったのでしょうが、フィルムが失われてしまうと
どの俳優がどの作品に出演していたのか確認するのが難しくなります。
それにしても子供の頃、「わっわっわっ輪が三つ」のCMでお馴染みだった
ミツワ石鹸が現存せず、戦前松竹映画ご用達?のクラブ化粧品が今も存続発展
しているのは何とも… 有りがとうさんの撮影の途中で一回東京に戻ってきたタイミングで座談会をやったのか >>133
あぁそれそれ、懐かしいです。
今でも頭に残ってるのは秀逸なCMソングだったんですね。 >>129
南満州子て…
また物凄い芸名w
ミツワ石鹸て、この時代は景気良かったんだね。社長はスターのパトロンやってたんだろうな。
たしか昭和の終わりごろ倒産したと記憶しているが、ミツワ石鹸やバヤリースはテレビ黎明期の有名企業だったね。 >>129
発言の多さは人気に比例していますね
人気女優の通子さんは半分近く喋り、三宅邦子さんが次いで、残りを5人で分け合うという >>131
築地まゆみさんの出演リストにも載ってないし、現存しない作品の詳細を知るのは難しいですね。
「オール松竹」昭和11年1月号によると、10年10月27日に「戀愛豪華版」の撮影を東京で。
撮影所内で上高知ホテルそっくりのセットを組んで撮影。夜の舞踏会シーンもあったとか。
その後の11月12日に「有りがとうさん」の制作に着手した、と記事がありました。
なので、座談会は11月から12月にかけての時期に行われたものか、と。 >>129
いつも貴重な文献をありがとうございます >>136
ミツワ石鹸って懐かしCMでしか知らなかったので、そんなに有名な企業だとは思わなかったw
スターのパトロンやってたというのは十分ありえると思う。 >>139
昭和11年から13年頃の雑誌を10冊程度所有しているので、
これから不定期で面白そうな記事をうpしていきます。
私一人で独占していても仕方がないし、みなさんに知っていただきたいので。 >>141
「オール松竹」や「スタア」など戦前の映画雑誌は国立国会図書館や
大学図書館くらいしか所蔵しているところがなくて、なかなか見る
ことのできない貴重な資料です。
スキャン等お手数お掛けしますが、宜しくお願い致します。 >>129
三輪社長の要望に応えて、しっかりミツワ石鹸の宣伝をしてくれる三宅邦子さんw
そういや三宅さん、戦後は大塚製薬のオロナインのCMやっていましたね。
スターって演技だけでなく、こういうスポンサーへのゴマすりもしないといけないから大変ですよねw 訂正
>>115の2枚目の画像の中で「小林十九(二十七年)」とありますが、
たぶん正しくは「小林十九二(十七年)」の間違いだろうと思います。
大正10年に松竹蒲田に入社したそうなので昭和13年で17年目ですね。 三宅邦子は便秘薬サラリンでは?
「煙突さん苦しそうですね・・・♪サラリンサラリンサラサラリン 便秘にすっきりサラサラリン♪」ての。
オロナイン軟膏も同じ大塚製薬だから浪花千栄子の前にやってたかも知れんが。 >>145
一方で空気を読めない発言をして記者氏を困らせる水戸光子さんに笑ったw >>147
そうですね。
三宅邦子さんのCMでは、便秘薬のサラリン錠の方が有名ですね。
でも、オロナイン軟膏のCMにも出ていたはず。これは想像ですが、三宅さんがサラリンを始めたに時期に、オロナイン軟膏は浪花千栄子さんに切り替わったのではないかと。
浪花千栄子の本名は南口キクノ(なんこう・きくの)なので、語呂の良さで抜擢されたとも聞きますね。
桑野通子さんが長生きしていたら、戦後はCMに引っ張りだこだっただろうと思います。 >>150
日生のおばちゃんのCMを見たかったな<通子さん
不当なほどの早死だった >>150
サンヨー夫人、マダム・ジュジュの木暮実千代さんとともに
CMの女王になってたかもしれませんね。 >>129
記者はできればもっと新進女優3人の声を積極的に引き出して欲しかった
個人的には築地まゆみさんの話を読みたかった
いずれにせよ当時の女優たちの肉声に接したような感じがしていい記事だと思った >>154
ありがとうございます こういうのは、いつの時代も変わりませんね >>154
俳優の自宅を訪問するなと、サインを強請るなは現在に通じるものがあるな 内容自体は昔も今も変わらないが、さすがに昭和初期となると、文章が全然違うよね。 >>154
有難うございます。当時の事情がうかがい知ることができる興味深い資料です。
第八戒の「映画中のタイアップ広告を失笑すべからず。」はクラブやら明治やら のこと
ですね。当時はうざったいと思われていたんでしょうね。今見ると成瀬さん や五所さん
などの映画にやたら出てくるので風俗としては面白いんですが。
明治製菓のタイアップという成瀬さんの「チョコレートガール」は現存しないのですが、
どんな映画だったのか観たかったですね。 >>158
通子さんは確か森永でしたね。
明治出身ならその映画に出演したんでしょうけどw 第二戎に松竹大船撮影所記念日のことが書いてますが、
来場者8万人って凄いですね。AKBみたいだw >>129
純、築城、南の3人はほとんどしゃべってないね。先輩に押されて自由なことをいえないよね。かわいそいに。 チョコレートガールは昭和7年の作品なので桑野通子さんのデビュー前の映画ですね。
主演の水久保澄子さんのあの騒動があったので、仮に現存したとしても
再上映はされなかったんじゃないでしょうか。 ヤフオクで「慰問袋」っていうものが出品されてるけど、
