2008年11月12日、実父が関係する福岡県宗像市の医療法人所有の精神病患者のためのサナトリウムで手首を切って抜け出し、徘徊しているところを警察に保護された。
また、夫人との離婚が成立していたことも併せて報道された。同月に自殺を図るが未遂。
2009年1月3日、北九州市八幡西区里中3丁目のマンション駐輪場で死亡しているのが発見された。警察はマンションから飛び降りたとして自殺と断定した。
当時永田はマンション近辺にある精神科病院の八幡厚生病院に入院していた。他の患者の見舞客たちも、院内ロビーをよだれを垂らしながら呆然と歩く永田の姿を時々見かけていたという。
現場からは遺書とみられるノートが発見され、また空になった焼酎の紙パック(1.8リットル)も残されていた。