その中に入ってる桑野通子さんの腕組みしたブロマイドは有名なものだね。
もともと慰問袋用のものだったのか。 慰問袋のブロマイドの人気ナンバーワンは高峰秀子。嫁にしたい女優ナンバーワンは三戸光子。
桑野通子さんは理想の不倫相手ナンバーワン(これは嘘w)。 >>162
水久保さんのスキャンダルは明治製菓にとってはダメージが
大きかったでしょうから、戦前は再上映できなかったでしょうね。
ただ成瀬監督の蒲田時代の映画は現存わずか(5本)だけに、もし
残っていたら…と思わずにはいられません。今残っている映画も
優れた作品ですし、フィルムの状態も良好なので。
松竹で成瀬監督と通子さんがすれ違いになってしまったことも
ほんと惜しまれます。 >>165
成瀬監督作品では松竹ではありませんが「秀子の車掌さん」が一番好きですね。
ああいう朗らかな作品が観ていて癒やされる。
そういえば高峰秀子さんももともと松竹でしたね。 成瀬監督が松竹を去った直後くらいに通子さんが入社した感じですかね。 >>168
いつも貴重な記事うp頂き有難うございます。
当時の松竹トップスターが集っての創作座談会ですね。
全てフィルムが現存している映画なので、今でも「そうそう」って
頷けるところがあるのがいいですね。 >>168
本物の座談会なら、その場の写真を絶対に載せるはずだから、それがないということは、やはり創作でしょうね。
もちろん、松竹の宣伝誌だから会社の許可はとっているでしょう。 >>168
うp乙です
座談会の様子を写した写真がないからやはり創作ですねw
読んでてこっちが恥ずかしくなったw
この架空座談会を書いてる記者の顔が見たいと思ったw >>168
最初に記者が「その当時の御扮装で」とありますから、仮装架空の座談会ですね。
「朱と緑」の雪江(高峰三枝子さん)がその役柄まんまのベタな大阪弁が笑えます。
高峰さんはその後の「花は偽らず」(1941年大庭秀雄監督)でも、大阪のお嬢さん役
でしたが、当時の松竹大船ではネイティブなの女優さんはいなかったのかなと。
通子さんも「淑女は何を忘れたか」では大阪のお嬢さん役でしたが。 すみません訂正
>ネイティブなの女優さんはいなかったのかなと。
→ネイティブな大阪弁の女優さんはいなかったのかなと。 「男の償ひ」のラストで気が狂って病院の中庭を彷徨する田中絹代さんを
悲しみと絶望の入り混じった表情で見つめる桑野通子さんが大変印象的だったし、
そこへ現れた佐分利信さんが今後毎日病院へ通い忘れ形見の子供を育てる、
それが男の償ひだと言い切る場面なんかすごく感動的だったが、
それだけにその後日談なんか読みたくはなかったw >>172
いたかもしれませんが大部屋女優しかいなかったのかもしれないし、
桑野ミッチーの大阪弁はハマってるとおもいましたよ。 >>172
通子さんはある一時期神戸にいたそうですから、関西に縁がなかったわけでもないようですね。 >>168訂正
正しくは「オール松竹」の昭和13年7月号でした。お詫びして訂正します。 >>175
大船のスター女優でいえば大阪の琵琶少女歌劇にいた田中絹代さん
くらいだったかもしれませんね。
通子さんの大阪弁はぎこちないながらも、あの滑舌の悪さが逆に
良かったように思います。
大阪弁指導は滋賀県出身の吉村公三郎さんだったとか。
>>176
神戸にいらしたなら、それなり関西言葉に触れていたから違和感
なかったでしょうね。 >>168
男の償ひの最後で夏川大二郎が溺死する場面があったが自殺って書いてるな
事故死だと思って見ていたんだが 男の償ひのラストシーンで夏川さんが岩の上に腰掛けて物思いに耽る場面があり、
もしかしたら死を選択するか思い悩んでいたのかもしれないけど、
その時に息子の声が聞こえて我に返り、息子の側へ行こうと立ち上がった時に
バランスを崩して川へ転落したんだと思う。だからあれは事故死で自殺ではない。 よくもまぁ、これだけ見事にスターたちの対談をでっち上げられるもんだw
しかしこれ、映画を見ていない人には何が何やら訳分かんないよねw >>182
立花泰子のお尻を見せた画像は当時としてはかなり際どいね >>182
いつもありがとうございます 立花さん、素敵です >>182
ありがとうございます。
豊田さんはスポーツ青年という感じの俳優さんですね。
ポスト鈴木傳明さん?だったのでしょうか。
水戸さんは丸っこい顔なので、プロポーションはどうか?と
思いましたが、「母と子」の洋装で見たとおり、なかなか
お宜しいです。 >>186
ありがとう。じゃ鈴木さんと同じだね。
でも残念ながら鈴木さんみたいにスターにはなれなかったね。 >>182
林長二郎(長谷川一夫)さんは東宝移籍直前に撮られたものですね。
剣戟スターですが、松竹では現代劇にも出演されてましたね。
この数ヶ月後に襲撃に遭うとは… >>189
その撮影の裏では移籍交渉が進んでいたんでしょうね。
半年後くらいじゃないでしょうか、襲撃されたのは。 >>191
うp乙です
桑野通子さんの自然な表情がとてもいい
素の表情が表れているね >>191
うp有難うございます。
2枚目の火鉢に寄り掛かって三味線持った上原さんに微笑む
通子さんが可愛いですね。 モダンな洋服の着こなしが抜群だが、着物姿もいいよね。
つくづく早世が惜しまれる。
娘の桑野みゆきが全然似ていないだけに。 この頃って20歳くらいでしょ?
一番可愛かった頃だね 戦前は、大人が読む文章にもルビが振ってあるんですね。それで昔は難しい漢字も読めたが、戦後になって漢字の数が制限され、当用漢字(現在は常用漢字)が導入されルビもなくなったと。
なんでも、印刷工程を合理化したい新聞社の意向が通ったとか。 >>197
いつもありがとうございます。
デビューしたばかりの東山さんへの気配りは通子さんの人柄がしのばれます。
共演した「感情山脈」は数少ない通子さんの主演作ですが、フィルムが現存
していないのが大変残念です。 >>197
とてもいい座談会ですね
当時の女優たちの肉声が聞こえてくるようだ >>201
画像うp乙です
東山さん以外の3人が出演している映画ですね。
その作品の頃の槇芙佐子さんは高杉早苗さんに代わるスターとして
期待されていたんじゃないかと思います。 >>202
「暖流」は槇さんにとっても出世作になったと思うのですが、その後
余り役に恵まれなかったようですね。顔立ちは整っているのですが、
高杉さんと比べるとやはり地味だったのかと。
戦後もしばらく脇で出演されていますが、溝口健二監督の「夜の女たち」
の純血協会の婦人役が印象に残っています。 >>197の座談会出席に東山光子さん
代表作は「女医絹代先生」(1937)でしょうが、同年の「浅草の灯」より
科白の無い端役でも目立ってしまいますねw
https://i.imgur.com/R6VdUS5.jpg
https://i.imgur.com/sDZ0bUC.jpg
左から藤原か弥子さん、東山さん、上原謙さん、高峰三枝子さん
https://i.imgur.com/5e6UQSY.jpg >>203
確かに地味ですね。キャラクターとしても高杉さんと重複していたのも
大成しなかった原因かもしれないと思っています。
「夜の女たち」は通子さんの没後2年目に製作された作品ですね。
田中絹代さんや高杉早苗さんといった名前を見ていると、
通子さんが存命なら共演していたのかなと思います。 >>204
画像うpありがとうございます。
3枚目の画像は説明と異なるようです。 失礼しました。説明は2枚目の画像に対してですね。
右から2番目の男性が外国人に見えましたw >>204
桑野通子や高杉早苗などと比べるとやっぱり華がないんだな >>206,>>207
こちらこそわかりにくくして相済みません。
リンク先の上に説明を入れるべきでしたね。
2番目画像の上原さんは浅草オペラの役者なんでカツラやヒゲで欧州人に
扮しています。
この映画、左端の藤原さんも好演でした。少し肥えた岡田茉莉子っぽくてw >>208
東山さんはいわゆる美人女優じゃないので、コメディリリーフ的な
役柄が合っていたような気がします。長く女優生活続けていれば
飯田蝶子さんみたいになれたかも。 >>209
>2番目画像の上原さんは浅草オペラの役者なんでカツラやヒゲで欧州人に
>扮しています。
そういう役柄だったんですね。ほんとによく演じきっています。
最初どう見ても外国人に見えました。 「オール松竹」昭和11年7月号から。
東山光子さんと築地まゆみさんなど。上原謙さんの姿もあります。
https://dotup.org/uploda/dotup.org1667249.png >>212
うp有難うございます。
東山さん築地さんが並ぶと何だか姉妹みたいですね。
松竹の野球ユニフォームで一瞬ロビンス?と思いましたが、プロ球団持ったのは
戦後でした。上原さん磯野さん高田さんは若々しくていいのですが、円いグラサンの
大山さんはちょっと怪し過ぎますw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています